第2話【絶望の淵にて見えた光】

 瓦礫で塞がれた廊下に転がり出たユフィーリアは、無我夢中で大太刀の鯉口こいくちを切った。つばを親指で押し上げると、廊下を塞ぐ瓦礫がれきの山を見据える。

 息を短く吐き、ユフィーリアは切断術を発動させる。廊下を塞いでいた一番大きな瓦礫が切断されて、ガラガラと崩れる。少しだけ隙間が見えて、ユフィーリアは卓抜した身体能力を活用して隙間から瓦礫の山を通り抜けた。

 埃っぽく冷たい廊下を、ユフィーリアは真っ直ぐに駆け抜ける。背後から聞こえてくるペッタペッタという足音から、ひたすら逃げる。


「クッソ……どうしてッ……!!」


 ユフィーリアは吐き捨てた。

 戦いたくなかった。

 ユフィーリアにとってアルベルドは、自分を育ててくれた親であり、最強としての知識と戦闘技術を授けてくれた尊敬すべき師なのだ。それをどうして殺さなければならないのか。

 いや、きっと殺されるのは自分の方ではないだろうか。

 何故なら、ユフィーリアは一度も師匠であるアルベルドに勝てたことがないのだ。


(このまま逃げ回っていても、いつかは結局追いつかれる。視界が開けた場所で応戦した方がいいか……?)


 こんな時でも戦闘慣れしてしまった思考回路は、相手よりも上手く立ち回れるように嫌でも働き始めてしまう。本当は戦いたくないのに、天魔最強として培ってきた全てがユフィーリアの意思を邪魔してくる。

 殺し合いとは、どちらかが倒れて死んでしまうものだ。ユフィーリアは死にたくないし、師匠であるアルベルドを殺したくもない。

 それなのに、双方が生き残れるような最善策が見つからない。思考回路が弾き出す答えは応戦のみで、それらの答えに『否』を突きつけてユフィーリアは逃げ回るだけだ。


【――宿主、宿主ッ!!】

「ッ!? その声は【銀月鬼ギンゲツキ】か!?」


 頭の中に響く凛とした女性の声は、どこか切羽詰まったような雰囲気さえあった。

【銀月鬼】――ユフィーリアが契約した、天魔最強と謳われた白い鬼の天魔である。いつだって凛とした百合の花のような凛々しさと冷静沈着さを併せ持つ美女だったが、どういう訳か今はなにやら慌てているようである。


【宿主、気をつけてくれ……!! 「薄氷鬼ハクヒョウキ」は切断術の原型になった術式――絶剣術ゼッケンジュツを使う!!】

「ごめんもう少し詳しく!!」

【切断術は見えていればあらゆるものを切断する術式だが、絶剣術は切断するか否かを自由に選択できる!!】

「つまり、あれか!? 首を切って殺すのも、体に切り傷作って拷問するのも相手次第って!?」

【簡単に言ってしまうとそうだ!!】

「非常に面倒くせえ能力だな、おい!?」


 ユフィーリアは舌打ちをした。はた目からすれば一人でぎゃあぎゃあ騒いでいるだけの変人に思われるだろうが、この場にはユフィーリアしかいないので誰かにこの絶叫を聞かれるようなことはない。

 絶剣術とは、また面倒な術式が出てきたものである。面倒具合で言ったらグローリアの師匠であるエリス・エリナ・デ・フォーゼの氷と炎の術式と同じぐらいに面倒くさい。


「馬鹿弟子ィ、逃げてんじゃねえぞォ!!」

「どわあッ!?」


 その時、背後から唐突に瓦礫が吹っ飛んできた。

 埃っぽい廊下を転がるようにして回避すると、廊下を塞いでいた瓦礫の山にできた隙間から這い出てきたらしいアルベルドが、瓦礫をポンポンと手鞠てまりのように弄んでいるのが見えた。瓦礫を投げつけてくるとは、本気でユフィーリアを殺しにかかっているようである。

 ニヤニヤと大胆不敵な笑みを浮かべたまま、アルベルドはユフィーリアへ瓦礫の塊を投擲とうてきしてくる。びゅお!! と空気を切って飛んできた石の塊を、ユフィーリアは抜いたままだった大太刀を叩きつけて割った。

 パッと弾ける石の塊だが、その攻撃は誘導に過ぎない。虚空を舞う細かな破片に隠れるようにして急接近してきたアルベルドが、毒々しい赤色の太刀を振り上げていた。


「――――ッ」


 ユフィーリアは息を飲む。

 薄闇の中でギラリと輝く赤い刀身に、身が竦む。回避しようとしても相手が太刀を振り下ろしてくる方が速くて――。


【宿主ィッ!!】

「ッ!!」


【銀月鬼】の絶叫が頭にガツンと響いて、ユフィーリアは反射的に大太刀でアルベルドの振り下ろした赤い太刀を弾く。

 太刀を弾かれたことで隙が生まれ、薄氷色の瞳を見開いてアルベルドがよろめく。その隙を見逃すユフィーリアではない。

 素早く体勢を立て直すと、ユフィーリアはよろめくアルベルドの無防備な腹を蹴って吹き飛ばす。【銀月鬼】の怪力によって強化された蹴りは、自分の師匠であっても発揮された。大きく後方へ吹き飛ばされたアルベルドは、背中から埃っぽい廊下に落ちる。


(――柔らかかった。肉の感触だった)


 これが人形のように作り物めいた硬い感触だったら、どれほどよかっただろうか。偽物だと割り切って、ユフィーリアも本気で相手をしていたかもしれない。

 頑丈な軍靴の底から伝わってきた肉の感触は確かなもので、薄皮一枚の向こうに内臓までも現実味があった。間違いなく彼は生きている人間であり、天魔憑てんまつきなのだ。

 とにかく今は逃げるだけである。転がったアルベルドに背を向けたユフィーリアが足を踏み出すと、


「あッ!?」


 突如として右足に激痛が走った。あまりの痛みに、ユフィーリアは無様に転んでしまう。

 見れば、太腿ふとももの辺りにざっくりと切り傷が生まれていた。いつのまに切られたのだろうか。攻撃は確かに防いだはずなのに、それすらも意味がないと嘲笑うかのように、アルベルドがつけた切り傷はユフィーリアに焼けつく痛みを伝えてくる。

 絶剣術は、切断術の元となった術式。

 ならば、視界に入った如何なるものでも切り裂く特異性は変わらない。

 敵の事情にばかり目がいき、肝心の相手の手札のことに関して疎かにした過去の自分を殴ってやりたい。


(今は逃げるしかねえ……どのみちこの足だとやられる!!)


 相手は師匠だ。絶剣術などというふざけた術式を得てしまった師匠に、ユフィーリアが勝てる訳がない。

 そもそも、ユフィーリアはアルベルド・ソニックバーンズに一度たりとて勝てた試しがないのだ。

 焼けるような痛みを堪えて立ち上がり、ユフィーリアは大太刀を杖のようにしてよろよろと逃げる。右足を引きずりながら壁伝いに移動すると、


「――誰が逃げていいって言ったァ、馬鹿弟子ィ」


 底冷えのするような声に、ユフィーリアは呼吸が止まりそうになった。

 この程度では気絶はおろか、傷一つだってつけられないとは思っていた。だが【銀月鬼】の怪力に任せて、力の限り蹴飛ばしたのだ。もう少しぐらい痛がる素振りを見せるかと思ったのに、相手を怒らせるだけに終わった。

 ゆらり、と幽鬼の如く立ち上がるアルベルド。乱れた白金色の髪の隙間から、薄氷色の瞳が覗いている。弧を描いていた口元は引き結ばれて、それからペタリと雪駄せったを履いた足が埃っぽい床を踏みしめる。


