第十四話 そして夜は明ける

 積もりきった雪は溶けた。

 広がっていた暗雲は払われて、雪晴れの夜天やてんが開かれた。

 静寂しじま夜半よわには月影つきかげもない。

 澄み渡る世界こころに生まれる光はただ一つ。

 空を裂き割る流れ星。

 尋常じんじょうでない気魄きはくが、甚助じんすけさやうちから放たれている。

 しかし甚助からは、一切の意を感じない。あの鞘の中に、全ての想念は込めれていた。

 意を感じないからこそ、紛う事なき終結の一振りを撃つつもりなのだということが手に取るように察せられた。

 対して一刀斎いっとうさいは二、三歩退いた。

 甚助がいるのは白布いくさばきわ彼我ひが距離きょりはおよそ二丈いちじょう。ほぼはしはしである。

 刃挽き刀をゆったりと正眼に構え、音もなくひっそりと息を吸う。

 余った分を静かに吐き出して、うちねっした空気を手足の先までめぐらせた。

 術理じゅつりを、理合りあいべられた心王は、大きく燃え上がる。

 不要らぬものは削ぎ落とし、必要るものだけをまきにして。

 こころの炎は天高く、火の手が天を焦がすほどふくれあがる。

 みなぎたぎるその闘志とうしは、一方でいで澄み渡る。

 熾烈しれつに立ち上る炎に荒々しさはなく、みだ悪気あっけとはまるで無縁むえん

 心にあるのはただ一つ、「成」という一字のみ。

 ただ一つ、おのれが決めた意志さえあればいい。

 たった一つをすために、自分の持ちうる一切いっさい合切がっさいを注ぎ込め。

 たった一人をつために、自分の持ちうる一切いっさい合切がっさいを切り落とせ。

「…………――」

 意気いきぎ、心意しんいます。

 甚助がしまいの一振りを放つというならば、一刀斎もまた結びの一撃を出さねばならない。

 踏みしめた白布にしわる。大小の拇趾ぼしに込めた力を、地の底まで突き送る。

 二丈近い距離を、一息で駆け抜けるために。

 その場にいる人々もまた、戦いの終わりを感じ取る。

 乾いた冬の気に目玉の水気を取られても、構うものかと目を見張みはる。

 まだ幼く何も分からぬ喜七郎きしちろうも、わざくらべの終結しゅうけつを感じ取る。

 神秘しんぴ的な凛冽りんれつさをまとっていたやしろの空気は、気付けばあたたかく、爽快そうかいなものに変わっている。

 口の中に溢れた唾を、喜七郎はゴクリと飲み込む。

 ――瞬間。

「ッ――!!」

 足に溜めた力に、熱を乗せた気を打ち込む。石火を受けた火薬が炸裂さくれつするように、足裏あしうらが爆発した。

 白布ぶたい一閃いっせん引き裂くように足運びにみだれはなく、一条いちじょうほのおが駆け抜ける。

 全力を込め、全身を賭して、全霊を注ぎ、たった一つ、心王の想いが振るわれる。

ァアアアアアアアアアアア!!」

 絶叫ぜっきょうにも近い喊声かんせいが、熱風ねっぷうとなって境内けいだいに打ちひびく。

 中段に構えられていた刀は、かかげられて大上段だいじょうだん。一刀斎にとってごく自然、図らずも十年じゅうねん一剣いっけんみがつづけたもの。

 甚助が心血しんけつを注いできた抜刀ばっとうを繰り出すというのならば、一刀斎もまた、年月を掛けて身に染み込ませた唐竹からたけりを放つのみ。

 熱風を受けた甚助は、柄を握る手に思いを込めている。

 彼我ひが距離きょりは、もう四尺よんしゃくった。

ァアアアアアアアア!!」

ァッッッ!!」

 一刀斎が刀を振り下ろし、甚助が刀を抜き放つ。

 時を微塵みじんに切り分けても、無限むげんしょうまで刻んでも、その振りは、全くの同時。

 熱風放つ炎の斬撃と、夜天やてんを分かつ流星りゅうせいが混じり合う。

 ――故に、その決着は。

そこなったな」

「…………あやまったか」

 一刀斎の剣は甚助の頭の、甚助の剣は一刀斎の胸の、それぞれ三寸先で止まっている。

 身に触れかけたその刃は、刃元はもと刃元はもと、力が疾うに通り過ぎた場所。

 それもそのはず二人は共に、最後の一撃を放つ瞬間、更に一歩踏み込んでいた。

 お陰で二つの一撃は、どちらとも不発ふはつに終わる。

 ――――つまりは。

「…………熱田あつた神社じんじゃわざくらべ、神前しんぜん仕合じあい

 舞台の上から声が上がる。低く、凛と穏やかながらよく通る声。それは竹中たけなか半兵衛はんべえのもの。

「――あいちにて、決着しました!!」


「…………相討ちか」

不平ふへいはないな」

 半ば独り言のそのけに、甚助は答えない。

 見たままでは、平素へいそと変わらぬ無表情むひょうじょう

 だがしかしその奥歯ははげしく噛みしめられており、舌の先は、歯茎に強く押し当てられている。

「…………くやしくは、ないのか」

「悔しいな」

 やたら渇いた声音こわねたずねられ、一刀斎は即座そくざに返した。だが後に続いた言葉は、甚助が求めるものではない。

「決着を付けられなかったことではない。己の未熟みじゅくさが、だ」

「…………未熟?」

 言葉そのまま聞き直した甚助に、「ああ」と頷いた一刀斎は、そのまま言葉をつむぐ。

仕合しあい結果けっかに悔いはない。己の全てを叩き込んだものなのだ。それを悔いれば己を認めぬ事になる。――――気がはやり、踏み込んだのは心の未熟みじゅく。意地を通した末の過ちならば、受け入れねばならんだろう」

 己のつたなささえ、甘んじて受け入れねばならない。

 己を正しく、理解わからねばならない。

 なぜならば。

「心のよう意固地いこじになって否定ひていするのは、己を殺すと同じことだ」

 口からこぼれ出た言葉は、まるで揺れた灯火ともしびのようで。柔らかな熱が込められていた。

 恐らく一刀斎は、熱を入れたつもりなどはないのだろう。ただ本心ほんしんから、飾らず出した言葉に過ぎない。

 だがだからこそ、一刀斎の裡に燃える情熱じょうねつのまま、こころほのおからまろび出た火花となった。

 いつの間にか、舌は柔らかく巻かれている。奥歯だけに込められた力は、上下じょうげ十余じゅうよそれぞれに等しく分散ぶんさんされている。

 頭が妙に、すっきりんだ。

「…………最後、吾が振るった抜刀は軽かったか」

「食らってはいないから断言だんげんはできん。だが、流石さすが一閃いっせんだった」

「…………そうか」

 ふと空を見上げれば、青々とした冬空が広がっている。冴えた目に、鮮やかな青がって。

 心の夜にも、日が差したようにさえ思える。

「…………不思議なものだ。あの最後のぬきは、生涯しょうがいで最も軽かった。――だというのにあの抜は」

 夜明けの心がそうだと告げている。全身ぜんしんに巡るぬく血潮ちしおが、そうだとしかと刻み付ける。

「……――間違いなく、われ生涯いままでで最も、優れたものだった」


「ふわぁあ……」

 感嘆の声しか、漏れ出なかった。

 ほとばし剣閃けんせん剣閃けんせんを、幼い喜七郎きしちろうさばける事が出来なかった。

 両者の技倆ぎりょう破格はかくけたはずれであることさえ分からなかっただろう。

 喜七郎に分かった事はただ一つ。

 外他とだ一刀斎いっとうさい浅野あさの甚助じんすけの立ち合いは、かみほうじ年の終わりを飾るに相応ふさわしい撃剣げっけん仕合じあいであったということだけ。

「おぉぉ……!!」

 感嘆の言葉しか、上げられなかった。

 木下きのした藤吉郎とうきちろうは多くのいくさ参加さんかした。戦に武技ぶぎが役立つかどうかは分からない。しかし鍛え上げたその肉体からだ精神こころは、間違いなく役に立つ。

 更に言えばあのけんさばき。

 あの黒衣の偉丈夫いじょうふ槍衾やりぶすまさえ斬り越えて、騎馬きば武者むしゃさえも両断りょうだんしかねない。

 対するあの静かな男は、一振いっしん絶命ぜつめいの抜刀を放ち身も軽やか。急所狙いの澄んだ抜刀は、誰も避けることは叶わないだろう。

 あの両者りょうしゃが戦場に出て、一騎いっきちなどしようものなら、首塚くびづかがいくつ出来上がるだろう。

 あれは欲しい。思わず喉の奥が鳴った。

 だがしかし――――。

「外他、一刀斎……」

 はてさてその名、どこかで聞いたような…………。

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