第2章 溺れる香料

第1話 止まぬ電話と曽根崎案件

 曽根崎さんのスマホが鳴っている。しかし、それに応える者はいない。何故なら、持ち主は今、コンビニに出掛けているからだ。

 その原因は他でもない僕にある。あまりにも彼が外に出ないので、せめて数分でも太陽光を浴びられるようお使いを頼んだのだ。だけど、その流れで普通スマホを忘れるか?

 ――忘れるんだよなあ。そういう人だ、あの人は。


 さて、電話が鳴っている。


「……」


 かれこれ、十五分鳴っている。


「…………」


 いい加減、止めたい。

 っていうか、あのオッサンおっそいな!どこまで行ってんだ!南極!?

 腕を組んで少し考える。

 ――まあ、僕のせいでもあるっちゃあるし。

 そう決断すると、スマホに手を伸ばした。


「はい、もしもし――」


 しかしすぐに、電話に出たことを後悔することになる。

 通話ボタンを押すなり、向こうから耳をつんざくようなヒステリックな怒声が飛んできたのだ。


「ちょっとどんだけボクを待たせんのよ!!いい加減怒るわよ!?」


 ボク?

 ハスキーな女性声から出た耳慣れない一人称に面食らいながらも、対応する。


「すいません、今、曽根崎は外出しておりまして」

「ハァ!?」

「すぐ戻ってくるとは思うんですが」

「すぐっていつよ?何時何分何秒後?」

「わかりかねます…」

「つか、アナタ誰よ。知らない声ね」

「曽根崎の事務所でアルバイトをしている者です」

「あーそ。そんじゃま、アナタでいいわ。今日の15時に例の子連れて行くから、ちゃんと事務所にいなさいよってシンジに言っといて」

「15時ですね」

「そ。じゃあよろしくー」


 まあまあ一方的なやりとりの後、電話は切れた。ボク?シンジ?例の子?地味に多かった情報量に混乱していた僕は、ある事を思い出し慌ててスマホの画面を見る。


「……知り合いなら登録しとけよ……」


 ――名前を聞くのを忘れてた。

 初歩的なうっかりに、つい僕は肩を落としたのだった。







「柊ちゃんだな、そりゃ」


 ようやく帰ってきた曽根崎さんに事の一部始終を伝えると、彼は足をさすりながら答えた。


「しゅーちゃん?」

「うん」

「誰ですか」


 彼女か?いやでも、こんなオッサンに恋人なんて……。


「私がよく記事を寄稿してる雑誌の編集だよ」


 違った。

 オッサンは、何故か誇らしげにのたまう。


「私の表の顔は、オカルト専門のフリーライターだからな。そっちの仕事もちゃんとやってるんだぞ」

「それじゃあ用事って、締切の催促とかですか?」

「いや、今回は依頼だよ」

「依頼?」

「そうだ」


 曽根崎さんはまだ足をさすっている。なんでだよ。近所のコンビニまで徒歩3分だろ。

 僕の冷ややかな視線を物ともせず、彼は続ける。


「君の大学、最近人が死んだろ」


 まるで昨日の天気の話でもするかのような物言いに、少しぞくりとした。曽根崎さんは、足をさするのに夢中でこちらを見ようともしない。


「その死んだ人について、詳しく聞いたか?」

「いいえ、講義中に亡くなったとしか」

「そう。講義中に彼はいきなり立ち上がり、激しく喉を掻き毟り始めたかと思うと、ゴボゴボとあたかも水中で溺れるかのような発作を起こし、そのまま事切れた」

「……」

「当然、警察が介入した捜査が行われた。その結果、彼は哀れにも心臓発作で亡くなったのだ、と結論づけられた」


 ここでようやく、曽根崎さんは顔を上げた。


「しかし、本当は違う」

「違う?」

「死因だよ」


 彼は、自分の首に手を当て、絞めるような動作をする。


「彼の死因は、溺死だった」


 溺死、だと?

 だって、水などどこにもない環境だったではないか。思わぬ彼の発言に、身を乗り出した。


「水が無くても、溺れることなんてできるんですか?」

「普通ならできない」

「つまり、この件は普通じゃないと」

「警察もそう思ったから、忠助の所に話が来たんだろうな」


 忠助ーーー曽根崎さんの弟だ。警察官をしており、不可解な事件の解決を、時折曽根崎さんに依頼することがある。


「でも、私の仕事は怪異を無かったことにするものだ。今回の件には合わない」

「曽根崎さんは探偵ではないですからね。では、どうしてそんな話を僕にしたんですか?」

「うん、そこで話は今日の訪問者に戻る」


 曽根崎さんは壁にかかっている時計を見た。あと十分足らずで、約束の時間になる。


「依頼主の知人が、最近ヘビースモーカーになったんだと。見た事もない銘柄のその煙草は吸い方も独特らしく、煙を吸うばかりで吐くことをしない」

「はあ」

「それだけ聞くと嫌煙家の愚痴にも聞こえるが、どうもそうではないようだ」


 曽根崎さんは、今度は煙草を吸う仕草をした。


「ところで、死んだ学生の友人らに、最近彼に何か変わったことがないか尋ねたところ、皆口を揃えてある証言をした」

「皆?」

「そう。それは傍目に見ても余りに急で、意外な変化だった」


 ここまで言えばわかるだろう?と、曽根崎さんは想像上の煙草を僕に押し付ける。


「――今まで煙草の一本も吸わなかった彼が、突然ヘビースモーカーになった」

「……!」

「しかも、見たことのない銘柄の煙草ばかり吸っている。煙を吸うばかりで、吐く事をしない――」

「それって」

「だが、警察はその証言に疑問を抱いた。何故なら、彼の持ち物、家、果ては肺の中まで煙草を吸っていた痕跡が無かったからだ」

「……」

「どうだ?私向けの案件だろう」


 曽根崎さんは、泣きそうな顔をしている。多分、本人は皮肉な笑顔を作りたかったのだろう。だが、感情表現が壊れているこの人は、それができない事が多々ある。

 それに気づいているのかいないのか、彼はソファーから立ち上がった。


「さあ、この怪異を綺麗さっぱり無き者にしてやろうではないか」


 掃除人は、そう言って僕に笑いかける。実際は泣き顔が少し歪んだだけのものだったが、それでも、僕はしっかりと頷き返したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます