第六話 月光は青く燃えている
土間は奥まで続いていて、天井は高い。
戸を入ってすぐにある、六畳ほどの
「まさか、
弾む
目が見えず、布を目に当てている蓮芽には分からないが、一刀斎の口は気まずそうにキツく結ばれ、対する月白は――。
「ああ、そうだな。十五年ぶりぐらいになるかな。あの日から」
不気味なくらい、満面の笑みを浮かべている。しかし一刀斎は見逃さない。
月白は、かつて一刀斎が
「蓮芽は客前に顔を出さないはずだったが、どうして出逢ったんだ?」
「
「なるほど、そうだったか」
またピクリと、こめかみが動いた。
「いい
元より口下手な一刀斎。言い訳など出来ないし、聞かれもしていないことを正直に話す。
「あまり、お客様と話すことなかったので……それと、信頼できる方だとも、思ったので」
「それは確かだ。やはり見る目があるな蓮芽は」
撫でるぞ、と一言添えた月白は蓮芽の頭を軽く撫でる。その姿は、まるで親しい
「はい、つい、長い間お話してしまいました」
「一刀斎は口調はぶっきらぼうだが、一度乗るとよく喋る方だからな」
頭を撫でながら、ニコリと笑う月白だが、一刀斎には一瞥もくべずなかなか含みのある言い方をする。
人の心の色を探れる一刀斎だが、月白の心を感じ取ることをしない。
なんだか、感じたが最後、恐ろしいものを
一刀斎も度重なる決闘や立ち合いで多くの強敵と対峙し、並ならぬ意識の圧を感じたことがあるものの、月白が圧はそれらと並ぶほどである。
久々の再会ながら、素直に手を取り語らう気持ちがなかなか起きない。
妙な居心地の悪さを感じていると、蓮芽は袖で口元を隠す。
「ふわぁ……。あ、すみません、なんだか、眠気が……」
「いつもと異なる刺激を受けたからね、楽しいことも割りと疲れるものだよ。今日は、もう休むといい。布団も敷いてあるぞ」
「それは、ありがとうございます…………お言葉に甘えますね。先生、一刀斎さんも、お休みなさい。今日は、楽しかったです」
ぺこり、と頭を下げた蓮芽は、奥の座敷へと慣れた手つきで入る。そこが蓮芽の部屋なのだろう。
「さて」
一刀斎と共に、蓮芽の背中を見送った月白は、初めて一刀斎の方へと目を向ける。
とうとう二人きりになってしまった。蓮芽を家に泊めてまで面倒を見ている月白である。きっと、昔馴染みだろうといい気分ではないだろう。
いやむしろ、昔馴染みだからこそ、
「まあ、色々と話したいことはあるんだが……」
立ち上がった月白は、掛けていた白い羽織をサッと着る。その羽織はあの時、
相変わらず、どんな動きにでも色が付く女だ。脱ぐではなく、着るに色気が出る女などそういないだろう。
「……お前のことだ、
振り向いた月白の笑顔は、かつてのようにこざっぱりした清々しいもの。
一刀斎と同い年と言っていたから、もう三十路は過ぎたはずなのにかつての
「近くに、遅くまでやっている店がある。そこで
気付けばもう少しで年も変わる。
お陰で
「まさか、女遊びに微塵も興味がないだろう一刀斎が、遊女と遊び芸妓を口説くとはな」
「師匠に付き合わされただけだ」
菜っ葉と鯉の身を纏めて食いながら、ニヤつく月白から目を逸らす。
まだ
「…………怒らないのか?」
「妹のように可愛がってる患者が懐いて連れてきた男が、初めて抱かれた男だったことにか?」
分かっているなら聞かずとも良いだろうと、一刀斎は酒をあおる。
そう言えば、初めて酒を飲んだときも、月白と一緒だった。そして奇しくも、その時と同じ秋の夜だ。違うのは場所と、月光のない暗い夜だということか。
「まあ、
野菜を小さい口で頬張り、「でも」、とそのまま言葉を続ける。
「私ももう
「お互い、年を取ったな。お前の見てくれは、なんら変わりないが」
「そういう一刀斎は、また剣士として成長したようだな。天下一も近いだろう。…………私と、違ってな」
フッと笑った月白は何を思ったのか、猪口にも付けず徳利から酒を飲み干した。
口の端から一筋こぼれた白濁とした酒は、一見して
そんなはしたない姿さえも、月白がすると品があるように錯覚する。
「…………なんで
「十年とちょっと前だったかな。
相変わらず、奔放とした女だ。あっけらかんとして笑う月白に釣られて、一刀斎は思わず頬笑む。
「下京に来たのは、医者が足りないだろうと思ったからだよ。人が集まるところには、病の種も集まるものだ。特に、京が落ち着いてから増えてきた遊女は不特定多数の客と絡む。だからか、病に
「幸福にするのだから、
一刀斎は、
自然と口をついた言葉だが、実際、医術は不幸な人間を幸せにするものなのだ。不幸を金の種にしていようと、それを卑下することはない。
「ありがとう。……伯父上のところを出て、いざ
まだ遠いと語る月白、だがしかしその瞳に宿る光は
「……蓮芽の治療を初めて、何年になる?」
「私が
一刀斎は思わず目を見開いた。開いてから、ということは、十年来の患者と言うことだ。
にもかかわらず蓮芽は、今なお目を隠している。
「治るのか」
思わず
月白は目を伏せて、額に手を当て、酒と鍋で
その吐息には重たい心労が乗っており、青白く見えた。
「……蓮芽のあれは、
「業病…………だと?」
業病。それは決して治せず、癒やせぬ病。
「……つまり蓮芽は、身に覚えのない呪いを受けて光を知らないというのか?」
組んだ腕を握りしめ、奥歯をキツく噛みしめる。
その眼で世の暗さを見たことがない故か、少女のような純粋さすら心に留めている。
目が見えないことを
だというのに、今の世で彼女は無垢の身であるはずなのに、なぜ彼女は光を奪われなければならないのか。
「ああ、全く惨い話だよ」
月白が、その整った眉を
「かつての悪業がなんだという。なぜあの子が、今の世で報いなど受けなくちゃならない」
薄い唇をキュッと結び、月白は肩を振るわせる。
あの自由奔放で、のらりくらりとしながらも、聡明だった月白が、炎をその眼に宿した。
「……あの子と出会って、私は
かつてただ輝くだけだった月は、己の使命をしかと定めた。
「お前は、いい女になったな」
「何を今さら。私は前から、いい女だよ」
「一刀斎も知ってるだろう」と、さっきまで宿っていた力強さをスッと消して、一刀斎の知る、調子の良い態度に戻る。
京に戻って、良かった。
天下一を目指す
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