第十六話 石田治部と言う男

「ああ……治部、君、名乗らなかったのかい?」

「然りだ」

 キッパリと答える同僚に苦笑する優男やさおとこ

 友人であっても断断乎だんだんことした姿勢をまるで崩さず。もはやここまで来ると、鋼鉄の心構えは筋金すじがね入り。体は鋼で筋は鉄線で出来ている人形ではないかと思うほど。

 隣に座った友人――――一刀斎をここに呼び寄せた大谷おおたに刑部ぎょうぶと比べれば、まるで違う。

 大谷刑部と名乗った青年は面立ち柔らかで、絡繰のように鉄の冷たさを持つ石田いしだ治部じぶとはまるで違う。ただ笑んでいるだけで、春の泉のような温かさが溢れて出ている。武将、というよりは仏僧、それも尼僧のようにも感じる。

 相貌も雰囲気もまるきり相反する二人だが、なぜか二人並んでいると妙に据わりが良い。この二人に初めて会った一刀斎がそう思うのだから、この二人をよく知る者はいったいなんと思うのだろう。

「それで…………御身が?」

「はい。改めまして、私の求めに応じていただきありがとうございました」

「いや、おれも暇を持て余していたところだったからな……」

 そこでふと、背中に抱える二つの重みを思い出す。

 石田治部が羽柴はしば藤吉郎とうきちろう秀吉ひでよしの門であるならば、ちょうどいいだろう。

「これを。おれが厄介になっている神社から、世話になるなら土産の一つでも持って行けと託されたものだが」

 看板と一緒に包んでいた二振りの刀を、二人へと差し出す。

「これは、太刀か?」

「伝わる話によると、相州そうしゅう正宗まさむねの太刀らしい。御身らの主が正宗を好くと聞いた神社の主が持たせた」

「なんと、正宗ですか」

 大谷刑部は目を見開いて、興味深そうに太刀を見る。対して石田治部は、普段通りの鋭利な顔をしていた。

「……確かに殿下は正宗の作刀を愛でる趣味があります。しかし最近度が過ぎているところがあり、ご自制するように申し述べたばかりでして」

「む……」

 それはなんとも折が悪い。石田治部は上申した手前、これを羽柴藤吉郎のもとへと差し出すのは気が引けるだろう。

「申し訳ないが、これは引き取っていただきたく」

「ちょっと待ってくれ、治部。わざわざここまで持ってきて戴いたものを突き返すというのは、傲りが過ぎると見られかねない」

「然り、ではあるが」

 友人の言葉に、石田治部は太刀を柄から鞘先までゆっくりと見渡す。鞘先から折り返して、再び柄頭にまで目を戻して、鼻から多少の、息を漏らす。

「……では、一度預かり鑑定に出しましょう。ゆっくり鑑定させることにして、帰りは遅くし、あとは、なにか祝いごとがあるときに合わせて献上いたします」

「なるほど」

 ほとぼりが冷めるのを待ちつつ、ものを受け取るに相応しいときに献上する。妥当な判断だろう。あまりしたくないという口振りではあるが。

「それならば二振りもあることだ。片方は刑部殿に譲ろう。献上するにしても二振りは余分だろう」

「然りです」

 石田治部は堅物であるが、どうやら「道理にかなう」と判じたならば、さきのように詰問することはないらしい。またもや即座に、是と口にした。

「戴けるというのなら、喜んでいただきましょう。……ええ、喜んで」

 そう朗らかに微笑む大谷刑部は、表情からして根の善さが伝わってくる。やはり、こうして見る分にはおよそ武将とは思えない。

 それも、武を学ぼうとするのもなおのことである。外見や言葉からはあまり、武張った印象は受けない。

「ひとつ訊きたいのだが、なぜ刑部殿はおれに文を? 武芸者ならばわざわざ東国にいるおれなんぞを呼ばずとも、京や近隣にも腕が立つ者がいると思うが」

「ええ、実は私も、最初は京で名が立ち始めた兵法家に初めは教えを乞おうと思ったんです。しかしその方に、「ならばもっと良い者がいる」と、あなたを紹介されまして」

「む?」

 京で名が立つ兵法家が、わざわざ己を紹介する。妙な話ではあるが、大昔京で暴れていたとき、縁を結んだ武芸者の中で大成したものでもいたのだろうか。

 以前京にいたときは一刀斎を逆恨みする武芸者共にえらい目に合わされたが、なにも恨んでいる者たちばかりではなかったらしい。

「その後、あなた様についていろいろ調べさせていただきまして興味を持ち、頼んでみようと思いあの文を。場所について書かなかったのは、申し訳なく思います」

「その件については湯浅殿に理由を聞いている。問題ない」

 まさか、いきなり天下の城に案内されるとは思っていなかったが。仕事中ならば致し方有るまい。

「しかしそうまでして頼むとは、刑部殿は剣に興味でもあったのか?」

「ええ、私も天下人たる殿下の家臣ですので、たしかな腕を持たなければならないと思い至りまして。なので、武芸者に教えを乞おうと」

「いい心意気だな」

 天下人に相応しい臣下になろうという向上心は、見上げたものである。

 一刀斎はと言えば常に自分のことばかりであり、天下一の剣士を目指すのも自分がそうなりたいからであり、刑部のように誰かのために修めるとは、立派な心がけである。

「然りです。刑部は昔から勤勉でしたので。ひとつひとつ得意を増やす利発さがある」

「そういう治部殿は剣を習っているのか?」

「否です。自分わたしは武に全く才が無いので」

「…………そうか」

 またもやキッパリ、言い切った。

 刑部のように克服や習得を端から捨て去っている姿勢は諦観ていかんとも思えるが、断として口にする様は、ある意味でかなり肝が据わっている。

 鍛えているわけでもなくこの自信の溢れよう。一刀斎はこういう手合いを今まであまり見たことがない。

 鍛えが足りぬのに腕を自慢する無頼や、腕が足りぬことを羞じらい悔やみつつ遊び呆ける胆力が弱い者などは見てきたが、なるほどこれが能吏のうりと呼ばれる人の型なのだろう。そういう付き合いがないのだから、一刀斎の周りにいないのも当然のことであった。

「その様子だと、習うつもりもなさそうだな」

「然りです。先も言ったとおり、自分わたしには武の才能がありません。深く興味も持てません。槍を持った自分わたしが十人いたとして、一匹の猿に数分と持たず叩きのめされるのは間違いない」

 臆面もなく、己の弱さを羞じることなくありのまま口にする。このような堅物でも冗談を言うのかと一瞬思ったが、眉も頬もまるで緩んでいない。心の底からそう信じ、己を理解した上での言葉だというのが見て取れる。

「それに、自分わたしの役目は算盤そろばんを弾くこととまつりごとつつがなく行うことです。殿下に堺を任された以上、武を修める暇などもなく」

「堺……そういえば、刑部殿は文で堺について触れていたが」

「ええ、治部はいま堺を修める奉行をしていまして。私はその手伝いをしています」

「なんと」

 そうとなると、石田治部を見る目が相当に変わる。自分を弱いと言っておきながら、堂々胸を張っている理由がよく分かった。

 まだ二十歳そこらの若者が、この国の主要な街であろう堺を任されている。それだけで、この石田治部の能を悟ることが出来る。

 武がないことを誇らないのも当然である。武を誇るまでもなく、覚えるまでもなく、またないことを卑下することもないのは即ち、政務ほかに誇りを抱いているからなのだ。

 これが五助が言っていた、「文治派」の将たる者なのだろう。

「それに、武に関しては秀でた部下がいますので、戦働きについては全て彼等に任せます。出来ないことは、出来る者に任せた方がいい」

「なるほど、それもそうだ」

 石田治部。堅物で面白味はないが、なかなかどうして興味深い男である。

「――――では、自分わたしはこれにて。他にも仕事が残っておりますので」

「ああ、あまり根を詰めすぎないようにね」

「否だ。詰めねばならぬこともあるし、根を詰めているのは刑部も同じ。手伝いが頼んだ者よりも煩忙はんぼうすることなどあってはならん」

 言い捨てるように、石田治部は部屋を後にする。なかなか厳しい口振りではあるが、友人の刑部に対する慮りが少なからず含まれていた。

「なかなか愉快ゆかい御仁ごじんだな、御身おんみ同僚どうりょうは」

「そう言ってくださる方で良かった。治部はああいう人柄でしょう? なので、家中でも反感を買いやすいんです。たぶん、治部を好きな人より嫌いな人の方が多いかと」

 類は友を呼ぶ、とはこのことか。朗らかな顔をして厳しいことを言うのは、治部とそっくりである。とはいえ陰湿な陰口といった感じはせず、こざっぱりとした、友人に対する呆れと親しみを含んだ語調であった。

「内容はとかく、ああも明瞭に受け答えする者は話していて清々しい。好ましいな」

「……やはり、貴方様に頼んで正解だったようです。治部と親しくなれない方ならば、私もやりづらかったでしょうし」

 頬笑む刑部の様子を見れば、やはり刑部も石田治部に対して好感を抱いている側らしい。

 付き合いが長いのか、よほど呼吸が合うのか、中身や外見はまるで違っても二人は良き友らしかった。

「だがまあ、ああ忙しいとそうそう顔を合わせることもないだろうが」

「ああいえ、しばらく、何度も会うことになると思いますよ?」

 鼻から息を漏らした一刀斎だが、刑部は否と、即座に答えた。

 その意図を、穏やかな笑顔から読み解くことは出来なかったが。

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