第9話
※
「宇宙だって死ぬよ。何だって死ぬさ。エントロピー増大の法則だね」
適度に解らなかった。のは、私に学がない所為だろう。携帯端末で調べてみると、どうやら物理だったり哲学だったりするらしい。閉じた系ではエントロピーは必ず大きくなるとか、宇宙は閉じたものなのだろうか。宇宙、とひとくくりにするからいけない? 銀河単位で、太陽系単位で考えれば、解るのかな。私がうんうん頭を悩ませている横で、トワは百合籠翁からの手紙を読む。
「それにしても、えにしちゃんにばれちゃったのかあ……」
苦笑するトワは、百合籠翁の手紙を綺麗に畳む。多分えにしちゃんの事はもっと小さな頃から知っているんだろう。そして空白も。でもその頃は。
「……えにしちゃんがご贔屓だった頃って、お爺さんの代じゃないの? 私の脚を手当てしてくれた」
「そのころから金平糖目当てに入り浸ってはいたからねえ。それにこの着流しじゃ、覚えやすいってもんだよ」
自覚あるのかよ。ほぼ不老不死が目立つな。
「仕方ない。これを使おうか」
と、トワが番台から出したのは、いつか私がもらった金平糖。金色が薄暗い店内でもきらきらしている。
「これはね、願いごとを一つだけ叶えてくれる特別製なんだ。ただし僕の、なんだけど」
「え」
「もしもカナちゃんがこれを食べていたら、お兄さんのことは綺麗すっぱり忘れていた」
「えぇえぇえ」
「今これをえにしちゃんに食べさせたら、多分僕への恋心もすてらのことも全部忘れてくれるだろう」
「そ、そんなの駄目だよ!」
思わず私は声を上げる。トワはきょとん、として見せた。こめかみに星がある人は頭の回転が良いんじゃなかったのか、思わず突っ込みたくなるほど、トワは鈍い。
「ここの金平糖も、恋心も、みんな大切なものだよ。大切な思い出だよ。それを勝手に消されたら絶対に嫌だ。私は、絶対に嫌だ」
「カナちゃん」
「それに百合籠翁は約束してくれた。いつか必ずえにしちゃんに本当のことを話すって。だから、忘れさせるなんて止めて。絶対に、やめて!」
「……熱烈だなあ」
「へ?」
「今カナちゃん、お兄さんのことを忘れさせられる自分より、初恋を無かったことにされるえにしちゃんの方に肩入れして話してたでしょ」
「えぁ」
「僕の方、向いてたでしょ」
指摘されて顔がぶわっと赤く染まる。確かに、私は今そうしていた。えにしちゃんに肩入れしていた。お兄ちゃんのことを忘れさせられる私じゃなく、トワのことを忘れさせられるえにしちゃんに。えーい、だって仕方ないじゃないか。こちとらファーストキス奪われてんだぞ。意識するなって方が無理だよ、今更。おまけに戯言とは言え星の街のことも聞かされてるんだ。誰かが覚えて居てあげなきゃ、……報われないじゃないか。老人達も、流れ星も。
にっこり笑うトワの脚に安全靴キックを食らわせる。大体同じところに当たるから痛みも倍増だ。思い知れ乙女の恨み。ふごおお、としているのをほっといた、番台の勝手知ったる一角から判子を探して伝票に押す。代金は、私の財布から出しておいた。これは私のけじめの為だ。百合籠翁に出費させるわけにはいかないから、あとで返しに行こう。それと、と私は薄暗い店内の一筋光がさしている箇所を見付ける。
あれか、と見ると、ちょど子供の身長丈ぐらいの窓にカーテンが掛かってない一か所があった。ぴしゃりと閉めて、それで安全対策はばっちりだ。次のえにしちゃんが生まれることもない。そもそもここの駄菓子屋本当に流行ってるのだろうか。ちゃんと会計とか税金とか払ってんだろうか。謎ばかりだけど、知ったこっちゃないか、と私はまだ悶えてるトワを見下ろす。下駄と安全靴でいつも大体同じぐらいの目線の位置の高さしてたけど、実際何センチぐらいなんだろうなあ、と、ぺしぺし乱れた裾を叩く。
「もうっ許さないんだからねカナちゃん!」
「許さないとどうするの?」
「こーするの!」
唇に感触。
が来る前に、ガムの包み紙を挟んだ。
コーラ味のフーセンガム。コツを掴んでからは膨らませられるようになった。
まだ代金払ってなかったから。ピンッと番台に十円玉を置く。
トワは絶望したような顔で、私から顔を離した。
「カナちゃん僕とキスするのが嫌なんだ……」
「そりゃ恋人とか夫婦以外とはしないでしょ」
「僕たちの関係って友達以上恋人未満じゃなかったの!?」
「未満は含まれないって知らなかった? 以下だったら含まれてるけど」
がくりとうなだれるトワに、私はお守りだった金色の金平糖を返す。
「トワの願いを叶えてくれる金平糖じゃ、私には意味がないよ。だから私のお守り作ってくんない?」
「カナちゃんの、お守り……?」
「そう」
ニカッと私は笑う。
「この店の金平糖全部一粒ずつ頂戴!」
「地味に面倒くさい作業っ!」
「人の口唇奪おうとした人に人権はありません。ぷー……」
「そのフーセンの作り方教えたのも僕だったのに~!」
言いながらも三十種はあるだろう金平糖を一粒一粒丁寧に小袋に詰めてくれるトワは、やっぱり基本的には良い人なんだろうなあ、なんて思う。簡単にキスして来るような奴だけど。ぷわー、っとガムを膨らませてはぱちんとはじけさせて、私はせっせと作業するその後姿を見る。トワはどうしてあの時私にキスなんかしたんだろう。なんて考えながら。
好きとも何とも言われてない相手に口唇許すほど、私だって尻軽じゃないよ。思いながら私はまたぱちんっとガムをはじけさせる。そろそろ膨らまなくなってきて、味もない。さっきのフーセンガムの包み紙、トワに向けた方にチュッとキスをしてからガムを吐き出しごみ箱に入れる。
視線を感じて金平糖の方を見ると、耳まで真っ赤になったトワと眼があった。
しまった。これは。見られて。しまった?
こっちも赤面して、それ以上のことは出来なかった。
「お代は結構です……」
「はい、ありがとうございます……」
赤面同士で金平糖を交換して、私は仕事に戻り、トワもまた駄菓子屋の番台に腕を付いた。
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