第4話 謝罪、誤解、決意

「謝るにしても、金ならいくらでも払うぞというのは絶対に言っちゃダメですからね。あっ、私はアドバイス料はもらいますけど」


 とネイアから追加の助言を貰った後、ミリオンは執務室を出た。アドバイスをもらってる途中、ミリオンは自分の目がまだ腫れていることに気づいたが、むしろ治まる前に行けとネイアに背中を押された。

 ミリオンは1人、医務室へと続く廊下を渡る。


 執務室から医務室へは大分距離があり、医務室はミリオンの生活の拠点となっている本館ではなく、別館にある。これはミリオンが医務室にほとんど用事がないからであり、そもそも医務室は、直接ミリオンの為に作られた部屋でないことを示している。

 何故ならミリオンが何か病気にかかったならば、自分の寝室に医者を呼び寄せるからである。

 つまり、この医務室はヌーマロウム城で働く従者が病気にかかった時に、ミリオンを病気から遠ざけるために作られたのだ。


 だからといって医務室がただ隔離の為に作られたと示すわけではない。従者の病気を治すべく、最先端の設備が整っている。


 そんな医務室の扉をミリオンはノックもなしにガチャリと開いて、部屋の中に入った。

 たとえ滅多に訪れない部屋といえ、家の主が自分の家の中でノックするという考えはミリオンの中にない。


「きゃっ」

「うわっ」


 だがミリオンはその部屋に自分の想い人がいるということは、例え自分の家だとしても、そこが想い人の領域になってしまうということをきちんと認識してなかった。

 扉を開いたミリオンを迎えたのは、大きな2つのふくらみである。複数置かれたベッドのうち一番奥のベッドの近くに下着姿のサーティスが立っていたのだった。

 ふくらみがサーティスの胸であると認識した瞬間、ミリオンは反射的に後ろを向く。

 もしずっと見ていたら、ミリオンの頭から血が噴いていたであろう。そう思うほどミリオンにとって、大好きな人の布一枚ごしの胸というのは衝撃であった。


 後ろを向いたミリオンは、目の前で自らが開けた扉が音を立ててゆっくり閉まっていくの見ながら、深呼吸をした。頭が少しだけ冷えていく。

 冷えた頭でミリオンは考える。

 とりあえず部屋から出ていくのが先か、とりあえず何か言うのが先か。

 結局、ミリオンは何か言ってから、部屋から出ることに決めた。


「す、すまない! 詫びにいくら払えばいい!? い、いくらでも払うぞ! 」


 それでもミリオンは思っていたほど、冷静ではなかった。脳がオーバーフローした結果、口から出てきたのは、ネイアに強く禁止されていた言葉である。

 ネイアを強く信頼しているミリオンは、ネイアがアドバイスしてくれたことを破ってしまったからには、大変なことが起きるのではないかと恐怖したが、そんなミリオンの背後から聞こえたのは、サーティスの小さな笑い声だった。

 少し笑った後でサーティスはハッと気づいたように目を見開き、ミリオンからは見えない位置でぺこりと頭を下げた。


「申し訳ありません。子爵様って、口をひらくとそれだから、なんだかおかしくなってしまって」

「えっと……うん、あっ、その……、下着、見ちゃったからその……、いくらでもと…… 」

「あはは、下着姿くらい孤児院の子供たちよく見られてるから平気ですよ、気にしてません」


 そう言うとサーティスは、再び堪え切れないように笑いだした。一応我慢しようとしているのだろう、吐息が漏れるような艶やかな笑い声だった。

 暫く待っても笑うのを止めないサーティスにミリオンは少し口を尖らせる。


「そこまでおかしいか? 」

「い、いえあのミリオン様が……、いや、申し訳ありません」

「なんだ、言え」

 

