第六話 月光は青く燃えている

 醫術處いじゅつどころ瑠璃光るりこうは、居間であっても薬の匂いがした。

 土間は奥まで続いていて、天井は高い。

 戸を入ってすぐにある、六畳ほどの診療しんりょう部屋べやの隣、居間いま一刀斎いっとうさい達三人はいた。

「まさか、一刀斎いっとうさいさんと月白つきしろ先生が、お知り合いだったなんて、世間は狭いですね」

 弾む声音こわね蓮芽はすめが笑い、一刀斎は「そうだな」と返す。

 目が見えず、布を目に当てている蓮芽には分からないが、一刀斎の口は気まずそうにキツく結ばれ、対する月白は――。

「ああ、そうだな。十五年ぶりぐらいになるかな。あの日から」

 不気味なくらい、満面の笑みを浮かべている。しかし一刀斎は見逃さない。

 眉尻まゆじりがピクリ、ピクリと時折ときおり動いているのを。

 月白は、かつて一刀斎が大和国やまとのくに柳生やぎゅう新左衛門しんざえもんのところにいたときに出逢った女だ。

 医者いしゃひじり曲直瀬まなせ道三どうさんめいであり、女だてらに「天下一の医者」を目指す発才者はっさいものだ。

「蓮芽は客前に顔を出さないはずだったが、どうして出逢ったんだ?」

き終えた後、一刀斎さんが部屋に寄られて……」

「なるほど、そうだったか」

 またピクリと、こめかみが動いた。

「いい音色ねいろだったからな。思わず吸い寄せられた」

 元より口下手な一刀斎。言い訳など出来ないし、聞かれもしていないことを正直に話す。

「あまり、お客様と話すことなかったので……それと、信頼できる方だとも、思ったので」

「それは確かだ。やはり見る目があるな蓮芽は」

 撫でるぞ、と一言添えた月白は蓮芽の頭を軽く撫でる。その姿は、まるで親しい姉妹しまいのようである。月白は睫毛の生えそろった切れ長な目を細め、慈しみを込めている。

「はい、つい、長い間お話してしまいました」

「一刀斎は口調はぶっきらぼうだが、一度乗るとよく喋る方だからな」

 頭を撫でながら、ニコリと笑う月白だが、一刀斎には一瞥もくべずなかなか含みのある言い方をする。

 人の心の色を探れる一刀斎だが、月白の心を感じ取ることをしない。

 なんだか、感じたが最後、恐ろしいものを観測る気がしてならないと感が告げている。

 一刀斎も度重なる決闘や立ち合いで多くの強敵と対峙し、並ならぬ意識の圧を感じたことがあるものの、月白が圧はそれらと並ぶほどである。

 久々の再会ながら、素直に手を取り語らう気持ちがなかなか起きない。

 妙な居心地の悪さを感じていると、蓮芽は袖で口元を隠す。

「ふわぁ……。あ、すみません、なんだか、眠気が……」

「いつもと異なる刺激を受けたからね、楽しいことも割りと疲れるものだよ。今日は、もう休むといい。布団も敷いてあるぞ」

「それは、ありがとうございます…………お言葉に甘えますね。先生、一刀斎さんも、お休みなさい。今日は、楽しかったです」

 ぺこり、と頭を下げた蓮芽は、奥の座敷へと慣れた手つきで入る。そこが蓮芽の部屋なのだろう。

「さて」

 一刀斎と共に、蓮芽の背中を見送った月白は、初めて一刀斎の方へと目を向ける。

 とうとう二人きりになってしまった。蓮芽を家に泊めてまで面倒を見ている月白である。きっと、昔馴染みだろうといい気分ではないだろう。

 いやむしろ、昔馴染みだからこそ、はらわたがどうなっているかが分からない。

「まあ、色々と話したいことはあるんだが……」

 立ち上がった月白は、掛けていた白い羽織をサッと着る。その羽織はあの時、打掛うちかけのように雑に羽織っていたのと同じものだ。

 相変わらず、どんな動きにでも色が付く女だ。脱ぐではなく、着るに色気が出る女などそういないだろう。

「……お前のことだ、宴会えんかいでは緊張してちゃんと飯を食べられなかったんじゃないか?」

 振り向いた月白の笑顔は、かつてのようにこざっぱりした清々しいもの。

 一刀斎と同い年と言っていたから、もう三十路は過ぎたはずなのにかつての清艶せいえんさはそのままだった。

「近くに、遅くまでやっている店がある。そこでなべでも食べよう」


 気付けばもう少しで年も変わる。晩秋ばんしゅうになる京の夜は、冬と変わらぬ寒さをしている。

 お陰でこい味噌みそなべが、倍々に美味く感じる。

「まさか、女遊びに微塵も興味がないだろう一刀斎が、遊女と遊び芸妓を口説くとはな」

「師匠に付き合わされただけだ」

 菜っ葉と鯉の身を纏めて食いながら、ニヤつく月白から目を逸らす。

 まだ徳利とっくり一本も開けていないにもかかわらず、その鼻の頭と頬がもう赤くなっていた。

「…………怒らないのか?」

「妹のように可愛がってる患者が懐いて連れてきた男が、初めて抱かれた男だったことにか?」

 分かっているなら聞かずとも良いだろうと、一刀斎は酒をあおる。

 そう言えば、初めて酒を飲んだときも、月白と一緒だった。そして奇しくも、その時と同じ秋の夜だ。違うのは場所と、月光のない暗い夜だということか。

「まあ、正直しょうじき言って内心ないしん穏やかではないけどね。まさかこのような形で再会するなんて、思ってもいなかったよ」

 野菜を小さい口で頬張り、「でも」、とそのまま言葉を続ける。

「私ももう大年増おおどしま女で小娘じゃない。男のことで気を荒立てるような歳ではない」

「お互い、年を取ったな。お前の見てくれは、なんら変わりないが」

「そういう一刀斎は、また剣士として成長したようだな。天下一も近いだろう。…………私と、違ってな」

 フッと笑った月白は何を思ったのか、猪口にも付けず徳利から酒を飲み干した。

 口の端から一筋こぼれた白濁とした酒は、一見してよだれと判別がつかない。

 そんなはしたない姿さえも、月白がすると品があるように錯覚する。

「…………なんで下京しもぎょうに? 曲直瀬まなせ殿どののところでの、修行は終わったのか?」

「十年とちょっと前だったかな。伯父上おじうえに無理やり婚姻こんいんさせられそうになってね。その時に夜逃げした。医学書を数十冊持ち出してやったよ」

 相変わらず、奔放とした女だ。あっけらかんとして笑う月白に釣られて、一刀斎は思わず頬笑む。

「下京に来たのは、医者が足りないだろうと思ったからだよ。人が集まるところには、病の種も集まるものだ。特に、京が落ち着いてから増えてきた遊女は不特定多数の客と絡む。だからか、病にかかりやすくてね。……人の不幸を、あきないにさせてもらっているよ」

「幸福にするのだから、武芸者おれよりはマシだろう」

 一刀斎は、自嘲じちょう気味ぎみに呟いた月白を励ます。

 自然と口をついた言葉だが、実際、医術は不幸な人間を幸せにするものなのだ。不幸を金の種にしていようと、それを卑下することはない。

「ありがとう。……伯父上のところを出て、いざ現場げんばに出てみると知識だけではなんともならないことが多くてね。勉強の日々だよ。……天下一の医者は、まだ遠いな」

 まだ遠いと語る月白、だがしかしその瞳に宿る光は鬱屈うっくつとしておらず、わずかながら光は残っている。

「……蓮芽の治療を初めて、何年になる?」

「私が瑠璃光るりこうを開いてから、ずっとだよ」

 一刀斎は思わず目を見開いた。開いてから、ということは、十年来の患者と言うことだ。

 にもかかわらず蓮芽は、今なお目を隠している。

「治るのか」

 思わずいた。

 月白は目を伏せて、額に手を当て、酒と鍋でぬくまった吐息を漏らす。

 その吐息には重たい心労が乗っており、青白く見えた。

「……蓮芽のあれは、業病ごうびょうたぐいだろう」

「業病…………だと?」

 業病。それは決して治せず、癒やせぬ病。

 前世ぜんせにおける悪業あくごうが世を隔てる呪毒じゅどくとなり、罹患りかんするといわれる病だ。

「……つまり蓮芽は、身に覚えのない呪いを受けて光を知らないというのか?」

 組んだ腕を握りしめ、奥歯をキツく噛みしめる。

 前世かつてがなんであろうとも、今を生きる蓮芽という女からは、微塵の悪意も感じなかった。

 その眼で世の暗さを見たことがない故か、少女のような純粋さすら心に留めている。

 目が見えないことをはかなみ、自らの姿をじながらもながらも、それでも捻くれることはなく、なおく生きている。

 だというのに、今の世で彼女は無垢の身であるはずなのに、なぜ彼女は光を奪われなければならないのか。

「ああ、全く惨い話だよ」

 月白が、その整った眉をひそめて吐き捨てる。

「かつての悪業がなんだという。なぜあの子が、今の世で報いなど受けなくちゃならない」

 薄い唇をキュッと結び、月白は肩を振るわせる。

 あの自由奔放で、のらりくらりとしながらも、聡明だった月白が、炎をその眼に宿した。

「……あの子と出会って、私は今一度いまいちど決心けっしんしたよ。三世さんぜに渡る病を治せるような、天下一の名医になると。……例え破戒はかいと言われようとも、苦しむ者がいて、助けることが出来るならば、私は力を尽くしたいんだよ」

 かつてただ輝くだけだった月は、己の使命をしかと定めた。

 燦然さんぜんと照りつける太陽と変わらない、煌々こうこうとした光を身に付けている。

「お前は、いい女になったな」

「何を今さら。私は前から、いい女だよ」

「一刀斎も知ってるだろう」と、さっきまで宿っていた力強さをスッと消して、一刀斎の知る、調子の良い態度に戻る。

 京に戻って、良かった。

 天下一を目指す同志おんなと、再び会うことが出来たのだから。

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