第136話 友情
ロシャ、ピソル、ニケの三人は奴隷の売買を午前中に終わらせて、金貨千枚におよぶ利益を得た。
次に目を付けた交易商人を回り、恫喝に近い交渉で金を巻き上げる。
断れば亜人界や中央平原で商隊に何が起こるか分からないと暗に脅せば「護衛料」という名目で金品を差し出してくる。
これから、まだまだ前線から奪った戦利品や奴隷が送られてくるはずだ。
最近では光神教団との取り引きも盛んで、かなりの利益になっている。
そうしてディド・ズマの元には凄まじい量の金が集まっていた。
だが、全く足りない。
ズマの命令はさらに過酷になっていく。
それでも乗り掛かった舟から降りることなどできない。
集めた金の一割は十傑将たちの取り分になる。
たった一割でも莫大な額。
王都で豪遊できるだけの金だった。
このために生きている。
殺して、奪って、一日で蕩尽する。
生きているという気になる。
傭兵でもやってなければ味わえない享楽であった。
農民なんぞ糞くらえだ。
土と馬糞をこねくり回し、さんざん苦労した挙句に作物を育て、それとて大部分は貴族に税金として巻き上げられる。
市民も農民も大差ない虫けらのような存在。
そこから抜け出している傭兵稼業の何と素晴らしいことか……。
ロシャとピソルは飲み比べをして売春婦を呼びつけ、おもいきり下品な踊りをさせて楽しむ。
こういう遊びは、とことん女を辱めるから、なお楽しめるのだ。
洗練された上等な踊りを好む者もいたが、結局は犯すのだからそんなものに価値は感じない。
搔き集めた金は頑丈な木箱に納まっていた。部下たちが厳重に守っている。
明日の朝、ズマに渡して、それから再び金を集めに行く。
この繰り返し。
王都に着いて以来、ずっと続けていた。
王道国はズマの乱暴狼藉を黙認している。
治安を守る巡邏隊は何も言ってこない。
たまに抵抗してくる組織は容赦なく暴力で叩き潰した。
強い者が正義だ。
力があるから掟を作ることができる。掟は力がなければ守らせることができない。
慈悲や優しさなど支配には意味がない。
世界は自分たちのものになるのではないか……ズマの猛威にロシャやピソルら十傑将は酔い痴れていた。末端の配下たちも同じ心地だった。
その気になれば郊外に待機させている兵団からさらに増援も呼び寄せることができる。
王都でこれほどの武力を持つのは、王直属の王宮軍団の他には、大貴族ぐらいのものだった。
その大貴族たちもイエルリング王子の政治力に滅多なことで逆らいはしない。
案外、金貨五十万枚という途方もない財すら簡単に集まるかもしれない。
そう瞬間的に思いつき、下卑た笑い声を立てる。
出来ないことなど何もないと信じなければ耐えられなくなってしまう。
傭兵には度胸と刹那の快楽だけがあればよかった。
今宵の宴も最高潮に達し、声を合わせて咆え上げる。
「我ら戦場の申し子!」
「我らに武器を与えよ!」
「我らは富を得る!」
「刈り取れ。河と大地を血で染めろ」
「心臓と栄光に勝利あれ!」
狂った闘犬たちは笑いあう。
呼びつけておいた売春婦を犯し、腹が膨れるまで飲み食いして夜中になる前に十傑将たちは店から出た。
今日は朝から弱々しい雨が降っている。
松明を点け、魔光の使える者はその力で夜道を照らした。
隣の店で同じように騒いでいたニケと合流すれば、たちまち七十人からの集団となった。
ロシャはピソルに聞いた。
「サルゴーダはいねえのか?」
「そういや……あいつ最近は遅れて帰ってくるな。まぁ色々と稼いでいるだろうよ。とにかく今は金、金、金だ。どれだけあっても足りねぇ。ベルシオとヤッピは郊外まで出かけたらしいぜ」
「誰か使い走らせて合流するか?」
「面倒だな。すぐ後から来るだろう」
狂暴な傭兵たちが通る先を邪魔する者などいはしない。
むしろ姿を見かけると慌てて逃げていく者が大勢いた。
それはそうだ。
下手に前を横切れば、それだけで斬殺されることも珍しくなかった。
気の大きくなった男たちは集団で街道を闊歩する。
