第二十九幕 凶星(Ⅱ) ~戦鬼蹂躙

 ソニア率いる歩兵部隊500が正面から突撃を仕掛ける。ヴィオレッタの弓兵300がその後に続く。アーデルハイドは騎兵200を率いて側面に迂回。


 それに対して敵軍は……一切の小細工を弄する事なく正面からソニアの部隊と衝突してきた!


 忽ち戦端が開かれ前線は混沌とした有様となり、剣戟音や怒号、悲鳴が響き渡る。ヴィオレッタは後陣から斉射で援護しつつ、その戦況に目を細める。


「……アーデルハイドの別働隊を抜いても数はこちらの方が上。そこに何の策もなく正面からぶつかってくるとは……どうやら取り越し苦労。ただの愚か者だったようねぇ」



 ヴィオレッタがそう独りごちた時、『異変』は起こった。



「…………え?」


 ヴィオレッタは我が目を疑った。最初は気のせいかと思ったが、そうではない。


「お、押されて……いる!?」


 互角のぶつかり合いをしていたのは最初だけで、明らかに敵軍が一方的にソニアの部隊を押し始めたのだ。既に前線が瓦解を始めており、敵軍がどんどん内側に食い込んで蹂躙をし始めている。勿論ヴィオレッタは必死に斉射による援護を繰り返すが、敵軍の勢いは衰える事がない。


「ど、どういう事!? ……くっ! すぐに別働隊に伝令! 急ぎなさい!」


 伝令用の騎兵が大慌てで離脱してアーデルハイドの別働隊へと向かっていく。時間的にまだとても後方へは回り込めていないが、そんな事を言っている場合ではない。



 程なくして緊急の伝令を受けたアーデルハイドの騎兵隊が姿を現し、側面から敵の横腹目掛けて突撃を仕掛ける。ソニアやヴィオレッタら本隊と斬り結んでいる所に、騎兵による突撃を側面から受けたら一溜まりもなく陣形が乱れて戦局は一気に逆転するはずだ。


 アーデルハイドが妨害もなく敵に突撃できた時点で逆転を確信し、ヴィオレッタがホッと一息つきかけた時……信じられない光景が展開した。


「あ……そ、そんな……嘘でしょ……?」


 驚くべき事に敵軍はそれでも瓦解する事なく、いや、それどころか二つの部隊相手に徐々にではあるが押し返しはじめてすらいた!


「し、信じられない……。敵将は一体何者なの……?」


 何の策もない……単純な『強さ』の前に、自らの戦術が音を立てて崩壊していく様をヴィオレッタは呆然と眺める他なかった。



****



「はぁ……! はぁ……! ち、ちくしょう……どうなってやがんだ……! こんな、はずじゃ……」


 混乱する前線。ソニアは汗まみれになって肩で荒い息を吐いて喘いでいた。


「ぐ……馬鹿な……。私が、用兵で遅れを取るとは……」


 その横にはアーデルハイドもいた。混戦の中で既に軍馬も失って、自らの足で立ってやはり大きく息を乱していた。


 周囲では味方が瓦解しつつある。しかし彼女らにはそれが解っていながら兵の指揮に注力する事が出来なかった。彼女らをここに釘付け・・・にしている存在が、目の前で圧倒的なプレッシャーを発しているからだ。



「ふ……やはりこの程度か。貴様らでは話にならん。貴様らの主のマリウスを呼んでこい」



 凄まじいまでの闘気を身に纏って一歩踏み出すのは、堂々たる体躯を堅牢な鎧兜に包んだ1人の男であった。


 その手には馬鹿げた大きさの両手持ちの大剣が握られていた。その刀身部分だけで男の身の丈近くある長さで、それに見合うだけの太さや厚みもあった。恐らくその重量は途轍もない物であろう。


 しかしその大剣が飾りや伊達などではなく、実際に鎧を着た兵士をその鎧や掲げた槍ごと両断する様を2人は間近で見せつけられていた。恐ろしい重量の大剣をまるで小剣の如く軽々と振り回す人間離れした怪力。


 男の剣を止められる者は誰もいなかった。その大剣が振るわれる度に兵士が木っ端のように吹き飛ばされ、輪切りにされ、唐竹割りにされ、血と臓物をぶちまけながら息絶えた。軍馬に跨った騎兵ですらその運命を免れなかった。それは暴威以外の何物でもなかった。


 その鬼神か魔神と見紛うような男の暴威に恐れをなした兵士達の戦意が挫かれ逃げ腰になり、逆に敵の兵士達は戦意を高揚させ果敢に攻め寄せ、結果として倍近い数の差を覆す戦況となっていたのだった。


 戦線は実質この男1人によって崩壊させられたような物だ。先の戦ではマリウスの個人的武勇を利用した作戦で敵の意表をついたヴィオレッタが、逆にやはり敵の個人的武勇によってその作戦を覆されたのは何とも皮肉な話であった。



「……っ!」


 男の鋭い眼光に射竦められて思わず後ずさりそうになった足を懸命に踏み留まらせるソニア。


「く……この! 舐めんじゃないよっ!」


 男の自分達を歯牙にも掛けていない態度に、アマゾナスでの屈辱の記憶も新しいソニアは激昂して男に斬りかかろうとするが、それをアーデルハイドが慌てて押し止める。


「ま、待て、ソニア殿! あの男は危険すぎる! ここは一旦退いて、マリウス殿に助勢を――」


「何言ってんだい! 放浪軍相手に倍の兵力預かっといて、のこのこ逃げ戻ってマリウスに泣きつくのかい!? アタシは役立たずじゃない! あんなヤツ、アタシが斃してやるよっ!」


 だが屈辱と焦りから、その制止を振り切って強引に突撃するソニア。ここで逃げ戻ったりしたら、自分達はこの先ずっとマリウスの愛人・・だ。その思いも背中を後押ししていた。


「ソ、ソニア殿!? くっ……だが、或いは二人がかりなら……!」


 最早ソニアを止める事は出来ない。彼女を置いて自分だけ退却するという選択肢はアーデルハイドには無かった。覚悟を決めて、自らも剣を構えてソニアと合わせるようにして男に斬りかかる。


 男は大剣を肩に担いだ自然体でそれを眺めている。そしてカッと目を見開くと、その身体から発せられる闘気が爆発的に上昇した。突風が吹き付けるかのようなそれは、最早物理的な圧力さえ伴う代物であった。



「「……っ!?」」



 男がやったのは『威圧』。直接剣を振るう事さえしていない。だが……男の威圧を至近距離で浴びたソニアとアーデルハイドは、まるで地面に縫い留められたかのように足が動かなくなった。


 余りにも次元の違う強さを身体が本能的に察知して、萎縮してその足を止めさせてしまったのだ。青ざめた顔で小刻みに震える2人の女に対して、男が無情にも距離を詰めてくる。


「貴様らなど最初から眼中にない。マリウスの奴をおびき出す為のエサ・・になってもらうぞ」


 戦う相手とすら見做していない発言。事実剣を交える事すらできず、その威圧だけで釘付けにされてしまっているソニアは、余りの屈辱に目の前が真っ赤になった。


「く、くそ……くそぉ……! アタシは……戦えるんだ! アタシはぁっ!」


 ガクガクと震える身体で、それでも意地だけで何とか刀を振り上げようとするソニア。しかしその動きはぎこちなく精彩を欠いたものにしかならなかった。


「ふん……」

 男は無感動に鼻を鳴らすと、無様にあがくソニアの鳩尾に剣の柄を叩き込んだ。


「かはっ……」


 一瞬で肺の空気を全て絞り出され、意識が暗転する。


「ソ、ソニア殿……」


 気絶して倒れ込むソニアの姿に呻くアーデルハイド。しかし身体が動かない。まさに蛇に睨まれた蛙の如き状態となっていた。


 剣を構えた姿勢のまま動けないアーデルハイドの元にも男が歩み寄ってくる。


(くそ……動け! 動けぇぇっ!!)


「…………」

 

 必死に動こうともがくアーデルハイドの首筋に手刀が叩き込まれる。


「……っ」

 声すら発する事なく意識を失うアーデルハイド。倒れ伏した2人の女を無感動に見下ろした男は、続いてディムロスのある方角に目を向ける。


「……これでお膳立ては整った。俺を失望させるなよ、マリウスとやら?」




 2人の将が為す術もなく倒れた時点で、ただでさえ低下していた士気が完全に崩壊。討伐軍は瓦解し、最早ヴィオレッタ1人に立て直せる状態ではなくなった。兵達が散り散りに逃走する中、最後までソニア達を救出しようと踏みとどまっていたヴィオレッタは、敵軍に包囲されて逃げ場を失い捕虜となってしまう。


 放浪軍は逃げた敗残兵を追討する事なく、仮の拠点としている村に撤収した。


 村の広場。後ろ手に縛られて乱暴に敵将の前に引きずり出されるヴィオレッタ。敵将の足元には、意識を失ったままのソニアとアーデルハイドの2人が、やはり縛られた状態で転がされていた。


「ソニア……アーデルハイド……!」


 ヴィオレッタは歯噛みするがどうにもならない。2人を捕らえたと思われる敵将が、彼女の顔を見ると口を開いた。



「お前は…………ミハエル・・・・が言っていた女か?」



「な……」

 思ってもいなかった名前が唐突に出てきて彼女は唖然とした。


「ミ、ミハエルですって!? それはミハエル・フェデリーゴ・チェーザリの事!? あいつを知っているの!?」


 縛られた身体で思わず詰め寄ろうとして、両脇の兵士に押さえつけられる。男は肩をすくめた。


「知っているもなにも、あやつの協力でこの手勢を集めたのだ。お前達の事を随分恨んでいるようだったぞ?」


「……!」

 目を見開いてワナワナと震えるヴィオレッタの様子に、男は面白そうな口調になって続ける。


「因みにこの軍勢は俺とあやつで立ち上げた物だが、俺達の『同志』は他にもいるぞ? 恐らくお前達もよく知っている奴等であろうな」



 男が告げていく名前は確かにどれも聞き覚えがある物ばかりだった。ミハエルの用心棒ロルフの他にも、ドラメレク、ジェファス、タナトゥス、ギュスタヴ、ボルハ、そしてゲオルグ……。



 名前が挙げられる度にヴィオレッタの顔が青ざめて血の気が引いていく。


(な、何て事……。私の予感は当たっていた……!!)


 ゲオルグの一件を解決した際に、得体の知れない不安を覚えていた事を思い出した。だがその後すぐにギエルやハルファルとの外政などに忙しくなり、特に調査したり対策したりする事もなく放置してしまっていたのだ。ゲオルグが何者かの手引きで脱獄に成功していたり、ボルハがいつの間にか何者かの支払った高い罰金と引き換えに釈放されていた事も、全て忙しさにかまけて流されてしまっていたのだ。


 恐らくそれらの裏にはミハエルの暗躍があったのだ。だがそれが解った所で全ては後の祭り。今更後悔しても手遅れだ。


「……復讐という訳? 私達をどうするつもり?」


「あやつらはお前達を恨んでいるようだが、俺はお前らなどどうでも良い。俺が興味あるのは、お前達の主マリウス……」


 男の目が剣呑な光を放つ。



「聞く所によると相当の使い手らしいな? 俺は……『敵』を求めているのだ。この俺の生命を脅かす事の出来る『敵』を、な」



「……っ!」

 確かにこの男の強さならソニア達は勿論、中原にいる殆どの武官、武芸者すら相手にならないだろう。だがたったそれだけの為に放浪軍を組織し、マリウスを挑発しているというのか。


(この男は、危険すぎる……。でも……) 


「何でも奴は女を守る時には、いつにも増して力を発揮するらしいな? この女共はその為の餌だ。お前には奴へのメッセンジャーとなってもらおう」


「……私があなたの言うことを素直に聞くと思って?」


 せめてもの抵抗にそんな言葉を口にしてみるが、男は肩をすくめただけだった。



「その時はこいつらが死ぬだけだ。マリウスに伝えろ。俺の名はガレス・ヴァル・デュライト。貴様との一騎打ちを所望する。時は今から3日後。この場所に1人で来い。遅れたり余計な奴等を連れてきた時はこの女共を殺すとな」



 一方的に告げて男――ガレスは、ソニアとアーデルハイドが倒れているちょうど中間地点にその巨大な剣を突き立てた。ヴィオレッタはビクッと震える。


(く……どうにも出来ないの……?)


 さしものヴィオレッタも、この状況で無事にソニア達を取り戻して脱出する妙案は浮かばない。結局彼女はガレスの条件を呑んで、ディムロスに戻りマリウスに事と次第を伝える以外に選択肢は無かった。

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