第三十幕 凶星(Ⅲ) ~魔人ガレス

 ディムロスの宮城。マリウスの執務室。


「……という訳よ。ごめんなさい。完全に敵の戦力を読み違えたわ。私は軍師失格だわ」 


 悄然と頭を振るヴィオレッタ。彼女にとって初の完全敗北であり、相当に堪えている様子だった。被害はソニア達が捕らわれただけでなく、200人以上の兵を失ってしまった。現在のマリウス軍の規模を考えればかなりの痛手である。


 だがマリウスは彼女を叱責する事なく、その肩に優しく手を添えた。


「いや……全ての責任は君主たる僕にある。そんな1人で戦況をひっくり返してしまうような化け物が居たなんて誰にも予測できないさ」



 ガレス・ヴァル・デュライト。勿論マリウスも初耳であった。予測などできるはずがない。



「でも……嫌な予感はしていたのよ。なのに目先の忙しさにかまけて放置してしまっていた。その結果がこれよ。私の失態だわ」


 ヴィオレッタは頑なに主張する。だがやはりマリウスはかぶりを振った。


「それだって僕の責任でもあるさ。まさか彼等が徒党を組んで僕達への復讐を目論むなんて、全く予想だにしていなかった。しかもそんな剣呑な男を旗印に据えてね……」


 ミハエルは一体こんな男をどこで見つけてきたのだろうか。ヴィオレッタの話を聞く限り、マリウスの強さを喧伝する事で説得自体は難しくなかったように思うが。


「まあ、誰の責任かなんて今はどうでもいいさ。今やるべきなのは、ソニアとアーデルハイドを確実に救出する事だ」


「……キーアを使って、何とか奴等の目を盗んで救出できないかしら?」


 ヴィオレッタが消極的に意見を述べるが、マリウスはかぶりを振った。


「いや、そのガレスの腕を考慮するとリスクが大きすぎる。見つかったらソニア達だけじゃなくキーアもただでは済まないはずだ」


「そ、それは、でも……」


 ヴィオレッタが俯いてしまう。確かにあのガレスの目を欺けるかと考えると、かなり分の悪い賭けな気がする。



「……奴は、僕一人でと言ったんだろう? 君はここで待っててくれ」


「……ッ! だ、駄目よ! 危険すぎるわ! どんな罠が仕掛けてあるか……。死にに行くような物だわ!」


 ヴィオレッタは弾かれたように顔を上げ、必死にマリウスを制止しようとする。だがそれを優しく押し留めるマリウス。


「大丈夫。君の話を聞く限りでは罠の心配は無いと思うよ? 2人を救出する為には、結局これが一番確実なんだ」


 そんな圧倒的な強さを持ち、尚且自分を殺せる敵を探しているなどと言って、マリウスに一騎打ちを申し込んでくるような男だ。絶対に罠の類いは無いと断言できた。


「マ、マリウス……」


「そんな顔をしないで。大丈夫。必ず勝って、2人と一緒に戻ってくると約束する。だからその間留守を頼むよ」


 憂慮に顔を歪めるヴィオレッタの頬を撫でて彼女を安心させる。それでもまだ不安そうな顔はしていたものの、マリウスを止める事は出来ないと悟ったヴィオレッタは、表情を引き締めて頷いた。


「……解った。留守は任せて頂戴。必ず……生きて戻ってきて」


「ああ……約束だ」


 他には誰もいない執務室で、2人は口づけを交わしあった。



 そしてマリウスは愛馬ブラムドに跨がり、ガレスの待ち受ける村へと出立していった。



*****



 占拠された農村の手前に二つの大きな十字架が掲げられていた。その十字架は十字の交差部分が地上から3メートル近い高さに位置しており、その下の部分は全て長い杭となって地面に突き立っていた。


 その二つの十字架にそれぞれ無残に磔となっている……2人の女の姿があった。ソニアとアーデルハイドである。


 2人は十字の形に沿って手足を固定されて無防備な磔姿を晒していた。彼女らの周囲はガレスの私兵達が弓を構えて取り囲んでいる。ガレスが一声掛けるだけで、いつでも簡単に射殺できる状態だ。


