第三十一話 理
「その剣に宿る熱を、典膳に見せてくれませんか」
圧倒的な才を持ちながら、武に対して熱意を持たない息子に対して悩む
「剣の腕を見せろ、ということか」
「それもありますが、私も剣を愛する者の端くれです。貴方様の剣に、技以上のものを見出しました」
顔を上げた土佐守の目は、一刀斎の握る
黒目に射す
「あなたの剣には心が乗っていた。素振り一つさえ作業ではなく、流儀に対する
「そうか。抜いて意味があるものには出来んだろうからな。そもそも、省き方がもう分からん」
称えられても一刀斎ははてと首を傾げるのみ。
剣とは
一刀斎はそう思い、そう成るように鍛え、そしていま、成っている
しかし不可思議げな一刀斎に対して、土佐守は首を振る。
「武に対して、そこまで常に
「……心か」
心を真っ直ぐと立てること。剣の肝要とは心で振ることにあると、師には何度も聞かされた。
心が感情を発するように、正しき心で剣を振るうこと。そうすれば剣は何よりも速く、何よりも堅く、なによりも強くなる。
「おれには、理想があってな」
奇しくもいまの典膳と、ほぼ同じ年の頃。武芸者や無頼がのさばる武の
その達人によって引き合わされた、遥か高く、果てなく広き蒼天。
入道雲が指し示し、蒼天が
「おれは、全てを斬り越える剣士となりたい。だが、全てとは、相対した敵のことでも、
形があるなら、神仏だろうと悪鬼だろうと、一刀斎は斬ってみせよう。神仏よりも悪鬼よりも、斬りがたいものがこの世には在る。
「目に見えず、実体もない、心さえをも断つ利剣を――――綺麗な剣を、手に入れたいのだ」
心を正しくする理由は唯一つ。
剣の技術を高めるのも、理想を手に入れるためのついでに過ぎない。
剣を愛する一人として、ついでを心底楽しんでいるのは当然だ。その上で一刀斎は、その喜楽だけを享受する気はさらさらない。
剣を学び、理想を追う。それこそが一刀斎の旅路である。
「綺麗な剣、ですか」
「ああ、
「ええ。そうなのでしょう。…………理想へと邁進し続け、得たその剣技。典膳も見れば、きっと何かを感じ取れると思うのです。改めて、お頼みしたい。あの子の胸に、いま一度火を灯してくれませんか」
あの頃出逢った二人より、自分は幾らか若い。だがしかし、典膳の年はあの頃の自分と変わりない。
ならば次は、己が導く番なのかも知れない。
頭を深く下げる土佐守に対して、答えは一つだけである。
「先も言ったとおりだ、神子上殿。おれは御身の熱意に感服しているし、子息の才が腐るのは惜しいと思っている。本当に剣の腕を見せるだけで良いのかは分からんが……それでも、やれる限りはやってみよう」
そしてそういう旅こそ、一刀斎の
(縁、か……)
ふと、「果たして」と思う。典膳には、その様な縁があったのだろうか。
剣と心が離れていくのは、その才故だけの話なのか――――。
典膳の朝が早いと聞いたのは、その直後のことであった。
一刀斎も朝早くに起きるのは苦ではない。なにせ早く起きようと心に決めていれば自然とその時に起きられる。もしかしたらこれも心で身体を動かす心法なのかもしれないなと、一刀斎は苦笑した。
「どうかいたしましたか?」
「いや、なんでもない」
どうやら見られていたらしい。口の端は一寸も上げていないつもりだったが、よく気付く才人だ。
それを剣の才に活かしてもいるのだろう。
「それにしてもなぜ、いきなり手合わせなど……」
向かい合う一刀斎と典膳の手には、両者ともに、中太刀寸の木刀が握られている。
その中太刀は典膳が持つにはやや長く、一刀斎が持つにはやや短い。
だがそれが遅れに繋がるかと言えば、それは否と言えるだろう。
なんせ両者の剣腕は、長さの違いで差が出るほどのものではない。
「典膳殿は仕合をしたことはあるか」
「立ち合い稽古がある程度です。仕合の出来る相手はいませんでした」
「そうか」
相手はいないと語る目は、全く揺れていなかった。
まるで真冬に、池に張った氷のような瞳である。だがその氷は、どこかひび割れているようにも見えた。
「しかし手合わせをしたとして、貴方様にはなにも得はないのでは?」
「剣を振るのに損得を考えたことがなくてな」
「それではまるで、理由も無く剣を振ることもあるような」
「そういうときもあるかもしれんな」
一刀斎は、常に理想の剣を追い求めている。心に、それは染みついているのだ。
だから常日頃、素振りするだけでも理想のために邁進しているとも言えるが、それが自然のこととなっているのなら、ある意味で理由なく振っているとも言えるかもしれない。
「だが、御身には得があるだろう」
「それは……」
天下一と噂される剣客、伊東一刀斎との立ち合い。剣を窮めようという気のなかった典膳にとって、それはあまり魅力的なものではない。
語る理屈も、抱く理念も、纏う理合も、思う理想も、まるで理解出来ない。眼前にいるのに全く理解することが出来ず、不気味ささえ感じていた。
得体の知れないこの剣客が放つ熱が、日射のように典膳を射貫く。
頭が
感覚の部類は、間違いなく不快であるはずなのに。それでもこの焼け付くような不快さを、どうしても手放すことが出来なかった。
この不快さをもたらす目の前の
差し伸べられたこの
「…………さて、言葉がそれで終わりなら、そろそろ始めるとしよう」
一刀斎は中太刀を構え、じっと典膳を見詰めている。
典膳は三、四度、口を開いては閉じを繰り返したが、五度目に開いた口からは、調息のための呼気が漏れ出た。
語る言葉がないかを探っていたのだろうが、きっと典膳の心は、「これ以上は何も無い」と断じていたのだろう。
典膳もまた、中太刀をすくと構える。
――「さあ、始めようか」と、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます