第二十話 冴える月

「いやしかし、こんなところで再会するとは思わなかったな」

「全くだ」

 こうして二人腰掛けて、茶を飲み団子を頬張るのはいつぶりだったか。

 久方振りに出会った月白つきしろは、かつてとなんら変わっていない。

 たしか年は同じ――正直言うと、一刀斎は自分の年を伝聞でしか理解していないが――であり、ならば三十路を折り返し、大年増は越えているはずである。

 しかしながら、娘盛りの美女達と遜色ない美貌をひたすら保っている。白く、顎の尖った細面ほそおもての顔はまるで繊月のようであり、その目は細く切れ長で、それでもまぶたの奥にあるひとみは丸く、慈しみの色に溢れている。

 そう清艶とした面立ちながら童女のように花咲く笑顔をするのだから、もはや魔性ましょうさえ感じる。

 これも収めた医術のたまものだろうか。白い打掛うちかけもどきを未だ羽織っているからには、当然医者を続けているのだろう。

「いまは大坂ここで医者をしているのか?」

「ああ、人が集まるところにこそ病や怪我はあるものだからね。それにここは舶来はくらいの薬種も集めやすい。ああして急いでいたのも大陸から船が来たと聞いて、珍しい薬でもないかと探しに行ったからで……っと、そういえば一刀斎はなぜ大坂に? 武者修行ついでに物見ものみ遊山ゆさんでもしに来たのか?」

「豊臣の将に剣を教えてくれと乞われてな」

「ごふっ!? げほっげほっ!」

 なにを驚いたのやら。月白は口に入れた団子を詰まらせたのか目を見開いて咳払いする。慌てて湯呑みをあおっていたが、飲み干していたのか顔を真上に向けている。

 一刀斎は呆れつつ、仕方なしにまだ半ばほど残っている自分の湯呑みを差し出した。

 月白は引ったくるように湯呑みを奪い飲み干して、額に浮かべた冷や汗を拭う。

「はあ!? 豊臣とよとみの朝臣あそんに仕官したのか!?」

「別に奴には仕えていない。いま言ったとおり羽柴藤吉郎の将に剣を教えて欲しいと乞われたから赴いたんだ。暇だったからな」

「本当に大丈夫なのかそれは……? 戦に担ぎ出されることになったりしないか?」

「そういえばそういう話は全くしていなかったな」

「はぁ~……全く、お前は……」

 月白は心底呆れたように、頭を押さえ込んでいる。

 額に這わせる白い指は細く長く、爪も綺麗に整えられている。

 憐れまるのはなんとも不服ではあるが、なにをするにもいろがつく月白のその仕草しぐさのせいでどうにも怒りは浮いてこない。

 それになにより、心配されていると思えば悪い気はしないものだ。

「その様子だと、お前は羽柴藤吉郎についてなにか知っているのか?」

「ああ、嫁になれと言われたことがある」

「は?」

 心の底から野太い声が出た。

 思い返せばあの猿顔、熱田の宮では巫女の舞に鼻の下を伸ばしていた記憶がある。どうやら羽柴藤吉郎、やはり相当な女好きらしい。

 とは言えど、こう見てくれは良い月白である。噂になれば、当然興味も持たれただろう。

「もちろん本人からではなく仲介した奴がいたが、当然断ったよ。仲介した奴も奴で気に食わなかったからな」

 月白が「もう一杯くれ」と湯呑みを掲げると、年嵩の女房が愛想良く急須を持ってくる。顔に皺が多いが、全てが笑い皺に見えるほどの満面の笑みである。

 追加の銭を貰ってより笑顔が深まったのは、商売人のさがだろうか。

 しかし月白のこの様子を見る限り、月白は羽柴藤吉郎、もとい豊臣朝臣を快く思っていないらしい。

 まあ、いきなり嫁になれと言われたら当然であろうが。

「ところで豊臣朝臣はともかく、今日は暇なのか?」

「ああ、剣を教える相手……大谷おおたに刑部ぎょうぶは城での仕事があるそうでな。稽古は正午を過ぎてからになる」

「なるほど、それまで街を見て回ろうって思っていたわけか。ならちょうど良いな」

 いったい何がちょうど良いのか。月白は貰った茶を飲み干して勢いよく立ち上がり、清艶とした頬笑みで一刀斎を見下ろした。

「ならば時間になるまで私が街を案内してやる。私もここに来てしばらく経つからな」

「それはありがたいが……」

「よし、ならば早速行こうか!」

 確かさっき、急いでいたと言っていたような気がするのだが。それを訊ねようとした途端にスタスタと歩き始めてしまった。

 なんとも忙しないと思ったがこの人混み、紛れられたらそのまま見失ってしまいかねないと、一刀斎も腰を上げ、「美味かったぞ」と店の中へと声を掛けつつ大股で月白を追い掛けた。


