第157話  午餐にて





 アベルはランバニアの斜め後ろに付き従う。

 執務室を離れ、廊下を歩いていくと、やがて緑の葉と青空が見えてきた。

 宮殿を出たところ、中庭と呼ぶのかも分からないような広く趣のある空間。


 数え切れないほどの、おびただしい薔薇が咲き乱れていた。

 滴るような花弁を満開にさせた赤い薔薇、深い艶のある黒色の薔薇などが重たげに咲き誇る。

 王宮の庭は、比類なき花園だった。

 ここより美しい庭園は世界広しと言えども他にないだろうと思わせるのに充分だった。


 濃厚な甘い花の香りがした。

 どうにか冷静さを保っているアベルの鼻腔へ、匂いが立ち込めて来た。

 世界で最も冷酷残忍な王の庭にしては心地よすぎると……そう感じる。

 もう何年も前から感じて来た大きな疑問が、再びアベルの心に過る。

 

――イズファヤート王……どんな男なんだろうか。

 

 アベルは王の背中を凝視する。

 ただの歩き方ひとつに性格や、武術の心得が滲み出るものだ。

 何か情報が得られないかと、必死に見た。

 

 緩やかで悠然とした歩み方。

 意外なことに、反り返ったような傲慢さはどこにもない。

 落ち着ていた。

 王の風格としか言いようがなかった。 


 嗜みとして剣術はある程度できるのだろうか……だが、ガイアケロンの父親であることを考えれば、もしかすると相当に強いのかも知れない。

 魔法が使えるかどうか、それも不明だった。


 アベルは王の心を見透かそうとするものの、底知れないばかりだ。

 一つ感じるのは、ただ単に冷酷なだけの王ではない、そういう気がする。

 手段を選ばないのには理由があるからだろうか。

 例えば絶対に叶えたい野心、もしくは信念があるから……。


 やはりイズファヤート王は、世界で最も危険な男だ。

 ディド・ズマや王族たち、将兵を操り、巨大な軍団を作り上げ、戦争を押し進めて膨大な人間を苦しめ、殺している。

 言うなれば、もはや人間を超えて怪物の中の怪物。

 真に殺すに値する男だ。


 イズファヤート王は七人の護衛に囲まれていた。

 そして、その後ろを歩くランバニア、ヤザン、ナビド、シャーディーという家臣たち。

 さらに御付きの奴隷たち。


 アベルは想像してみる。

 怒りに任せ、魔力を限界まで振り絞れば、雷や炎を嵐のように出現させ、この美しい花園一面、全て破壊できるだろう。

 王の周りに侍っている連中ぐらいなら、まとめて消し炭にできる。


 しかし、イズファヤート王を殺せなければ意味は無いのだ。

 五分五分以下の賭け。

 だが、もう二度とこんな機会は無いかもしれない。

 心の天秤は揺れ動く。


 ふと、どうしたことか亡き師であるヨルグの声が蘇る。

 怒りや恐怖を飼い慣らせ。

 強くなって、いつかイースを超えてみせろ。

 あの男は、そう言っていた。

 それは自分の技術が、敵わなかったイースを超えるという妄念によるのだろうけれども。

 

 逆にイースは怒りについて言及したことがない。

 なぜなら、本人がそれを感じないからだ。

 感じなければ当然、他人に教えることが出来ない。

 そんなことを思い出していたら、少し冷静になって来た。

 



 中庭の先に大理石で造られた別棟があり、イズファヤート王はそこへ入っていく。

 中は広間になっていて、大きな食卓が幾つも並んでいる。

 どうやら食事を摂るためだけに使われる建物らしい。

 一同を見渡せる上座、そこへイズファヤート王は腰を落ち着けた。


 家臣の席は決まっているらしく各々、座る。

 当然、奴隷に席があるはずもなく、アベルのような者は主人の斜め後ろに立ち控えることになった。


 アベルに見覚えのある人物がいる。

 王宮軍団の長、ラベ・タル将軍。

 王に絶対忠誠を誓い、手足のごとく動く男。

 謁見の時、あの酷い鈍らな短剣を渡してきた。

 汚い罠の実行者だ。


 ラべ・タルは五十歳位の容貌で、頑固そうな顔をしている。

 髭など生やしているが、どことなく将軍と呼ぶには威厳がまるで足りない。

 例えばガイアケロンなどとは比べ物にもならない雰囲気だ。


 そのあと、さらに別に何組もの家臣がやってきて、残る席を埋めていった。 

 儀典執行官のナビドが若い男を伴っている。

 その男は頭に金冠を被っていた。

 冠など、よほどの身分でなければ出来ないはずである。

 アベルが疑問に思って見ていると、男が畏まった態度でイズファヤート王へ挨拶する。


「謁見に続き、こうして午餐にお招きいただくとはこのプラセム・マカダン、感激の至りでございます」


 イズファヤート王は鷹揚に頷いた。


「プラセム王子よ。宮廷の料理を味わってほしい。この宴は貴殿のために設けたものである」


 マカダン藩国の血族らしいとアベルは気が付く。

 その横顔を見ると、品が良いとは言えず、別段の風格もない。

 身の丈に合わない、いじけた尊大さを感じる。


 ふと、音楽が聞こえて来た。

 十人ほどの楽隊が広間に入ってくる。

 大小の笛を吹き、太鼓が鳴らされ、弦楽器リュートを弾き鳴らす。

 軽妙なリズムに合わせて道化師が、ふざけた踊りをしてみせた。


 道化師は十代後半ほどの少女だった。

 赤や黄色の派手な衣装を着て、だが化粧はしていない。

 悪ふざけ極まることに藁で編まれた粗末な冠を頭に載せている。

 宝石の代わりに胡桃の実が付けてあった。


 その少女の道化は楽曲に合わせ、身振り手振りを見せつつ、豚や驢馬の鳴き声を真似てみせた。

 明るく剽軽ひょうきんな調子で思わずアベルは笑ってしまうほど上手かった。

 

 軽快で、おどけた踊りが続く。

 やがて道化の鳴き真似は、美しい歌声へと変化していき演奏と調和する。

 イズファヤート王は冷たい顔のまま芸を見つめている。


 少女道化の声は、澄んで耳に心地よい。

 なるほど、宮廷で披露するだけある技芸の持ち主だった。

 途轍もなく冷酷な王に、抜けるほど明るい演戯という奇妙な光景。


 やがて演奏は終わり、道化や演奏者たちが王と家臣たちに首を垂れる。

 ランバニアなどは小さく拍手をしているが、イズファヤート王は終始表情ひとつ変えなかった。


 アベルは薄ら寒くなってくる。

 どう見てもイズファヤート王は楽曲を楽しんでいない。

 まるで気乗りしない遊戯に付き合っている、というような……。

 しかし、王が命じた見世物に違いない。

 

 今度は召使いたちが金銀の皿を捧げ持ち、素早く料理を並べていく。

 大皿や鍋には湯気を立てた肉や魚の珍味が山盛りになっていた。

 演奏で間を持たせている隙に準備が進められていたらしい。


 これまで世界中を旅してきて、多様な料理を見てきたつもりだが、王の食卓に並んだものは最も豪華なものだった。

 張りのある新鮮な果実。

 数十種類の香辛料で作られたソースが大きな肉にかけられている。

 別の皿には海老や雲丹、珍しい貝が殻ごと飾り付けられていた。


 やがて、おもむろに王自身がナイフや匙を使って肉料理やスープを取り分けると、奴隷に指示して全てプラセム王子やランバニアなど同席する廷臣たちに配らせた。

 王が合図をすると、やっと皆で食べ出す。


 廷臣たちは皿に盛られた料理を美味そうに食べ、味や食材の珍しさを激賞する。

 次々と現れる食べ物で卓が埋め尽くされていった。

 幾皿もの料理が胃袋へと消えていくが、なにしろ量が多いので、いくらか食べ残しのある皿が出てきた。

 主人が背後の奴隷に合図をするとその皿は下げられる。

 奴隷たちは嬉しそうに残り物を手掴みで食べる。


 食べ残しとはいえ、王のために厳選された山海の食材を口に出来るのは役得というか、破格の幸運と言っても過言ではない。

 王都の貧民であれば、間違いなく生涯一度も口に出来ない御馳走だ。

 

