第6話【雪鬼】

 本当に割とすぐにやってきた。

 宣言通りに『空間歪曲ムーブメント』を使ってまでユフィーリアとショウの待つ氷の塔の座標までやってきたグローリアは、第零遊撃隊の二人に目もくれずに氷柱へと駆け寄った。

 冷気など知ったことではないとばかりに氷へ張りついた彼は、その中に佇む老婆を凝視する。その必死な背中に、ユフィーリアは冷やかしの言葉すらかけられずにいた。


「……あいつどうしちゃったの、マジで」

「不明だ。見当もつかない」


 ショウに耳打ちをするが、彼もまたグローリアの行動から推測はできないようであった。

 しばらく氷の塔へと張りついていたグローリアだが、何故か唐突に氷の塔を愛用しているだろう懐中時計が埋め込まれた大鎌で殴り始めた。ガイン!! ガイン!! と何度も何度も、大鎌をツルハシの代わりと見ているのか、その歪曲した三日月型の刃の先端を氷へと叩きつける。


「おいおいおい、グローリア。一体どうしたってんだよ。ンなことしても壊れねえぞ」

「エリスを助けるんだ!!」


 氷柱を殴り続けるグローリアは叫ぶ。


「僕は、今日この時の為に生きてきた!! 彼女を助けることだけが僕の目標だった!! エリスを助ける為に僕は天魔憑きになって、奪還軍を作ったんだ!! だからエリスを助ける、!!」

「――――」


 ユフィーリアは絶句した。

 エリスというのは、おそらく氷柱に閉じ込められたあの老婆のことだろう。グローリア・イーストエンドは、あのエリスとかいう老婆を崇拝している。それは恐ろしいぐらいに。

 彼女こそが頂点に立つべき存在だと、彼女こそが自分の全てだと。

 薄気味悪いぐらいの信仰心に、ユフィーリアはある意味で恐怖した。

 奪還軍を発足させたのは、彼女を助ける為。

 ならば、エリスを助けたあとは、彼女を崇拝してやまないグローリアはどんな行動を取る?


「おい、グローリア」


 ユフィーリアは、グローリアが振り下ろす大鎌を受け止めていた。

 どれだけグローリアが力を込めたところで、天魔最強と名高い【銀月鬼ギンゲツキ】の天魔憑きであるユフィーリアの腕力に敵う訳がない。握力だけで大鎌をへし折りそうな勢いのユフィーリアは、真っ直ぐにグローリアを見やった。


「お前、この婆さんを助けたら奪還軍をやめるつもりか?」

「やめないよ?」


 グローリアは至極当然とでも言いたげな口調で、あっけらかんと答えた。


「でも、最高総司令官の椅子はエリスに譲ろうかと思ってるけど」

「…………そうかい」


 ユフィーリアはグローリアの大鎌から手を離してやると、迷わずグローリアの横っ面をぶん殴った。

 ゴキィ!! と硬い骨を殴るような感触が、拳に伝わってくる。手加減はしたつもりだが、常日頃から現場で暴れ回っている現役の天魔憑きと根っからの指揮官である天魔憑きでは鍛え方が違うのだろう、グローリアは呆気なく吹っ飛ばされて、雪の上に転がった。

 殴りつけられた頰を押さえて、グローリアは呆然と雪の上に座り込む。拳を振るわれた原因が分からず、幻想的な輝きを宿した紫色の瞳を彷徨わせる彼を見下ろし、ユフィーリアは吐き捨てた。


「ッざけんなよ、お前。利用されろって文句はそういう意味だったって訳か? 冗談じゃねえ。自分の目標を達成すれば、他の奴らがどう思っていようと関係ねえって感じか。見損なったぞ、グローリア」


 裏切られたような気分だった。

 ユフィーリアは少なくとも、グローリア・イーストエンドのことは信頼していた。生還率一〇割を誇るが故に、彼の作戦に乗れば【銀月鬼】の恨みを背負ったユフィーリアは天魔を相手に戦えるし、誰一人として欠けることはない。彼の采配にはいつも驚かされていたし、グローリア・イーストエンドという青年が奪還軍を率いる存在だからこそ、ユフィーリアは理不尽な命令も――多少の文句は言ったりしたものだが、遂行してきたのだ。

 それなのに。

 彼はあっさりと、その椅子をどこの馬の骨とも知らない女に明け渡すのか。それなら、彼を信じて奪還軍に協力をしていた他の天魔憑きは、彼らの思いは一体どうなるのか。


「それなら最初からそう言えばよかったんだ。わざわざお綺麗な言葉で本音を隠して、俺らを奪還軍に引き込んでおいて、自分は天魔との決着も半ばに一線を退くってか。自分勝手すぎんだろ、グローリア。他の奴らは――エドやハーゲンやアイゼルネだって、グローリア・イーストエンドだからって思って危険な仕事をしてんだ!! 他の奴らだってそうだぞ!! 全員お前のことを信じて奪還軍に所属してんのに、お前が最高総司令官の座を退いたらあいつらの信頼を蔑ろにしてるようなものだぞ!!」