本来ならば強盗が横行する不気味で危険な王都を、我が物顔で横断できた。
気分がいい。
小便と家畜の糞の臭いが満ちた小道を酔漢たちが声高に歌い、騒ぎながら闊歩する。
やがてロディア広場に入っていった。
広場はやけに暗かった。空には重たい雨雲が覆いかぶさっている。月など欠片も見えなかった。
ここのところ広場の浮浪者どもを遊びで殺しすぎたせいか、誰一人としていなかった。
さすがの
清々した気分でロシャは歩く。
広場の中央あたりに来たところだった。
ピソルやロシャは強烈な魔力の気配を感じ取る。
それは明らかに攻撃性のあるものだった。
酔っていても危険が迫っていることは分かる。
次いで魔法を使える者らが鋭く警告した。
その場に伏せる。
直後、激しい閃光と爆発。
衝撃波。臓腑が揺れる。
体格のいい戦士が数人まとめて軽々と宙を舞う。
ロシャの前に何かが落ちてきた。見ると、入れ墨の彫られた誰かの腕だった。
ピソルの檄が響く。
「魔法使いは防壁を張れ!」
これぐらいのことで戦い慣れた獰猛な男たちは怯まない。
似たような襲撃は戦場でいくらでも経験してきた。
修羅場では怖気づいた方が負けるのである。
次々に魔法使いたちが水壁や氷の障壁を創生する。
敵の火魔術は連発されてきたが、何とか部隊の崩壊は食い止めた。
これから反撃だ。
怒り狂ったロシャは手下たちに気合を入れるべく怒鳴りつける。
「てめぇら! でけぇ尻を上げろ!」
王都まで来た傭兵らは、いずれもズマへの忠誠心が高く、褒賞目当ての欲望も強い。
ここで逃げ出すような根性無しではなかった。
むしろ不意打ちを食らい、怒りで激しく戦意を燃やしていた。
魔力が盛大に発生している方角へ、反撃の体制を作る。
武器や盾を手にした戦士たちが、歪な縦隊を形成して歩み出す。
松明を翳すと煙の漂う先に襲ってきた者たちの姿が、ぼんやりと見える。
三人。
たったのそれだけかとロシャは驚く。
顔を布で隠していた。外套を頭から羽織っているので人相はおろか性別も良くわからないが、一人は獣人であることだけが分かった。
不意打ちをしてきた奴らは逃げ出すかと思ったが、どういうつもりか魔法を行使しながらさらに接近してくる。
一人は二刀流だった。
ロシャの手下が両手剣を振りかざし、猛然と突撃していったが瞬間、頭を斬り割られて倒れる。
奇妙な刀捌き。
見たことのない流派だとロシャは思った。
その二刀使いの身長はさして高くない。普通の大人の背丈だ。
ロシャは長年の経験から、手練れであることを見抜いた。
身のこなしが柔らかく、弾けるようだった。
しかも、火魔術まで使っている。
魔法剣士だ。
二刀使いの背後には後衛のような感じで一人、常に張り付いている。
抜け目なく援護しているようであった。
その者も、やはり熟練者だった。
だが、たったの三人に負けるわけにはいかない。
ここでやられっぱなしでは、ズマに後で殺される。
どうせ行くも地獄、戻るも地獄なら戦うまでだ。
それが傭兵魂だった。
ロシャは攻撃を命じる。
アベルは甲高い悲鳴のような声を上げながら走り寄ってくる男に対応する。
相手は長剣を頭上に掲げながら突っ込んできた。憤激の構えとも言われる、かなり基本的な斬撃方法だった。
ほとんど本能のまま振るわれる剣の軌道。
速いが予測のつく剣筋をアベルは察知して、切っ先を横から弾く。
いなすだけなので大した力はいらない。それだけで相手の長剣は横へ攻撃線をずらされる。
敵は重たい武器にさらに勢いをつけているから何ら制御できないまま、体が無防備になる。
その隙を逃すはずがなかった。
右手に持つ無骨は、首筋に吸い込まれた。
抵抗もなく裂けた動脈。血が噴き出て相手が倒れる。
次は斧付き槍、ハルバードを持った男が突撃してくる。
正気とも思えない真っ赤に充血した眼。アベルの視線と交錯する。
大口を開けて絶叫を上げている。
不快な声が鼓膜を叩く。
ハルバードを鋭く突いてきた。
アベルは時機を見抜き、一歩退いて相手の間合いを狂わせる。