 午餐はそうして進行していくが、ランバニアはどうするのかと思って見ていると、僅かに一匙ほど食べたかどうかでアベルに合図した。

 乳白色のスープが入った皿を下げるように指示する。

 そうして教えてくれた。


「特別な餌で育てた牝豚がいるのよ。その豚の乳房を牛乳で煮た料理です。とても高級なものですよ。食べてごらんなさい」


 アベルが立ったまま口にしてみると溶けるように柔らかく、意外とあっさりして上品な味わいだった。 

 次の皿もランバニアはほんの一口、慎まし気に摘まんだだけで皿を渡す。 


紅鶴フラミンゴの舌、孔雀の肉の取り合わせ。最も高級な鳥料理です。裕福な貴族でも数年に一度ほどしかお目にかかれません」


 エイダリューエの晩餐会でも出てこなかった高級食材らしい。

 ランバニアは食べ飽きているのか、口に合わないのか、そんな料理をほぼ手つかずでアベルへ回してくる。

 奴隷の仕事というのが、これのことかと不思議な気分だ。


 絶妙な味わいの宮廷料理に思いもかけずありついていたが、アベルの意識は嫌でもイズファヤート王に向いていく。

 様子を伺っていると、王もまた、あまり料理を食べていないことに気が付いた。

 口にはしているが、それは驚くほど簡素な麦粥だ。


 贅を凝らし過ぎた料理を好んでいると肥えてくるものだが、イズファヤート王の体は均整が取れていた。

 贅肉など無く、顔色に病気の影も見られない。健康そうに見える。

 こうした会食で他に類を見ないほど豪勢な料理を出しても、それは客のためであり王自身では少ししか食べない。

 本質的には贅沢を好まない性格、ということだろうか。


 いずれにしても健康に問題が無いとなれば、イズファヤート王の執政は今後、十年どころか二十年でも続くかもしれない。この恐るべき戦乱と残虐が……。

 ぞっとするような未来だ。


 アベルの胸は重くなり食欲も萎えそうになるが、ランバニアから料理はさらに流れてくる。

 小鳥とカタツムリを王家秘伝の香辛料で焼いたもの、豚の脂身の酢漬け、蜂蜜で甘く煮た無花果や林檎……。

 奴隷なのに主な料理を全て食べてしまった。


 アベルは他も同じようなものなのかと見まわしてみたが、大臣や将軍に付いた奴隷らにそうしたことはなかった。

 いずれも骨にこびり付いた肉を貪り、皿の底にあるスープを舐めている。

 だが、一人だけ例外がいた。


 広間の最も隅に少女の道化師が座り、客と同じ物を食べていた。

 ところが大臣たちから道化は同席の者と認知されてないらしく、誰からも話しかけられないし、何ならそこに居るとさえ思われてはいないようであった。

 そういうことも含めての道化、ということなのか……。


 席に招かれた廷臣たちは、みな楽し気に会食してはいるが、本心から楽しんでいるかというと大いに疑問だった。

 まず、そもそもイズファヤート王からして少しも笑わないのである。

 とはいえ、王の表情を指摘するような人間もいないため、どうにも芝居じみた宴であった。

 やがて午餐も終盤となり、招かれていたマカダン藩国の王子プラセムがイズファヤート王に言上する。


「だ、大王様。お持ちした贈り物の品々、お気に召して頂けたか心配しております」


 イズファヤート王の答えに緊張しなければならなかった。

 不満だとしたら何が起こるか分からない。


「良きものであった。満足している」

「その……我が父ヤヴァナからの要請であります。我が藩国の穀物と王道国の武器を交換して頂きたいのです。ご存じの通り、マカダン藩国は北方草原に面しており、侵入してくる不穏な馬賊と戦う事しきりなのです」

「マカダンとは取引にも応じたうえに援軍も派遣しよう。だが、申し付けておくことがある」


 プラセム王子が軽薄な顔に引き攣った笑みを浮かべた。


「ヤヴァナ藩王は自らの藩国を大国にしようとしておる。小国とは必ず大きくなりたいという欲求を持つが、それは無理なこと。手酷い火傷にならない内に止めておくのだ。マカダンが王道国の庇護にあるゆえの慢心、程好いところにしておくがよい」

「ち、父には大王様のお言葉、確かに伝えます。また、さらに穀物を提供できるように努力します」

「どんな王による治世においても飢えた民はいた。だが、は民が飢えることを憂える。マカダン藩国は王国にとって北の要。頼もしく思うておるぞ」


 民が飢えることを憂える王が重税を課す。

 馬鹿げた言であるはずが、イズファヤートの大真面目な態度を見ていると為政者としての矛盾はどこかに消えてしまうのだった。


「と、ところで、実は王宮へ参ります途中、ハーディア王女様にご挨拶させて頂きました。噂に違わぬどころか、それ以上の美しき姫。さすがは大王様の息女であらせられます」

「ハーディアが気に入ったか」

「気に入るも何も、あれほどの美姫はこの世に二人とおりますまい」

「ならばマカダンに連れ帰ってみるか」


 場は静まり返った。

 お追随たちも表情を固まらせている。

 王の言葉は口に出せば最後、それが現実となる。

 よしんば成らずとも、成らせるためにどれほどの犠牲があろうと実行されるのだ。


「もっとも、ハーディアには先約があってな。ディド・ズマという男だ。知っているか」


 もともと悪い顔色をさらに蒼くさせたプラセム王子が裏返った声、か細く応じた。


「……も、もちろんですとも。数えきれないほどの街や村を襲っているとか」

「奴と争うことになるが、どうだろうか」

「おお……お戯れは、お許し、あれ。ディド・ズマ殿の勇猛さはよく知るところ。大王様のお言葉だけで充分であります」

「では、そこにいるランバニアはどうだ。幸い、あれも今は夫がおらぬ」

「まぁ、父王様。プラセム王子殿は妹ハーディアをこの世で二人と居ない美しさと讃えましてよ。王子殿はマカダン藩国の嫡男継嗣という立派なお立場。二番目以下のわたくしではお目に叶わぬことでしょう」


 ランバニアは王子を心底から嘲りきった視線で見る。

 口では儀礼的な世辞を述べていたが、田舎者が寄り付くなと言わんばかりだ。


 料理が終わり、すると楽隊が再び演奏を始めた。

 ランバニアが席を立つ。アベルは、もちろんその後を付いていく。

 どこへ行くのかと思えば、化粧室だった。

 どうやら王族専用であるらしい。

 

「ランバニア様。念のため中を見てきます」


 アベルは中に小走りで入る。

 全身が映る大きな鏡があった。

 内部ではお香が焚かれている。

 当然、誰も居ない。

 

 ついに機会が来たらしい。

 ランバニアは小刀ぐらい隠し持っているかもしれない。

 それを奪って、何気なく宴の間に戻り、王に近づく。

 そして……。


 アベルは固唾を飲みこむ。

 自分が考えていることが正しいのか間違っているのか、分からない。

 しかし、駆け戻り、ランバニアに異常は無かったと告げた。


「良い心掛けです。そうね、どこで何があるか分からないものねぇ」


 ランバニアが奥へと消える。

 五感を研ぎ澄まし、様子を伺う。

 幸い、衛士は離れた角に一人いるだけ。

 中で何が起きても気づかない。

 

 絶好の機会だが、どうにもランバニアを殺す気にはならなかった。

 何と言うか、恨みや怒りが湧いてこない。

 おそらく腹に一物ある女なのは確実だが、危ういところを助けられたこともある。

 服を利用して拘束するか。

 

 奥から足音がする。

 アベルは中へ入り、ランバニアと向かい合った。

 改めて見ると、やはり本当に整った顔と肢体をしている。

 芸術品と呼んでも足らない鼻梁や眉目。

 黄色い夕焼けのような光を湛えたランバニアの瞳と視線が、ぶつかった。

 

 刃物を隠しておくなら、腿の内側か長衣の襞のどこかだ。

 手を伸ばしかけた。

 

「アベル、怖い眼をしてるわねぇ。わたくしの体がそんなに気になる? 食欲が満ちたらすぐさま次の欲ですか。まるでケダモノね」

「……」

「せめて奴隷から這い上がって、それからにしなさいな。お前のように若く、自分の肉体ぐらいしか持っていない男が苦しみ足掻く姿、嫌いじゃないのよ。

 わたくしを見た男のほとんど全てが、望み、でも勝手に諦め、怒って、腹いせに無視してみたり。挙句は卑屈になってしまう。見飽きているわ、そんなの。

 お前のように欲しいものへ手を伸ばす勇気がある、そういう熱があるだけ好ましいぐらいよ」


 ランバニアは思わず心臓がどきりとするような妖艶さで笑った。

 そうして、ゆっくりと長い足を開くと衣のスリットが開き、肉感的な太腿が丸見えになった。

 刃物が無い。


「でも、王女が奴隷に身を委ねることはないわ。あったとしても、無理やりということね。今、ここでやってみますか?」


 アベルは首を振った。

 溜息。

 だめだ。

 完全にランバニアの力量や権力に呑まれている感じがする。

 分が悪すぎる。

 ここでランバニアを襲って、そのまま広間に戻るなり、ありったけの魔力で攻撃を仕掛け……。

 止めよう。

 別の方法にしよう。


「貴方、本当にハーディアとは何でもなかったのかしら。お前のように意欲ある男なら出世させたくなるのも頷けるのです。立場を与えてから、さらに傍へ寄せるというのはハーディアが考えそうなことです」

「ハーディア王女様は配下をそんな男として見るお方ではありません。だいたい僕には……別に想う人があります」

「まぁ、誰かしら」

「誰も知らない女性です。ずっと前に色々と教えてもらったのです」

「再会の約束でもしたのかしら。ですが、戦士が生きて再び会う約束など愚かというものです。だから、すぐに手の届く、目の前の相手を求めるのは当然です」

「その通りですね。僕は飛び切りの愚か者なのです」


 ランバニアは、よほど可笑しいのか高笑いをした。


「男だろうと女だろうと心に想う相手がいたとして、いくらでも別の者を抱けるでしょう」


 ランバニアは化粧室から出て行く。

 

「父王様。たぶんアベルにお聞きになられるわ。ガイアケロンとハーディアのことを」

「何故……ですか」

「嘘は言わないことね。どうせ見抜かれるわよ」


 不穏なことを言うランバニアに従い、また宴の場に戻るしかなった。

 ちょうど楽隊の演奏が終わろうとしていく……というよりもランバニアの戻りに調節していたようだ。


 ランバニアが席に着くと、若い女の奴隷が温かい茶を用意している。

 王道国の宮廷料理がどのような作法であるのか詳しくは知らないが、そろそろお開きということだろう。


 イズファヤート王が、何か言葉を出すだろうか……。

 貴顕の粋である貴族や大臣ら出席者たちは沈黙する。

 物音ひとつと無くなった。


 微笑むことすらなかったイズファヤート王は、一同を見渡す。

 暗くて青い視線はアベルの瞳も貫いた。

 

 たしかに王が俺を見た。

 そう感じると様々な計算は吹っ飛び、自分が小さな小さな虫になったような気分になる。

 イズファヤート王が口を開く。


は善き王にならんとしている。

 臣民と貴族を正しく統治できるか。

 優しさに自己満足し、自他を騙していないか。

 そう常に心へ問うておる」


 イズファヤート王の声。

 揺るぎない真実の言葉。

 アベルの心へ、抉るように鋭く刺さった。

 

 善き王になろうとしている……。

 本気でそう信じている、肌で感じられる気迫の籠った言葉。


 善いことの為ならば、我が子たちを戦火に放り込み、働きが悪ければ何もかも奪い去る。

 人々を恐怖で統括し、逆らえば地縁血縁の辿れる限りを根こそぎ処断する。

 それが善いことだと信じている……。


「腐った平和と、より善き明日を目指す戦争。どちらを選ぶべきか。

 予は必ず、間違いを正す戦争みちへと皆を導く」


 世界の隅々にまで王の力を行き渡らせ、ありとあらゆるものを支配しようという意思に満ちた声だった。





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