第160話  嘘と真実


 



 イズファヤート王が目の前にいる。

 夥しい人々の上に君臨し、人間世界の過半以上を手にしている男。

 どれだけ道化師の芸を見たところで笑わない男。

 数えきれないほどの人間を殺している男。

 子供を地獄に追い詰める男。


 無表情とは違う。

 あらゆる人間を器物として見つめる、冷たい視線を向けてくる。


 イズファヤートに荒々しい粗野さなど欠片も無い。

 絶対的な風格の奥、完璧なまでに洗練された暴力を意識させる。

 それをして王の威厳と呼ぶことが出来るだろう。

 

 アベルはランバニアと共に王へと近づく。

 歓喜なのか恐怖なのか、体が震えている。

 飢えるほど殺したかった。


――殺してやる!


 背後にヒエラルク。

 それから魔術師のサレム・モーガンが部屋の隅にいた。

 

 万が一にも襲撃は成功しない。

 自分だけが殺されてイズファヤートは生き残る。

 最悪の結末。


 それだけは我慢ならなかった。

 だから犬の真似をしなければならなかった。

 畏まった態度で頭を下げる。

 そして、王が口を開くのを待つ。


 道化師パパラムの演技は続けられている。

 腕を鳥のようにバタつかせ、おどけた調子で回転したかと思えば、次は綺麗にトンボ返りをやってみせた。

 さらに手品。


 懐から玉を取り出して、お手玉を始める。

 わざと下手糞にやって、しかし、絶妙に玉を落とさない。

 扱う玉はどんどん増えていき、三個が六個、そして、十個。

 パパラムは大げさに慌てた顔をして、手を忙しなく動かし、最後には足でも玉を蹴り上げて、ついに一つも落とさずに懐に取り戻した。

 

 演技を終えたパパラムは恭しく頭を垂れ、王の前から引き下がる。

 イズファヤートは、やはり少しも笑わなかった。

 道化師の見世物を見るのは王の儀式であるからそうしている、他に理由など無いというような様子だった。


 沈黙していた王はランバニアに視線を移し、偶然アベルに気が付いたという仕草で、顔を動かした。

 そして、言う。


「予はお前を憶えている。ランバニアの下僕を勤めておるようだな」


 イズファヤート王に憶えていると語りかけられたら、涙を流す者も珍しくないだろう。

 本来なら、引見が許されただけで至上の幸福と感謝しなければならない奴隷である。


 それが顔まで記憶される。

 涙は出なかったが、冷や汗は流れてきた。

 暴君などという言葉でも、まるで説明のつかない王に憶えて貰ったからと何を喜ぶべきか。


「大王様に憶えていただき光栄です」


 やっとのことで、それだけ絞り出した。

 意味のない薄っぺらいお世辞が限界だった。


「ちょうどいい。戦場の様子を聞きたいと思うておる。語ってみよ」

「私は騎兵でしたので、最前線のことしかお伝え出来ませんが」

「それが聞きたい」


 意図不明なままアベルはケルク市郊外で行った騎馬突撃のことなどを口にする。

 なぜ、こんな要求をするのか必死に考えるが、さっぱり分からない。


 例えば謁見の際に首を刎ねられ殺されたナバルジャンという元将軍。

 彼は弁明する機会を与えられていた。

 一通り話だけは聞くという特徴がイズファヤートにはあるわけだ。

 

 とはいえ人の数にも入らぬ奴隷一匹、普通なら会話もしない。

 王とは玉座にあるもので、だからこそ限られた高貴な者としか意思疎通はしないのだ。

 そんなことは常識というより、人の世の理であった。

 やはりイズファヤートは異常だった。


 戦話は何度もしてきたので、どうにか喋ることが出来た。

 エイダリューエ家に滞在していた時、知らない人からせがまれた経験が役に立つ。

 語りつつ、懸命に王や周囲を観察した。

 はっきりしているのは、ここに仲間はいない、ということ。

 およそ無害な道化のパパラムを除けば、敵に囲まれていた。


 どれほど控えめに見たところで、絶体絶命だった。

 何か、途轍もなく悪い予感しかしない。 

 

 必死に舌を回した。

 寒波の中、馬を操り、原野を突き抜けて移動したこと。

 焚火は敵に見つかるため、火すら熾さず夜中の吹雪に耐えたこと。

 凍ったパンを口の中で溶かしながら食べつつ進んだ。

 そして、倍する敵へ命を捨てての奇襲攻撃。

 手ごわい皇帝国の騎士を討ち取った。


 全て本当のことだ。

 派手な脚色はいらない。

 こうしてアベルが話をすると、聞く者は誰しも食い入るようになった。

 別に説明が上手いつもりはないが、興奮や感嘆と共に称賛してくる者ばかりだった。


 イズファヤート王は、いつもの通りだった。

 静かに耳を傾ける。

 それだけだ。

 侮蔑も感心もない。

 

