溶魂

物書未満

転生

 転生、それは自分が何かに生まれ変わる、或いは誰かの空になった身体に自分を自分たらしめる――ここでは「魂」とでも言おうか――ものが入っていく事だと俺は考えていた。そしてそれが今よりずっとマシな感覚をもたらすのだ、とも思っていた。



 だが、実際はそうでもなかった。


――

――――


 目覚め、そう朝の目覚めだ。窓からの柔らかな陽光が俺を差し、嫌でもここが実感のある場所だと思い知らせてくる。

 ここは現実、正確に言えば元いた世界とは違う現実だ。それは現実と言えない、と反論されればそれまでだが少なくとも俺には現実だ。当人にしか分かり得ぬ現実なのだ。

 クイーンサイズのベッドから降りる。一人用にしてはやけに広いこの部屋には当然俺しかいない。

(はぁ、着替えるか)

 気怠けだるい、とても気怠い。朝はいつもそうだ。立ちたくもない姿見の鏡の前に立つ。


(なんでこんな身体に転生したんだ……)


 俺の前には可憐な少女が写っていた。




 何故こんな事になったのか。転生の経緯説明はとても難しい。何せ、よく分からない内に転生し、直前の記憶も曖昧なのだ。

 しかしこの鏡の前に立っている事についてはある程度説明できる。


 あれは、森の中だった。気がついた時の俺の全身には強い倦怠感と寒さ、消えかけた痛みが走っていた。直感した、死ぬと。血が止まらず、動けず、声も出ず一人の状態。それは死に直結するだろう。

 普通、転生と言えばある程度生きられる要素がある筈で、何の因果で死ぬ直前、今際いまわきわの身体に転生したのか分からない。そして転生を直感した理由。それはあの時、つまり森の中にいる直前、俺の目にはエンジンの唸るデカいトラックの顔が映ったからだ。避ける間もなく。

 とにかく俺は最初から死にかけて転生し、気を失った。

 そうしたらどうだ? 次に目覚めると、眼前に見知らぬ天井。相変わらず全身痛いし、誰も居ないし、声が出ない。身体を起こそうにも起きない。もどかしく身体をもぞもぞと動かしていると扉が開いた。

「お、おい……目が覚めたぞ!」

 入ろうとしてきたデカい男が驚きの声を上げる。その声に反応してか後二人が駆け付けて来た。

「本当に目覚めて良かった……」

「もう、二度と会えないかもって……」

 細見の男に少女。大男も含め三人は俺を見て泣いたり何だりしている。そうか、この身体の主は三人のツレだったのか。

「とにかく生きててよかった……『ローザ』」

「ごめんね……守れなくて。私のせいで身体じゅう傷だらけだよね……」

「すまねぇ……ローザみたいなか弱い『女の子』一人の身代わりにもなれない様じゃ俺は」

 ああ、「女の子」に転生したのか、俺は。だから力も入らないのか。


 そして俺はこの怪我の影響で惜しまれつつも三人から離れ、身体の主の実家に帰る事になった。


……鏡の前に立っている理由はこれだ。身体の主は良い所の出らしく実家がデカい。だから何に困る事もなく、実際のところ転生前より待遇や境遇は遥かに良い。

 だが、身体と魂が合わないのはその喜ぶべき感覚を酷く鈍らせる程に不自然なのか。よくある話に「女の子に転生したから身体を好き放題する」とか何とかもあるがそんな気にならない。自分の身体を見たって、俺は興奮も何も無い。変な話かもしれないが、魂は男、身体は女の子で別々の筈なのに、魂が身体の女の子に反応して興奮するなんて事がないのだ。


 しかし、着替えに慣れないし着替えにくい。本当なら寝間着のままいたい。どうも女の子の服に慣れないのだ。……まぁ寝間着も女の子のヤツだが。

――コンコン

 ノックの音。ああ、アイツか。

「ローザ様、失礼致します」

 メイドのライラ。コイツは俺の専属で所謂メイド長だ。父母より私を優先している、というより父母の意向で私にライラを付けている。

「お着替えをお手伝い致します」

 慣れない着替えをライラが手伝う。はっきり言うとライラ無しではマトモに着替えが出来ない。

「ローザ様が言葉とご記憶を失くされてからというもの、私の出来うる限りの事をお手伝い致しておりますが……」

 朝日の射し込む部屋の中、ライラは言う。そう、俺は喋れない。どうやら身体の主の影響か何かは知らないが言葉が出ないのだ。記憶に関しては文字が読めないやら人を覚えてないやらで喪失したとしてある。

