第十六話 両熱、佳境

 いくら追えども、いくら斬れども、己の刀はその修験者には届かなかった。

 まるで陽炎でも相手にしているかのようであり、返される薙刀が宿している熱は紙一重でかわせば火傷を負ってしまうと思うほど。

 人のいないみやの外れ、空いた隙間から草が伸びる石畳の上で対峙していかほどたったのか。

 高かった天日は未だに動かぬままだったが、体感としては日が暮れていてもおかしくないと思ったほど。

 しかしそれでも、天と修験者と二つの熱射を受けつつもなお、刀を振ることを止めなかった。

 ただ無心に、思うがままに、そして心の赴くままに、刀を振り続けた。

 そしてついに、その時が来た。

 修験者が薙刀を振り下ろすその瞬間、一筋見えた、いや、感じた線。

 無意識に、その線を刀でなぞっていた。そして、その一撃は――――。


 伝鬼房が他ならぬ立合中いま「かつて」を思い出したのは、この戦いがあのときの戦いと同じように薙刀と刀剣によるものだからだろう。

 その「かつて」と違うのは、扱う武器が逆になっていることである。

セェェェイ! フンッ!」

ヤァァァアアアア!!」

 あの頃の自分と同じように、一刀斎は我武者羅がむしゃらに、無心に刀を振り続けていた。本当に、かつての自分を見ているようである。

 かつての自分を見ているかのようであるから、対刀剣での薙刀の使い方は身に染みている。なぜなら伝鬼房の技は、伝鬼房自身が刀を握り、相対した修験者の薙刀より生まれた技なのだから。

ォオオオオリャァ!」

フンッ……!!」

ェエエエイ!」

「ック、ォオオオオオオ!!」

 一方一刀斎は、これほどの薙刀遣いと相対するのは初めてであった。いや、薙刀の相手をしたこと自体がそう多くない。槍と似ているようでいて、その操法はまるで異なる。元は同門だったはずの勘解由左衛門の槍と較べてもそれは明らかだ。

 山のような弧を描く軌道は、大きく見えて鋭く速く。かわそうにも柄を短く持たれてはしごかれ間合いを直されるか、あるいは手の内でひるがえして柄側で打ち据えてくるかも知れない。

 そして今のように受けを選んでも、気を抜けば木太刀は巻き取られてそのまま無防備にされかねない。

 果敢に攻め込んでいた先と違い、今は一刀斎が完全に後手に回っている。とはいえ例え攻めようとも、秤は僅かに伝鬼房の方へと傾いていてはなから押されているようなものである。ならば立ち合いの趨勢が五分ごぶ五分ごぶから四分しぶ六分ろくぶになったところで、大して変わりなどないだろうと割り切った。

 だがやはり、探り探りでその業を見抜き、対応するには伝鬼房は強すぎた。

 四分六分だった趨勢が、次第にその差を開いていく。

「どうした一刀斎! 二手目はこちらでいただいてしまおうか!?」

「ッゥ……!」

 草を刈り薙ぐような大薙一閃。寸でで後ろにんでかわすが、それでも伝鬼房の攻めは止むことはない。

 躱したはずの薙刀が、今度は胸元へと浮き上がってくる。そしてそのまま、一刀斎の喉へと木薙刀の穂が衝き撃たれる。

「ご、っが……!」

 体中から、汗が噴き出す。脳天が弾けたように焼き付く感覚が頭の中に広がっていく。景色は明滅を繰り返し、すぐ目の前のことさえも分からない。

 痛みの感覚が喉を支配しているせいで、呼吸が本当に喉を通ったのか感覚で認識できない。呼気と吸気が疎らになり、いつもは呼気と共に吐き出す体に粗熱あらねつが残ったまま。

 痛みに堪え、目を凝らし、睨み付けるように伝鬼房へと視線をやる一刀斎。霞んで揺らぐその目に伝鬼房は、ぼやけた人影程度にしか映らない。

 そしてその人影は、薙刀を引いて構えており、間違いなく、追撃の準備を整えている。いやもはや、追撃の用意は出来ている。

(まずい……!)

