第二十七幕 ディムロス防衛戦

 マリウス達がギエル軍と戦っている頃、ディムロスでも事件があった。マリウスが1500まの兵力を連れてギエルに遠征したのを、戦力分散と見て取ったハルファル太守のドラガンが、ディムロスに対して侵略部隊を差し向けてきたのだ。


 兵力は約2000。君主のドラガンではなく、その麾下のクリメントという武将が率いてはいたものの、やはり大胆にも野戦で動員できる兵を全て動員しての侵略行為だ。


 報せを受けたアーデルハイドは、早速参軍にファティマ、副将としてキーアを伴い1000の兵を率いて迎撃に向かった。ミリアムも将ではないが、アーデルハイドの近侍として同行していた。将来武将として独り立ちするに当たって、早めに実際の戦を経験しておくのは悪い事ではない。どんなに不利な条件でも戦わねばならないのが軍人の務めであり、今回敵の兵力が倍も勝っているという条件にも関わらず敢えて同行させた。ミリアム自身同行を希望したというのも大きい。


 街で籠城戦に徹するのは、途上の農村や田畑、そして戦場となる街への被害を考えると出来れば避けたい。そのためファティマの勧めもあって、迎撃の為に出陣したのであった。



「アーデルハイド様。解っているかとは想いますが、今回の防衛戦の目的はハルファル軍に勝つ事ではありません」


 出陣後、初日の夜営。陣の司令官用の天幕にアーデルハイドとミリアムの他、ファティマとキーアも集まり、床几を挟んで作戦会議を行っていた。


 ファティマの確認にアーデルハイドは頷いた。


「勿論解っている。マリウス殿らは必ずやギエル軍を破って勝利するはずだ。ハルファルの奴等がその報せを聞くまでの間、もしくは実際に援軍が来るまでの間奴等の足を止める事が我らの使命だ」


「その通りです。そして敵の殲滅を考慮しないのであれば、例え敵の兵力が倍であろうと戦いようはいくらでもあるという物です」


 ファティマは隣に立つキーアの方に視線を向ける。


「今回の作戦ではキーア、あなたが鍵になります」


「え……わ、私がですか!?」


 指名されたキーアが驚きに目を見開く。ファティマが意味ありげに笑う。


「勿論ですよ。あなたはかつて義賊としてディムロス軍を散々煙に巻いたでしょう? その技量を今度はハルファル軍相手に遺憾なく発揮して頂きますよ?」


 そう言ってファティマは、やはり自作していた周辺地図の写しを床几に広げるのだった。

 


****



 ディムロスに越境してきたハルファル軍2000は、途上にあった砦を押さえつつ順調に行軍していた。この分であれば明後日にはディムロスの街に到達できるはずだ。


 軍を率いるクリメントは主君のドラガンから、他の砦や農村は極力無視して、とにかく最優先でディムロスの街を目指せと厳命されていた。


 兵力を分散させる愚を犯した以上、マリウスは確実にマクシム率いるギエル軍に敗北するだろうというのがドラガンの見通しだった。そうなればマクシムは確実にその勢いを駆ってディムロスに進出してくるはずだ。ドラガンとしてはその前にディムロスの街を制圧してしまいたいという狙いがあった。


 ドラガン自体はそれほど戦が得手ではなく、どちらかと言うと文官タイプの君主であったので、侵攻部隊の指揮は麾下の武将であるクリメントが担っていた。


(ディムロスに残っている兵力は約1000程。こちらの半分だ。野戦では勝負になるまい。確実に籠城戦を取ってくるはずだ)


 それがクリメントの見立てであった。ギエル軍が押し寄せてくる前にこれを打ち破らねばならないので、予め攻城戦を見越して各種攻城兵器の材料や部品を運搬していた。これによって行軍速度が落ちているのだが、背に腹は代えられない。