攻撃を外されそうになった男が慌てて穂先を振った瞬間、逆を突いてアベルは前方に駆ける。
縮まる距離。
片手打ち下ろし。
無骨の切っ先が頭蓋骨と顔の片側を削ぎ落した。
無残な傷口が晒される。僅かに遅れて大量の血が滴る。
相手は朦朧とした意識のまま数歩だけ歩き、やがて膝から崩れ落ちて倒れた。
ロシャやピソル、ニケは二刀流の男が並の腕ではないのを理解した。
ちょっとした手練れどころではない。
得体の知れない使い手だ。
ロシャは歯を食いしばりながら左右を見る。
最初に食らった不意打ちの火魔術で十人ぐらいは即死していた。
歩けないほどの重傷者も大勢いる。
水壁などの防御魔法で防いだにもかかわらず、強力な爆発で手勢の半分は怪我を負ったらしい。
骨折したらしく右腕を振り子のようにブラブラと揺らせている戦士が、それでも戦意を奮い立たせて刀を構える。
口から血の泡を吹いて地面でのた打ち回っているのはロシャが頼りにしているワズという男だった。瀕死の重傷らしく苦しそうに悶え、震えていた。
隣にいるピソルへ怒鳴るように語りかけた。
「奴ら金が目当てだろう!」
「決まってらぁ! 奪われるわけにはいかねぇぞ!」
「当たり前だ。もしそんなことになりゃあ……」
ズマの激怒が待っていると、言わずとも伝わることだった。
死線を掻い潜って十傑将にまで成り上がった猛者であるピソルに怯えはない。
蛇のような相貌には動揺が感じられなかった。
ロシャはどうやって金を守り、かつ生き残るか目敏く計算する。
時間はない。
攻撃してきた三人の襲撃者は、恐ろしい腕だった。
反撃に飛び出した戦士たちが、ほとんど剣戟を交わせない内に殺されていく。
たった今も頭を割られて脳漿を巻き散らした男が倒れ、痙攣していた。
獣人に挑んだ別の戦士は変則的な跳躍に翻弄され、勝負にならないまま斧で肩を叩き斬られた。
強烈な一撃だったらしく斧は胸までめり込む。
見る見るうちに手下の数が減っていくのを信じられない思いで凝視するが、現実と認めないわけにはいかなかった。
ロシャは呟く。悪夢か……。
むろん、醒めはしなかった。
決意する。
ここは金を最優先。
ズマの拷問だけは耐えられない。
手下どもには時間稼ぎをさせよう。おそらくほとんどは殺されてしまうだろうが。
だが、問題がある。
手下だけでは戦力が足りない。
「ニケ! ここで敵を抑えてくれ。俺とピソルは金とブツを運んで逃げる」
「てめぇらだけ!?」
髭面のニケは目を剥き、激しい怒りを表す。
ロシャは叫ぶ。
「おめえは上納金のことでズマ様から制裁を食らっているだろうが! ここで金が盗まれてみろ。間違いなく殺されるのはお前なんだぞ」
半分以上は出まかせだった。
殺されるのはニケだけとは限らない。いま運んでいるのは金貨二千枚の他に値打ちのある工芸品などだった。奪われて許してもらえる額ではなかった。
全員、殺されるのに相応しい損失。
しかし、ロシャは今、命がけの戦いをするつもりはなかった。
出世と関係ない馬鹿げた戦い。
誰かに押し付ける。
上納金を納められなかったニケは総集会で顔面を鉄の棒で殴られた。
歯を圧し折られ、以来、間抜けなツラをしている。王都では失敗を取り戻そうと躍起になっていた。
そこで、この襲撃だ。
逆に敵を討ち取って金を守って見せればズマの心証も良くなるというものだった。
ロシャはそこまで考えてニケをけしかけた。
「……分かったぜ! 畜生ども!」
ニケは我武者羅になって反撃を開始する。
十人ほどの部下を引き連れて二刀流の敵に走り寄っていく。
その隙にロシャとピソルは金貨や品物の入った木箱を手下たちに運ばせて後ろへ逃げようとした時だった。
背後。思わぬところで火魔術が発現している。
あたりでは魔術が多数行使されているから紛れて気づかなかった。
あんなところに仲間はいない。
ロシャの背筋が凍る。
「伏兵?!」
とっさに魔法戦士でもあるピソルが氷の壁を発生させた。
犬のように這いつくばりロシャはその後ろに隠れる。
爆発。