 傍目から見れば記憶を失くし、言葉も失くした可憐な少女だが、中身と言えばただのしょうもない男である。

「本日の予定は特にございませんがお出掛けなさいますか?」

 お出掛け、こっちに来てから俺は時折街へ出掛ける。特別な理由というものはない。ただ散歩していれば幾分か心も紛れるからだ。居心地が悪い訳ではないが家に居ると変な思考が巡る。だから出掛ける。それに何か考えるとしたら歩きながらの方が良いと以前聞いた事があるから散歩に行くのかもしれない。古代ギリシャの哲学者がそうしていたらしいが。

 とにかくライラの提案に首肯する。嬉しい? 事にお出掛けの準備とやらは全て他人任せで良い。だから今からは朝食だ。


「ローザ様、こちらへ」

 ライラに連れられて食事の部屋、いや広間に来る。平たく言えば大きな机と列をなした椅子がある部屋で天井にはシャンデリアみたいなのもある。あいも変わらず落ち着かないが、部屋に食事を運んで貰うのも落ち着かないのでここに来る。と、朝食が並び始めた。美しく白い皿、鏡の如く磨かれた食器達、丁寧に盛り付けられた食事、どれもこれも一級品ばかりだろう。俺には相応しくない。

 実は、というか当たり前だが俺はテーブルマナーが分からない。多少の行儀は分からないでもないが本格的な事は全く知らないと言っていい。が、俺の身体は勝手に綺麗な動きをする。それはこの身体に染み付いた本来の主ローザの動きだろう。現に、歩き方や寝相といった諸々の動作がこの身体に相応しい動きをする。俺の意思を半分無視して。

 半分、というのは俺が何か動こうとすると確かにそれは出来るのだが動き方が所謂上品な動きに修正されて動くという事である。

 例えば、大の字になって寝ようとしても「俺が大の字で寝る気分」に相当するこの身体に相応しい姿勢に矯正されるのだ。そしてその姿勢が窮屈には感じない。見た目は上品な寝相なのに気分は大の字の寝相という矛盾である。そんな風だから、ある意味俺は自分の動きが出来ない。

「……はぁ」

 俺の身体から小さな可愛らしいため息が出る。喋りこそ出来ないがため息や言葉にならない声なら多少は出る。しかしその声は俺の声であって俺の声ではない。俺がついたため息なのに俺の物に感じるには余りに遠い。それ程にこの声は可愛らしいのだ。

「お口に会いませんでしたか?」

 ライラが言葉を投げかけてくる。勿論、この心配は俺の心の内を心配して……ではなく「ローザ」の心の内を心配しているのだろう。その心遣いに俺が応えるなんていうのはおかしな話だがそうするしかないのも事実だ。

 ここにいる「ローザ」は「ローザ」であって「ローザ」でなく、「俺」であって「俺」ではない。しかし決定的に分かる違いは「俺」にはこの世界に何もないが、「ローザ」には色々とあるという事だ。

 幾ら、巻き込まれた? 身とはいえこの「ローザ」という人物を見過ごす訳にもいかないのは、矛盾しているかもしれないが多分俺の心情というかそういうものなんだろう。あまり見たくはないこの身体は紛れもなく可憐な少女、無碍に扱うのは失礼というものだ。何より「俺」を伝える方法がないし、信じて貰える筈もない。動きも言葉遣いも声も見えうる全てがローザなら、どこにそれ以外の人物だと思える要素はあるのだろうか?

 記憶の違い、異界の文字、その他諸々を使えばもしかすると上手くいくかもしれない。だが俺は愚者なせいでそれらをすぐに思いつかなかった。転生した事実に動揺した故に。そして、それらを言い出して信じて貰えるには時間が経ち過ぎた。一ヶ月以上も経ってしまったのだから。更にその時の流れは愚かな俺から、俺はローザではないと伝える気力を奪った。波風立てては余計に苦しい。

『きにしないで、ごはんおいしいよ』

 スケッチブックに文字を書いてライラに見せる。喋れない分、こうやって意思を伝えるしかない。最初は当然だが文字すら分からなかった。ライラに教えてもらって今は何とかギリギリ一番簡単な文字を書ける様にはなった程度だ。そうしてくると今度は字がガタガタになる筈……と思いきや恐ろしく綺麗に書ける。これも動きの矯正だろう。自分で習得した筈の文字ですら自分の字にならないのだ。嫌になってくるところもあるが綺麗な字を見て気を悪くする事もないのは救いかもしれない。


 そうして朝食が終わり、お出掛けの準備が完了するまで暫し待つ。自分でやろうとしてもメイドに止められる、というより身体が動かない。だがそれは高慢な態度から来るものではなくただ単に「メイドの仕事を盗ってはいけない」「プロの仕事はプロに任せる」という思いが身体に染み付いているのだろう。

「ローザ様は幼少の頃から何かにつけて『お手伝い』をしたがったものです」

と、微笑み混じりライラは言う。このローザという少女はきっととてもいい子なんだろう。なんで俺みたいな奴の魂が入ってしまったのだろうか。ローザの魂はどこへ行ったのだろうか。この身体には相応しい魂が入るべきなのだ。それを何故俺が……

 と、考えている内に準備ができた。さて出掛けよう。街までは少し遠いので乗り物を使う。この世界にはいわゆる魔法に類するものがあってこの乗り物はその力で動く。見た目は自動車とさして変わらない。まぁ家も家なので大きな車だが。


「ローザ様、本日はどちらへ向かいましょうか?」

『なみきどおりがいい』

「では、いつものお散歩で」

 街にある並木通り、そこはいい場所だ。緑のある、綺麗な通り。そういうところが俺は好きで向こうでもよくそんな場所に居座ってはぼんやりしたり本を読んだりしていた。この身体の主もそれは好きだったそうでそこに行くことを身体は拒まないしむしろ足が早まる。

 車窓に写る顔も心なしか嬉しそうだ。いや俺が楽しみで行くのだから嬉しそうなのは当然なのだが俺ではないものから来る表情も入って来ている。傍からみれば笑顔の少女なんだろうし俺もそう思う。だがこの笑顔は一体誰のものだ?

「到着致しました。いつもと同じく街の手前になりますがよろしいでしょうか」

 運転手の声、俺は目立つのが嫌で街の中までは車で入らない。手前で降りて歩いて街中へ行き、そこから並木通りへ行く。歩いていると案外目立たないものだ。

 街の雑踏に紛れ、ライラと共に並木通りへと歩を進める。街はとても賑やかで活気があって、輝いている。俺の元いたところでも街は賑やかだったがこんなに輝いてはいなかった。いや賑やかなだけで居心地はあまり良くなかったと言ってもいい。もしかすると賑やかというよりは騒がしかったというべきだろうか。

 そしてきっとこの街がこんなに輝いて見えるのはこの身体のおかげだろう。俺の身体では輝きを見いだせるかは怪しい。魂と身体が一致していない、噛み合っていない状態ではある種の客観性をもって物事を見れるのではないだろうか? 自らの魂と、その器たる肉体の反応が異なるというのはそういう事をもたらしてくれるのかもしれない。学者先生ではない私が考えても無駄な事か。

「はぁ……」

 また、ため息だ。俺のため息なのに俺のものではないため息だ。この身体にため息をつかせるのは良くない気がする。転生したとはいえ俺とはかけ離れた身体、本来の主ローザに返すべきである身体、しかし本来の主は見つからない身体。そんな身体を俺が持っている。そんなのでいいのだろうか?

「ローザ様……」

『ちょっとつかれただけだよ。きにしないで』

 心配するライラにスケッチブックを見せる。その心配が俺ではなく身体の主ローザに向けられているものだという事も重ね重ねしっかり理解している。

 俺には寄木がない。この世界に俺が寄り掛かれる場所などないのだ。この身体にいる限りは……

「今日も清々しいですね。並木通りは」

 ライラの言葉にハッとして前を見ると並木通りについていた。確かにいい感じだ。座ってぼんやりするも読書するも何をするにも良い。俺が選ぶのは読書だ。文字も覚えられるし本を読んでいる間は色々と忘れられる。ベンチに座り、ライラに横へついてもらって読書を始める。如何せん読めない部分も多いのでその時はライラ教えて貰う。そうやって俺のお出掛け時間は過ぎていくのだ。日が傾くまでずっと。



「影が長くなってきましたね」

 ライラの言葉で読書の世界から戻ってくる。よく見ると辺りはそろそろ茜色だ。帰ろう、この身体に夕冷えは毒でしかない。

 と、悠長に構えていれば、

「ゴホッ……」

 それ見ろ、体調崩した。おまけに少々ふらつく。駄目だ、ライラに頼もう。

『おんぶして』

「かしこまりました、では失礼して……」

 ライラに背負われ家路につく。そこから先の記憶はない。どうやら深く眠ってしまった様だ。


……この世界で、俺は一体何者なんだ? そもそも俺という存在は何だ?


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