第二十幕 解語の妖花(Ⅴ) ~空剣のロルフ

「な、な……何だ、貴様は!? ええい! 表の傭兵共は何をしている!」


 予期せぬ闖入者にミハエルが動揺する。マリウスは肩を竦めた。


「ああ、あの人達なら皆廊下で伸びてるよ。通してくれなかったものだから、つい……」


「……ッ!」


 乱闘になればその騒ぎは部屋にまで届いていたはずだ。だがそんな気配は全く無かった。それはつまり乱闘にすらならなかったという事。その事実がミハエルを狼狽させる。


「ふ、ふ、ふざけるな! 貴様もこの女共の仲間か!?」


 顔を真っ赤にして口から泡を飛ばすミハエルに、マリウスは静かに頷く。


「そうだよ。……彼女達に随分手荒な真似をしてくれたね」 


 その表情からいつもの柔和さが抜け、代わりに静かな怒りが浮かび上がる。全身から闘気が発散され、それは武芸の心得の無いミハエルをして凄まじいプレッシャーを感じる程であった。一転して顔を青ざめさせるミハエル。


「ロルフ、何をしている!? 早くコイツを斬れっ!!」


「…………」

 命令を受けた事で初めて赤毛の武人が動いた。彼はマリウスが乱入してきても表情を一切変えず、自発的に動く事もしなかった。


 あくまでミハエルを直接的な生命の危機から守る、という役目のみに愚直に従っており、それ以外・・・・の事柄には一切興味を持たずに、命令を受けない限り一切自発的に動こうとしない……


 それは見る者に何とも非人間的な印象を与える無気味な性質であった。



「……それなりに使うようだな。だが俺は表の連中とは違うぞ?」


 剣を抜き放ちながら、ロルフの身体からも闘気が発散される。武芸の心得のない者達からすると、その闘気はマリウスのそれに全く劣らぬように感じられた。得物もマリウスと同じ直剣である。


「さあ、どうかな? やってみれば解るさ」


 口調は軽いながらマリウスもまたロルフが並ならぬ相手と認識していた。台詞とは裏腹に目を細めて油断なく剣を構える。ロルフの口の端が吊り上がった。それはこの無機質な男が初めて見せた、ある意味で人間らしい表情であった。


「ふ……参るっ!」


 動いたのはロルフが先だった。まるで床が踏み抜かれるかと錯覚する程の力強い踏み込み。それなりに広い部屋であり3メートル以上は空いていた間合いを一瞬で詰める。


 腰を引くような姿勢での薙ぎ払い。マリウスは素早い挙動でその薙ぎ払いを剣で受けた。激しい金属音と火花が散る。すかさず反撃に転じるマリウス。


「ふっ!」


 一閃突き。しかしロルフはまるで円を描くような軌道で剣を動かし、マリウスの突きを逸らす。そのまま十合近く打ち合い、競り合いが続き、どちらともなく距離を取って仕切り直しとなる。



「……貴様。アロンダイト流だな?」

「まあね。そういう君も同じようだけど?」



 互いに確信する。アロンダイト流神剣術はこのオウマ帝国で最も普及している剣術であり、特に正規の武官を志す者が修めている事が多い。このロルフもかつては正規の道場で剣術を修行していたのか。それが何らかの理由で悪徳詐欺師の用心棒にまで落ちぶれた……


 マリウスは心の中でかぶりを振った。今はどうでもいい事だ。今重要なのは、このロルフがマリウス達の計画の障害となっているという事実だけ。ならば全力で排除するまでだ。


 同じ剣術でも帝都にいた道場の門下生や師範代とは比較にならない使い手だ。


(全く……あのドラメレクといい、世界は広いな! 帝都の中だけでお山の大将を気取ってたら、一生こんな体験は出来なかっただろうね!)


 道場では自分に比する相手はおらず退屈しか感じなかった。不謹慎ながら若干の楽しさを感じてしまうマリウスであった。



「えい、何をしている、ロルフ! そんな優男、さっさと叩き斬らんか!」


 そこにミハエルのやきもきしたような声が掛かる。命令を受けたロルフの目が光る。


(来るっ!)


 マリウスもまた剣を構え直す。その直後、先程以上の凄まじい踏み込みでロルフが攻めてきた。だが今度はマリウスも受けには回らなかった。ロルフに比肩する程の素早い踏み込みで自身も攻めに転じる。


 ある意味で捨て身とも取れる行動。女性達の悲鳴が上がる。


「むんっ!!」

「はぁぁっ!!」


 互いに裂帛の気合から放たれた一閃が交錯する。剣を振り抜いた姿勢で固まる両者。ミハエルとヴィオレッタ達が固唾を飲んで見守る中……



「おぉ……ば、馬鹿な……」


 口の端から血を流して倒れたのは……ロルフの方であった。


「…………ふぅぅぅぅ……」


 ロルフが倒れた事を確認して、マリウスが大きく息を吐きながら戦闘態勢を解いた。実際には結構際どい部分もあったが、カウンターを狙ったマリウスの戦法が功を奏した。


 だが一歩間違えれば自分が斬られていたというせめぎ合いの興奮は、マリウスに途轍もない充足感を与えていた。



「ば、ば、馬鹿な……あり得ん! あのロルフが……。き、貴様一体何者だ!?」


 ミハエルが顔面蒼白になって喚き立てる。


「……マリウス・シン・ノールズ。彼女達と共に旗揚げし、天下を目指す者さ」

「……ッ!!」


 マリウスの返答にミハエルは青白い顔のままワナワナと肩を震わせる。彼自身は帯刀していなかったのでヴィオレッタ達を人質に取る事も出来ない。


「……!」

 だが急に何かを思いついたのか、顔を上げてニィっと口の端を吊り上げた。


「ふ、ははは……! お前達は重要な事を忘れているぞ? 俺はあくまでここの太守ドメニコに招かれた『客』だぞ!? あの馬鹿な太守は俺の味方だ! お前のやった事はただの狼藉行為だ! この女が何と証言しようが問題ではない。俺がこの女に殺されかけたとでも訴えれば、目先の利益しか見えんあの馬鹿は必ず俺との関係を優先してこの女を切り捨てるだろう。それが解ったらさっさと――」


「――その事でしたらご心配なく」


 起死回生の策でも思いついたかのようなミハエルの長口上を、柔らかい声で遮ったのはエロイーズだ。彼女は部屋の壁の一角に向けて顎をしゃくった。


「ほら、あちらに太守様・・・がお見えですわ」

「……何だと?」


 ミハエルが一瞬何を言われたのか解らないという風にエロイーズを見下ろした。そのまま彼女が顎をしゃくった方に目を向ける。そしてその目がこれ以上ないくらいに見開かれた。


 部屋の壁の一部がどんでん返しのように開き、そこから1人の人物が現れたのだ。それは紛れもなくこのトレヴォリの街の太守ドメニコであった!

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