腹を揺らす大音響。埃や砂や舞い上がる。
金の入った箱を運んでいた者らが爆風と破片で飛ばされた。
即座にロシャは得意の道具である金砕棒を掴んで駆ける。
絶叫を上げた。
ここを突破しなければ挟み撃ちだ。
何としてでも金を持って脱出しなければならない。
生死を賭けた突撃。
伏兵は三人。そのうち、魔法使いらしい者は素早く後方に逃れたのが見えた。
大型の両手剣を構えた人物がロシャの前に立ち塞がった。
ロシャはあえて小振りで攻撃。
反応を見る。
金砕棒は防具など無視した打撃を与えられる得物だ。
敵が大したことのない腕前であれば誘いに乗ってくる。
そうしたらロシャは自慢の怪力を使って、相手を圧迫する戦法を取るつもりだった。
ところが両手剣の相手は簡単に乗ってこない。
嫌な慎重さを持っていた。間違いなく手練れだ。
伏兵までもがこれほどの技量であるのを知ってロシャは
相手はそれほど積極的に攻撃をしてこないが、獲物を逃がすつもりもないという気配をありありと見せていた。
これでは金や値打ちのある金品を持って逃げられない。
ロシャは怒りで歯軋りさせながらもっと手下を連れてくるべきだったと後悔した。
全て手遅れだった。
魔法剣士であるピソルが魔術を行使しようとすると、敵の魔法使いが魔力干渉で邪魔をしてくる。
ロシャはあらんかぎりの絶叫と共に武器を振るい、決死の突破を試みるが、やはり両手剣の相手に妨害されて先へは進めない。
片手剣を持った敵も、なかなか老獪な攻撃を仕掛けてきた。
次の手を考えなくてはとロシャは焦るが、そんな都合のいい策などあるはずもなかった。
しばらく場当たり的な戦闘が続く。
広場に人間のものとも思えないような悲鳴や絶叫が響き渡る。
ロシャとピソルが命令する前に、手下たちが次々に殺されていった。
もう五体満足な者は十人ぐらいしかいないのではないか。
あとは手負いの戦士たちが、殺されるという恐怖を怒りで誤魔化して戦っているだけだ。
ロシャは思わず呟く。
「バカな……嘘だ、こんな」
破滅が迫っていることを認めたくない。
しかし、このままでは金を奪われるか、殺されるか、二つに一つ。
どちらでも終わりだ。
こんなところで死んでたまるかという激しい怒りが湧く。
金品を置いていけば逃走できるだろうが……ズマの激怒が待っているだろう。
確実に殺される。それも生きたまま肉を削ぎ落されるような残虐な方法で。
散々、この目で見てきた。時には手伝いもした。
今度は自分があれを受けることになる。
冗談じゃない。それならここで踏み止まって戦うしかない……。
背後にいるニケらは三人の敵に圧倒されつつある。
あの二刀流の凄腕が、もう直ぐそこまで迫っていた。
ロシャは血が逆流したかのような感覚に震える。
アベルは見覚えのある男と対峙していた。確かニケという名の十傑将だ。
冑を装着した髭面で、陰険な気配を発している。
今は追い詰められた野獣のような表情で、数本欠けた歯を剥き出しにしていた。
カチェが少し離れたところで戦っている。
対峙する相手の攻撃を見切って空かし、瞬間的に物凄い斬撃を与えた。
肩から胸にかけて防具ごと切断してしまう。
それからカチェは、いきなり棒手裏剣をニケに向かって投じる。
気が付いたニケは頭を動かして冑で防ぐ。命中。火花が散ったが、貫通はしない。
別の手下がカチェに襲い掛かるが、腕の劣る者だった。
興奮して動きは激しいが、まるで大振りばかり。
援護はいらないと判断して、アベルはニケと決着に持ち込むべく接近。
距離が縮まり、互いの殺意が極限に高まる。
視線が絡みつき、気合負けしないようアベルは腹に力を入れた。
接近戦である剣戟では恐怖心から、つい敵に先んじて攻撃しようとして間合いから外れているのに斬撃をしてしまう場合がある。
だが、一方が達人なら、無意味な攻撃をした者が殺されるのだった。
アベルは二刀を共に中段に構える。
刃は立てずに、横に寝かす。
中段はどちらかというと攻撃向きの構えではなく、相手の隙を狙う技を繰り出しやすい。