 クリメントはそういう意識であった為に……驚愕する事となった。


「……迎撃、だと? 数は?」


「は、はい。1000程と見られます」


 斥候の報告に眉をしかめるクリメント。守備兵力のほぼ全てだ。この事態は予想していなかった。いや、正確には……ここまで愚か・・とは思っていなかったのだ。


「主君も主君なら、守将も守将だな。彼我の戦力差すら理解できんとは……」


 クリメントはかぶりを振ったが、敵が愚かなのは歓迎すべき事だ。ここで敵の戦力を壊滅させる事が出来れば、その後は格段に楽になる。攻城兵器が必要なくなるので打ち捨てて行軍速度を優先すれば、明日にはディムロスまで到達できるだろう。 


「愚か者め。華々しく討ち死にしたいと言うなら望み通りにしてやろう」


 クリメントは早速戦闘態勢を整えて、迫ってきた敵軍を迎え撃つ準備を整えた。やがて街道の向こうから姿を現したのは、アーデルハイド率いるディムロス守備部隊。確かに1000程のようだ。


 ハルファル軍と一定の距離まで迫るとそこで一旦行軍を停止した。互いの弓兵のギリギリ射程範囲外だ。しばらく奇妙なにらみ合いが続く。よもやこうして行軍を遅らせて足止めするのが目的かとクリメントは考えた。だとしたら浅はかという他ない。


「構わん。数はこちらが圧倒的に上なのだ。歩兵部隊! 前進して奴等を蹴散らせ! 弓兵は追随して射程に入り次第斉射を開始しろ!」


 指示に従って動き出すハルファル軍。迎え撃つディムロス軍。ここにディムロス防衛戦の戦端が開かれた!



****



「来るぞ! 歩兵は決して突出せずに小隊同士で足並みを揃えろ! 弓兵は斉射開始だ!」


 ハルファル軍が前進してくるのを認めて、アーデルハイドが指示を出す。止まっていてはより数の多い敵の弓兵のいい的なのでこちらからも前進して迎え撃つ。


 互いの前線が接敵し戦闘開始となる。敵は特に右翼、左翼に戦力を集中させているという事もなく、平均的な布陣であった。数の差があるので小細工は必要ないという事か。


 ならばとアーデルハイドも兵を均等に振り分け、とにかく敵に突破、包囲されないように守備に重点を置く。歩兵同士のぶつかり合いに加えて、弓兵の斉射の応酬もある。しかし敵の弓兵の方が数が多いので、どうしてもこちらの被弾率が高くなる。


 歩兵はいつかの山賊戦でも行った、前列が敵を攻撃したら即座に後列と入れ替わるという縦列交替制の布陣で粘り強く持ちこたえる。


 アーデルハイドは散発的に降り注ぐ矢の雨を防ぎながら、驚異的な冷静さで戦況を見極め、敵に押されて穴の開きそうな戦線に的確に後詰めを送り込んで穴を塞いでいく。



「ミリアム、私の側を決して離れるな。直接敵と戦う必要もない。お前はただ自分の身を護る事、そして戦場の空気に呑まれずに冷静に戦場全体を俯瞰する事に専念しろ。指揮官としての目を養うのだ」


「は、はい、お姉さま!」


 日々アーデルハイドに手ずから訓練を受けているミリアムは、曲射の矢を斬り払う程度なら出来るようになっていた。訓練では不可能な、実際の戦場に立つ経験を一分たりとも無駄にしない心積もりで、ミリアムは必死に姉の薫陶に従って戦場に意識を集中させる。



 粘り強く抵抗するアーデルハイドだが、如何せん倍の兵力相手では分が悪い。次第に押されて戦線が後退し始める。だが一度開戦してしまった以上、この状況から退却するのは極めて困難だ。逃げる背中を斬られ、射られ、甚大な被害を出してしまうだろう。かと言ってこのまま戦闘を続けても敗北は免れない……


 状況はまさにクリメントが予想した通りに運ぼうとしていた。その時――


 ハルファル軍の後方で火の手が上がった。人の悲鳴や怒号が轟く。



「しょ、将軍! 大変です! 輜重部隊から火の手が! 我が軍の兵糧が焼かれているようです!」


「な、何だと……!?」


 伝令の報告にクリメントが慌てて視線を巡らすと、確かに後方の輜重部隊を残してある辺りから火の手が上がっている。


「……ッ!」


 この行軍真っ只中で兵糧が失われるのはマズい。2000人もの大所帯だ。仮にどこかの農村を占領して摘発したとしても到底賄いきれない。それだけの食糧の備蓄は街にしかない。餓死の危険と隣り合わせで命がけでディムロスを占領するか、ハルファルに退却するかの二択となってしまう。


 その迷いが指揮にも現れ、ハルファル軍の攻勢が鈍る。



「……! よし、今だ! 退却!」


 そのタイミングを逃さずアーデルハイドは退却の指示を出す。早く輜重部隊の様子を見に行きたいクリメントは追撃を命じなかった。


 追撃を受ける事なく無事に撤収したアーデルハイド達。ハルファル軍の輜重部隊は派手に一部の兵糧が燃えてはいたが、実際の被害は然程でもなかった。クリメントはホッと胸を撫で下ろす。


 輜重担当の兵に話を聞いてみると、ほとんど何が起きたのかも解らない内に、気が付いたら兵糧が燃えていたという。敵の奇襲なども一切なかったらしい。


「貴様ら……よもや火の不始末ではあるまいな?」


「い、いえ、そんな事は! 誰も煮炊きもしていませんし、そもそも火元がありません!」


 あらぬ疑いを掛けられた兵士達が必死で弁明する。敵の兵力は先程の邂逅で把握している。間違いなく1000程であった。伏兵や遊撃に部隊を割いている様子はなかった。


 原因の究明をしたいが、生憎時間的余裕がない。気を取り直して行軍を再開させるクリメント。すると一時間も進まない内に、先程退却していったはずのアーデルハイドの軍が再び待ち構えていた。


「あやつら、城に逃げ帰ったのではなかったのか? まあいい。あくまで邪魔するというなら、今度こそ完膚なきまでに叩き潰してやる」



 そして初戦の再現のように再びぶつかり合う両軍。そしてしばらくすると、やはり初戦の再現のように後方から火の手が上がった! 


「またか! 一体何だというのだ!?」


 クリメントは苛立たしげにかぶりを振った。前回よりも火勢が強いようだ。放置していては大変な事になる。するとその動揺を突いて、やはり測ったようなタイミングでアーデルハイドの軍は撤退していった。


 輜重部隊を様子を見に行くとすでに火は消し止められていたが、管理の兵士達によるとやはり奇襲は受けておらず、いつの間にか火が点いていたとの事だった。


「ぬぅぅぅ……」


 クリメントは唸った。アーデルハイドの鮮やかな撤退ぶりから、連中の仕業である事は間違い無さそうだ。だがその方法が解らない。戦闘中を狙って火を放ってくるようなので、輜重部隊の警備に兵を割くとその分アーデルハイドの軍と戦う兵力が減ってしまう。


 だが背に腹は代えられないので、200程の兵を輜重部隊の警護に割いた。そうして行軍を再開した。二度の戦闘と輜重部隊への処置で無駄な時間を食ってしまった。急がねばならない。そう思って進んでいたが、三度アーデルハイドの軍が立ちはだかった。


「おのれぇ、しつこい奴等だ! 姑息な手を使いおって! 今度こそ息の根を止めてやるぞ!」


 苛立ちが怒りに変わったクリメントが攻撃を仕掛ける。防御態勢を取ってそれを受け止めるアーデルハイド。だが輜重部隊の警護に兵を割いた為に、最初よりも攻撃の圧力が弱まっていた。それに加えてまた兵糧が焼かれるのではないかと気になって、クリメントも兵士達も戦闘に集中しづらくなる。



 そして……またもや輜重部隊から火の手が上がった!