「逃げるなんざァ、らしくねえじゃねえかィ。オメェをそんな腰抜けに育てた記憶はねえぞォ……」

「親代わりを積極的に殺せってのか、お前は。ふざけんな」

「殺す気でやらなきゃ、楽しくねえだろィ」

「お前が師匠の偽物だったら、俺だって本気ぐらい出してたよ。『なに他人の師匠を真似てんだ』ってな」

「おうおう、一丁前に言うじゃねえかィ。オイラが偽モンだって?」

「…………いや、お前は師匠だよ」


 だから逃げるのだ。

 勝てない相手と戦いたくないし、師匠であるアルベルドと死闘などもっと嫌だ。ユフィーリアは師匠に生きていてもらいたいのだ。


「師匠、頼むよ。戦うのはやめよう」

「弱気になってんじゃねえやィ」

「弱気じゃねえ。俺は師匠と戦いたくねえんだよ。せっかくこうして会えたってのに、どうして殺し合いなんてしなきゃ――!!」


 ピ、とユフィーリアの頬が裂ける。

 濡れた感触が頰を伝い、ひりついた痛みが走る。アルベルドの手には赤い太刀が振り抜かれていて、距離を飛び越えてユフィーリアの頰を切ったのだ。

 切断しようが、切り裂こうが、自由自在の絶剣術。それはまさしく、ユフィーリアの脅威となっていた。


「もう一度、これが最後だ馬鹿弟子」


 冷酷無慈悲な薄氷色の瞳が、ユフィーリアを真っ直ぐに射抜く。


「構えろ、馬鹿弟子。オイラに意見したけりゃ、力でねじ伏せて証明しろィ」


 その強さを。

 今まで師匠であるアルベルドの教えを駆使し、そして天魔最強として戦場を駆けた経験を全て使って。

 アルベルドの真剣な声を聞いて、ユフィーリアはなにを言っても無駄だと悟った。杖の代わりにする大太刀を黒鞘にしまい、外套の内側から手巾ハンカチを取り出して傷ついた太腿に巻きつける。手巾をきつく巻きつけて止血し、それからアルベルドへ向き直った。

 ようやく弟子であるユフィーリアがやる気を出したことに、アルベルドは満足げに笑む。毒々しく輝く赤い太刀を構えて、ユフィーリアと対峙した。


(戦いたくねえ……けど)


 多分、戦わなければならない運命なのだ。

 そうでもしなければ、この戦闘狂の気は済まないだろう。気が済むまで相手をしてやり、飽きたところで地上まで引きずっていけばいい。

 それまでは軽く攻撃をいなせば――。


「手加減しようだなんて考えてんじゃねえぞ、馬鹿弟子ィ」


 一瞬の隙を突いて、アルベルドが肉薄してくる。

 目の前に迫ってきたアルベルドの酷薄な笑み。凍りつくユフィーリアはあまりの速度に反応できず、ただ棒立ちになってしまった。

 先程までの速度が嘘のようだ。この速さは、ユフィーリアが知る師匠の速さとは桁違いである。


「オイラがオメェ相手に手加減をしたことなんざァ、あるか?」


 赤い太刀が振り抜かれて、

 ――切断術を使う上で最も重要な、眼球を切り裂かれてしまった。


「あ、ぁあああああああッ!!!?」


 右の太腿の次は左目をやられた。機動力の次は攻撃をする上で最重要視される眼球が使い物にならなくなってしまった。

 血が溢れる左目を押さえて、ユフィーリアは悶絶する。確かに修行時代には手加減をされた記憶はないが、まさか相手の眼球を狙ってくるとは思わなかった。


「づ、ぅ……!!」

「どうしたィ、馬鹿弟子。オメェのお得意のブツは使わねえんかィ?」


 アルベルドの薄氷色の瞳は、ユフィーリアの腰から吊り下げられた大太刀に注がれている。刀と刀による命のやり取りを彼はご所望のようだが、ユフィーリアが術式を発動すれば確実にアルベルドを殺してしまう。

 そんなことはしたくない。できることなら、戦いたくない。

 ユフィーリアは外套の内側から銀色の円筒を取り出すと、上部に突き刺さった栓をくわえて引き抜く。キン、とほんの僅かな音が埃っぽい廊下に落ち、ユフィーリアは銀の円筒を足元に叩きつける。


「ぶわッ!? テメェ、馬鹿弟子ィ!!」


 アルベルドの絶叫を背後で聞きながら、ユフィーリアは右足を引きずって逃げ出す。

 鼻孔を掠める甘い香りは、本来は天魔に体臭を嗅ぎ付けられない為の対策として施された匂いつけだ。しゅうしゅうと銀の円筒から噴き出る大量の白い煙に紛れて、ユフィーリアは師匠の前から姿を眩ませる。

 左目が切り裂かれて、右足も負傷した状態だ。万全ではないのに、どうやって師匠に勝てと言うのだろう。

 そもそも、ユフィーリアの精神面がすでに敗北を示していた。敬愛する師匠が生きていて、なおかつ敵として目の前に現れた時の絶望は耐えられない。


「はぁ、はッ……」


 廊下の奥に隠れた階段を下りる途中で、右足も再び痛みを訴え始めた。その場にずるりと座り込んだユフィーリアは、膝を抱えて迫り上がる感情を押し殺す。

 どうすればいい。

 どうすればいい?

 戦いたくない。戦わなければならない。殺したくない。敵ならば殺さなければならない。

 自分の意思が「戦いたくない」と叫べば、自分の立場が「戦え」と諭してくる。天魔最強【銀月鬼】の天魔憑きとして、敵前逃亡を許さないと。

 それでも。

 ユフィーリアは戦うことを躊躇ためらっていた。大太刀を抜くことに――切断術を使用することに、迷いが生じた。

 この刃はユフィーリアに勝利をもたらすと同時に、大切なものを失う絶望となる。


「ばーかーでーしィ」


 煙の向こうから、ペッタペッタと足音が聞こえてくる。

 ユフィーリアの心臓が縮こまる。死神が追いかけてくるようにも感じた。

 白い煙を引き裂いて現れた褐色肌の男は、ゾッとするほど冷たい瞳で縮こまるユフィーリアを見下ろす。赤い太刀を引っ提げて、彼は心底失望したとばかりの低い声で言う。


「戦わねえなら、死ね」


 ――殺したくない。

 ――戦いたくない。

 ――死にたくない。

 我儘だとは思うけれど、それは紛れもなくユフィーリアの願いだった。できることなら彼と肩を並べて戦って、強くなったなと褒めてほしかった。

 おそらく、その願いは叶いそうにないけれど。


「誰か……」


 いつもは、その言葉を待つ方だった。

 いつもは、その言葉を聞く方だった。

 いつもは、その言葉を叶える方だった。

 だけど、今だけは。


「……………………ッ!!」


 ギラリと薄闇に輝く、赤い色の凶刃。

 死神の鎌が今まさに振り下ろされようとした、その瞬間。


「――ああ、任せてくれ」

「――うん、任せてよ」


 網膜を焼かんばかりの紅蓮の炎が、アルベルドの赤い刀身を受け止めた。

 ザ、と左右に引き裂かれた炎の壁は、熱気を残して虚空に消え失せる。アルベルドは怪訝な表情を浮かべていたが、ユフィーリアにはこの炎の持ち主にすぐさま見当がついた。


「助けにきたぞ、ユフィーリア」

「あとは僕たちに任せて」


 自分を守るように立ち塞がる黒髪赤眼の少年は、アルベルドよりも色鮮やかな赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめて言う。

 懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を携えた黒髪紫眼の青年は、傷ついたユフィーリアを支えてくれている。

 最高総司令官、グローリア・イーストエンド。

 そして、相棒のショウ・アズマ。

 ユフィーリアが信頼する彼らが、彼女の小さな『助けてねがい』に手を差し伸べたのだ。

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