 何かを言いかけたところで謝るサーティスに、ミリオンはその続きを促した。

 サーティスはミリオンの機嫌を損ねてしまったと、ごくりと唾をのんで無理やり、笑いを止めた。


「他意はないのです。ただ、孤児院の子供たちですら、私の下着姿にそんなに慌てないのに、ミリオン様の慌てっぷりがおかしくて……。そ、その、馬鹿にしているわけではありません。神も年頃の男女は淫らに肌を晒すべきではないと、肌を見るべきでないとおっしゃっていますし。ただそれが子爵様だと思うと、なんだか可愛らしい一面があるのだなとおかしくなってしまって……。どちらにしても失礼でしたよね。改めまして、申し訳ありません」

「いや、いい」


 思い切り馬鹿にしているだろう、子供が慌てないのはそういう情緒がまだ発達していないからだろう、とはミリオンは口にしなかった。それを言ったところでサーティスの中での評価を覆せる気がしないからだ。







 笑い声がやんで静かになった医務室でミリオンは小さな衣擦れの音を聞く。その音を聞きながら、今更な気もしたが、ここへやって来た本懐を果たそうと気を取り直した。

 暫くしてもう大丈夫だと言われてミリオンが振り返ると、そこには普段の修道服に身を包んだサーティスが立っていた。サーティスはミリオンを睨むでもなく、青の瞳で朗らかな微笑を浮かべた。修道女らしく何でも受け入れてくれそうな朗らかな笑みだ。

 ミリオンはそれを確認して、ゆっくりと口を開いた。


「先の一件では、不快な思いをさせてしまったようで、本当にすまなかった」

「ですから、孤児院の子供たちによく見られてますし、気にしてませんよ」

「そうではなくてな! 」

「はい? 」

 

 ミリオンは思わず、声を荒げる。何事かとサーティスはこくりと首を傾げた。

 この言い方で、まさか下着の一件を謝ってると思われるとは、考えていなかった。また誤解されてはかなわないと、ミリオンはどう言い表すか思考する。

 結果、ストレートに言うことに決めた。ミリオンはもう一度、頭を下げた。


「告白の一件だ。本当にすまなかった」

「えっ、私、子爵様に告白されました? ……何か神の教えに背くことを? 」

「そうでもない、告解とかそういう意味でもない!! 」

「はい? ではどういう……? 」


 自分の告白を告白と思われていなかった。それはミリオンにとってショックだったが、ネイアから散々言われていたことだし、あんな風に拒絶されたのだから、これも今更だ。

 だからミリオンの思考はどういう風に言って、謝罪するのかの一点のみに絞られる。しかしミリオンには告白以外の言葉が浮かばない。

 なので試しに、一番ミリオンの考えからはほど遠いネイアの言葉を借りてみることにした。


「……脅迫の話だ 」

「あっ、その一件でしたか!! 」

「……」


 色々な思いがあったが、もはや謝ることしかできないだろう。自分が告白だと思っていても、相手にとってそれが脅迫ならば、脅迫だからである。

 ミリオンは謝罪の言葉とともに数秒頭を下げ、どんな反応が返ってくるのかとビクビクと顔を上げると、目の前には何とも言えない困った表情をしたサーティスの姿があった。

 困った表情のままサーティスが尋ねる。


「あの、それに関して一つ確認させていただきたいことがあるのですが……。ネイアさんからお聞きしたんですけど、子爵様は……、孤児院を潰そうとしていたわけではないのですか? 」

「……まぁ、そうだな」

「ならば、謝らなければいけないのは私の方です。本当なら教会を……、孤児院を救ってくださいとお願いしなければならないのは、私たちなのですから。……子爵様、お願いします。どうか私たちをお助けください」

「それはもういいのだ。元々、金は出すつもりだったのだから」

「偉大なるご慈悲をありがとうございます。神の信徒の1人として御礼申し上げます。こんな私ですが、孤児院を救う対価として身を捧げる覚悟はできています。どうぞ、これからよろしくお願いします」

