140・さあ、とどめだ

「おい! こいつがいるぞ! まだ生きてる!」

 スファルさまが唐突に声を上げた。

 剣を向けて牽制している先には、リリア・カーティス。

 カスティエルさまの空間移動に巻き込まれて、私たちと一緒に来たのね。

 だけど、リリア・カーティスは怯えきった目で、足腰は震えて立てないでいる。

 私が力を吸収したことで、邪神ではなくなり、人間に戻っている。

 切り落とした右手は無くなったまま。

 元々の魔力なども全く感じられず、たぶん初級魔法すら使えなくなっている。

 今のリリア・カーティスは、普通の一般人とかわらない状態。

 さあ、こいつをどうする?

 破滅の剣ベルゼブブは私の手にある。

 力も邪神になる前よりも相当弱くなっている。

 でも、彼女が今までしてきたことを考えれば、生かしておくわけにはいかない。

 たとえ後で独断の私刑だと非難を受けることになっても、ここで禍根を断たなければ。

 私は業炎の剣ピュリファイアをリリア・カーティスに向けた。

「ま、待って。お願い、わたしの話を聞いて。あのね、全部、みんなの幸せのためにしていたことなの」

 リリア・カーティスは今までの事の弁明をし始めた。

 自分がみんなの幸せのために、どれだけ一生懸命頑張ったのかを。

 でも言い訳にしか聞こえなかった。

 いいえ、言い訳にすらならなかった。

 彼女は自分が悪いとは一分一厘たりとも考えていないし、思ってもいないし、感じてもいなかった。

 ただ、私がこう言うと思っている。

 わあ、えらいわね。

 みんなの幸せのためだったんだ、えらいわね。

 一生懸命頑張ったんだ、えらいわね。

 私は怒りを通り越して呆れかえってしまった。

 大義名分を振りかざして一生懸命頑張ったことにすれば、結果の事などどうでもいいのか。

 自分以外の考えを認めず、存在することも許さず、すべて害悪、犯罪ということにして、それで自分の考えを正しいことにすれば、それでいいのか。

 どんな最悪な結果にしても、ただ一生懸命頑張ったことにすれば、それで称賛されると思っているのか。

 そう思っている。

 彼女は自分が絶対的に正しいと思っている。

 その本質は、ヒロインの自分だけが、聖女の自分だけが、転生者の自分だけが、みんなを幸せにするというもので、他の誰かがみんなを幸せにすることを絶対に許さないということなのに。

 リリア・カーティスは私が沈黙していることに不安になってきたのか、話を変えてきた。

「ね、ねえ。あなたも転生者なんでしょ?

 だったら知ってるよね。気付いてるよね。ここはドキラブ魔法学園の、ゲームの世界で、私はヒロインで、聖女で、みんなを幸せにする運命なんだって。そういうシナリオなんだって。そう決まってるんだって。

 ね、ね、ねえ! 分かるよね!」

 そうだ。

 リリア・カーティスは転生者だ。

 そして世界と世界の狭間の時空を越える強い力を持つ魂だ。

 邪神はそれに目を付けて、リリア・カーティスを転生させた。

 なら邪神は、彼女を再び転生させるかもしれない。

 再びリリア・カーティスを邪神にしようと企むかもしれない。

 ここで殺しても、リリア・カーティスは来世で前世の記憶を取り戻し、同じことを繰り返すかもしれない。

 ならば、私がするべきこと、しなくてはいけないことは決まっている。

 二度とこんなことが起きないようにすること。

 その方法はただ一つ。

 たった一つ。

 一つだけ。



 リリア・カーティスを救うこと。



 ああ、そうか。

 そうだったんだ。

 私は理解した。

 カスティエルさまの言葉の本当の意味を。

 なぜ救うのは私でなければならないのか。

 そして、私に救って欲しい人間が誰なのか。

 ミサキチじゃなかったんだ。

 ミサキチの事は、助ける、と言った。

 でも救うとは言わなかった。

 では、私に救って欲しい人とは?

 それは私がこの世で最も嫌悪し憎悪する人間。

 目の前にいるこの女。

 リリア・カーティス。

 この女を。

 こんな人間を。

 この救いたくなどない人間を救わせる。

 カスティエルは、天使たちは、神々は、そんな事をさせるために、私をこの世界に転生させたのか。

 この女が私に何をしたのか。

 この女が私の家族に何をしたのか。

 この女がどれだけ多くの人を苦しめ死に追いやったのか。

 救いたくない。

 こんな人間の魂など、永遠に満たされない欲望にまみれて苦しんでいればいい。

 絶対に救いたくなどない。

 でも、そんな絶対に救いたくない人間を救わなければ、また同じことが繰り返されてしまう。

 こんな人間を救う。

 それだけが、惨劇を繰り返させない唯一の方法。

 私だけが阻止することができる。

 私にしかできない。

 この女は普通の人間である私にしか救えない。

 全てを許してしまう聖女には、この女を救うことはできない。

 リリア・カーティスの魂を救うことができるのは、同じ転生者であり、悪役令嬢である私しかいないのだ。

 なぜなら、吐き気をもよおす最もどす黒い邪悪なこの女を救う方法は、この女にとって最も残酷な嘘を告げることだから。

 絶望へと突き落とす嘘で、絶対に認めたくないことを、認めさせることだからだ。



「あなたはなにを言っているの?

 転生者だとか、ヒロインだとか、聖女だとか、そんな小説や演劇みたいな話し、現実に起こるわけないないじゃない」

 リリア・カーティスは私の言葉が理解できないように、呆けた表情をした。

「……え? だって、貴女、前世の記憶を持ってるんじゃ?」

「なんの話?」

「え? え? ぜ、前世よ。ほら、日本の記憶。貴女は前世で日本人で、それでドキラブ学園をやってて」

「ニホン? ドキラブ? なによそれ? それは貴女の空想の世界なの?」

 リリア・カーティスの顔に徐々に恐怖が現れ始めた。

 自分がこれまで心の奥底から信じこんでいた事が、全て崩れ去ろうとしているのだから。

 この女が、自分が転生者であることに疑問を持たなかった理由は、悪役令嬢もまた転生者であると思っていたから。

 それが違うのだと突き付けたらどうなるか。

「だ、だから、この世界はゲームの世界で、わたしはヒロインで、リオンたちは攻略対象で、それでゲーム通りに話が進んで、わたしがリオンたちを救って、それでみんなが私に愛を捧げて……」

「貴女がリオンたちを事前に調べて、リオンたちを虜にする方法を考えただけの話でしょう」

「……え? でも、貴女は悪役令嬢で、それで学園でわたしをいじめて、最後は殺そうとまでして……」

「全部、貴女が裏で仕組んだことじゃない。悪口も、階段から突き落された話も、植木鉢の事も、毒も、全部自作自演」

「わ、わたし、女神の神託を受けた……わたしは聖女なのよ……」

「その証拠は? 女神の神託を受けた所を見た人がいるの?」

「ロ、ローレス。ローレスがいるわ。あの人、私が神託を受けた所を見てる」

「貴女が殺した女の人の事でしょう。死んだ人にどうやって証言できるの? そもそも、その人、本当に貴女が神託を受けた所を見たの? 貴女、神託を受けたと思い込んでるだけじゃないの? 貴女が神託を受けた証拠はどこにあるの?」

「……あ? ……わ、わたし……みんなと一緒に、世界中を冒険して、歌姫になって、四天王をやっつけて、剣を集めて……」

「それで、貴女が思い描いていた通りの旅にはなった? 歌姫になれた? 四天王は倒した? 剣は集まった?」

「……わたし……魔王を倒して、世界を救うの……それで、それで、リオンたちと一緒にずっと幸せに暮らして……み、みんなを幸せにするの……リオンたちと……」

「リオンたちは全員、貴女が殺したじゃない。それが貴女の考えた脚本シナリオなの?」

「あ? え? あれ?」

 もう、自分が何を言っているのかさえ分からなくなっている。

 さあ、とどめだ。

「貴女、空想と現実の区別ついてないのね」



「……え?……あれ?……え?……」

 リリア・カーティスは、なにを疑問に思っているのか自分でもわからずに、疑念の声を呟き続けていた。

「……空想って?……え?……空想?……」

 そしてしばらくして、呆然とした顔で、

「……ぜ……全部……空想……だったの……」

 認めた。

 前世の事も、日本の事も、ゲームの事も、全て空想だと。 

「言い訳はもう終わり?」

「……あ……あ……」

 リリア・カーティスは思考力を失ったかのよう。

 私はバルザックに目を向けた。

「どうする? 魔王バルザック」

 バルザックは冷静に、

「ヴィラハドラ、誰か呼べ。その者を島から追い出すのだ」



 リリア・カーティスは殺されることなく、島からから追い出された。

 だけど、力を失った彼女が、人間の世界でもこの先一人で生きていくことができないのは、みんな分かっていたが、私も誰も興味を持たなかった。



 リリア・カーティスは魔物に大陸へ連行された。

 なにもない岸辺で彼女を船から放り出して、魔物達は引き上げて行く。

「ま、待って。置いてかないで。こんなところで一人にしないで」

 懇願するリリア・カーティスだが、誰も耳を貸さず、船は去っていく。

 リリア・カーティスは、これから先どうすればいいのか分からず、現在の状況にも対処できずに、その場でおろおろするだけ。

 しばらくして、丘の方から親切そうな魚釣りの老夫婦がやってきた。

「こんなところでどうしたんだい?」

「大変だ。怪我をしてるじゃないか」

「まあ、酷い。手を斬られている」

「早く手当てしないと」

「家においで。すぐそこだよ」

「温かくて美味しい食事も作ってあげる」

「それに服も必要だね。君が来ている服はとてもボロボロだ」

「さあ、おいで。私たちが助けてあげるから」

 そして二人は救いの手を差し伸べた。

 純粋な親切心からの、優しく温かい、救いの手を。



「イヤァアアアアア!!」



 リリア・カーティスは恐怖で逃げ出した。



 わたしはヒロインじゃなかった。

 わたしは聖女じゃなかった。

 わたしは女神じゃなかった。

 わたしは転生者じゃなかった。

 じゃあ、わたしはなに?

 わたしはいったいなんなの?

 わたしはなにをすればいいの?

 わたしはどこへ行けばいいの?

 わたしはどうすればいいの?

 誰が助けてくれるの?

 誰が敵なの?

 誰が味方なの?

 わからない。

 わからない

 わからないよぉ。

 リオン。ルーク。ジルド。ミューレン。

 助けて。

 助けてぇ。

 助けてよぉ。



 五日後、小さな村の近くで、若い女性の死体が発見された。

 その顔には、見た者の記憶に焼きつくほどの、絶望と恐怖に満ちていた。

 そして、彼女の身元が判明することはなかった。



「……これでいいですか?」

「うん。君の言葉は彼女の魂に刻み込まれた。これで彼女は救われた。

 彼女が邪神になることは二度と無く、邪神から神託を受けることも無く、輪廻転生を繰り返しても、平凡な魂として生まれて人生を歩むことができる」

 それは普通の人だということ。

 ただの普通の人間。

 世界の命運などといった重荷を背負うことなく、普通の人間として穏やかに普通に生きて行く。

 普通の人間にとってそれは救い。

 でも、それは彼女にとって絶望でしかない。

 彼女は今までずっと、自分が特別な存在だと思っていた。

 自分がなにをしても肯定されるはずだと思い込んでいたのは、ヒロインだと、聖女だと、転生者だと、そう思っていたから。

 だが、その奇跡の言葉はもう存在しない。

 これから先、何度生まれ変わろうとも、彼女は特別な存在にはなれない。

 普通の人間として、自分の自由な意思で、人生を選択して生きて行く。

 それは、選ばれた特別な存在であることをなによりも望んでいる彼女にとって、耐え難い苦痛。

 邪悪な人間にとって、救いとは、地獄でしかないのだから。

 彼女はこの先、なんど転生しても、その地獄の中を永遠に生きて行くことになる。

 なんど生まれ変わろうとも、未来永劫、彼女の地獄は続く。

 私は彼女を救った。

 そして彼女は自ら地獄に落ちた。

 永遠の地獄に。

「もう、僕の事をお兄さんと呼んでもらえることはないね」

「当然です。貴方の様な残酷な人を慕うような呼び方など、私は絶対にしません」

 最も救いたくない人間を救わなければならない心境を理解していながら、そして救うという事がどういうことなのか分かっていながら、それを私にやらせたのだから。

「そうだね。ゴメン。本当に申し訳なかった。

 そして、ありがとう。神々に代わり、そして天使を代表して、君に百億の感謝を捧げる」

 黒い天使は頭を下げて、謝罪と感謝を表した。

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