「ぐ……ち、ちくしょう……。ごめんよ、アーデルハイド。アタシのせいで……」


 そんな屈辱の磔台の上で、ソニアが歯噛みしながら隣に磔にされているアーデルハイドに謝罪する。あの時彼女の言う通りに退却していればこのような事にはならなかったのだ。


 ソニアから謝罪されたアーデルハイドは力なくかぶりを振る。


「……謝罪するのは私の方だ。敵の力を見誤って甘い用兵をしたばかりにこのような事に……」



 その時、打ちひしがれて互いに気遣う2人の女の元に近づいてくる足音が……



「傷の舐め合いは終わったか? 安心しろ。貴様らなどどうでもいい。マリウスが約束を守りさえすれば殺しはせん」


 ガレスだ。既に鎧兜に大剣を装備し、準備万端の様子だ。


「尤も……奴が期待外れ・・・・の男だった時には、やはり貴様らにも後を追ってもらう事になるだろうがな」


「く……!」

 アーデルハイドが唇を噛み締める。ガレスは2人の命を盾にマリウスに本気を出させようという目論見だ。それでマリウスが負けた場合には、その約束・・を実行する事に何ら躊躇いはないだろう。


「精々奴が俺に勝つ事でも祈っているんだな。貴様らに出来る事はそれだけだ」


「ちくしょう……!」

 ソニアが身体をもがかせるが、磔はビクともしなかった。ガレスはその無駄な足掻きに嘲笑を投げかけた後は、もう彼女達に一切の興味を失った様子でマリウスを待ち構える態勢に戻った。


 2人の女はただ無力感と絶望感に支配されながら項垂うなだれている他なかった……



*****



 それから幾許かの後……


 不動の態勢で待ち構えていたガレスがピクッと眉を上げて前方を見据える。そしてその口の端が吊り上げられた。


「……来たか」


 微かに響いてくる……蹄の音。磔で俯いていたソニアとアーデルハイドがバッと顔を上げた。そしてその姿・・・を認めて、その瞳を潤ませる。


「あ……あぁ……マ、マリウスッ!」

「マリウス殿……!」


 数百人の兵士が集うこの場所に、堂々とたった一騎で近づいてくる騎馬武者の姿があった。立派な青鹿毛……ブラムドに跨ったディムロス伯マリウス・シン・ノールズその人であった。



「……2人共、待たせちゃってごめんね。すぐに助けるからもうちょっとだけ待っててね?」



 ブラムドから降りたマリウスは、そう言ってソニア達に視線を向ける。だがそこに割り込んでくる大きな影があった。


「く、く……ようやく会えたな。貴様がマリウスか」


「あなたがガレス……ですか。私と戦いたいというだけの為に、随分と手の込んだ事をしてくれたようですね」


 待ちに待った相手を認めて喜びに震えるガレス。マリウスはその様子を見て眉をひそめる。


「ミハエル達から貴様は女を守る時には本気を出すと聞いてな。その為の演出のような物だ。尤も演出とは言っても、貴様が俺に無様に敗北した時にはこの女共にも後を追ってもらう事になる。そのつもりで最初から全力で来る事だな」


 そう言って背負っていた大剣を抜き放つ。恐ろしく長大で肉厚な剣だ。その重量とガレスの膂力が合わさる事で、武器や甲冑ごと相手を両断する殺戮兵器が完成するという訳だ。


「……ご忠告どうも。お言葉に甘えて全力で行かせてもらうよ」


 マリウスも自身の剣を抜き放つ。ガレスの大剣とは比べるべくもないが、その分取り回しが軽く小回りが利く。相手の急所を狙う技術はマリウスの方が上だろう。


「くくく、それで良い。あのギュスタヴも退けた腕前、存分に見せてもらうぞ」


 それ以上余計な前置きは一切なしに、互いに闘気を研ぎ澄ませて相手の隙を窺う2人。開始の合図もないまま、もう既に一騎打ちは始まっているのだった。 

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