ただし、二刀で中段に構えると、相手は非常に威圧を感じて攻撃を躊躇うようになる。
敵は脅かしたほうがいい。
余裕を失うと下手を打つ。
さらに接近する。
もう間合い寸前。
アベルはニケという男の、荒い息すら肌に感じた。
ニケは両手持ちの剣を脇構えにしていた。それをあえて片手で扱っている。
きっと腕と上半身を思いきり伸ばした突きを仕掛けてくるのだろうとアベルは想像する。
二刀構えに隙は見出し辛く、一発勝負に賭ける傾向が相手に現れやすくなるのを、数十人の敵を斬り殺す最中で知っていた。
ワルトの唸り声、誰かの悲鳴が聞こえた。
次の瞬間、ニケの体が沈み込む。
アベルの足元に両手剣の切っ先を滑り込ませてきた。
鋭い攻撃だが、かなりの程度、予測していた攻撃だった。
半歩退いて、さらに打ち上げられてきたニケの切っ先を無骨で弾く。
ニケに隙ができた。
左手の白雪を防具の隙間、肩と腕の境目に斬り込む。
滑らかに刃が通る。
両断された腕が石畳の上に転がり落ちた。
ビシャという飛沫の音を立てる。
ニケは大量に出血。
だが、まだ立っている。凄まじい目つきで睨んできた。
それから呪いのような言葉を吐く。
「おめぇは必ず殺される! ズマ様は絶対に見逃さない!」
「お前らって似たようなことばかり言って死んでいくな。地獄でズマを待ち侘びていろよ」
「……!」
止めの攻撃。
ほとんど体の自由が利かないニケを二刀によって上段と中段から襲う。
防御不可能。
ニケの顔面が十字に割れた。
生前の悪人面と相まって、地獄にお似合いの顔だった。
カチェとワルトが他の敵へ、獰猛な襲撃を続けていた。
もはや圧倒している。
残る敵はロシャとピソルという十傑将。その周囲を守っている十人ほどの手下たちだけとなっていた。
アベルは呼吸を整える。
心臓は爆発しそうなほど打たれていた。
殲滅、皆殺しの欲求が高まる。
極悪人が揃いも揃っているのだ。慈悲も容赦も必要ない。
命乞いする奴から殺したっていいぐらいだった。
仕上げにズマが大事にしている金を奪う……。
アベルは前に進もうとしたが、足元に倒れている重傷の敵がしつこく邪魔をしてきた。
槍で防具のない股下を貫こうという抜け目のない攻撃だったが、アベルは柄を押しのけ、接近して喉を刀で斬り裂く。
辺りには血液の臭いだけでなく
しこたま酒を飲んだ男たちの血中や臓腑には大量の酒が残っていたらしく、それが飛び散ったためだった。
さらに石畳には血溜まりが出来ていて、うっかり歩くと滑って転倒しそうなほどである。
ロシャは包囲を突破できないまま、茫然としつつある。
自分のほうに近づいてくる二刀使いに対抗しようと、気合の声を出してみた。気分は少しも抑揚しなかった。
死にたくないと思いつつ死地に飛び込む矛盾。
逃げようという心の叫び。だめだ、金があると思い直す。
戦うしか無かった。
ピソルと連携して捨て身の攻撃を仕掛けようとした……、その時。
暗闇に炎が輝くのをロシャは見た。
攻撃魔法の兆しだった。
広場の隅から数発の火弾が飛んでくる。
炎弾の飛翔速度は遅いので、到達までに時間があった。
慌てて敵の伏兵に混じっていた魔法使いが水壁を創る。魔法は相殺され、ともに消え失せた。
直後、喚声を上げて大人数が雪崩れ込んでくる気配。
松明や魔光が数十と現れる。
ロシャは歓喜の叫びを上げる。
暗がりから駆け寄ってくるのは、間違いなく仲間たちだった。
「援軍だ!」
十傑将のサルゴーダは実際のところ爆発を聞いて、すぐに襲撃だと悟っていた。仲間が襲われている……。
だが、すぐさま駆け付けはしなかった。
まず確実に勝てるように手勢を集めるのが先だ。
どんなものが敵であるのか分からない。そんなところへ準備も無しに、慌てて飛び込むのは愚かというものだ。
次に戦闘を見極めて、ここぞという時機まで待つことにした。
何といっても他の十傑将を無条件に助ける義理も必要もなかった。
利用できる者は全て利用する。
それが出世するためのコツだった。
