第139話  我が敵





 心臓は暴れたように打ち続け、血液を激流のように奔騰させる。

 緊張を抑えようとしたが、できなかった。

 目の前にいる男。

 悪趣味な黄金仕立ての鎧。腹筋を模して裸体風に造形した胸甲が下品に輝く。

 むろん無垢の金材ではないだろうから鍍金である。


 偽物の黄金を纏った怪物。

 名を尋ねてはいないが、そうに決まっていた。

 想像を超えた悪虐の限りを尽くしている男。

 ディド・ズマが、すぐそこにいる。


 アベルは視線を巡らせる。

 見覚えのある薄汚いつらが幾つもあった。

 顔面は傷だらけ、鼻が切傷で欠けた男。名はヤッピという十傑将。

 それから細面のベルシオ。先日殺したピソルにも劣らない酷薄な視線をしている。蛇のそれを思わせた。


 気になるのは灰色をした魔術師風のローブを着た若い男。

 洒落た額飾りをつけていた。

 ペリドットと思われる緑色の宝石が目立つ銀の装飾。

 単なる直観だが、奴こそ若い女を好んで殺すというギニョールのような気がした。

 物腰の柔らかそうな顔をしているが、最大の警戒がいる。


 ついで剣聖ヒエラルクの弟子たち。

 十人ぐらいいる。

 彼らが剣術を研鑽しているのは護身術としてではなく、殺し合いで出世しようという野心や欲望のためである。

 人を殺すことに毛ほどの躊躇いすら無い者どもだった。

 実際、そういう顔をしている。

 もっとも人の生命を尊重しないのは自分も同じだなと、アベルは他人事のように頭の片隅で思った。


 アベルは距離を縮め、歩きつつ考える。

 ズマとヒエラルクは、どうしてエイダリューエ家に押しかけて来たのか。

 やはり襲撃の真相が露見しているのかもしれない。

 先日、深夜に邸宅へ忍び込んできた奇妙な男ら。

 あんな手合いの者が密かに一部始終を監視していた……。

 

 そうだとしてヒエラルクたちが一芝居を打っているのなら、逆手に取ってやる。

 今ここでディド・ズマに不意打ちを仕掛ける……。


 やれば終わりだ。

 生き残れる可能性は、絶対にない。

 一瞬にして自分の体はバラバラに切り刻まれる。


 しかし、相討ちだけは手に入るかもしれない。

 あのズマ相手にだ。

 残虐と欲望、卑しいこと比類ないズマを殺せるのなら……それもいいか。

 激しい憎悪の対象であるイズファヤート王には、とうとう会えず仕舞いだが。


 そんな風に考えてしまう。

 どこまでも高まる殺意。

 鈍い頭痛がした。

 幸せなど少しも見えないのに、殺すべき相手ばかり良く見えた。


――どうせ死ぬまで止まれやしねぇんだ。

  

 死んでから、もう一度始まった人生。

 どれほど手に入れても、何をしても、癒せない飢えと渇き。 


 殺さなければ止まらない。

 もう一度……父親を。

 そのためならば、どんなことでもやってやる。


 アベルはズマの武装を見る。

 腰の左側に剣を佩いていた。幅広、諸刃の剣。

 刀身の長さは無骨と、ほとんど変わらないだろう。

 

 ズマの背は長身の部類にぎりぎり入る程度だった。

 自分の背丈より頭一つは大きいなとアベルは思う。

 胴回りはかなりある。でっぷりしていた。

 それが鎧で守られている。

 

 重要なのは体全体の尺だ。

 四肢は野太く、それでいて長い。

 つまり行動範囲は広いはずだった。

 

 俊敏さについては不明。

 例えばガイアケロンなど体格は巨漢と言っていいが、それでいて肉食獣のように極めて素早い。

 あのズマの体格なら間合いは、かなり広い。

 おそらく自分よりも……。

 ということは、ズマの攻撃を防ぎつつ、必殺の斬撃を与えなくてはならない。

 機会はたった一度だ。

 至難の業。


 アベルはズマの視線が自分に注がれているのを自覚する。

 正直、恐ろしかった。

 経験が派手に警告音を鳴らしている。

 まともじゃない。近づいてはダメだ。死ぬぞ……。


 そんな言葉ばかり湧き上がってきた。

 強引に理性を押し潰した。

 無理やり足を動かす。

 指先が震えている。


 もう二度と転生なんかないと、それだけは確信があった。

 死んだら、今度こそ終わり。


 込み上げる恐怖。ヨルグの言葉を思い出す。

 恐怖は飼いならすものだ。逃げても逃げ切れるものではない。

 自分の愛馬のように乗りこなせば利用することもできる。

 それができないなら、どんどん大きくなった恐怖心に支配され身動きは取れなくなる。

 そうなったら動物のように遁走するか、さもなければ狩られるだけだ……。


 顔は努めて無表情を装う。

 実際は強張っていた。

 笑みなども浮かべないようにする。

 この手の劣等感に満ちているだろう男には逆効果である。

 下手すれば自分を嘲笑していると感じて、敵愾心を燃やしてくると予想した。


――間合いにさえ入り込めば、攻撃できる。

  あいつを殺せる!


 ゆっくりと攻撃可能な距離に接近していく。

 あと三歩……。

 

 こんな奴は殺すべきだ。

 数十万人の人間を惨たらしく苦しめ楽しんでいる男。

 やったことにはツケがあるのを分からせてやる。

 あと二歩……。


 自分の腹は斬られ、真っ赤な臓物が地面にぶちまけられる様子、くっきりと脳裏に浮かび上がってくる。

 だが、殺されるとしても、やるべき。

 あと一歩。

 そして、最後の歩み。

 破滅への跳躍。 


「止まれ!」


 静止したのはヒエラルクだった。

 肩を掴まれていた。

 意外。


 アベルは固唾を飲んだ。

 すぐ横に殺戮を楽しむ天才剣士の顔がある。

 剣聖などと呼ばれてはいても、少しも聖なるところなどありはしない。

 不出来な生徒を指導する教師じみた表情をしていたのが、酷く奇妙だった。


「アベル。ズマ殿に礼せよ。不用意に近づいてはならぬ。ズマ殿は間合いに身内以外が入るのを好まぬ。手討ちになるぞ」

「……ヒエラルク様。私はズマ様のお顔を存じません」

「なんと、しょうがない奴よの。お前が死んでしまったら話がややこしくなるのだ。ほら。そこの立派な黄金仕立ての男こそ、あらゆる戦場にその名の通ったズマ殿だ」


 アベルは向かい直り、背筋を伸ばして頭を素早く倒す。

 戦士階級において礼節は命綱であり、ある種の鎧でもある。

 どれほど礼を尽くしたとしても、戦士同士が次にやることは敵の頭蓋骨を棍棒でカチ割ることに尽きた。

 そういう世界の、最初で最後の保険が礼節だ。


「ズマ様。私はガイアケロン王子様の馬廻りを務めますアベルと申します」

「……」


 ズマは答えなかった。

 粘りついて糸を引くような傲慢な眼つき、虫を見るような気配。

 他人とは殺すべき敵か、搾り取る家畜か……そうでしかないと物語っているようだった。

 アベルのことも同様に、たかが馬廻りの一人と見下していた。


 体の奥から猛烈な殺意が噴き出す。

 その虫けらが怪物を殺すことだって有り得るのだと、心で念じる。

 隣のヒエラルクが説明を続ける。


「アベルよ。先ほども言ったがエイダリューエ家の門番が頑固でな。奴らにハーディア様との間に入ってほしくないのだ。直接、我らの頼みを伝えたいだけのこと。一言、挨拶をしたら速やかに立ち去るからガイアケロン王子とハーディア王女に面会を許すように伝えてほしい」

「ここにいる全員が邸内に入るおつもりでしょうか」


 この質問は重要だった。

 数十人もの武装せし男たちを邸内へ入れろというのは非常識であるし、それは戦闘を見越していると断じていい。


「それよのう。百人入れろと要求するつもりはない。まぁ……ズマ殿と拙者らを合わせ総勢二十人ほどかの」

「分かりました。仰せの通りにします」

「頼むぞ。必ず軍目付たる拙者とズマ殿の願いだと伝えてくれな」

「……一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか。どうしてヒエラルク様がズマ様とご一緒されているのですか」

「我ら共に家柄門閥に寄らず、己の力で這い上がってきた者。似たるところがある故に以前より付き合いがあってな」


――お友達ってわけか……。


「その……、率直にお聞きしますが、ズマ様はハーディア様との面会が目的なのでしょうか」

「ふふっ」


 ヒエラルクが皮肉げに唇を歪めた。

 言葉にしなくとも態度で分かるというものだ。

 おそらくディド・ズマは自分だけ押しかけたところで要求が危ういとみて軍目付の権威を利用したと気が付いた。

 どうやら、何が何でもハーディア王女と会うつもりらしい。

 つまり目的は騙し討ちではない……?