「……なるほど、「ちょうどいい」とはこういうことか」

 両手で抱え腹と胸に預けるほどの大荷物を抱えて、一刀斎はいつも以上に半眼として、前を行く月白を睨む。

「ああ、本当に助かったよ。京から持ってきた薬研やげんやらはちやらももうくたびれていたからな。薬種も買えてありがたいありがたい」

 そんなことも全く知らず、あるいは知りつつ受け流して、月白は足取りは軽快で、鼻歌まで歌っている。

 本当に年増かといたくなるほどの天真爛漫さである。あそこまで奔放で地に足付かぬ様子だと、もはや誰も寄りつかないだろう。

 ……とは思ったが。

「月白先生! 今日も綺麗やなあ!」

「ああ、ありがとう。そっちも顔色が良くてなにより。前の薬が効いたかな?」

「先生、先日はありがとーさん、うちの子すっかりよぉなりましたわ!」

「いやいや、夏風邪は長引くと辛いからね、よくなったなら幸いだ」

「月白さん、いい魚貰ったんやけどなんかええ料理あらしません?」

「昆布でとった出汁に入れて吸い物にするのが手っ取り早い。あとは垂れ味噌があればそれと酒で煮るのもいいな」

 すれ違う人という人、月白の方を向き親しみを込めて声を掛ける。どうやら医者としてだいぶ受け入れられているようではあるが……。

「いやあ……本当に別嬪べっぴんさんやなあ……」

「立って歩いとるだけやのに、なんでああ色っぽいんやろか……」

みやこ生まれやからかなあ……ホンマ雅なお人や」

 溜め息のように、感嘆の独り言を漏らす者共も少なくない。

 月白が雅やかであるかどうかは深く考える余地はあるが、打掛擬きを羽織りながら、背筋を伸ばして顎を引き、真っ直ぐ前を見る歩き姿はたしかに野暮ったくはないだろうが、のほうが合っているのではなかろうか。

「月白先生、その後ろに連れてるのは……」

「たまたま再会した旧い知り合いだよ。良い奴でな、頼むまでもなく重い荷物を持ってくれる」

 いや、頼まれたから持っているのだが。……いや、正しくは「これ任せた」と押し付けられるように渡されたのが積もり積もって「重い荷物」になっているのだが。

 これこの通りの厚かましさと図々しさもあるのだが、月白を知る者は誰も全く気にしていないらしい。

「ここの連中に、だいぶ好かれているようだな」

「うん、大坂の人々は気が大らかで付き合いやすい。京は京で華やいでいるが、こちらもこちらで賑やかでとても楽しいよ」

 街の人に向けた横顔は、眩いほどの笑顔である。

 まあ、月白ほどの佳人が笑顔を振りまき、そして病や怪我を癒しているのだ。それで好かれぬわけがない。

 だが――。

「苦しみを取り除き日々を楽しむ手伝いが出来るなら、それは至上の喜びだよ。出来る限りではあるがね」

「…………む?」

 そう語る顔は、さっきまでの頬笑みのまま。瑞々しさも宿る涼やかな面持ちである。しかしながらその声音は、笑顔と似た爽快とした夏風と言うには少し、冴えていて――――

「さて、そこを曲がれば大坂で構えている診療所がある。荷物持ちありがとう一刀斎」

「む、そうか」

 しかしながら、こちらに振り向き掛けられた言葉には、少しの冷たさも入っていない。残った違和感に腹の裏がゾワゾワとするが、疑念をおうにもきりが悪かった。

(落ち着いてからにするか……)

「どうした一刀斎、足を止めて」

「いや、考え事をしていた、行こうか」

 ……まあ、いま訊かずともいいだろう。

 自分もこの街には、しばらくいることになるのだから。

 月白と自分の縁は、どうやら容易く切れることはなさそうだから。

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