「じゃあ、どうすればよかったんだ!!」


 殴られて呆然としていたグローリアにも火がつき、彼はキッと紫眼を吊り上げて弾かれたように立ち上がる。果敢にもユフィーリアを相手に胸倉を掴み、グローリアは絶叫する。


「僕にはエリスしかいないんだ!! 今の僕を作ってくれたのが、エリスなんだよ!! エリスがいなければ僕はいない、なら僕が最高総司令官じゃなくてもいいじゃないか!!」

「誰にでもできるような役目じゃねえだろうがよ、最高総司令官ってのは!! それこそ誰かが取って代わるようになっちまえば、奪還軍に犠牲者が出るぞ!!」

「出ない!! エリスはそんなことしない!!」

「どこに自信を持って言ってんだお前は!!」


 普段は口先だけで相手を言い負かすほどの頭脳を有するグローリアだが、今日この時だけはユフィーリアでも口論で勝てるだろう。それぐらいに、彼の主張する意見は間違っているような気さえした。

 誰にでもできてしまったら、意味がないのだ。

 ユフィーリアはグローリアだから信じた。他の天魔憑きだって、きっとグローリアだからと危険な任務も重々承知の上で立ち向かうのだ。そんな彼らの思いを蔑ろにして、あっさりと最高総司令官の椅子を明け渡すのであれば――。

 ユフィーリアは胸倉を掴むグローリアの手を振り払った。よろけたグローリアはそれでも睨みつけてくるが、ユフィーリアは構わず大太刀の鯉口こいくちを切る。


「だったら、今ここで死ね。お前が最高総司令官の座を降りるってんなら、お前の妄言に付き合うつもりはさらさらねえからな」


 ちょうどいい。

 全ての天魔を憎む【銀月鬼】の恨みを背負うユフィーリアは、全ての天魔を滅ぼすという宿命がある。人間と契約をした天魔ならばまだ分かり合えるかもしれない、と【銀月鬼】は言っていたが、こんな話の通じない相手を生かしておいても無駄なだけだ。

 肌を撫でる冷気よりも低い殺気に、さすがのグローリアでも息を飲んだ。天魔最強と名高い【銀月鬼】を前に、なんという愚行をしでかしたのだろうか。彼にはおそらく、ユフィーリアを怒らせたという自覚がない。


「――ユフィーリア、やめてくれ。イーストエンド司令官を殺さないでくれ」


 両者の間に緊張感が走るが、傍観していたショウがようやくユフィーリアとグローリアのやり取りを制止した。

 ユフィーリアは「止めんじゃねえ」と低く唸るが、ショウが大太刀にかけられたユフィーリアの手を押さえて小さく首を横に振った。「殺してはダメだ」となおも訴えてきて、ユフィーリアは舌打ちをすると大太刀から手を離す。


「お前はグローリアの味方をするってのか。このまま最高総司令官の座を、どこぞの婆さんに明け渡しちまってもいいって?」

「そんな訳がないだろう」


 ショウは否定する。

 それから彼は、自らの上官へと向き直った。鮮烈な印象を与える赤い瞳でグローリアを真っ直ぐに見据えると、


「イーストエンド司令官。ユフィーリアはまだ良心的だ。貴様を信じ、そして貴様を信じる者の為に怒ってくれた。最高総司令官の座を、俺たちの知らない誰かに明け渡すことを、ユフィーリアは真剣に怒ってくれた。――だが」


 ショウの両手に紅蓮の炎が灯る。

 炎は徐々に形を変えて、やがて回転式拳銃リボルバー――【火神ヒジン】から授けられた神器『綺風アヤカゼ』へと変貌する。

 眉一つ動かさない無表情のままショウがやったことは、回転式拳銃を氷柱へと向けたことだった。


「俺は容赦しない。貴様が最高総司令官を退くというのであれば、その原因を排除するまでだ。このエリスという老婆を、貴様の目の前で火葬してやろう」

「やめて!! なんでそんなことをするの!?」

「何故? おかしいな。貴様の普段の姿勢を見ていたら、自然とこうなるはずなのだが」


 なにか問題が? とでも言いたげに首を傾げるショウに、ユフィーリアでさえも戦慄した。

 確かに、普段のグローリアであれば裏切り者には厳罰を下す。しかも笑顔で、元々仲間だった相手にも「死ね」と言えるような、そんな狂った性格をしている。

 それを鑑みれば、今回の件は至極当然だ。グローリアはユフィーリアやショウを、奪還軍を裏切った。大切なものを目の前で壊されても、文句は言えない。

 ――その時。


「【雪魔女ユキマジョ】様に触れるな、この下郎が!!」


 鋭い怒号が飛んでくると、氷の塊が落ちてくる。

 ユフィーリアは反射的にショウの首根っこを引っ掴み、グローリアを蹴飛ばして崖の隅に追いやる。落ちてきた氷塊を回避したユフィーリアは、怒号が降ってきた方向を見やった。

 崖の上に仁王立ちする、白髪の女が一人。吊り上がった薄氷の瞳の下には真っ青な隈取くまどりが施され、桜色の唇からは鋭い牙が覗く。丈の短い白い着物を身につけた彼女は、ぺたんとした胸の下で腕を組み、叫んだ。


「この【雪鬼ユキオニ】様が貴様の相手をしてやろう。【雪魔女】様へ牙を剥いた愚行、その身で思い知らせてやる!!」

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