136・今回の事件の発端は
「なんとか、間に合ったみたいだね」
そこにいるのは、色白の肌をした、艶やかな長い黒髪に、光を反射しない深淵の闇のような瞳の、喪服のように黒い正装した男性。
その背に、漆黒の四枚二対の羽があった。
「カスティエルさま!」
「お兄さん。僕の事はお兄さんと呼んでくれると嬉しいな」
お願いする天使の笑顔にはいつもの有無を言わせぬ迫力がなかった。
なぜなら、その両腕が引き千切れていたから。
あの豪雨のように降り注ぐ電撃から、カスティエルさまは私たちを守り、そして両腕を犠牲にしたのだ。
カスティエルさまは、いつも一緒の白猫クキエルに聞く。
「彼女の様子は?」
倒れているミサキチの側にいるクキエルの眼がこう語っていた。
やはり、長くは持たないだろうな。
「長くは持たないって……ミサキチ!」
まだ息はあるけれど、生気がまるで感じられない。
破滅の剣ベルゼブブで魔力も生命力も根こそぎ奪われたんだ。
腰の小瓶に手をかけたところで、カスティエルさまが止める。
「無駄だよ。破滅の剣ベルゼブブで奪われた力は、魔法でも完全回復薬でも元に戻せない」
「でも少しは回復するかもしれません!」
「それはクキエルがするよ」
クキエルはミサキチの身体の上に乗ると、その背から純白の四枚二対の羽を広げ、ぼんやりとした光を灯し始めた。
邪神の光とはまるで違う、活力が湧いてきて、それでいて安らぐ、心が温かくなる光。
ミサキチの顔に少しだけど生気が戻った。
「これで、クキエルが力を使っている間は、彼女の生命を持たせることができる。
さあ、クレア君。君は自分の腕を治して、それから仲間たちの手当てをするんだ。時間がない。早くしないと手遅れになってしまう」
「手遅れ?」
「そうだよ。君は誰を助けるのか決めたはずだ。そして、今がその時だ」
私が助けたいと思った人。
魔王バルザック。
それは、ミサキチだった。
でも、今がその時って、カスティエルさまはこうなることを知っていたの?
私は自分の左腕を完全回復薬でくっつけると、ラーズさまの手当てをし、セルジオさまとキャシーさんはスファルさまを手当てした。
完全回復薬をカスティエルさまにも使おうとしたけど、カスティエルさまは断った。
「人間の作った回復薬は天使には効果がないんだ。大丈夫、血は止めたから。腕も人間と違って、しばらくすれば生えてくるよ」
そしてカスティエルさまは説明を始めた。
「今回の事件の発端は、
美徳を司る十二柱の神々と、悪徳を司る七柱の邪神。
この戦いは美徳を司る神々が優勢だった。
邪神は七柱。
神々は十二柱。
邪神の方が数が少ないよね。
そこで、数で勝る神々に対抗するため、邪神は新たな邪神を誕生させる計画を立て実行した。
世界と世界の時空の狭間を越えられるほどの強い力を持った、邪悪な魂を別の世界から召喚することで。
そして邪神は過去を書き加えた。
書き換えたんじゃない。
書き加えたんだ。
一度起きた過去を変えることは基本的にできない。
時間の流れと言うのは小説や絵本の様なもので、一度書かれてしまえば消すことはできない。
たとえ文章や絵を黒く塗りつぶしたとしても、その下には書かれていた物が変わらずに存在する。
一度起きてしまったことを消し、新たに変えることはできない。
歴史を書き換えることはできないんだ。
でも、書き加えることはできる。
文章と文章の間に文字を書き加える。
一度描かれた絵の中に、新たに絵を描く。
それならば邪神たちが総力を上げれば、可能なんだ」
まず七柱の邪神は、人間の力を増大させる方法を見つけた。
破滅の剣ベルゼブブ。
それをいかに利用するか。
そして一度起きた歴史を見直した。
破滅の剣ベルゼブブで効率よく力を吸収させるにはどうすればいいのか。
邪神に匹敵するまで力を増大させるにはどうすればいいのか。
都合の良いことに、人間と魔物の間で戦争が起ころうとしていた。
多くの生命が戦いに巻き込まれている状態。
それを利用すれば、破滅の剣ベルゼブブを活用させることができる。
そして戦いは、戦争が本格的に始まる前に、魔王の敗北で終わった。
元侯爵令嬢クリスティーナ・アーネストと仲間たちによって。
「クリスティーナ・アーネストはね、元々の歴史でも助かっていたんだよ」
オルドレン王国王太子の婚約者の座を掛けた戦いで、クリスティーナ・アーネストはリリア・カーティスに陥れられ、リオン王子に婚約破棄され、断罪された。
そして竜の谷で処刑執行されたが、生き延びていた。
その後、竜の谷で剣を探していたラーズと出会い、剣を求める旅を始めた。
剣の探索の旅の途中で仲間と出会い、そして魔王と戦う決意をする。
旅と戦いを通して魔王の真の目的を知り、そして和平会談に挑み、だが魔王は和平を拒絶し、戦いとなり、苦戦の末、クリスティーナ・アーネストと仲間は魔王を倒した。
「そこまでが一度目に起きた歴史だった。
ここから先の展開に邪神は目を付けた」
戦いに敗れた魔王を、破滅の剣ベルゼブブで刺し、その力を吸収するのは容易。
