パンデモニウム

パンデモニウム ~01~

 医療室として使われている車両の、簡素な、ベッドを占拠せんきょしているのは傷だらけのラグだった。

 ジャックの許可を得て様子を見に来たトリシアは、彼のひどい惨状さんじょうに胸が痛くなった。

 あちこちを殴ったり、蹴られたりしたのだろう。医者も打撲だぼくだと言っていたし。

(それでも、軽度で済んでいるって言ってたから、ラグって……頑丈がんじょうなのかしら)

 顔をうかがう。彼は静かに眠っているが、殴られた顔にはあざができている。

(うわ……ひどい……)

 そう思って顔を近づけると、ぱかっ、とラグのまぶたが開いた。

 黄緑ペリドット色の瞳がこちらを凝視ぎょうしして、思わずトリシアは反射的に視線をらした。

(えっ、ちょ、なにやっているのよ私!)

 無理やり顔をラグのほうに戻す。べつにやましいことは考えていないのだから、堂々としていればいいのだ。

「お、おはようございます、ラグ殿」

 うわっ、最悪!

(なにやってるの、私!)

 いくらなんでもこれはない。

 ラグは数度瞬すうどまばたきをして、それからちょっとムッとする。

「口調、今は二人だ」

「え? あ、あぁ、そうね」

 あわてて直す。やたら口調にこだわるのは、何か理由でもあるのだろうか?

 起き上がろうとしたラグをトリシアはぎょっとして止めた。

「ダメよ! ラグは怪我人なんだから!」

「!?」

 彼は不審ふしんそうにこちらを見て、それから自身を見下ろしてなにやら納得したようだ。

「そっか……。たくさん殴られたから……」

「でも軽度の打撲で済んでるみたいよ」

「…………トリシア、盗賊たち、どうなった?」

「今はいている三等客室の一つに、全員を縛って拘束してるわ」

「オレをやとわないか?」

「は?」

「いや、賃金はいらない。そいつらの見張り、オレがやる」

 トリシアは目を丸くする。あれだけ痛めつけられたり、消耗しょうもうしたりしているのに、ルキアもラグも寸分すんぶんも休もうとしない。おかしい、絶対に。

(二人とも、どこか麻痺まひしてるんじゃないの?)

「それは車掌にいてみないとわからないわ。でも……ありがたい申し出だとは、個人的に思う」

「この列車に、今は護衛の傭兵はいない」

「ええ」

 うなずく。

 ラグはれた頬のままでにっこり笑う。痛むはずなのに……。

「みんなを守る。オレ、帝都に着くまで頑張る」

 ……まだ決定ではないのだが……。

 起きた途端に元気に宣言してくるラグは、きっとがんとして警護を誰にもゆずらないだろう。

 わかっているだけに、トリシアは頭をかかえたくなってきた。

(自分が怪我人だってこと、わかってないでしょう、絶対に)