「ん?」


 話の方向がおかしくなったと、今度はミリオンが困惑を浮かべる。


「ですから、私はあなたの物になると」

「……身を投げる覚悟で俺を拒絶したのではなかったのか? 」

「孤児院を潰さない代わりと言われたのならば、確かに私は身を投げるでしょう。しかし教会を救うということへの対価をお求めになるのならば、私は子供たちのために、迷わずその身を差し出します。神も労働には対価を、恩には奉公をと述べられていますから」

「……」



 サーティスの言っていることはもっともだ。もっともだが、ミリオンは何か違う気がした。これではいつものように金の力で手に入れた、と胸を張って・・・・・言える気がしないのだ。サーティスは金以外の何かの為にその身を差し出している。財力で虜にするとは、ミリオンにとってこういうことではないのだ。


 ミリオンは考える。

 一度、拒絶されたから? ごくりという唾を飲む、いつもの音を聞かなかったから?

 とにかくサーティスはミリオンに夢中になったというわけではないのは分かる。

 

 ミリオンの胸中は複雑である。目の前の女は欲しい。しかし女は自分かねに夢中になったわけではない。それがとてつもなく悔しい。

 一度拒絶されたからこそ、ミリオンはそんな考えに至った。

 どんな手を使っても目の前の女を自分の虜にしたい、熱い血のようなその想いがどくどくと流れ、逆に頭は冷えていく。


「好きだ」

「えっ?」


 冷えた頭で考えてその言葉を口にしてみる。すると頭に熱が戻っていく。ミリオンは耐え切れなくなって、目を伏せた。

 

 もしかしたら、ミリオンは好きという言葉を人生で初めて発したかもしれない。少なくとも父と兄が亡くなってからは思い当たる節がない。

 だからミリオンは、サーティスの方を直視できない。疑問の声を上げたサーティスがどんな表情をしているか、どんな仕草をしているか、どんなことを言おうとしているか、確認したくなかった。だからミリオンは先に尋ねる。


「お前は俺に『いちころ』か? 」

「はい? 」

「だから俺はお前の好きなタイプなのか、と聞いている」


 ミリオンにすれば、ネイアのアドバイス通り、タイプを聞いてみようと考えての行動であったのだが、サーティスからすれば突然すぎて脈略もなく、何を言われているかいまいち理解できない。

 そもそも自分はミリオンの物になると言ったのに、そこに好きかどうかなんて関係があるのか、サーティスの価値観では範囲外であった。


 サーティスの脳は、状況を理解するための思考と時間を求めていた。だが目を伏せているミリオンに、何か答えなくてはいけないという義務感がある。

 そのせいでサーティスは、最後に聞かれた問いに対してのみ、思ったことがそのまま口から飛び出した。




「タイプかどうかと聞かれたら、子爵様は全然そういう対象として見れないですね。カッコいい虫とかの方が、まだ私のタイプに近いぐらいありえないです」

「……おえっ」


 ミリオンは涙の代わりに食道から胃液がこみあげて来るのを感じた。それを無理やり飲み込んで、涙が出そうになった。しかしもはやその涙は悲しいからなのか、吐きそうになったからなのか、どっちが原因か判別できない。

 感情を大きく揺さぶられると人は吐きそうになる、主従揃って新たな発見をした瞬間であった。


 一方で、サーティスは言って気づいたのか、顔を青白くする。


「わ、私は子爵様になんてことを……。あっ、あの重ね重ねの失礼、申し訳ありません。首を切れと言うならば切りますから、どうか孤児院を助けていただく件については……」

「もうよい、もう今日はいいから好きなこと思ったことを正直に言え。今日は何を言っても許す。孤児院に金を出す話はお前が何をしようともう決定事項だ」

「……ご慈悲に感謝いたします」


 また頭を下げるサーティスに、精神がズタボロになったミリオンはいっそのこと、言いたいことをすべて正直に出し切ってもらおうと決心した。


「か、カッコいい虫の方が近いという、お、お前の好きなタイプとはどんななのだ? 」


 ミリオンはやっとのことで顔を上げて、勇気を振り絞りサーティスに尋ねる。

 もうこれ以上酷いのは出てこない、今の自分ならば、サーティスの好きなタイプがいかに自分とかけ離れていても、受け入れられるだろうと。


「……ま、マグナ様のような方です」

「おえっ」


 決心したミリオンであったが、さすがに他の男の名前が出てくるとは思いもよらなかった。しかもサーティスは、頬を赤らめ、蚊の鳴くような声で恥ずかしそうに言ってモジモジするというおまけつきだ。

 胃が頭の上についてるのかとでも錯覚するほど、胃液がとめどなく溢れ出てきた。もう少しというところまで来たが、ミリオン精いっぱいそれを止めることに集中する。集中したおかげで想い人が、目の前で他の男が好きだと言うのを考えずに済んだ。こみあげてくる胃液が、逆にミリオンのぼろ雑巾のような精神をすんでのところで守った。





「わ、笑ってくれても構いませんよ。いい歳して少女趣味の英雄狂いだと!!」


 そんなミリオンの内なる格闘ゆえの沈黙を勘違いしたのか、サーティスが顔を赤くして、声を張り上げる。その頬はトマトのように赤く染まり、耳も紅葉のように染まっていた。

 サーティスの人生において、彼女が好きなタイプを言うと決まってこういう反応が返ってくる。誰もが一瞬、沈黙する。

 その経験が相成って、彼女の頭は瞬間的に熱くなった。この時ばかり、ミリオンが好きなタイプをバカにしてきた人々の姿と重なったのだ。

 もっともミリオンは吐かないように必死だっただけだが。



「子爵様もご存知のようにマグナ様はドラゴンが暴れれば、そこへ行ってドラゴンを倒し、疫病が流行れば、そこへ行って特効薬を開発し、大飢饉が起きれば、そこへ行って麦を配り、悪徳領主が幅を聞かせれば、そこへ行って領主を改心させる、そんな魅力的な男性なのです!! そんな男性に夢中になることの方が女性にとって自然なことでしょう! それをタイプと言うのが、そんなにもおかしいのですか!? 仮にマグナ様以上の男性がいるのならば挙げてみてください! 」


 サーティスはミリオンに対して畳みかける。

 ミリオンは自分の意中の女性はこんな情熱的な一面もあるんだ、可愛いなと思うと同時に、マグナって一体誰だよと聞こうと思ったが、やはり他の男性というところがショックで、さらにこみあげてくるものと格闘することになった。


 そうなると自分の言葉にさらに熱くなったサーティスを止めるものは、医務室にはいない。思ったことを言うのをミリオンに許されたのを免罪符にして、自らを加速させる。


「ほら、いないでしょう!? マグナ様以上の男性なんて古今東西どこを探してもいないのですよ!! そもそも物語の登場人物に恋をして何が悪いのですか!? 現実より物語の男性の方が優れている、いや現実の男性が物語の男性より劣っているのが悪いのです! マグナ様はいつだって私に微笑みかけてくれるんです。つねに私をキュンキュンさせてくれるんです! マグナ様の爪の垢ほども魅力がない現実の世界の男たちが悪い、子爵様もそうは思いませんか!? 」

「……ま、マグナとは物語の登場人物なのか? 」

「はい? 何を当たり前のことを……。大英雄マグナシリーズですよ、もちろん、読んだことありすよね?……それで話を戻しますが、さらにマグナ様の魅力を語りますと……」


 サーティスの口からマグナが物語の登場人物だと聞いた途端、ミリオンは胃液が引っ込んでいくのを感じた。身体は正直だった。

 そして、未だに熱い語りをやめないサーティスの声を背景にミリオンは決意を胸にする。


 自分は目の前の女を虜にしたい、ならば自分がそのマグナという男のようになればいいのだ。そのための資金ならいくらでもある。

 まずは、ミリオンはマグナがどんな男なのか知るために、読んだことのない大英雄マグナシリーズ全7巻をその日のうちに取り寄せた。

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