 空振り、酷い疲労感がある。

 話し終えてアベルが黙ると、しばらくしてイズファヤート王は一つだけ頷き、口を開いた。

 

「ガイアケロンとハーディア。お前から見て、どう思うか」


 迷わず答えた。


「私の知る限り、最高の武将です」

「ヒエラルクなども似たような報告を寄こしてくる。戦場では、そうなのかもしれぬ。では、合戦以外はどうであるか。予は一つの報せを聞いた。心して答えよ」


 アベルは頷くほか、何も出来ない。


「冬の間、ガイアケロンとハーディアは領地の視察をしたな」


 頭を殴られたような驚き。

 忍耐力を振り絞って感情を隠した。


 テオ皇子との秘密会合。

 あのとき、領内の視察をするという名目で軍団を離れた。

 僅か五十騎だけの供。

 それすら途中で理由を付けて少しずつ分離させ、最後は二十人に満たない数で湿地帯に入り込んだのだ。


 何度も何度も、尾行されていないか警戒した。

 そして、あの遺跡に立ち入ったのはガイアケロンとハーディア、それにオーツェルだけだ。

 他の者たちは人質にしたノアルトを見かけはしただろうが、その正体は伏せられていた。

 ガイアケロンの親衛隊にすら黙って行われた会合。

 

――ばれているはずがない!

  ばれるわけがない!


 必死に自分を叱咤する。

 鼓舞する。

 千切れそうになる心を縫い留めた。

  

「その冬の視察、お前は同行したか」


 嘘を言えば、なぜか露見する気がした。


「はい……。確かにお供させていただきました」

「どこを、どう進んだ」

「旧ハイワンド領の北部でした。あそこは北に行けば行くほどに山岳が険しくなり、人が少なくなります」

「どうして、そのような辺鄙な地域をわざわざ視察したのか。そこが知りたい」


 イズファヤート王の昏い眼がアベルを覗き込んできた。

 普通じゃなかった。

 心を細かく切り分けられるような刃物より禍々しい視線。

 

 嘘を吐け。

 ごまかせ。

 ダメだ、ばれる。

 嘘を見抜かれる。

 

 反する思いが衝突する。

 声を絞る。


「……作戦行動だったと思っています」

「どのようなものであろうか」

「これは想像ですが、ガイアケロン様は皇帝国への奇襲攻撃を探っておられるのではないかと」

「それで北部山脈か。山脈を越え、亜人界を犯し、その後は西に進む……。

 とはいえ亜人どもは縄張り意識が強く外部の者を容易に信用しない。しかも、巨大な湿地帯があると聞く。その湿地帯へは行かなかったのか」


 アベルは唾を飲み込んだ。

 イズファヤート王は疑っているのだ。 

 下手な嘘は後で帳尻が合わなくなる。

 何か隠していると感じ取られたら……想像を絶する拷問が待っている。 


「湿地帯へは……行きました」

「ほう。どうであった」

「ひ、酷い地域でした。見渡す限り泥濘で、うっかり踏み入れますと泥に足が取られて身動きすらままならず。実は言うと……私はそこで大軍が進めるような地形が無いか探せと命じられたのです」


 イズファヤート王は青い瞳に、濃厚な興味の色を乗せて頷く。


「小舟を借りてまでして広く探したのですが……どこにもそれらしき場所はありませんでした。そこで調査は終わりました」

「なるほど。それ以後はどうだ」

「分かりません。私は調べていません」


 イズファヤートは知っていた。

 間違いない。

 何をどうやって知ったのかは分からないが、ガイアケロンとハーディアがあの冬、密かに湿地帯へ向かったことを。

 その上、それを教えずに質問してきた。

 下手すれば直ぐに嘘は破綻する。


「その調査、予やヒエラルクにも秘密で行われていた。なぜだ」

「……。知る者が増えるほど露見してしまう恐れがあるから……ではないでしょうか。皇帝国に狙いを察知されては元も子もありません」


 アベルの瞳から視線を逸らさずにイズファヤートが頷いた。


「それで予にも秘されていたのか。あやつらは頻繁に報告書を送って来るが、時々書き漏らしがあるようだ」


 アベルは沈黙し、俯く。

 もう喋らない方がいい。

 どうか、このまま見逃してくれ。


「予の奴隷アベルよ」

「はい」

「お前はガイアケロンとハーディアを良く知るな」

「素晴らしい武将であると知っております」


 初めてイズファヤートが僅かに笑った。

 その滅多にない変化に背筋は粟立つ。


「お前は、その素晴らしい武将をあっさりと見限ったな。お前は、そういう男だ」


 裏切ったわけじゃない!

 そうしなければ、あそこで終わりだった。

 ガイアケロンとハーディアは俺を助けようと我を失っていた。

 だから……。

 喉から出そうになる言葉を飲み込んだ。


「それは……、私は大王様のもとで戦士として働くのが夢でした。そう、私は戦士ですから」

「嘘のようにも聞こえるが」


 アベルは、おのれの立っている足場がグニャリと歪んだような気がした。

 嘘と見抜かれた。

 ランバニアが言っていた。

 嘘なんか吐いても無駄だと。

 パパラムは教えてくれた。

 王様に嘘を吐いたら殺されると……。


 今日が死ぬ日なのか。

 覚悟はしていたつもりだった。

 それでも悔しさと憤怒で身が引き裂かれるようだ。


 最後に一太刀でもと飢えた心は叫ぶ。

 刀すら失っていた。

 せめて獣のように牙があれば噛みついている。

 いや、いっそのこと……今からイズファヤートの首筋に。


 震えて俯くアベルに、王が続けて語り掛けてきた。


「だが、失敗したとはいえ、あそこまで腕を斬れる者の心意気。信じたくもなる。予はこう思うぞ。戦士などというものは、戦い、敵を殺し、奪い取る。これが全てだ。

 飢えた狼のごとく振舞うは、悪い行いと思わぬ。努力も出来ない輩よりお前の方が正しい」


 これほど憎んでいるはずのイズファヤートから正しいと肯定され、不思議な快感があった。

 王という超絶的な器に呑み込まれそうだった。

 イズファヤートが冷たい視線のまま、言葉を続けた。


「気を悪くするな。予はガイアケロンに限らず他の王子王女も同じように気にかけておる。それだけでなく主たる武将も然り。讒言が正しいのか間違っているのか見抜くのに、この予とて苦労しておる。あのリキメルめも、何度となくガイアケロンは協力しないとか手紙を寄越してきたものだ。となれば空白期間に何を行っていたのか調べねばならぬ」

 

 アベルの中に湧き上がる怒り。

 どうしようもなく姑息な王子。

 そのくせ、ガイアケロンに縋ってきた。

 そして、最後は破滅した。 


「騎兵から最前線の事情が聞けて満足であるぞ。ところで、そこのヒエラルクがお前を気に入っておる。くれと、せがまれておってな」


 アベルの顔は引き攣った。

 ヒエラルクが欲しがっているだと?

 戦いに狂った剣聖が。


 思わず慌ててランバニアを見てしまった。

 この腹の底が読めない強かな王女が都合よく動いてくれるなどと馬鹿げてはいたが。

 すると、予想外だが王女はトパーズのような瞳に力を入れて小さく頷き返してきた。


「父王様。この奴隷は、わたくしも気に入っています。どうか、わたくしにこそ下賜してくださるようお願いします。どうせ、こちらの剣豪殿では虐め回して、すぐに壊してしまうでしょう。惜しいことです」

「お前まで欲しがるか。人手不足も極まるものよ。だが、ヒエラルクも良く働く。今日のところは奴に貸してやるとする。地下迷宮の巡検を望んでおる」


 ランバニアは黙ってしまった。

 表情を消して頭を下げる。

 どうやら呼び出された件が終わったらしく、イズファヤートが手で退室を命じる。

 アベルは足取りも重く、歩む。


 身も心もバラバラになりそうだった。

 なんとかイズファヤートの追及を躱したが、今度はヒエラルクだ。

 しかも、なんだ。

 地下がどうしたとか……。

 悪い予感が加速する。


 部屋を出たところでランバニアが鋭い口調でヒエラルクに言う。


「また質の悪い遊びをしているのね。地下迷宮などと。あんな得体の知れない魔獣の住処、どうして好むのか理解できないわ」

「男は何歳になっても冒険が楽しいものでしてな」

「貴方の場合は戦いと殺戮が好きなだけでしょう……。さぁ奴隷アベル。父王様のご命令ですから、今日はこれからヒエラルクに付き合ってあげなさい。終わったら、わたくしの元へ帰って来ること。剣聖殿も引き留めたりしないでくださるかしら」

「はははは。拙者もそこまで無理強いはしませぬぞ」

「どうかしら。じゃあね、アベル。死なないで帰って来なさい」

「あっ……」


 内心、かなり不機嫌だったらしいランバニアは素早く踵を返して去っていく。

 後にはヒエラルクと魔術師サレム・モーガンが残るのみ。

 パパラムはアベルへ小さく手を振って、陽気な歌を口ずさみながらどこかへ居なくなる。

 

 アベルは本当に危ういところ、ぎりぎりで逃げ延びた衝撃を必死に隠す。

 汗で体が冷たい。

 膝が震えていた。

 そして、相変わらずヒエラルクは不気味に見詰めてきていた……。



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