邪神はそのようになるよう仕向けた。
邪神はそこまで一度起きた歴史を、別の世界の人間の精神に送り込んだ。
その人間は、邪神に利用されているとも思わず、それをゲームという形にした。
それが、ドキドキラブラブ学園プラスマイナス・恋する乙女と運命の王子。
そして続編、ドキドキラブラブ学園プラスマイナス2・聖なる乙女と五人の勇者。
「続編の物語はね、元々はクリスティーナ・アーネストの歴史なんだよ。ゲームの製作者はそれをリリア・カーティスに変えた。邪神がそうなるように誘導した。
まあ、ちょっと面倒な事もあったみたいだけど。一作目が不評だったから、続編を別会社に作らせなければならなかったこととか。
というか、悪徳を司る邪神が送り込んだイメージで、真実の愛の物語を作るのは無理があるよね。出来上がったゲームの話を僕も聞いたけど、ご都合主義すぎてつまらないとしか思わなかったよ。
それで続編は事実のみを伝えて、後は製作者たちに任せたみたいだけど」
ともかく、そのゲームを好んだ人間の中から、世界と世界の時空の狭間を超えられるほどの、邪悪で強い魂を選び出す。
それをリリア・カーティスの魂と融合させる。
まだ胎児だった彼女に魂を入れ、融合させ、成長させ、悪の心と力を増幅させる。
なんでも都合よく進む、始めから攻略法を知っている学園生活。
すでに決まっていた選択肢を選んでいるだけだということに気付かず、自分の欲望のままに突き進む。
そして、全てが思い通りになった後、みんなを幸せにすると称して、自分の考えを強引に推し進めた。
その結果の事など考えない。
ヒロインのわたしがみんなを幸せにするために一生懸命頑張っている。
それが彼女の行いの全てを肯定する奇跡の言葉だった。
だが、今まで自分の思い通りになっていた事は、思い通りにならなくなる。
一度起きた歴史は変えられない。
一度目の歴史でもリリア・カーティスは同じようなことをしていた。
それが二度目のリリア・カーティスであっても結果は変わらない。
元々の考えや理由に、他の考えや理由が書き加わったとしても、結果は変わらない。
それでも自分に責任があるとは考えない。思わない。感じない。
旅に出ても、事前知識と違うのは、他人のせいにする。
主に悪役令嬢クリスティーナ・アーネストの責任に。
思い通りにならないことを、全て他人の責任にして、やりたい放題する。
絶対に正しい自分の思い通りにならないのは、他の人のせいなのだと。
そして、自分が絶対の正義と思い込んでいる、もっともドス黒い邪悪は、最終的に魔王の力を手に入れる。
その時、新たな邪神は誕生する。
「司る悪徳は、さしずめ独善といったところかな」
生贄となるのは、元は普通の人間だった魔王。
五百年前に偶然、世界と世界を渡り、魔物に転生した善良な魂は、やがて魔王となり、人間との和平を望んだ。
しかし、それは邪神の策略によって、崩れ去った。
勇者と名乗った者は、邪神崇拝者だった。
勇者シュナイダーは殺戮を好み、それを合法的に行うために魔物退治をしていたのであって、人間の事など考えていなかった。
魔王が人間との和平条約を結ぼうとした時、罠にはめて魔王を倒したのも、魔物を殺す楽しみがなくなるからだった。
そして、封印した魔王バルザックの目の前で、配下の魔物たちを虐殺した。
五百年後、復活した魔王は人間との和平など不可能と、世界征服を始めた。
それを止めようとしていたのが、悪役令嬢クリスティーナ・アーネスト。
竜の谷で処刑執行されたが、今のクレアと同じく助かり、その後、冒険者として世界を旅していた。
そして魔王と対決し、勝利を収めた。
「そこにリリア・カーティスが現れ、魔王バルザックに剣を突き刺して力を吸収し、八柱目の邪神となった」
全ては七柱の邪神が計画した、新たな邪神誕生計画だった。
「二度目の歴史のその先で、新たな邪神が誕生した。
これに対し美徳を司る神々は、邪神が創らせたゲームをした人間、それもなるべく魔王の近くの中から、善良で強い魂をこちらの世界に召喚することにしたんだ」
そして邪神と同じように過去を書き加えた。
クリスティーナ・アーネストの魂に、彼女の魂を融合させる。
そして元々の歴史と同じように学園生活を送り、陥れられ、断罪され、処刑執行され、しかし助かり、冒険の旅に出て、その旅の末に魔王に勝った。
そこにリリア・カーティスが現れ、魔王の力を吸収して邪神となった。
三度目の歴史でも、リリア・カーティスが邪神になることは変えられない。
歴史は書き換えられない。
「そう、今までの時間は変えることのできない、過去の時間だった。
だけど、ここから先は違う。
今、君の前には未知なる未来が広がっている。
未来は決まっていない。未来はいつだって無限の可能性に満ちている。
そして今、死にかけている君の大切な友達を助けられるのは、君だけだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます