第十四話 活火激しく発し、旭日は天に昇る

シッ……!!」

 二本目が始まるまで、ほとんど間は置かなかった。

 先の一本と違って先手を取ったのは一刀斎であった。

 いきれる草を蒸れる土ごと踏み抜いて、およそ三間の距離を詰める。

「カカッ! これは痛快おもしろい!」

 薙刀を立てて構える伝鬼房だが、薙刀と相対した経験が少ない一刀斎は、それが意味するところを知らない。

 なにが来るのか警戒するのも大事ではあるがしかし、臆して一手遅れれば、なにが来ようとしまいであろう。

 ならば取る手は最初から一つのみ。

フンッッ!」

「むむっ!?」

 残り一間あるいは六尺、薙刀が持つ間合の真下で、一刀斎はより深く斬り込んだ。

 瞬間袈裟に振り下ろされた穂先を屈んで躱し、継ぐ足で地面を蹴りつけ身体を起こす。

 木の刀身が地面を摺りかねないほどの、下段も下段の低空から放たれたのは切り上げである。

 燃料ねんりょうを得て、瞬発的に立ち上る烈火れっかごとき撃剣。

 伝鬼房はたまらず一歩退き、それと同時に伸びきりかけた一刀斎のすねを狙ってきた。しかし一刀斎はそのあしりを、即座に返した木太刀で防ぐ。木太刀と木薙刀が触れれば即座に、一刀斎は木太刀を薙刀の柄を走らせ巻き上げた。

 二人の得物は互いの胸、正眼せいがんの位置まで浮き上がり、両者きっさきを相手の眉間につきつけている。

「ッ、ェエエエ!!」

ォオウ!!」

 そのまま競り合うことを拒み、互いに数歩退き仕切り直し。しかしまだ立ち合いは途切れておらず、二本目は続いている。

 退いた数歩を取り戻すように、二人共に野を踏み出した。

ェェェェェ!!」

雄々オオォォォォォオオオ!!」

 二人の戦意が得物えものに乗って、火花のようにはじる。互いの得物は木で出来ているはずなのに、鋼のように、火花が散っているかのようにも見えて、打ち付け合うたび鳴る乾いた音が、たきぎが割れるものにも聞こえる。

 一刀斎の剣は、まさしく燃え盛る炎である。一見静かに、だが本質は熾烈しれつに、苛烈かれつに、凄烈せいれつに、敵を斬り焦がす炎熱の士である。

 それに対して伝鬼房の薙刀は、確かに熱が乗っている。だが、しかし。

ァアアアイ!」

「ッグ、ゥン!!」

 一刀斎の剣のように、焼き付けるようなものではない。

 はだあぶるような、体の芯まで徹り刺さるような鋭い熱が宿っている。

 長物特有の上下左右に自在の刃筋はすじは目をくらませ、制しようにもすかされて、常に相手に迫っている。

 壮烈そうれつに、鮮烈せんれつに、目映まばゆひらめく直射の熱。

 一刀斎の剣が炎だというならば伝鬼房の薙刀は、伝鬼房が背負うその流名の通りのもの。

 天を行き、世を照らしてあぶる焦熱の星。

 伝鬼房の薙刀は、日輪の性を帯びている。

ァア!!」

セイッッッ」

 首狙いの突きを寸でで躱し、腕を狙って斬り付けるも打ち除けられる。

 腿狙いの払いを抑え込み、切り上げたところで翻された穂が肩口に迫り取りやめざるをおえなくなる。

 一刀斎も伝鬼房も、互いに一歩も引かない戦い振り。対応を一手間違えれば即座にしまうような危うい勝負がひたすら続く。

 烈しい勝負は五分と五分、立会人を務める勘解由左衛門かげゆざえもんにはそう見えた。そう、見えるはずなのだが。

(一刀斎殿の方が、押されている……?)

 五分と五分に見えようと、五分と五分だとことが出来なかった。

 両者ともに絶群ぜつぐん技倆ぎりょうを誇り、並ぶ者無き無双の武腕ぶわんを有している。

 異なる武と武の強弱など単純に測ることなど出来はしないし、勝敗を分けるのは技の出来などではない。強者と強者、二人が有する力量が勝負を決する。

 そういう意味では一刀斎と伝鬼房の力量は互角と言って良いだろう。どちらが勝つとも負けるとも、最後の瞬間まで容易たやすく判じることなど出来ようもない。

 だというのに勘解由左衛門の知覚識ちかくしきが想起するのは、という想念ものだった。

 そしてそれを感じ取っているのは、勘解由左衛門だけではない。

(これは……!)

 当の一刀斎も、勝敗それを感じていた。

 彼我ひがの技倆はほぼ互角。力量は小差もない。それは間違いない。他ならぬこころが告げている。

 同じように、こころが告げている。

 一刀斎と伝鬼房は決定的に「なにか」が違う。そしてその違いは、一刀斎と伝鬼房を明確に分けるものだろうことも理解出来た。

(だがこれは……)

 一刀斎は、両者を分ける「なにか」がなにかは分からない。

 しかしこの感覚、伝鬼房が振るう技の冴えの中にあるものに対して言い知れない既視感があった。

 間違いなく、身に覚えがある。

 剣を振るわせるのは武芸者のこころ。剣の冴えは魂の冴え。

 数多くの武芸者と相対ししのぎを削ってきたが、これほどまでに研ぎ澄まされた魂を持った者は、一刀斎が戦った中でも一人しかいない。

 頭上に広がる蒼天そうてんのような気配を纏った男。武を愛し、武をひたすらに突き詰めて、理を以て武を修め、「今世無双」とまで称されるに至ったけん窮極きゅうきょく

 柳生やぎゅう新左衛門しんざえもん宗厳むねとし

 斎藤さいとう主馬之助しゅめのすけこと井手いで伝鬼房でんきぼうこころには、彼の今世無双と同じものが宿っている――――!

ェエエエ!!」

「ぐ、ぬうっ……!!」

 打ち下ろされた一撃を十字に受けつつ、一刀斎は後ろに飛び退いた。

 あれが本当の薙刀であったなら――あちらが薙刀ならこちらも真剣でなければおかしいがそれはさておき――この木太刀は断ち分けられて、そのまま顔が左右に離れていただろう。

 だがしかし、今の得物は木太刀と木薙刀。「本物ならば」と考えたところで、本物ではない以上その道理に従う必要など無い。

ッッッ!!」

「ぬぬぅっ!?」

 獣のように身を屈め、空いた距離を即座に詰める。

 一呼吸する間もなく伝鬼房の懐へと入り込み、一刀斎は木太刀を振り上げた。

 しかし伝鬼房も見事である。目は驚嘆に見開かせていながらも、薙刀を振るってしかと対応してみせる。

 初めの一本と違い、二本目は長く、そして熱い。両者から放たれる熱気が熱風と成り、凪いだ野原をはしり抜ける。

 木で出来た二人の得物が、燃焼ねんしょうしかねないほどの灼熱の剣気。

 一撃一撃が必殺であり、さながら大粒の火の粉を撒き散らす大火炎が如き一刀斎と、ねっしてあぶるかのように、変幻自在に攻め立て力を削ぎ、機と見れば芯まで徹さんとする抉り貫く日輪光にちりんこうを放つ伝鬼房。

 両者の剣勢けんせいは止まるところを知らず、それどころか打ち合うほどに烈しさを増していく。この炎天下の空気がぬるく感じるほどの熱がこの場を支配している。

 活火烈しく発し、旭日は天に昇る。

 そう、二人の戦いは、炎と天日の戦いである。

 それは即ち、より高みにあり、より熱く燃える天日へと、追いすがるように火の手を上げる炎の様子そのものであった。

ォォォオオッッ!!」

ェエエエァアアアア!!」

 一刀斎が全霊を込めて振るう技が、一歩届かない。間合いを外され拍子が狂う。

 伝鬼房の身に迫ることはあろうとも、薙刀で距離を操られ、空振りするのは数十回を越えている。

 得物が持つ長さの差ではない、明確に見る事が出来ないなにかがとなって、一刀斎の剣を届かせない。

 技倆も力量も変わらない。しかしそれでも、こころが命じるままに動いても伝鬼房には届かない。

 かつて一刀斎が相対した最大の武芸者と同じ気配をこころは感じ取っている。

 ならば伝鬼房は、あの今世無双と共通するなにかがあるのだろう。

 柳生新左衛門と己の差が、伝鬼房と己の差に繋がろう。

(どれだ…………。あれか……!!)

 剣を振るのは魂に任せ、一刀斎はあの頃の己と柳生新左衛門。二人の間にあった、決定的な事件を探る。

 そしてその思い当りは、即座に拾えた。

 一刀斎と違い、柳生新左衛門は。新左衛門曰く、全ての人間が持つ、斬り越えるべきなにか。柳生新左衛門は天狗の形をしたその「なにか」を斬り捨ててなお残るものこそがその者の本質であるという。

 その柳生新左衛門は斬るべきものを斬ったことで、「斬る」という行いに興味が無くなり、「斬らない」を追究し続ける武芸者となっていた。

 魂にそれ以外が宿らないならば振るう技は飄々として、そして一撃の重みが増していく。

 伝鬼房の魂には迷いがない。だからこそ技は冴え、攻撃が鋭くなっていく。

 斬るべきものを斬った存在が、辿り着ける領域。

 一刀斎と伝鬼房の間にある差は、領域を分けるあちらとこちらの違いであった。

 ――――――だからこそ。

(面白い……!!)

 一刀斎は未だに己の斬るべきものを斬っておらず、斬るべきものがなんであるかも分かっていない。領域あちら側に行く手立てなどない。

 だがしかし、例えそうであろうとも、戦うのならば糧となる。

 相手は一度は相対した、今世無双と同じ資格を有する存在。

 相手にとって、不足なし!

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