10・今は女の命より

 竜の谷の河を下流に向かって抜けたところに、ちょっとした未開拓の森が広がっている。

 竜はその地域には生息しておらず、魔物もレベルの低いものしか出没しない。

 未開拓なのだから、当然 住人もいない。

 それなのに、小さな道が一本だけあり、森の中心の泉まで繋がっている。

 そして泉の脇に小屋がある。

 いつからあるのか、誰が建てたのかわからない小屋は、年季を感じさせるものの、造りはしっかりしており、雨漏りなどもない。

 その小屋の床下に、荷袋を隠しておいた。

「よかった、ありました」

 ここに来たのは荷袋を隠しに来た時だけで、それからは一度も来ることができなかった。

 まがりなりにも侯爵令嬢だった私には、長時間の単独行動は難しかったのだ。

 荷袋の中身をチェックする。

 一般的と言うには少々高級かもしれない旅装束は、これしか手に入らなかったからだ。

 屋敷の武器庫から勝手に拝借した、実用性重視の細剣レイピア短刀ナイフ

 淑女の嗜みとして、護身術の稽古は欠かさなかった。

 そして少ないながらも、これからの路銀。

「それに、これこれ」

 薬品瓶を荷袋から取り出す。

「なんだ、それは?」

 ラーズさまの問いに、私は上機嫌に答える。

「染髪剤です」

「髪を染めるのか?」

「はい、そうです」

「そうか。せっかく綺麗な銀色をしているのに、残念だ」

「しかたありません。私は逃亡中の身なのですから」

 そして私は短刀を鞘から抜くと、髪を肩のあたりで斬り落とす。

 腰まで届く銀の髪を一息に。

「な!?」

 ラーズさまは驚愕の声。

「どういたしました?」

「どうしたじゃない。何を考えているんだ? 髪は女の命だろう」

 髪を切った本人である私より、ショックを受けているようなラーズさま。

 確かに自慢の髪だけど、

「今は女の命より、本物の命です」

 答えながら、ロールも切り落とす。

 この特徴的なロールは特に危険だ。

 目撃されれば、それだけで私が生きている足取りになってしまう。

 生きているとリオンたちが知ったら、恋愛一色の脳みそお花畑のあいつらのことだ、絶対 私を捕まえて、なにがなんでも処刑しようとするだろう。

「これでよし。あとは、髪の色を変えれば……」

 土埃で汚れた髪を泉で洗うと、染髪剤で銀の髪を黒に染め上げる。

 これで特徴的な髪は誤魔化せた。

 次に石鹸でケバケバしい厚化粧を念入りに落とした。

 これ、皮膚が変な感じがするから、嫌だったのよね。

 水面に映る私は、別人のように印象が変わっていた。

「よーしよし。これで私だと一目で判る人は少ないはず」

 私は満足して、ラーズさまに聞いてみる。

「どうですか。先程の私と印象が変わったでしょう」

「……」

 ラーズさまからの返答はない。

 口を半開きにして、少しぼうっとしているような。

「ラーズさま、どういたしました?」

「……君は化粧をしないほうが……」

「え? あっ、もしかしてあまり変化がなかったでしょうか?」

「……え? ああ、いや……」

 ラーズさまは私から目を逸らすと、

「大丈夫だ。さっきの君とは別人の様だ」

 そう言うラーズさまは私を見ようとしない。

「あの、ちゃんと見ていただかないと分からないと思うのですが」

「いや、大丈夫だ。知人に見られても、君だと気付くことはないとは思う」

 そして小声で、

「危険が増したような気がするが」

「どういう意味ですか?」

「なんでもない。大丈夫だ。必ず俺が君を守るから」

 ラーズさまの様子がおかしい。

 何なの一体?

「いったい、どうしたというのですか?」

「なんでもない」

 本当にどうしたというのだろうか?



 その後、旅装束に着替えた私は、学園の制服を焼却処分した。

 私が生きている痕跡は残さないで置かなければ。

 そして小屋で丸一日寝て過ごした。

 竜の谷にいる間は、一睡もできなかったのだ。

 身体に疲労が溜まっているのを自覚していたし、十代の年齢で徹夜はきつい。

 ちょっと仮眠する程度のつもりが、眼を覚ましたら朝日を迎えていた。

 つまり丸一日 寝ていたということになる。

 まあ、こういうこともあるよね。

 ラーズさまも、竜の谷にいる間は竜と戦ってばかりいたせいか、なんだかんだで疲労が蓄積していたらしく、一緒に朝日を迎えることに。

 うん。

 いまさらだけど、これで夜中に目が覚めて、私がヒロインだったら、間違いなく間違いが起きていた。

「さて、これからどうしましょうか?」

 朝日に彩られた森を眺めながら、近くの果樹に生っていた果物を朝食にして、先のことを思案する。

 旅の荷袋が隠してあるのは後二個所。

 最初はどこに向かおうか。

「君が路銀を隠したという場所を早く回って、他の剣の所在地だ」

「慌てないでください。ヴィラハドラには勝てたからいいものの、これから先、都合良く進むとは思えません。ラーズさまは、まず仲間を探してみてはどうですか」

「仲間?」

「はい、旅の仲間パーティです。剣を求める旅を続けるのなら、これから先、一人で戦うのは負担が大きくなります。その重荷を軽くするのは、なんといっても旅の仲間ですよ」

 そして私から離れてほしい。

 あの女とくっついて世界を救ってください。

「俺に仲間など必要ない。一人でも十分だ」

 うーん、どうしよう?

 ここまでゲームと違ってくると、世界が魔王に支配されてしまうんじゃ。

 うん?

 ゲーム?

 そうだ、確かゲームでは、ラーズさまはアスカルト帝国から親善大使としてオルドレン王国に入るはずだ。

「あの、ラーズさま。あなたは親善大使としてオルドレン王国に入ったのではありませんか?」

 ラーズさまは怪訝な表情。

「いいや。俺は冒険者として剣を探す旅をしているだけだ。それに、武闘祭のことを知っているなら、俺がアスカルト帝国でどういう扱いを受けているのかも知っているだろう」

 忌子。

 闇の魔力を持っていたことで、その存在を忌避された皇子。

 確かに、そういった扱いの人物を、国の代表として送るなどおかしいかもしれない。

 少なくとも、ふさわしいと判断された人物を送るのが自然だ。

 あれ?

 ゲームと違う。

 ラーズさまの存在が、ミサキチが言っていた話と明らかに違う。

「どうしたんだ?」

 ゲームと違う。

 この世界はゲームの世界と似ているけど、明らかに違う。

 そうだ。

 どうして気付かなかったんだろう。

 ドキドキラブラブ魔法学園プラスマイナス・恋する乙女と運命の王子のストーリーは、表面上はゲーム通りに進んだように思える。

 でも、最初に私が前世の記憶を思い出した時から、ゲームの流れとは外れ始めていた。

 悪役令嬢であるはずの私は、障害としての役割を果たしていないのだから。

 そして、ヒロインであるリリア・カーティスも、転生者なのは間違いないだろうから、被害者であるはずの彼女の行動も、ゲームとは異なっている。

 むしろハーレムエンドを迎えるために、私を陥れた加害者だ。

 表面的には同じでも、裏では全く違う。

 じゃあ、これから先も、ゲームの流れとは違う?

 続編、ドキドキラブラブ魔法学園プラスマイナス2・聖なる乙女と五人の勇者のストーリーとは、どこまで違うの?

 ヴィラハドラは存在したし、その口から言葉にしていたことから魔王バルザックが存在するのも確かだ。

 でも、他の部分はどうなの?

 四天王は本当にゲーム通りなのだろうか?

 武器や防具、必要なアイテムは?

 それを手に入れるためのイベントは?

 魔王バルザックの封印は?

 そもそも、あの女、リリア・カーティスは世界を救うことができるの?

「大丈夫か? 顔色が悪いようだが」

「大丈夫です。ちょっと、考え事をしていまして」

 これは調べないと。

 ラーズさまには悪いけど、遠回りしてでも、真実を見極めないといけない。

 事は世界の命運がかかっている。

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