 薙刀が、弾かれたように弧を描く。あまりに速いその薙刀は、視界が霞む一刀斎にとって不可視の一撃と化している。

 目で見えなくても長く刃を交えていた故に、いったいどうなるのかは想像が付く。呼吸を整えるあいだに、その薙刀で脳天を打たれて終わるだろう。

 相手の力量は尋常でない。それに加えて技も冴え、そしてなにより今は目を封じられた。躱せる道理など――――

(――――いや、あるか)

「な、っにぃっ?」

「一刀斎殿……!?」

 一刀斎の取った行いに、伝鬼房の片眉が釣り上がる。横から一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそく、逃すことなく見ていた勘解由左衛門かげゆざえもんでさえなにが起きたか理解することができなかった。

 一刀斎の額目掛けて振り下ろされた薙刀は、一刀斎の体を、

 いや、とおけたわけではない。今まで通り、拍子に合わせて避けたに過ぎない。

 回避だけならば今も今まで見せていた。野生染みた恐るべき察知能力と目で、灼熱の日射が如き強さと、陽炎が如き自在の薙刀をかわしている。

 だがその動きは今までのそれよりも緩やかで、滑らかで、柔らかで、例えるならばそれは、風に揺れる炎のようであった。

 なにより奇っ怪であったのは、一刀斎が、、避けて見せたことだ。

「なっ」

ェエエエエエエエエエ!!」

「ごっぐぅ……!?」

 なにをしたのだと問おうとした瞬間、打ち放たれた担ぎ落とすような上段の打ち。

 伝鬼房は咄嗟に己と木太刀の間に己の木薙刀えものを差し込んだが、その圧と威力は並々ならず、槌で打たれる杭のように、地面に突き刺さるのではないかと思うほど。

 瞬間伝鬼房は「受ける」でなく「流す」に切り替え、身軽な脚で飛び退いた。お陰で野原に意味なく打たれる杭とならずに済む。

 距離だけでなく、機に於いても間を置くつもりなのか。都合一間いっけん離れただけでなく、半身になって薙刀を体の影に隠すように構えて動かない。

「――――…………スゥ」

 伝鬼房が動かないうちに、一刀斎は呼吸を取り戻す。霞んでいた視界は元に戻り、意識は色彩を取り戻して、生気に満ちた夏の景色がしかと見えるようになる。

 そしてその景色の中、遠くに引いた伝鬼房の姿を見て、一刀斎は下段に構えた。

 暑気しょきとどこおる風の吹かない原の中、肌を撫でる感覚に一刀斎の鼻がピクリと動いた。

 心の奥底に溶け込んで、脳で思う必要も無かったもの。鋭敏えいびんすぎて気が散りようになったからと、必要なときにのみ燃えればいいと、いつしか封じていた気配を読む生来から備えた能。

 相手の放つ気配を、感じ取る能力。

「…………見事なり。まるで霊験でも目撃したかのようであったぞ……!」

霊験そんなものより遥かに不便なものだよ」

 それで苦しめられたこともある。こうして役に立った以上、それが不幸だと嘆くつもりは微塵もないが。

 気配を読む能は心法の第一に通ずるもの。印牧かねまき自斎じさいの元で心法を学び、一十年ひとととせ費やしてようやく自在に操ることが出来るようになり、そも操らずとも、心王しんおうが自動で行うようにまで身に付けたものである。

 ただ、伝鬼房という絶群の達人を相手にするにはそれだけでは足りなかった。

 心が生み出す炎の形は、伝鬼房の薙刀に大して吹けば飛ぶようなものである。

 その程度の大きさでは、伝鬼房という武界ぶかいの頂点には足りない。

 だから自らつけたその枷を、一刀斎は外したのだ。心王の潜むこころを覆う、その火の形をより広げただぇ。

「だがしかし俺には…………だいぶ無理をしているように見受けられるが?」

「かもしれんな」

 ――――伝鬼房の指摘に、誤りはない。

 元より感じ取りすぎると、ととのえ抑えていたものなのだ。それが久方振りに、上限を解放させている。

 興奮、興味、歓喜、喜楽、挑戦、自尊、そしてなにより相手を、一刀斎を完膚無きまでに打ち倒したいという敵対心。

 伝鬼房が一刀斎へと向ける意識と感情が、大きな流れとなって一刀斎の身と精神を襲っている。

(あの頃はよくもまあ耐えていたものだ)

 意味が細かく分かるほどの察知をするのが久方振りなのが原因か、それとも伝鬼房あいてが抱く感情がよほど巨大なのが原因なのか。

 どちらにせよこの状態は、長く続けることができないということ。

 炎が大きければ大きいほど薪を大量に使うように、こころほのおを広げれば、その分心がついやされていく。

 故に。

「無理をしていると、己でも分かる。だからこの勝負」

 下段に構えていた木太刀を一刀斎は、そのまま大上段へと持ち上げる。

「そろそろ決着という奴を、付けさせて貰おうか!」

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