第15話【最後の一手】

 二度あることは三度ある、という言葉を思い出した。

 思えば創作でよくある最後の敵は、三度の変貌を遂げるのが常識だ。一度戦って変形して、第二形態で戦ってさらに変形して、最終形態でようやく倒せるとかそんな感じだったような気がする。

 しかし、それが現実に適用されるかどうかと問われれば、ユフィーリアは迷わず「あり得ねえだろ」と鼻で笑い飛ばす自信がある。何度殺されても生き返る友人は知っているが、その友人は生き返ったところで第二形態などないし、強くもならなければ弱くもならないという面白みのない蘇生をする。「いっそ第二形態でも習得してこいよ」と冗談半分に言ってみたら、今しがた自分から落ちたらしい肉の塊を指差して「あれが第一形態、オレが第二形態。これで文句はねえだろ」と真顔で返されてしまった。――多分あれは気にしてたんだと思う。

 その認識が、今まさに覆されようとしていた。


「第一形態は一人、第二形態で複数になって、最終形態でまた一人になるってか。ははッ、どこの創作だよこれェ!!」

「ユフィーリア、笑っている余裕があるならばきちんと走ってくれ。先ほどから飛んでくる猛毒が掠めそうなのだが」

「誰かさんが重りになってんだよ!! 口が回るなら走ってもらおうかエェ!?」

「地面に下ろしたら三秒と経たずに溶かされるが」

「自信満々に言うことじゃねえよアンポンタン!!」


 空腹によって走ることはおろか歩行すら危ういショウを肩に担いだまま、ユフィーリアは建物の屋根を次々と飛び越えていく。次の建物へ飛び移るたびに、今まで足場にしていた建物に細腕が突き刺さる。

 足場の悪い建物の屋根を全力疾走するのは、眼下に広がっているのが瓦礫の山だからだ。万が一、足を取られて転んでしまったら、その隙が命取りになる。

 片手が塞がっている為に切断術も使えないし、外套の内側から新たな武器を取り出して応戦することも難しい。全力で挑まなければ死ぬ、そんな雰囲気がユフィーリアを狙う相手にはあった。


「嘘つき、嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つきィ!!」


 金切り声を上げて、紫色の蓬髪の女性――【毒婦姫】は建物を次々と崩していく。建物を玩具のように破壊していく彼女の腕は傷一つなく、さらに髪の毛を振り乱しながら追いかけているので、蓬髪から滴り落ちる猛毒が瓦礫に降りかかってじゅわッ!! と溶かす。あれは強酸の類いだろうか。

 毒の種類にまで詳しくないユフィーリアは、とにかく走り回って逃げる他はなかった。せめて担いだショウが援護してくれれば状況は変わるのだが、彼はつい五分ほど前に大技を【毒婦姫】相手にぶちかましたばかりだ。栄養補給をしてやらねば戦うことすらできない、燃費の悪い四輪車である。


【ユフィーリア、まだ生きてる!?】

「なんとか!! このまま鬼ごっこを続けてるとさすがに疲れてくるッとお!?」


 並走する巨大な鴉を通じて聞こえてきたグローリアに無事であることを告げるが、すぐ近くにボタリと毒液が落ちてきた。自分の髪から毒が滴っていることに気づいたのか、蓬髪を絞った【毒婦姫】は粘性の高い毒液をねて丸めて球状にして、ユフィーリアめがけて投げつけてきたのである。

 自分がいた箇所がじゅわッ!! と溶けて、歪な穴を作り出す。ずっと立ったままいれば、肌はずる剥けになるどころか骨まで溶かすことは間違いない。


「どうすりゃいい、グローリア!! さすがに俺もネタ切れだぞ!!」

【そんな君に朗報だよ。なんと、今の「毒婦姫」には物理攻撃が有効だ!!】

「なんだってーッ!?」


 漫画みたいな驚き方をしてしまったが、それぐらいにユフィーリアは驚いた。

 確かにそれは朗報である。首を刎ね飛ばせば切断面から分裂が始まった第二形態とは違って、今度は分裂しないのであればユフィーリアの独壇場である。


「よしじゃあ邪魔なショウ坊をそっちに置いていけばいいな!?」

「さすがに傷つく」

「ガス欠のくせしてなに言ってやがる。術式のご利用は計画的にって言葉を知らねえのか」

「初耳だが」

「今思いついたんだよ!!」


 近くに転がっていた石の塊を【毒婦姫】の顔面めがけて蹴飛ばしてやる。【銀月鬼】の飛び抜けた脚力で打ち出された石の塊は、寸分の狂いもなく【毒婦姫】の額にぶち当たった。