 アベルは頷き、踵を返す。

 全身に汗が流れている。

 邸内で戦いになる可能性は少ないと思ってよいのだろうか。

 分からない。

 何が起こるか、予測できない。

 全てが疑わしかった。


 アベルは走ってカチェの元に戻る。

 カチェは心配げにしていた。

 眦がいつもより鋭く、神経が張り詰めている。


「アベル……! 騒ぎがあったみたいだけれど」

「ディド・ズマが来ている」


 カチェが珍しくも顔色を変え、紫の彩り鮮やかな瞳を大きく開く。

 麗しい姿に豪胆な闘志の魂を持つ彼女は、滅多なことで動揺したりしないのだが。

 さすがに相手が相手だった。


「どうするの」

「とりあえずガイアケロン王子に状況を伝えます」

「ねぇ! もう危ないことはしないで。今も勝手に一人で行ってしまって……!」

「……こればかりはどうにもならないですね」


 カチェは拳を握り、唇を噛んだ。

 どうしてそんなに簡単に危険へ身を投じてしまうのか。

 ガイアケロンとハーディアがそんなに大事なのか。

 

 たしかに秘密同盟は重要だが……もっと他に理由があるのか。

 問い質したかった。しがみついてでも制止したい。

 だが、そんなことをやったところで無駄だということも理解できてしまった。

 

 だから、せめて隣に居たい。

 最後まで共に戦って……、アベルにこの身を捧げる。

 良いとか悪いではない。

 そうすることだけが最も価値ある行動だと信じていた。


 二人は、荒々しい戦場の雰囲気を巻き散らしている傭兵たちの間を抜け、馬を引いて歩く。

 いずれも鉄の冑を被り、鎧を纏っている。

 槍やハルバードを持っている者が多く、弓を携えている兵士までいた。

 数は二百人を超える程度のようだが、選び抜かれた戦士たちであるのがよく分かった。


 移動のさなか、カチェは嫌でも目立つ黄金の鎧の輝きを横目にする。

 その主の顔。

 一瞬見ただけで、背筋に悪寒が走る。

 体が警戒感で痺れた。

 間違いなくあれがズマだと直観できる。


 傲慢と強欲を集めて固めたような顔面、血泥の沼を住処にする穢れた化け物……。

 あんなものと戦うのかと考えれば、深い穴へ突き落とされた気分になり、闘志より途方もない不安が先に出てきてしまった。


 門前に着くと、エイダリューエ家の騎士や門番が固く閉ざした門の前で、何者も通さないという姿勢で立っている。

 尋常な気配ではない。

 幸い、エイダリューエ家の門番は顔見知りだったためアベルは事情を聞く。


「このことギムリッド様に報告はしたのですか」

「もちろんだ」

「門前払いもありえますかね?」

「それは当主様やギムリッド様がお決めになることだ。アベル殿、中に入るのなら早くしてくれ」


 アベルは開けてもらった門の中に入る。

 庭では騒ぎを聞きつけた衛士たちが防衛のために慌ただしくしていた。

 馬は適当な衛兵に預けて走りながら考える。

 下手に門前払いなどすれば、ただではすまないかもしれない。

 

 少なくともズマは激怒するだろうし、ヒエラルクはイズファヤート王に変な報告をするかもしれない。

 それから、まだ完全に疑いが晴れないのは昨夜の襲撃について。

 決定的な証拠がなくとも、向こうが怪しんでいるのかもしれない。

 胸のなかで悩みが熱を孕んでいる。


 大理石の豪邸、大貴族の風格を余すことなく表した玄関を通り、王族兄妹のいそうな場所に向かう。

 鮮やかな陶片を嵌め込んだ床を走り、まずは面会室に向かった。

 その扉の前には治療魔術師のクリュテがいた。

 

 有能な使い手で、いつも王族兄妹の傍に控えている。

 二人に異常が起きた場合に備えているから、無駄な魔力消耗を抑えるために兵士の治療などはしない。

 若草色の髪を肩の上で切りそろえて、いつも身軽に行動している。賢そうな顔をした女性だった。

 彼女がいるということは中に兄妹がいるに違いない。

 エイダリューエ家の衛兵が扉の前にいたが、構わずアベルはドアを叩いて名乗る。


「アベルです! ガイアケロン様に至急報告あります!」


 中から扉を開けたのは緊張した顔つきのオーツェルだった。

 眉間に皺が刻まれていた。

 入れと小声で言う。アベルとカチェは入室する。

 