「おのれぇぇっ!! 退け! 一旦退くのだぁ!」」


 クリメントが地団駄を踏む。アーデルハイド達は少数なので無理に追撃する事なく自分達も軍を退いていった。



****



「いや、良い働きだったわ、キーア。これで奴等兵糧を気にして行軍速度が格段に落ちるはずよ」


 夜。陣に戻ってきたキーアをファティマが労う。場所は司令官用の天幕。勿論アーデルハイドとミリアムの姿もある。


「うむ、流石はソニア殿も煙に巻いた腕前だ。正直これ程とは思わなかった」


「す、凄いです、キーア様……!」


 アーデルハイドとミリアムにも褒められ、しきりに恐縮するキーア。


「あ、ありがとうございます、皆様。流石に3度目は警備も厚くなっていて大変でしたけど、何とかこなせました。ファティマ様からお借りした地図のお陰です」


 キーアは部隊から離れて単身・・で潜伏しながら、ハルファル軍と付かず離れずの距離で追随していたのだった。そして戦闘が始まり輜重部隊への注意が疎かになったタイミングを見計らって、隠密して接近。携帯していた油壺を使って火を放っていたのだ。


 多少警備が厚くなっても高い技能を持つキーア単身であれば、戦闘に気を取られている兵士達の警備を縫って接近する事は可能であった。その代わり単身なので大した被害も出せないが、今回の目的は敵の兵糧を焼き尽くす事ではない。



「連中はいつ現れるか解らない魔の手を警戒して、行軍速度を落とさざるを得なくなる。それに加えてアーデルハイド様達の奮戦によって、強引に突破してしまう事も難しいと理解したはず。今頃向こうの総大将は唸り声を上げながら天幕の中を行ったり来たりしてるでしょうね」


 ファティマが揶揄する。


「最初の勢いさえ挫いてしまえば、後はもうまともにぶつかる必要もないわ。適度な距離を保って、斉射を打ち込んだら即離脱。これを繰り返して奴等を行軍速度を更に鈍くしてやりましょう」




 そして翌日になってハルファル軍は再び進軍を始めたが、ファティマの言う通りその動きは精彩を欠いた慎重居士なものとなっていた。アーデルハイドの軍が姿を現すと。クリメントは明らかに警戒して輜重部隊に大量の守りを割いた。


 ファティマの作戦通り斉射を食らわせてから即離脱。ハルファル軍はアーデルハイド達と出くわす度に行軍を停止し、輜重部隊に守りを割く為に兵士を編成し……とやっているせいで、その歩みは遅々として進まなかった。


 そうこうしている内に――



「アーデルハイド様! たった今、城から早馬が来ました! マリウス様が無事にギエル軍を打ち破りマクシムを討ち取ったそうです!」


 ファティマが息せき切ってアーデルハイドの元に報告に上る。ずっと厳しい表情であったアーデルハイドの顔がパッと輝く。


「そうか! やってくれたか! 流石はマリウス殿だ!」


「取り急ぎヴィオレッタが無傷の騎兵を率いて援軍に来てくれるそうです。おっつけソニア様とジュナイナ殿の部隊も駆けつけてくるとの事でした」


「おお……!」


 アーデルハイドだけでなくミリアムやキーア、そして周りで聞いていた兵士達も歓声を上げた。アーデルハイドが頷いた。


「よし、皆のもの! 後少しの辛抱だ! 最後まで気を抜かずに我らの役目を全うするぞ!」


 応っ!! と部隊から気勢が上がる。


 その後もアーデルハイドの部隊はハルファル軍を引き付け足止めする役目を果たし、そこにヴィオレッタ率いる騎兵200が到着。その無傷の陣容を見て、クリメントはディムロス軍がギエル軍を破ったのだと確信。それ以上の進軍を諦めてハルファルへと撤退していった。


 それを見て勝鬨を上げるディムロス軍。アーデルハイドら守将組も見事にその役目を果たしたのであった。

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