パンデモニウム
パンデモニウム ~01~
医療室として使われている車両の、簡素な、ベッドを
ジャックの許可を得て様子を見に来たトリシアは、彼のひどい
あちこちを殴ったり、蹴られたりしたのだろう。医者も
(それでも、軽度で済んでいるって言ってたから、ラグって……
顔をうかがう。彼は静かに眠っているが、殴られた顔には
(うわ……ひどい……)
そう思って顔を近づけると、ぱかっ、とラグの
(えっ、ちょ、なにやっているのよ私!)
無理やり顔をラグのほうに戻す。べつにやましいことは考えていないのだから、堂々としていればいいのだ。
「お、おはようございます、ラグ殿」
うわっ、最悪!
(なにやってるの、私!)
いくらなんでもこれはない。
ラグは
「口調、今は二人だ」
「え? あ、あぁ、そうね」
起き上がろうとしたラグをトリシアはぎょっとして止めた。
「ダメよ! ラグは怪我人なんだから!」
「!?」
彼は
「そっか……。たくさん殴られたから……」
「でも軽度の打撲で済んでるみたいよ」
「…………トリシア、盗賊たち、どうなった?」
「今は
「オレを
「は?」
「いや、賃金はいらない。そいつらの見張り、オレがやる」
トリシアは目を丸くする。あれだけ痛めつけられたり、
(二人とも、どこか
「それは車掌に
「この列車に、今は護衛の傭兵はいない」
「ええ」
ラグは
「みんなを守る。オレ、帝都に着くまで頑張る」
……まだ決定ではないのだが……。
起きた途端に元気に宣言してくるラグは、きっと
わかっているだけに、トリシアは頭を
(自分が怪我人だってこと、わかってないでしょう、絶対に)
*
ラグは帝都に到着するまでの間、『ブルー・パール号』に
彼の提示した賃金があまりにも低かったのでジャックが慌てたほどだ。
「だって帝都まで、あと少しだ。気にしなくて、いい」
「そういうわけにはいきませんよ!」
正式に傭兵を雇うとなると、申請を通さなければならない。ラグは『渡り鳥』の傭兵だし、腕はあるので無料で彼をこき使うのはジャックとしては
ラグの回復は目を
廊下に座り込み、剣を
ジャックは頭が痛そうだった。
「ルキア様まで護衛をすると言い出したから、ラグに
「車掌……お疲れ様です」
同情する、本気で。
正式にラグを
ジャックはトリシアを見遣り、ぽんと肩を
「じゃ、ラグに食事とか持っていくのはトリシアにしてもらう」
「……なんでそうなるんですか?」
「ルキア様がちょろちょろ動いているからだ」
魔力を
いざという時にルキアに動いてもらわなければならない時に、戦力にならないのではまずい。
けれどルキアは
「……ルキア様は、私の言うこともききませんよ?」
「そうだろうけど、
「はぁ……」
誰が言っても彼は言うことをきかないと思う……。
そう思いつつ、トリシアは通常の仕事に戻った。朝食、昼食、夕食の時間になったらラグに食事を運ぶのが追加されただけで、たいしたことはない……はずだ。
前途多難の予感を
と。
いきなりルキアにばったりと出くわした。
ここは三等客室に通じる廊下だ。まさか……。
「おはようございます、トリシア」
「ルキア様……」
「はい?」
「どこへ行くのですか?」
「自分も護衛の手伝いに」
「ダメです」
即答して、目の前でぴしゃりと車両通路のドアを閉める。ドアの窓越しにルキアがぎょっとして硬直しているのが見えた。
彼は
「なにをするんですか、トリシア!」
「眠ってください。さ、お部屋に戻って」
「いえ、ですが自分だけ眠っているというのも……」
「ルキア様は大事な戦力なんですから」
と言いつつ、再びドアを閉める。ルキアは困ったように苦笑して、仕方なさそうに
(ふー……。イズル駅に着くまでこれが続くわけね……)
やれやれと肩を落とし、ティーカートを押して進むと、廊下に座り込んでいるラグを発見する。
彼はじっと正面のドアを見つめていて、大事そうに
盗賊たちにも食事は与えられるけれど、一日に一食だけで、トリシアの担当ではない。
ラグはこちらを見て、笑顔になる。
(あれ? ごはんが嬉しいのかしら?)
おなかが
「食べやすいようにって、サンドイッチなんだけど」
「ありがとう。でもわざわざそれで持って来ることないぞ」
「いや、飲み物とか、色々いるでしょ?」
「水さえあればいいし、水筒を後で持ってきて欲しい。食事もサンドイッチだけでいい」
平然とそう言う彼に、トリシアは目を
「それじゃ、体力がもたないんじゃ……」
「
立ち上がったラグはこちらに近づき、カートの上の皿からサンドイッチを一つとった。
ラグは自分が座っていた場所を指差す。
「なるべくあそこから動きたくない」
「どうして?」
「集中していないと、中の様子がわからない。あそこが一番いいんだ」
(なんか……ミスターに
「
ラグはもぐもぐとサンドイッチを頬張りながら言う。
さすがにハルのように、匂いや音だけで判別することはできないのだろう。当たり前だ。
けれどトリシアは、ラグが車両の上部を吹っ飛ばしたのを目撃している。この
(セイオンの人たちって、みんなこんな感じなのかしら……)
「ごちそうさま!」
いつの間にかラグが全部たいらげていた。コーヒーの入ったカップを持ち上げて、ぐぐっと飲み干す。ああ、いい豆を使っているのに、そんな一気に。
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