 ぱかーんッ!! と気持ちいいぐらいに額へぶつかって爆散した石の塊の下から、恨みがましそうに睨みつけてくる【毒婦姫】と目が合ってしまった。


「女の子の顔にィ、よくもォ!!」

「お前のような娘は女の子って呼ばねえよ怪物って言うんだよォ!!」


 そもそも【銀月鬼】と偽ったあの時だって、恐ろしいぐらいの病み具合を見せつけた【毒婦姫】である。言えることはただただ「怖い」の一言だけだ。

 並走する巨大な鴉を通じてグローリアが【ディアンテ広場まで!!】と場所の指定をしてくる。それに対して「了解!!」と短く応じると、ユフィーリアは足場にしていた建物の屋根から飛び降りた。

 瓦礫の山に難なく着地を果たしたユフィーリアは、器用にぴょんぴょんと瓦礫を飛び越しながらディアンテ広場を目指す。追いかける【毒婦姫】は「逃がさない!!」と瓦礫を掻き分けて進んでくる。今度は地面に移動したからか、振り乱される紫色の蓬髪から毒液が雨のように落ちてくる。


「見えたぞショウ坊、着地用意!!」

「いきなりか?」

「ぶっつけ本番だ怪我したくねえならきちんと受け身取れよ!!」


 ショウがなにかを訴えてくるより先に、ユフィーリアは担いでいた少年を目の前に見えてきた広場めがけて投げ飛ばした。さすが羽のように軽いだけあって、最強とも謳われる剛腕で投げ飛ばされた少年の華奢な矮躯はあっという間に目的地であるディアンテ広場に突っ込んだ。ちょうどそこで待ち構えていたエドワードによって受け止められたショウは、不満そうに「いきなり投げるとは酷すぎる」と訴えてきた。

 遅れてユフィーリアもまたディアンテ広場に滑り込む。入れ替わるように数人の天魔憑きが各々の得物を手にしてディアンテ広場から飛び出していったが、ユフィーリアと同程度かそれ以上の毒の耐性を持っているならばまだ戦えるだろうが、ろくに毒に対する耐性をつけていないのが災いとなったのか、迫りくる【毒婦姫】にすら近づけないようだった。


「遠距離から狙うことってのはできねえのか!!」

「そもそも遠距離用の武器を使う子がそれほどいないんだよ!! 弓矢とか使ってもみんな下手くそだし!!」


 意外と酷い判断を下すグローリアだが、確かに彼の言う通りである。実のところ、奪還軍には遠距離攻撃をする為の装備を有している天魔憑きはそれほど存在せず、ほとんどが近接武器もしくは生身である。つまるところ猪突猛進な阿呆が多いのだ。

 チッと極大の舌打ちをするユフィーリア。外套の内側には多数の武器を忍ばせてはいるものの、遠距離用の武器はあのマスケット銃しか持ち合わせていない。だがそれも、当てなければ意味がない。

 遠距離からも確実に当てることができるのは、視界に入っていれば距離さえも飛び越える切断術のみだ。


「俺が行く、全員退がらせろ!!」

「危険だ!!」

「俺の後ろにいつでも飛び出せるように待機させとけ!! あと術式当てるぐらいならそんなに無茶しねえよ!!」


 佩いた大太刀を確かめて【毒婦姫】と対峙するべくディアンテ広場を飛び出そうとするが、背後に湿った視線を感じてユフィーリアの足が止まる。このまま無視することもできたのだが、もしものことがあったら冥府の底で正座されて説教でもされかねない。何故なら彼は、天魔の魂を冥府の底へ見送る水先案内人だからだ。


「…………ショウ坊」

「…………」


 立つ気力はあるのか、空砲のマスケット銃を杖の代わりにしているショウが、赤い瞳でじいっとユフィーリアを睨みつけている。その視線は「何故連れていってくれないのか」と訴えているが、空腹で術式が使えないのであれば足手まといである。ユフィーリアのようにいくつも他の装備を有している訳でもなさそうだ。

 ユフィーリアはそんなショウの頭をわっしわっしと乱暴に撫でてやり、


「命令だ。ここで待機、いいな?」

「…………了解した」


 特別な言葉を唱えてやれば断らないことを利用して、ユフィーリアはショウに命令を聞かせる。跳ね除けられる可能性も考えられたが、自分が足手まといになることを理解しているのか、ショウは渋々といったような口調でユフィーリアの命令を受け入れた。

