第二十三話『白銀の少女・イーヤ』

 ――これはどうしたものか……。


 変な言葉を話す少女に見つかって家に連れ込まれたのだが、その風景は至って平凡なものだった。


 広いリビングとそこに見合うような大きなテーブル、そして木製の椅子が六脚。そこでは少女を除いた五人のプレイヤーが何か作業をしていた。


「何を作ってるんだろ?」


 よく目を凝らして見てみると、見た目は緑色の丸い物体で正体は分からなかった。


 少女に差し出された余っていた椅子に座らされると、目の前に温かい紅茶を出される。オレは一口啜ってから少女の姿を眺めていた。


 髪は銀色のロングヘアーで、眼は大海のように透き通った青。背は大体百五十センチ程だろうか、服装は水色の革装備に同系色のスカートである。


 そして初めて目にした時から印象的だったのはその顔つきだった。瞳の深い青色と、新雪のような白い肌も相まってか、かなり外国人に近く整ったものだ。


「何を言いたいんだろ? 全く分からんぞ?」


 その少女がオレに何やら訊いてきているようだが、何を言っているのかさっぱりで、身振り手振りを交えても理解ができない。


 日本語が通じないことに、オレはかなりのフラストレーションを溜めていた。


「あの……ゴメン! また来るよ」


 困りに困った挙げ句、とうとうオレはその場を走って逃げてしまった。


 少女が引き留めようとしていたのに対して振り切ってしまったことに罪悪感はあったのだが、後ろで真剣に作業をしているのにお茶を頂くのも窮屈だし、これ以上言葉が通じないことにやりきれないものがあった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「一体どこに行っていたんだ? もう昼食は食べてしまったぞ」


 やっとのことでみんなの元に戻ってこれたが、既に昼食を終えたようでセシリアさんが呆れた様子だ。


 その口調はなんとなく子どもをたしなめるようなものを感じる。


「すみません、よそ見してたら道に迷ってしまって」


「もう、セイリア君は昼ごはん無しだよ!」


「そんなぁ……」


 グレースからの昼飯お預け宣言に無様な声を漏らして、皆が食べていたであろうイタリア料理屋らしき建物を見つめた。


 パスタとかピザとか、現実世界でもよく食べていたその味を妄想していると、そのせいか腹の虫が盛大に暴れまわっている。


「どっか屋台無いかな? ささっと何か食べたいんだけど……」


「ほらこれ、あんたのために買っといたわよ」


 そんなオレの様子を見かねたのか、グレースがとある紙袋を差し出してきた。


 開けるように指示されて中を改めると、そこには鼻腔をくすぐる香ばしい香りが鼻をくすぐる。


「あっ……ピザだぁーっ!」


 よく見かける丸い形とは違って、見た目は中に物を詰め込んだような重さを感じるだけのパンである。だが香りは完全にピザその物だ。


 かぶりついてみると、中からは想像を絶する熱さが襲ってきた。反射的に口を離してから中を冷ますべく、数回としばらく時間を置いてからもう一度食らいつく。


「んーっ!!」


 トマトソースのコクのある酸味にそれを包み込むチーズのとろけるまろやかさ。そしてそれらを上手く纏めつつも、相乗効果をもたらすハーブのすっきりした香り。それはまさしくピザだ。


 夢中で食らい付いていたオレの様子をみた皆は余程面白かったのか笑っている。堅物かと思っていたあのセシリアさんですら、手を口に当ててクスクス笑っているほどだ。


「セイリア君ってこういうとき、ホントに美味しそうに食べるよね?」


 まだ笑いが残っているのか、涙が出ていたグレースが面白そうにしているのが無性に悔しい。


 この後もいくつかお菓子などの食べ物を買ってから再びタウンホールへと戻り、改めて今後の行動について話し合うことにした。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 会議も終わる頃にはいつの間にか夜になり、休憩がてらオレは町の中を流れる川のほとりに散歩に出かけることにした。


 このゲームを始める頃は現実世界では季節は夏だったが、ここもそれに準拠しているらしく、川沿いでも少々蒸し暑い。


 石ころを蹴飛ばしながら、メダリオンのことをクラスの皆と一番好きなサッカー以外でたくさん話したり、弟や妹とともわいわいしながら一緒に遊ぶ……。


 このゲームを買ってから思い描いていたのはそんな楽しみだった。


 それが今ではゲームとも本物とも分からない世界に変わっているが、それでもなんとか適応しつつはあるし、教えてくれる先輩兼旅の仲間もいる。


 それでもまだまだ未知の世界に対して、不安だらけなのは変わらないのだ。


「オレって本当にここでやっていけるのかなぁ……」


 十日前は綺麗な満月も今では三日月へと移り変わっている。そんな時間の流れを感じながら、橋の欄干から川に写る月に弱音をぶつけていた。


「あ……の……」


 後ろからの途切れ途切れの言葉に振り向いてみると、月光を背にして少女が立っている。山盛りになった薬草が乗ったカゴを両手に持ち、夜風になびく銀の髪をその姿はエキゾチックさを纏っていた。


「あっ、昼の……」


 その正体はさっきの銀髪の少女だった。生成りのチュニックを身に付け、こちらに向けてほほ笑む姿は絵になる。


 ……絵などこれっぽっちも分からないのだがな。


「会ったよ……ね? さっき……も」


 途切れ途切れながらも日本語で質問している事がわかる。どうしてさっきは別の言葉で話してきたのか分からなかったが、ひとまずオレのことを教えてみることにした。


「オレはセイリアだよ」


「せい……り……あ?」


「そうそう、君の名前は?」


 ゆっくりと自己紹介してから、恐らくは年下の少女に名前を聞いてみた。


 すると首をかしげた少女は、何やら両手を出すジェスチャーを見せると、ゆっくり走り出して行ってしまった。


「何だ? あの子……」


 外国人プレイヤーとは思うが、オレが知る限りはこのゲームは日本国内のみの発売だったはずだ。一応近日中にアメリカ、EU圏、ロシアなどで発売を予定しているようだが、恐らくは日本在住の外国人だろう。


 そうして十分くらい経ったところで、銀髪の少女が誰かを連れて戻ってきた。白い肌、短めのブロンドの髪をした少年の姿はオレと同い年くらいにも見える。


 話す言葉は英語だと分かるのだが、中学二年生のオレにしてみれば分かる箇所も少ない。


 分かったのは少年の名前はスティーブ、少女の名前はイーヤであること、出身地はそれぞれアメリカとロシアである事だけだ。


 だが残念な事にオレの英語力ではまともな会話にならない、スティーブは必死にオレに話しかけるも、何を言っているのかほとんど聞き取れない。


 徐々に空気が悪くなる中偶然通りがかったのは、水色の髪のウンディーネの魔法使いだった。


「おや、どうしたんだいセイリア君? ガールフレンドでもできたのかい?」


「フーリエさん……そんなこと言う前に助けて下さい!」


 茶化されたことに腹をたてる暇もなく、藁にもすがる思いでフーリエさんに事の顛末を伝えてみる。そして帰って来た言葉は心強いものだった。


「そうか、それなら僕に任せてよ」


 そう答えてスティーブの話す英語を聞いていた。時々うなずいて何かを伝えると、フーリエさんが振り返る。


「どうやら君と友達になりたかったみたいだね。昼にそっちの女の子が言うには、君が逃げてしまって何か悪い事をしたのか気がかりだったようだよ」


「あの時か……」


 訳も分からない状況に堪らず逃げ出してしまった。あの事をイーヤは気にしていたらしい。


「ご、ごめん……知らない言葉で話しかけられて驚いたんだよ」


 申し訳ない。ただその気持ちで頭を下げるオレの頭に何が触れる。


「頭を上げてって言ってるよ、セイリア君」


 フーリエさんの言葉に頭を上げると、イーヤは右手を戻して微笑んでいた。まるで小動物のような可愛らしさにオレは思わず顔を反らしてしまう。


 ここでオレはあることに気が付いた。


「そういえばフーリエさんロシア語も分かるんですか?」


 イーヤが話した言葉をスティーブの通訳なしにオレに伝えてきたのを、頭を下げながらも分かったのだ。


 フーリエさんは星が満ちた空を仰ぐと、ぽつりと話し始めた。


「僕は父親がイギリス人、母親が日本人なんだ。父は世界で活躍するビジネスマンでね、たくさんの国を渡り歩いたものさ」


「リアルの事を話しても大丈夫なんですか?」


「そのくらいなら問題ないんじゃないかな? 僕的にはね」


 オレの質問にフーリエさんは頷く。


「そこで僕は新しく友達を増やしたくて、現地の言葉を必死に勉強したものだよ。それで日常会話なら問題なく話せるし、他の国に行ってもメールとかネット通話で言語力は維持できていた」


「何ヵ国語話せるんですか?」


 フーリエさんが指を折って数えていく。


「そうだね……五ヵ国語はいけるよ。日本語、英語、中国語、ロシア語、ドイツ語かな。日本語以外は日常生活程度だけど」


「うっそ……」


 フーリエさんの能力の高さに驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。そしてその語学力はオレと二人の外国人との間の通訳を完璧にこなしている。


「イーヤは初対面のオレに何か不信感とか無かったのか?」


『私たちの家に聞き耳を立てていたのは変だと思っていました。でも、顔を見てきっといい人だと思いましたよ』


「セイリア君って、人の家に聞き耳立ててたのかい?」


「うぐっ!?」


 そんなやり取りをしながらいつの間にか一時間が経っていた。お互いの事を色々と話すなかで、二人がすごくいい人なのは分かったし、向こうもこちらの事を分かってくれただろう。


 ここでイーヤが聞きたかったのか、少しの躊躇いの後に質問を投げ掛けられた。


『あなたたちは旅をしているんですよね?』


「そうだけど、それが?」


『私たちも旅をしたいです』


 彼女の言葉に何か力を感じ取れた。フーリエさんの通訳なしには意味は伝わらなくても、彼女の声から意思の強さは響いてきたのだ。


「どうして?」


 質問してみると、彼女は少しの逡巡の後にこう答えた。それを先に聞いて訳していたフーリエさんが目を見開く。


「まさか……」


「何を言ってるんですか?」


 呟くフーリエさんに意味をを問い詰めるも、その表情は硬いままだ。


「怒らないで聞いてくれるかい?」


「余程のことで無ければ……。何かあったんですか?」


 そんな前置きをするフーリエさんだが、それでもオレは聞く意思を示した。


『この町の領主さんは素晴らしい人です。すごく強いしプレイヤーの事を考えてくれます』


 少し言葉を詰まらせて続きを口にするフーリエさん。その言葉はオレに衝撃をもたらした。


『でも厳しすぎます。旅をしたい私たちを回復アイテムを作る仕事に縛り付けて、許してくれません……』


「そんな……セシリアさんが?」


 だがそんな雰囲気は感じていた。オレたちの前では優しく振る舞ってくれたが、あの凛々しさには正直厳しい人という印象も持ち合わせているようにも思える。


 一方のフーリエさんは得心いく様子で「ふむ……」と呟いた。


「セシリアはギルド内でも鬼軍曹って言われるほど規律に厳しい人なんだが、外に出る意思を示しているのに、無理にここまですることもないはずだが……」


 フーリエさんの知る彼女とは違うのだろうが、これが現実なのだろう。そしてイーヤは更に続けた。


『他にも初心者は全体的に生産の仕事をさせられていて、外でレベリングもできません』


「なるほど、そういうことか」


 オレも絶句していた。いくらなんでもやりすぎだと思っていたが、フーリエさんはなおも理解を示している。


「確かに僕たちがこの世界に来てから、この世界は何倍もの面積拡張をしている。その上デスペナルティーも上級者になるほど重くなってくるし、今は中級者のレベリングにかかりっきりなんだろうね」


 フーリエさんは分析してからオレに説明してくれるも、こうして意思のあるプレイヤー縛り付けるのはどうだろうか? そのような事をオレは疑問に思っていた。


「初心者も一緒にレベリングした方が人員確保には良いんじゃ?」


 オレの疑問にフーリエさんはかぶりを振る。


「回復アイテムは店売りの個数は制限がある。恐らくは万を越えるプレイヤーの大多数を占める中級者のレベリングをしたら、いくら回復アイテムがあっても足りないに違いない……」


