第7話【崩壊する棺】

 一目見ただけで分かる。

 この類の敵は面倒臭いと。

 ユフィーリアはあからさまに顔を顰め、そしてショウにひそひそと耳打ちをする。


「なあ、ショウ坊。なんかちょっと頭の方が心配な子が出てきたんだけど、覚えある?」

「全く。確か【雪鬼ユキオニ】と言っていたな、貴様の親戚ではないのか」

「俺にあんな頭のおかしな親戚なんかいねえよ。【銀月鬼ギンゲツキ】もなんか頭が痛くなる奴だ云々って言ってんぞ」


 一方で、声高に【雪鬼】だと名乗った白髪のつるぺた女は、なんだかひそひそされることがお気に召さないようで、金切り声を上げると共に地団駄を踏んでいた。馬鹿にされているのが遠くからでも分かったようだ。


「わたしの実力を侮るな!!」


 怒りに任せて叫んだ【雪鬼】は、その細腕を晴れ渡った空へと突きつける。

 すると、ピキピキと氷の塊が彼女の手の中に生成されて、歪な槍のような氷塊ができあがった。【雪鬼】は氷塊を大きく振りかぶると、勢いよくユフィーリアめがけて投げつけてくる。

 余裕綽々といった様子で氷塊を回避するユフィーリアだが、


「ッ!? うおおああッ!?!!」

「ユフィーリア!!」


 ガクン、と左足が雪に飲み込まれて、驚愕のあまりに絶叫してしまうユフィーリア。左足を飲み込んだ足元の雪が徐々に腕のような形を成していき、ぐわりと持ち上げられて宙ぶらりんの状態にされてしまう。

 雪の中からのっそりと起き上がったのは、髭面の巨人だった。どこからどう見ても雪によって作られた像のようで、ぽっかりと開いた空洞にぎらりと怪しげな光が宿った。

 回転式拳銃リボルバーをユフィーリアの足を掴む雪の巨像へと突きつけるショウに、ユフィーリアは「やめろ!!」と叫ぶ。


「お前はグローリアを連れて逃げろ!! そいつを死なせるな!!」

「――了解した!!」


 ユフィーリアの意思を汲み取ったらしいショウは、その華奢な体躯からでは想像もつかない力でグローリアを軽々と担ぐ。「放して!!」とグローリアは激しく抵抗するが、問答無用で押さえつけたショウは、崖の凸凹を利用して登っていく。――やはり、なんだか随分と逞しくなったような気がした。

 それほど高くない崖を登り終えたショウは、追いかけようとしてきた【雪鬼】めがけて火球を見舞うことで牽制する。さすがに炎が相手では強く出られないのか、【雪鬼】は「きゃあああ!?」を絹を裂くような甲高い悲鳴を上げて牽制として放たれた火球から逃げる。


「お前もいい加減に――!!」


 宙づりの状態にされたユフィーリアは、大太刀の鯉口こいくちを切る。

 殺気を感じ取って慌ててユフィーリアを手放そうとしたところで、もう遅い。雪像がユフィーリアの左足を放すよりも先に、薄青の刀身は黒鞘から抜き放たれる。


「――放せやデカブツ!!」


 抜刀。

 視界の先にあるのはユフィーリアの左足を掴む雪像の腕で、切断術が載せられた居合は距離を飛び越えて雪像の腕を切り離す。ぱら、と雪が飛び散って白い煙を成し、ユフィーリアは落ちようとした雪の塊を蹴飛ばして崖の上へと着地する。

 片腕となった雪像がユフィーリアに手を伸ばしてくるが、外套からマスケット銃を引き抜いたユフィーリアは、その銃口を雪像の額に照準する。伸びかけた雪像の腕が止まるけれど、ユフィーリアの攻撃は止まらない。


「砕けて散れ!!」


 マスケット銃の撃鉄部分に埋め込まれた赤い石が砕け散り、赤い光が銃口から放たれる。一条の光となって雪像の眉間に突き刺さると、内側から雪像が爆発する。断末魔さえ許されなかった雪像は、そのまま崩れて雪の塊へと戻る。

 さて次の相手は、とユフィーリアが振り返ると、すぐさま氷の塊が振り下ろされる。反射的にマスケット銃で受け止めると、まさしく鬼の形相を浮かべた【雪鬼】がいた。


「よくもわたしを愚弄したなッ!!」

「よく分かんねえ私怨が混じってんじゃねえのか?」


 分かりやすく顔を真っ赤にして怒りを露わにする【雪鬼】に対して、ユフィーリアは軽くあしらう。

 マスケット銃で氷の塊を易々と受け止める彼女は、利き腕で握りしめたままの大太刀を【雪鬼】の脇腹めがけて薙ぎ払う。殺傷能力を削がれた状態とはいえ、当たれば鈍器としての役割も果たす大太刀である。【雪鬼】の脇腹にめり込んだ薄青の刀身は、白髪の女の華奢な体を簡単に吹き飛ばす。


「うげ、おげえ……」


【雪鬼】はべちゃべちゃになった地面に背中から落ち、真っ白な全身を泥で汚す。落下の衝撃よりも脇腹に受けた攻撃の方が酷いようで、【雪鬼】の口の端から血塊が垂れる。

 それでもふらりと立ち上がった彼女の闘志は消えておらず、その瞳にギラギラと刃の如き光を宿して、ユフィーリアを睨みつけた。真っ青な隈取りも相まって恐ろしい形相となる【雪鬼】は、口から血の塊を吐き捨てて、


「小癪なッ!!」


 地面をぶん殴る。

 水分を凍りつかせる能力でも持っているのか、多量の水を含む地面が突如として凍りつく。ユフィーリアの足元まで冷気が押し寄せてくるが、ユフィーリアは跳躍して冷気の波を回避すると、すでに凍りついた地面に着地する。


「なあッ!?」

「驚くまでもねえだろうよ」


 せめて凍りついた地面からツララが飛び出てくるなら別の対処法を考えたが、ただ地面を凍りつかせてすっ転ばせようとしたのならば子供騙しにもほどがある戦術である。

 転倒防止の対策もばっちり取られた軍靴で凍りついた地面を踏みしめて歩き、倒れ伏した【雪鬼】の胸倉を掴む。無理やり立たせてつま先が地面に触れるか触れないか程度まで吊り上げてやり、彼女の細い首を絞める。

 酸素を求めて喘ぐ【雪鬼】はまだユフィーリアと戦う意思があるようだが、天魔を相手にユフィーリアが手加減をしてやるつもりは毛頭ない。


「戦い方が低脳すぎるんだよなァおい。もう少し考えようぜ」

「くッ……わ、たしがッ、こんな、とこッ、ろでェ……!!」

「こんなところもどこだろうと、お前は死ぬんだよ」


 そう言って、ユフィーリアは崖の向こうに聳える氷の塔めがけて【雪鬼】をぶん投げた。

 天魔最強と謳う【銀月鬼】による剛腕で投げつけられた【雪鬼】は、ドッゴォ!! というものすごい轟音と共に氷の塔へめり込んだ。あれだけ殴っても、グローリアが大鎌を振り下ろしても傷一つつかなかった氷の塔だが、ここで初めて大きな傷がついた。


「やれやれ、これで終わりか」

「終わったか?」

「ッ!? おまッ、ショウ坊!! 逃げてろって言っただろうがよ!!」

「逃げていたとも」


 足音もなく背後から近寄ってきたショウの肩には、暴れる気力さえなくなって大人しくなったグローリアが担がれていた。不貞腐れているのか、だらりと全身を弛緩したまま動かない。

 ユフィーリアが視線だけでグローリアを下ろすように促すと、ショウは黙ってグローリアを凍りついた地面に下ろした。地面に足がついた途端、グローリアは氷の塔めがけて走り出そうとする。

 しかし、その展開を読んでいたユフィーリアは、グローリアの背中に大太刀の刃を叩き落とした。もちろん手加減はした状態である。


「ぅぐッ」


 刃引きされた状態であるとはいえ、鈍器としても機能する大太刀である。普段から現場に出ていないひ弱なグローリアは凍った地面の上に顔面から飛び込むこととなり、それでも彼は諦めずに氷の塔を目指して匍匐前進する。

 ここまで執念を燃やすグローリアを見ることも珍しいことだが、ユフィーリアはグローリアを氷の塔へ近づかせまいと彼の肩甲骨をマスケット銃でぐりっと押して地面に縫い止める。


「邪魔しないで……!!」

「いくらでも邪魔してやるよ。お前が最高総司令官の座を退くだなんて馬鹿な台詞を撤回しない限りはな」

「そんなの、どうでもいい……!! 僕には彼女しかいないんだ!! 彼女を、エリスを助けたいんだ!!」

「こっちはどうでもよくねえんだよ。あの婆さんが上官になるなら、俺は――――ん?」


 ぽつり、と。

 鼻の頭に冷たいものを感じ取って、ユフィーリアは眉根を寄せた。

 今まで晴天だったはずの空が、徐々に分厚い雲に覆われ始めている。ユフィーリアは地面に押さえつけたグローリアを一時的に解放してやり、ガラクタになったマスケット銃を投げ捨てる。

 雪が降っていた。

 ふわふわと、しんしんと、静かに雪が降っていた。


「なんで雪が……?」

「ユフィーリア、氷が……」


 ショウの言葉を受けて、ユフィーリアは崖の向こうに聳える氷の塔へと視線を投げた。

 今しがた倒したばかりの【雪鬼】がめり込む氷の塔に、亀裂が走る。ピキピキ、パキパキと亀裂は徐々に広がっていき、やがて氷の塔全体を覆うこととなる。


「――まさか」


 ユフィーリアの予感は的中する。

 亀裂が走った氷の塔がガラガラと崩れて、その内側に封じていた老婆を解放する。【雪鬼】は氷に押し潰されて消えて、ユフィーリアは崖下を覗き込んだ。

 雪の上に降り立つ老婆は、ぼんやりと虚空を見上げている。凛とした口元から白い吐息を漏らすと、


「――――――――あああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」


 老女の絶叫が曇天へ響くと同時に、視界を覆い尽くすほどの猛吹雪がユフィーリアたちへと襲いかかった。

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