 中には王族兄妹とギムリッドがいる。

 他には誰もいない。

 ハーディアが俯いた顔を上げると、豪奢な金髪が弾かれたように肩から流れた。

 はっきりと憂いと苦痛が見て取れる。

 その表情から、ズマが押し掛けているのを既に知っているのが分かった。

 アベルは走り寄ってガイアケロンに伝える。


「表にディド・ズマとヒエラルクがいました!」

「分かっている。いま、どうするか相談しているところだ。アベル。やつら襲撃と我らのこと気づいていたか。それが一番問題だ。もし、何か感づいて来たのなら、覚悟がいるぞ」

「いや、どうもそうではないみたいです。ヒエラルクと話をしました。とにかくハーディア様と面会させてくれと」

「目当ては、それか」

「明確には分からないのですが、ただ、屋敷には二十人ぐらい入らせてくれとのこと。どうやらハーディア様に会いたいというのだけは本心のように感じました」


 次に口を開いたのはギムリッドだった。

 彼は王道国でも屈指の名門貴族、その嫡流にふさわしい洗練された物腰をしている。

 ありとあらゆる貴族の礼儀をわきまえているはずの人物だが、今や面相には憎々しげな険が露わになっていた。

 彼のいつもなら理知的な濃緑色の瞳に、ありありと怒りが現れている。

 少し怖いぐらいだ。


「どこまでも付け上がりおって……あの汚い傭兵風情めがっ! 痩せ犬に等しい下賤ども! ご安心くだされハーディア姫。姫には絶対に会わせませぬぞ」

「兄者……。気持ちは分かるが、そうもいくまい。ヒエラルクが頼んできている。無視すれば王にどんな讒言をされるか分からないぞ。招いて、体よく去らせよう。アベルの報告で分かった。何か企んでいたり攻撃を仕掛ける意図はない。それなら、たったの二十人で踏み込んでは来ない。もっと警戒してくる」

「だめだ! 姫は苦しんでおられる」


 兄弟で意見が異なってしまった。

 あくまでハーディアを守ろうというギムリッドは意地になっている。

 冷静なオーツェルは相手の要求をある程度は聞いてやって、さっさと帰らせようという考えだ。

 それまで黙っていたハーディアが気怠そうにアベルへ語り掛ける。


「貴方、ズマと会ったのは初めてではなくて」

「そうです。聞きしに勝る怪物でした。あれほど酷い面相をした男がいるとは……言葉になりません。いったいどれほどの悪虐を重ねてきたのだろう」

「ふふっ。その怪物が私の夫になりかねないのです。王女だ姫だと謳われても、汚物のごとき男の餌にされるのが私の立場。滑稽でしょう」


 ハーディアは投げやりなほど自嘲気味に笑った。

 カチェは痛ましい気持ちで王女を見るしかなかった。

 女の悲しい運命だ。

 自分はそれが嫌で、家を断ち切りアベルについてきた。

 しかし、ハーディアの生まれではそれも出来ない。

 軍団を率いる指導者として普段は凛然としているだけに、よけい哀れなほどだった。


「ハーディア様。実はズマを、いっそ殺せないかと狙いましたが、あと一歩というところで邪魔されて……」


 その場にいた者たちが全員、凍り付いたような顔でアベルを見た。

 この場合、ただ口だけの台詞でないことは誰しも理解していた。


 暗殺ではなく、堂々と衆人環視のなかで攻撃を仕掛ける。

 それは襲ったアベルの死を必然としていた。

 ガイアケロンが滅多にないほど強い口調で言う。


「早まるな!」

「兄様の言う通りです。死んではなりません。こんなことで……!」

「あいつを殺せば、たくさんの人間が助かる。滅多にない機会だった」

「そうだとしても、だめだ。まだ死ぬことは、ならん」


 ガイアケロンとアベルの視線が交差し、言い知れない緊張感と信頼のようなものが渦巻く。

 ギムリッドはこの二人は本当に主従なのかと感じるほどだった。

 まるで親友か兄弟のようであった。


 ハーディア姫の表情も普通ではなかった。

 計算された喜怒哀楽ではなく、本音としてアベルを制止している。

 ギムリッドの心中に嫉妬の念が湧いてきた。

 だからこそ称賛しなければならなかった。


「アベルよ。その心意気やよし。このギムリッドはお主の勇気に、この上もなく敬意を持たねばならないな。エイダリューエの門前に押しかけてきて騒動を起こすとは、たとえ軍目付けであろうと行儀が悪いというもの。薄汚い傭兵どもは言うに及ばず。仮にアベルがズマを斬り殺したとしても単なる私闘の域を出ぬ。斬られる方が悪いと世間も笑うことだろう。だいたい奴は、たかが陪臣。ガイアケロン王子に、さほどの迷惑ともなるまい」


 するとハーディアが強い口調で言った。


「焚きつけるのはやめてください。命を捨てるに値しません。分かりました。ズマと会いましょう。また、くだらない自慢話でしょうけれども。少しの間、我慢すればいいのです。今は焦らず、奴の自滅を待つのです」


 これは半ば自分へ言い聞かせるような言葉だった。

 ズマは着々と金を集め、結納金を積み上げている。

 長兄イエルリングはズマを政治的に支援していた。

 じわじわと外堀が埋まりつつあった。

 そして、肝心の父親。

 

 皇帝国を滅ぼせと王族や将兵に命ずるばかりでなく、ズマの出過ぎた要求ですら金欲しさか認めている。

 このままではズマの願望は成就する。

 なれば自分に始まるのは地獄さながらの日々だろう。


 あの下劣で卑しい男が何をしてくるのか……。

 繰り返し犯され、全身を舐められ、やっと捕らえた珍獣さながら見世物のように引きずり回されるのではないか。

 想像するだけでも、身を苛むようにおぞましい。


 矛盾だがアベルがズマを殺してくれればと……抑えても、ついその望みが出てきてしまう。

 あと一歩だったという。やっていればアベルは死んでいた。

 自分の命を捨てようともズマを討ち取ろうという意思の強さに感謝以上の気持ちすら湧いてくる。


「アベル。今は耐えましょう。まずは父王様への謁見です。大事の前に些事に惑うことはありません」

「……このギムリッド。姫様がそう仰せになろうとも納得できませんな。私に任せていただきたい。ここはエイダリューエ家の領分ゆえに」

「何をするつもりですか」


 ギムリッドは優雅に頭を垂れると仔細答えず会見室を出て行ってしまった。

 ハーディアは力なく豪華な羅紗張りの椅子に身を預けている。

 疲れ果てている様子だ。

 

 ガイアケロンはアベルを促し、表へ共に出た。

 それから扉の前で番をしていたクリュテに妹の傍にいるよう命じると、ギムリッドの後を歩いていく。

 鮮やかな幾何学模様のモザイク画が嵌め込まれた床を進むと広い正面玄関に着いた。


 ギムリッドは執事や衛兵長に何かを命じている。

 すぐに最高級の職人によって造られた白鋼の鎧と剣が持ってこられた。

 精緻な文様が流れるように刻まれた胸当て、磨き抜かれた銀の鞘。

 ガーネットやオニキスで飾られた柄に薔薇を模した鋼の鍔。

 

 それらを衛兵に手伝わせながら素早く装備していく。

 訪問者たちが武装しているにせよ、迎える側も同じことをすれば闘争心があるのがあからさまとなってしまう。


「ギムリッド殿。ここは穏便に頼みたい。ズマとはいずれ時が来れば雌雄を決する。だが、今はまだ時機ではない」

「王子。申し訳ありませんがその儀、承知いたしかねます。不肖、この私はハーディア姫の守護騎士を自任しておりますからな。名誉と命を賭ける時が来たと感ずるばかり」

「我にはギムリッド殿の支援がこれからもいる」

「私とて別に剣での斬り合いを望んでいるわけではありません。とはいえ無様に屈服するつもりもありません。いま門を開けさせております。二十人まで入れてよいと申し渡しております。ここで待つのが良いでしょう。門まで出迎えに行く相手ではありませんので」


 ギムリッドの表情は相手を黙らせるほど貴族的に冷たく、それでいて瞳は戦いの予感からぎらついていた。生まれて以来、最高の貴族として振る舞うことを宿命づけられた男の誇りが燃えている。


 オーツェルは兄を説得できないと知った。

 言葉の力では足りない時もある。

 いざとなれば自分が真っ先に死なねばならない。

 王子と家を守るためなら悔しくともやらねばならなかった。


 見る見るうちにエイダリューエ家の従卒や騎士、郎党の者らが集まってきた。

 その数五十人ほど。皆、槍や剣を装備している。

 豪壮華麗な邸宅であるが、いざというときは砦として機能するようにも造られている。

 

 まるで決戦の前。

 アベルは背筋が粟立つ。

 やはり、やるしかないのか……。




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