「だから初心者に回復アイテムを作らせているんですか? そんなのって……」


「でもね、初心者まで面倒を見られるほどこのゲームは甘くは無いし、この方法が一番効率的なんだ。それに彼女なら中級者のレベリングが終われば、初心者まできちんとレベリングしてくれるはずだよ」


 セシリアさんが初心者を蔑ろにするとは思えない。でもオレにはどこか納得いかない感じがしていた。


 なんというか、自身が初心者のせいか贔屓目に見ているのかもしれないが、フーリエさんの言葉を理解するだけの判断に欠けていた。


「……ですよね?」


 ここは納得いかないにしても、話をこじらせるべきではないと察知したオレはこの場はとりあえず頷いておいた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 翌日。昨日とはうってかわって天気が崩れていたが、今日もフーリエさんとセシリアさんは色々と情報を交換している。


  初心者のオレにはついていけない話に疲れてしまい、執務室から退出して外の空気を吸っていた。


 ――あの子たち落ち込んでたなぁ……。


 あの後、二人が旅をしたいから連れていってくれと懇願していたが、セシリアさんと事を荒立てたく無かったフーリエさんはなんとか説得していた。


 結果二人はうなだれて帰っていく姿を見ると、どうにも心が痛かった。


「オレはこうして旅に出ているけど、あの子たちは外にも出られないのか……」


 憂鬱な気持ちのまま、オレはある場所に足を進めていた。


「セイリア!」


 イーヤとスティーブが駆け寄ってくる。昨日オレが迷った果てにたどり着いたあの家だった。


 オレの名前を呼んだイーヤたちは早速もてなしてくれた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 夕闇に沈む石畳の上、オレはとぼとぼと歩いていた。話が分からないが、あの家にいた六人は楽しそうに作業していた。


 昨日見たあの緑色の丸いものは【回復の丸薬】という最初等の回復アイテムだということが分かった。


 少しとはいえ、レベリングしているプレイヤーの足しになるであろうアイテムがこうした初心者たちに支えられてる事を知ることができたのだ。


「ほんと、この町はきちんとしているな……」


 昨日のあの子たちの思いをオレは助けてあげられない。そんな無力感も同時に抱えていた。


 でもこれが現実なのだ。みんな戸惑いながらも必死に頑張ってこの世界で生きているし、戦っている。


 そしてタウンホールでも皆が今後の事を話し合っているだろう。オレも皆のために強くなる努力を必死にしなければいけないのは当たり前だ。


「皆が力を合わせているんだな……」


 色々と思考を重ねてみるも、今のオレには答えが出せない。


 心の奥に抱える何かを分かることができないまま、オレは皆がいるタウンホールのセシリアさんの執務室へと戻っていった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「そうか……わかった。なるべく早めに頼む」


 オレを待っていたのはこの町を襲う危機の報告だった。執務室は何やら慌てた様子で、セシリアさんも部下からの報告を聞いては表情を歪めている。


「グレース……どうかしたのか?」


 近くでメニューを操作していたグレースに何があったのか訊ねる。すると彼女は何やら準備をしていたのか急いでいた様子だ。


「この町にモンスターが侵入したみたいなの。結構強いし、数も多い上に、対応できる中級者以上のプレイヤーのほとんどがレベリングの為に外に出ているらしくて……」


「いつの間にかそんな事態になっていたのか」


 オレも手助けをするために剣を装備しようとしたところでグレースが待ったをかける。


「君のレベルじゃ勝てない相手よ。せめてこの事態を街にいるプレイヤーに伝えてほしいの。セシリアさんもアナウンスしてるけど、避難に時間が掛かっているみたいだから」


「……そうだな。分かったよ」


「少し待ってくれ。すまないが君に頼みたい事がある」


 ドアから出たところでセシリアさんが顔を出して呼び止めてきた。


「……とりあえず言ってみてください。できるならやりますよ」


 そしてセシリアさんの作戦を聞いたオレはコートを翻して街へと駆け出す。外からはモンスターらしき叫び声がこだまし、夜を照らす街明かりが揺らめいていた。

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