 相棒だというのに隣で戦えない不甲斐なさからか、雨の日に捨てられた子犬のようにしょんぼりとした様子のショウの頭を最後にもう一度わっしと乱暴に撫でてから、「行ってくる」と笑う。

 瓦礫をさらに粉々にしながらディアンテ広場を目指す怪物と対決するべく、ユフィーリアは颯爽と踵を返してディアンテ広場を飛び出した。


 一方で、残された側のショウだが。


「……………………」


 口布の下で唇を噛んだショウは、すぐそばでユフィーリアのあとを追いかけないかと心配そうにこちらを観察していたエドワードの胸倉を掴む。術式を使いすぎた影響で、空腹によって今にも倒れてしまいそうだが、この状況を打開する方法が一つだけある。

 華奢な体躯とは裏腹に契約した天魔の影響によって強化された腕力で胸倉を掴まれて、エドワードはおっかなびっくりといったような雰囲気で「え、ど、どしたのぉ?」と問うてくる。

 ショウは口布を乱雑な手つきで剥ぎ取りながら、


携帯食料レーションを寄越せ」


 腹が減ったのなら食べればいい。

 今回ばかりは味の美味い不味いは目を瞑ろう。


 ☆


 噎せ返るような濃い毒気が立ち込める。

 ユフィーリアは改めて、相対する敵を観察する。

 毒々しい色合いの紫色の蓬髪からは粘性のある液体が滴り落ち、憎しみが孕む紫色の双眸は血走っている。愛嬌のある顔立ちだと思っていたのだが、自分の好意を弄んだユフィーリアに対する強い恨みのせいで醜く歪んでいる。豊満な胸を覆い隠すものはなにもなく、女の薄い腹から下は蛇の体になっている。

 さすがパレスレジーナ城の玉座の間いっぱいに押し込められていただけあって、その体長はかなりの大きさだ。見上げれば首が痛くなるほどの巨躯であり、なるほどアイゼルネの言った通りの『馬鹿みたいにでかい天魔』だ。


「香水って一言で片づけられんならいいけどなァ」


 小さく咳き込みながら、ユフィーリアは戯けた調子で言う。

【毒婦姫】の全身から漂う花の香りは、ユフィーリアを冥府へ誘うほどの危険性を孕んでいる。屋外にいるから常に噴出し続ける猛毒は周辺へ拡散されてしまっているが、屋内にいたあの時は本当に死にそうになった。むしろ死ななかったのが奇跡なぐらいだ。


「嘘つき。嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき。嘘つき。嘘つき嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき。嘘つき。嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき」


 虚ろな様子で何度も「嘘つき」と繰り返す【毒婦姫】は、子供どころか普通の大人が見ただけでも子供のように泣き出してしまうような狂気さに染まっていた。ふらふらと頭を揺らすたびに、紫色の蓬髪から毒液が滴る。

 彼女に踏みつけられる瓦礫の山に降りかかった毒液は、じゅわッ!! と崩れた煉瓦を溶かす。あれに触れれば、さすがのユフィーリアも無事では済まない。


「好きだったのに。偽物はいらない。どこにいるの【銀月鬼】はどこ偽物は呼んでない【銀月鬼】を出して【銀月鬼】を出して出して出して出して出して出して出して出して出して出してよッ!!」


 怒号と共に、【毒婦姫】は蓬髪を絞って毒液を投げつけてくる。飛沫が四方八方に飛び散って、ユフィーリアは飛び退いて毒液を回避する。


「恋心を利用したのは謝るけどよォ。さすがに【銀月鬼】でもお前のことはドン引きすると思うけどな」

「関係ない!! だってお話したいだけだもん!! ようやく会えたと思ったのに、邪魔しないで虫けらのくせに!!」


 子供のように理不尽なことを叫ぶ【毒婦姫】は、今度は近くに落ちていた瓦礫の塊を掴むとユフィーリアめがけて投げつけてきた。

 外套の内側から引き抜いたマスケット銃で、飛んできた瓦礫の塊を粉々に爆発させる。撃鉄の部分に埋め込まれた赤い石が引き金を引くと同時に砕け散り、赤い光が銃口に収束して解き放たれる。寸分の狂いもなく瓦礫の山を射抜いて爆散させるが、その隙を突いた【毒婦姫】の平手が飛んでくる。


「うおおッ!?」


 瓦礫の塊からの平手という二段構えに、さすがのユフィーリアも驚きを隠せなかった。驚いただけで別に対処できないとは言っていない。

 視界いっぱいに埋め尽くされる淑女の肉厚な手のひらに、神速の居合を叩き込む。もちろん、冴え冴えとした薄青の刃には切断術が織り込まれている。【毒婦姫】の手のひらごと首を落とすということはできないが、色褪せない鋭さでもって柔らかそうな手のひらを上下に切断した。親指の付け根から小指の付け根にかけて斜めに走った切断面は、ずるりと手のひらの上の部分を滑り落とす。

 痛みに耐えかねた【毒婦姫】が絹を裂くような悲鳴を上げた。花の香りのする鮮血が溢れる手のひらを押さえて叫び、涙を流して訴えてくる。


「酷い酷い酷い!! こんな痛いことをするなんて!!」

「安心しろ。次は痛くしないようにしてやるよ」


 ニッコリと微笑んだユフィーリアは、抜き放った大太刀を鞘に納める。弾切れとなったマスケット銃は捨て置き、今度は【毒婦姫】の首を狙う為に瓦礫の山を駆け上がる。

 ユフィーリアを叩き潰す為に【毒婦姫】は、無事な反対側の手のひらを押しつけてくる。容易く瓦礫の山をさらに粉々にした手のひらを飛び退いて回避したユフィーリアは、ほっそりとした【毒婦姫】の腕に着地する。「このッ!!」と【毒婦姫】は目を吊り上げて腕に乗ってきたユフィーリアを振り払おうとするも、それより早くユフィーリアは【毒婦姫】の腕を伝って首元を目指した。


「どこかに行って!!」


 虫でも払うかのようにジタバタと暴れる【毒婦姫】。紫色の蓬髪から溢れる毒液が周囲に飛び散るが、ユフィーリアは驚異的な身体能力でもって豪雨の如く降りかかる毒液を回避する。

 そしてついに【毒婦姫】の肩まで上り詰めたユフィーリアは、強烈な甘い香りに耐えながらも切断術を発動させようとする。


「嫌ッ!! どこかに行って!!」


 死の気配を察知したらしい【毒婦姫】が、さらに暴れる。肩に載っているからか、彼女の暴れる衝撃が腕の時と比にならないぐらいに強く、さらに足元に伝い落ちた粘性の液体がぬめぬめとしている影響もあって、ユフィーリアは足を滑らせて落下してしまう。


「どおおあッ!?!!」


 とても女らしくない絶叫と共に転げ落ちるユフィーリア。肩から落ちたはずなのに、相手の全長がとんでもなく大きいからか、割と高めの建物から不注意で落ちた時と同じ衝撃が全身を叩いた。

 瓦礫の山に背中から落ちたユフィーリアは、背骨の激痛を無理やり飲み込んでのっそりと身を起こす。ギリギリで切断術は発動できなかった。密かに舌打ちを漏らす。


「とどめッ!!」

「やべッ」


 弾かれたように顔を上げたユフィーリアは転がるようにして逃げるも、【毒婦姫】の巨大な手のひらの範囲から逃れることができなかった。ぐわしッ!! と巨大な手のひらで握り締められて、ユフィーリアは【毒婦姫】の目の高さまで持ち上げられてしまう。

 全身の骨がギチギチと軋む。巨大な万力に挟まれたような圧迫感で押し潰されそうなユフィーリアは、なんとかして【毒婦姫】の手から逃れる為にもがく。だがユフィーリアの抵抗など露ともせず、【毒婦姫】は猛毒の吐息をユフィーリアへ浴びせた。


「もう怒った。私の『中』で殺してやる!!」

「……はッ。女の子に食べられる日がくるたァな。世の男が羨みそうな死に方だぜコンチクショウ」


 精一杯の悪態を吐いてみるも、【毒婦姫】の手の力が緩むことはない。多分このまま握り潰されて死ぬこともあるだろうが、そうしないのは【毒婦姫】がユフィーリアに対して相当な恨みを抱えていて、せめて惨たらしく殺してやろうという魂胆からか。ユフィーリアが【毒婦姫】の立場だったらそう考えるし、誰しも同じようなことを一度でも思いつくことだろう。

 ここまでか。

 ――――いいや、まだだ。


「――――ユフィーリアを離せ、蛇女め」


 淡々とした、しかしどこか怒りを孕んだ少年の声。

 直後、ユフィーリアを掴む【毒婦姫】の腕が、横合いから飛んできた紅蓮の炎によって焼き切られた。歪であるが剣の形をしてした炎は【毒婦姫】の細腕を焼き切ると、もう燃やすものはなにもないとばかりに虚空へ消え失せる。

 僅かな熱気が頬を撫でて、本体から切り離されたことで手の力が緩んでユフィーリアは空中に投げ出される。落下中の猫よろしく器用に空中で体勢を変えて着地を果たすと、空っぽであるはずのマスケット銃を構えた黒髪赤眼の少年と目が合った。

 珍しいことに少年はいつも身につけているはずの口布をしておらず、薄い唇が咥えているものは直方体の固形物のようだった。もそもそと少しずつ口の中に収納されていくので、あれは食べ物――携帯食料レーションか。余談ではあるが、最近開発されている携帯食料の味は美味いと言えずに、かといって不味いとも断言できない微妙な仕上がりになっている。ついでに口の中の水分を容赦なく吸い取っていくパッサパッサ仕様になっているので、食べる際は飲み物が必須となってくるはずなのだが。

 いや、それよりも。

 これは好機だ。焼き切られた痛みで【毒婦姫】は絶叫を夜空に轟かせていて、それから憎悪に満ちた視線をショウへ向けた。


「また邪魔するの【火神】!!」

「何度だって邪魔してやろう」


 携帯食料を口の中に押し込んだショウは、行儀悪く咀嚼しながら応じる。戦場に礼儀もクソもないからいいのか。

 彼はマスケット銃を構え直すと、その銃口をピタリと【毒婦姫】に照準させる。また焼き切られるのではないかと【毒婦姫】はズタボロな全身を強張らせるが、本当の脅威はショウではない。


(――――獲った!!)


 気づいて振り返ったところでもう遅い。

 ユフィーリアの瞳に映った時点で、【毒婦姫】の死は決まったものだ。


「おり空――」


 時の流れが急激に遅くなる。

 ユフィーリアの存在に気づいた【毒婦姫】が振り返る様が、髪の毛一本に至るまでよく観察できる。それどころか空中に飛ぶ毒液の飛沫の一滴まで、虚空で静止していた。マスケット銃を構えたショウもまた【毒婦姫】同様に動きを止めていて、しかし口元は数十秒かけてようやく少しだけ動くといった具合だった。

 これは、世界中の時間が急激に遅くなった訳ではない。

 ユフィーリアが感知している時間の流れが早くなった影響で、周囲の時間が止まって見えるのだ。


「――絶刀空閃ぜっとうくうせん


 放つ。

 時を置き去りにした世界で、ユフィーリアは居合を放った。黒鞘から滑り出てきた大太刀の刃は、障害物に阻まれることなく虚空を奔る。

 薄青の刃は、確かに【毒婦姫】の首の上を通り過ぎた。本来ならこれで終わるはずだが、時の流れはいまだ遅いまま。

 ユフィーリアは走る。慣れた手つきで薄青の刃を鞘に納めて、もう一度抜刀。今度は【毒婦姫】の薄い腹に刃が触れる。

 さらにもう一度。今度は【毒婦姫】の、無事に残ったままの腕だ。

 そしてもう一度。切断した場所は【毒婦姫】の蛇の体。

 最後にもう一度。【毒婦姫】の横を通り過ぎたユフィーリアは、振り向きざまに彼女の豊かな胸に狙いを定めて居合を放つ。


「――これで終いだ」


 煌めく薄青の刃を黒鞘に納めたと同時に、時の流れが元に戻った。

 チンという小さな鍔鳴りが合図となって、遠くに聞こえていた悲鳴も絶叫も全てが戻ってくる。空中で静止していたはずの毒液の雫はゆっくりと降下してきて、瓦礫の山の上に降り注いでじゅわッ!! という音を立てる。

 そして肝心の【毒婦姫】は、

 どさべちゃぐちゃべちゃッ!! という生々しい音と共にバラバラに分割されて死んだ。当然である。時を置き去りにしたあの世界で、五度の切断術を食らったのだ。彼女の視界に入っただけでも死を予知しなければならないのに、それを五度も。

 悲鳴も、断末魔も、最期の言葉すらも、許されなかった。

 花の香りのする鮮血を撒き散らし、愛する【銀月鬼】に縋ることすらできずに、猛毒の姫君はあまりに呆気なく死に絶えた。

 今度こそ。

【毒婦姫】は、生き返る素振りを見せなかった。


「あー、うん。終わった終わった」


 張り詰めていた息をゆっくりと吐き出したユフィーリアは、割れんばかりの歓声と雄叫びを聞き、相棒の少年が駆け寄ってくる姿を確認してから、糸が切れた操り人形のようにその場へ倒れ伏した。

 身体中を支配する痛みと倦怠感、ぐるぐると回る視界に耐え切れずに意識を手放す。


 暗転。

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