やがて路地に隠れていた敵の伏兵が姿を現し、いよいよロシャたちが押し込められる寸前。サルゴーダの細い目が狡賢く歪む。
もともと、ずっと警戒していた。
会計のマゴーチが殺された時、必ずまた襲ってくると思っていたのだ。
あえて時間をずらし、ロシャと合流して宿舎に移動しなかったのも危険な先導役をやらせておこうという計算でもあった。
予想通りだった……。
サルゴーダは三手に分けた部下たちに攻撃を命じた。
スターシャ、バザック、オーツェルは背後から傭兵たちが意外なほどの多数で接近してくるのを知り、状況が激変したのを理解した。
挟み撃ちしたはずが、これでは自分たちこそが囲まれつつある。
そういう狙いだったのかは分からないが、うっかり囮に食らいついたようなものだった。
即座にスターシャは逃走を呼びかける。
しかし、ロシャやピソルという名の十傑将たちは、つい今まで押し込められていたのに、形勢が逆転したと見るやスターシャらの逃走を妨害しようとしてくる。
さすがに実戦を戦い抜いてきた傭兵。臨機応変さがあった。
アベルはそれを見て危険を顧みず突入。跳躍するように歩んだ。
敵の援軍に包囲されたらお終いだ。
今は左右二手に分かれてしまっているスターシャたちと合流して逃走しなければならない。
相手を動揺させるつもりで名を呼ぶことにした。
「ピソル!」
反応がある。
ピソルが振り返り、五人の手下を連れ、対抗して来た。
爬虫類のように冷たく感情のない視線をしている。
アベルは陽動のつもりで魔力を高める。
炎弾を創生して、しかし、射出しないでピソルに接近。
ピソルは氷槍を行使、射出してきた。
アベルは見切って、ぎりぎりで躱してから炎弾をピソルの手下へ射出した。よけられるかと思ったが、意外に動きの鈍い相手の下半身に命中。
人体が破裂して、肉片が飛び散った。
ピソルは素早く離れて何の傷もない。
ピソルが片刃の刀を手に、接近してきた。
アベルは左の白雪を意図的にピソルの視線に合わせて、ゆっくり振る。
人間は動いているものに視線が追随していく習性を利用した
ピソルはそれでも惑わされないように警戒して、刀の動きを無視しようとしたが、次にアベルは右の無骨を大上段に構え直した。
ピソルは優れた剣士でもあるようだ。
術中に呑まれまいと、あえて強引に上段斬りを仕掛けてきた。
ピソルは刀を両手持ちにしている分、片手で一刀を握っているアベルを押し斬りにできると考えたらしかった。
だが、アベルはその心理を瞬時に察して、利用する。
ピソルの攻撃を受け止めるように見せかけて、実際は半身を動かす。
アベルの鼻先で刃が空を斬る。
カウンターで大上段に構えてあった無骨を振り下ろした。
回避しようとするピソルの肩に切っ先が滑り込む。そのまま胸の防具ごと切断するが、惜しいところで致命傷には至らなかった。
呻きを漏らしてピソルが後退し、代わりに手下たちが攻撃してきた。
カチェやワルトと協力して乱戦になる。
手負いのピソルはロシャの方へ走っていった。
スターシャとオーツェル、それにバザックが慌ててロシャたちを迂回して逃げようとするが、なかなか振り切れない。
アベルは接近戦をしながら戦況を見渡す。
暗い広場に、松明を持った傭兵たちが湧き出していた。
もしかしたら百人以上はいるかもしれない。
一刻も早くスターシャたちと逃げなくてはならない状況だった。
アベルは群がってくる新手に向かって火魔術「爆閃飛」を連発。
小雨の降る闇夜を引き裂いて、炎の槍が飛んでいく。
敵の集団の最中で激しい爆発と重たい衝撃。
アベルの魔力が高まっているせいなのか、以前よりもさらに威力は増していた。
敵は怯んだようで、出足が鈍る。
それを見たバザックはスターシャに呼びかけた。
「俺はあのロシャという将とケリをつけてくる。生き残るつもりはねぇ」
「バザック?」
「じゃあな、お前はいい娘だぜ。逃げて、いつかズマを殺してくれ」
スターシャが引き留める前にバザックは無謀な攻撃を始めた。片手剣を突きの構えにして、大声を叫びながらロシャに向かって走っていく。
ロシャや数名の手下たちは迎え撃つ体制。
巨漢のロシャへ体当たりのような攻撃。
バザック、渾身の突きはロシャの太腿に突き刺さったが、代わりに金砕棒はバザックの首を圧し折っていた。
一目で即死と分かる姿なのを見届けたスターシャはその隙に駆けだす。
スターシャは歯を食いしばる。
しまったという後悔。
バザックはとっくに覚悟が出来ていたのだ。
老いさらばえ、腐って野垂れ死にするぐらいなら派手に死にたい……それには復讐こそが相応しい。
そう考えているのを察するべきだった。
いとも簡単に命を捨て、逃げる機会を作ってくれた。
ロシャの手下が妨害してきたが、スターシャは相手の剣めがけ渾身の一撃を食らわす。強引に防御を崩して、続けざまに剣先を突き込む。
相手の腹に深々と刺さる。
流し目斬りから突きへと変化する高度な剣術だった。
スターシャとオーツェルはアベルと合流する。
夜の広場は暗い。松明か魔光が無ければ、ほとんど何も見えない。
アベルは魔光を出現させた。
そのままスターシャを先頭に全速で駆ける。
背後からロシャが追ってくる気配があった。
複雑に入り組んだ市街地に逃げ込めば何とかなるだろうと期待してみるが……。
だが、上空に強い光源が現れた。
魔光を何倍も強力にしたようなものだった。
アベルたちの姿が鮮明に晒される。
新手の十傑将は周到に人数を分けていた。
逃走するアベルたちの前方に三十人ほどの集団がいる。
いずれも槍や刀剣を掲げて、戦意に満ち満ちた様子。
オーツェルが数発の炎弾を撃ち込むが、予期していた相手は防御魔法で対抗。
被害を与えられない。
「アベル……」
隣のカチェが小声で名を呼ぶ。最悪の状況だった。
あと一歩で広場を抜け、市街地に逃げ込めそうであったが、その前に包囲されてしまった。
アベルは退路を塞ぐ集団に一人、近づく。
「スターシャ、そっちは四人で何とかしてくれ。時間稼ぎを頼む」
「お前は」
「あいつら、僕が一人で蹴散らして逃げ道を作る」
アベルは返事を待たない。もう議論しても無意味だ。
普通に考えれば絶望的なのかもしれない。
しかし、不思議と戦意は衰えなかった。
体の中で力が漲っていた。
たとえば、あの狂える師ヨルグから発せられていた鬼気のようなものと比べれば、粗野な殺気など恐怖に値しない。
アベルは魔法を使うには近すぎる距離まで一気に駆けた。
外套は返り血で真っ赤に濡れている。刀の柄が血脂でぬめっていたのでそれだけは拭っておいた。
槍を持った戦士が二人、アベルに呼応して飛び出してきた。
巧みな連携、足と胸をそれぞれ突いてくる。
槍はリーチがあるから有利なようだが、基本的には突き込んでくるだけの単調な仕草が多い。
アベルは二人の攻撃を、手首や体の動きから読み取る。
股を突いてきた穂先を躱し、胸元に接近してきた槍先は左の白雪で逸らす。
アベルは低い姿勢で前に踏み込み、無骨を横に振るう。
敵の足が切っ先に払われて切断された。槍を持った相手が転倒する。
さらに猛攻を続けた。
アベルが刀を振るうと、敵の顔面は二つ割に分かれる。
「うおおぉぉぉぉ!」
気合の声を上げてアベルは敵中に入り込む。だが、動きは絶対に止めない。
興奮しつつ醒めているような、奇妙な感覚。
敵の動作が、やけに鈍く見えた。
どいつもこいつも粗雑で無駄な行動をしている。さきほど刃を合わせた十傑将ピソルなどに比べれば、まったく腕に冴えがない。
敵たちは向かってくるのが一人とあって、倒すのは容易と思っていたのが予想外の強さで動揺しているようであった。
アベルはあくまで攻撃。
足が斬り飛び、心臓を突かれた敵が絶命する。
両眼を斬られた戦士が血で顔面を染め上げながら泣き叫んだ。
どの顔にも恐怖の表情が浮かぶ。
人間は恐怖すると動きが硬くなる。また計算された精緻な動作は不可能となり、支離滅裂な行動を見せるものだった。
この怯みに乗じない手はない。
アベルはさらに暴れまわった。
乱戦の最中、アベルは一瞬だけ背後を振り返る。