 ラグは帝都に到着するまでの間、『ブルー・パール号』にやとわれることになった。

 彼の提示した賃金があまりにも低かったのでジャックが慌てたほどだ。

「だって帝都まで、あと少しだ。気にしなくて、いい」

「そういうわけにはいきませんよ!」

 正式に傭兵を雇うとなると、申請を通さなければならない。ラグは『渡り鳥』の傭兵だし、腕はあるので無料で彼をこき使うのはジャックとしては御免ごめんだったのだろう。

 ラグの回復は目をみはるものがあり、彼は次の日には元気に歩き出し、三等客室の部屋の前に陣取じんどってしまった。

 廊下に座り込み、剣をかかえてドアを見張る。単純そうに見えるが、中にいる者たちの様子を常にうかがっていなければならないので精神は疲弊ひへいするだろう。

 ジャックは頭が痛そうだった。

「ルキア様まで護衛をすると言い出したから、ラグに一任いちにんすることにしたんだ……。どっちもどっちだから困る」

「車掌……お疲れ様です」

 同情する、本気で。

 正式にラグをやとわなければ、ルキアがしゃしゃり出てくるのは明らかだ。

 ジャックはトリシアを見遣り、ぽんと肩をたたいた。

「じゃ、ラグに食事とか持っていくのはトリシアにしてもらう」

「……なんでそうなるんですか?」

「ルキア様がちょろちょろ動いているからだ」

 こぶしにぎって力説するジャックは、うぅ、とうなってひたいに手をやる。

 魔力を消耗しょうもうしたルキアは、本来なら眠らなければならない。それに護衛が一人というのも困る。

 いざという時にルキアに動いてもらわなければならない時に、戦力にならないのではまずい。

 けれどルキアは頑固がんこに眠ろうとしないのだ。

「……ルキア様は、私の言うこともききませんよ?」

「そうだろうけど、一応釘いちおうくぎはさしておけるだろ」

「はぁ……」

 誰が言っても彼は言うことをきかないと思う……。

 そう思いつつ、トリシアは通常の仕事に戻った。朝食、昼食、夕食の時間になったらラグに食事を運ぶのが追加されただけで、たいしたことはない……はずだ。

 前途多難の予感をかかえてトリシアは早速朝食を運んでいた。

 と。

 いきなりルキアにばったりと出くわした。

 ここは三等客室に通じる廊下だ。まさか……。

「おはようございます、トリシア」

「ルキア様……」

「はい?」

「どこへ行くのですか?」

「自分も護衛の手伝いに」

「ダメです」

 即答して、目の前でぴしゃりと車両通路のドアを閉める。ドアの窓越しにルキアがぎょっとして硬直しているのが見えた。

 彼はあわててドアを開けた。

「なにをするんですか、トリシア!」

「眠ってください。さ、お部屋に戻って」

「いえ、ですが自分だけ眠っているというのも……」

「ルキア様は大事な戦力なんですから」

 と言いつつ、再びドアを閉める。ルキアは困ったように苦笑して、仕方なさそうにきびすを返して一等車両へと戻っていく。

(ふー……。イズル駅に着くまでこれが続くわけね……)

 やれやれと肩を落とし、ティーカートを押して進むと、廊下に座り込んでいるラグを発見する。

 彼はじっと正面のドアを見つめていて、大事そうに大太刀おおだち外套がいとうつつみ込むようにかかえていた。

 盗賊たちにも食事は与えられるけれど、一日に一食だけで、トリシアの担当ではない。

 ラグはこちらを見て、笑顔になる。

(あれ? ごはんが嬉しいのかしら?)

 おなかがいてるのかなとうかがうトリシアが、ティーカートを止めて彼に声をかけた。

「食べやすいようにって、サンドイッチなんだけど」

「ありがとう。でもわざわざそれで持って来ることないぞ」

「いや、飲み物とか、色々いるでしょ?」

「水さえあればいいし、水筒を後で持ってきて欲しい。食事もサンドイッチだけでいい」

 平然とそう言う彼に、トリシアは目をみはる。

「それじゃ、体力がもたないんじゃ……」

きたえてる。心配するな」

 立ち上がったラグはこちらに近づき、カートの上の皿からサンドイッチを一つとった。

 れてきたコーヒーも、あまり歓迎はされていないようでトリシアはなんだかがっかりしてしまう。

 ラグは自分が座っていた場所を指差す。

「なるべくあそこから動きたくない」

「どうして?」

「集中していないと、中の様子がわからない。あそこが一番いいんだ」

 にらむようにドアを見ていたのは、そういうことらしい。

(なんか……ミスターに匹敵ひってきしそうよね、ラグって)

 異能いのうではないのか、もはや。

気配けはいを探りやすいから助かる」

 ラグはもぐもぐとサンドイッチを頬張りながら言う。

 さすがにハルのように、匂いや音だけで判別することはできないのだろう。当たり前だ。

 けれどトリシアは、ラグが車両の上部を吹っ飛ばしたのを目撃している。この華奢きゃしゃ身体からだのどこからあれほどの腕力を出したのだろう?

(セイオンの人たちって、みんなこんな感じなのかしら……)

 陽気ようき、というか……。

「ごちそうさま!」

 いつの間にかラグが全部たいらげていた。コーヒーの入ったカップを持ち上げて、ぐぐっと飲み干す。ああ、いい豆を使っているのに、そんな一気に。

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