カチェ、ワルト、スターシャ、オーツェルが協力しながら戦っている。
上手に対抗しているが、なにしろ敵が多い。時間が惜しかった。
アベルが次の敵を求めていると、ひとり前に出てくる。
殺しそこねたピソルだった。
傷から血は流れていない。仲間の治療魔術師に治させたらしい。
「いいか、もうお前らの負けだ。こっちには二百人からの手勢がいる。せいぜい暴れてみせろよ」
「暴れる? 遊んで散らかしているだけだが」
一瞬、ピソルの頬が引き攣った。
酷薄な瞳に、さらなる殺気が宿る。
「ほう。元気な方が痛めつけるのは楽しくなる。ただの殺し方はしねぇ。手足を切り刻んで芋虫みたいにして飼ってやるぞ」
「おいおい。ズマに飼われているのはお前の方だろ。芋虫より哀れだぜ。死ぬまでズマの尻を舐めてろよ」
ピソルは歯軋りをして唇を捲れ上がらせた。
怒りと共に喋る。
「みんな泣いて、殺してくれと頼むようになる。そいつに豚の糞を食わせるのが、なかなか見物なのさ。お前にも味わってもらおうか」
ピソルの冷え切った視線。
本当に言葉通りのことをやる気でいる。
情など欠片もない、他人を物体として見つめる精神の持ち主。
荒み切った、人間を残酷に扱ってきた者だけができる眼だった。
先ほど手傷を負わされ、あくまで復讐を望んでいる。
アベルは闘志を高める。
――こいつは俺の敵だ。
殺してやる……。
ピソルが氷槍を連打しながら迫ってくる。
アベルが夢幻流の秘術で対抗しようとしたとき、背後からカチェの大声。
「弓が狙っている!」
アベルは咄嗟にしゃがむ。頭上で不気味な擦過音。
ピソルは憎々し気な顔つきをしている。初めから弓で狙い撃ちにする意図だったようだ。
思ったようにならず怒っている。
弓の使い手がどこにいるか……。
暗がりに潜んでいるのか分からない。カチェの立ち位置から偶然、見えただけだったようだ。
このまま持久戦に持ち込まれると、本当に逃走の機会は失われてしまう。
最後の手段は雷の魔術「紫電裂」で敵を崩壊させ、隙を作ることだが、いまだに確実性のない魔法だった。ここで都合よく使えるか不安が大きい。
むしろ、至近距離に落雷させて味方にまで被害を与えてしまう恐れすらあった。
ピソルは、打って変わって今度は巧みに距離を取り始める。
闇夜から、再び矢が飛んでくる。
アベルは反射神経で躱す。胸甲に掠って外套を貫通していった。
ピソルは怯えている手下を怒鳴る。
「なにしてやがる! さっさと囲んで押し殺せ!」
まったく冷酷で狡猾な男だった。
一対一で戦うと見せかけて、実際は搦め手で攻めてくる。
そして、アベルたちは時間が経てば経つほど不利になっていく。
――もう紫電裂しかない……。
覚悟を固めた時、逃げ道を塞いでいる敵の集団に異変がある。
鈍い、何かを斬るような音。
連続して発生する。
「な、なんだぁ、こいつら!」
「敵がまだ隠れてやがった?!」
そんな傭兵たちの緊迫した声が聞こえた。
松明の炎に二人の人影が浮かんでは消えた。
一人は長身の姿。もう一人は普通の大人ぐらいだろうか。
二人とも外套で頭を覆い、仮面をしているから顔は見えない。
長身の男は獅子の仮面、もう一人は鷹のそれを付けている。
その二人は異常なほど手際が良かった。
長身の者が大剣を振るうと、あっさり人体が両断される。
あまりに見事に断たれたため上半身のみの奇妙な姿になった男が、それでも即死しないで呻き声を上げていた。
鷹の仮面を付けた方は二刀使いだった。
右手に片手剣、左手にはダガーを持っている。
こちらもやはり凄まじいまでの腕前。
ほとんど剣戟にもならない内に相手を斬殺していく。
アベルは二人の戦い方に既視感を抱く。
だが、信じられない、という思いが勝ってしまう。
そんなわけがない。
だが……
――あれはガイアケロンとハーディア!
ガイアケロンと思しき人物の接近戦は、ほとんど神業だった。
相対する敵の剣を圧し折り、捻じ伏せ、突きや払い技を流れるように繰り出す。
全く付け入る隙のない、いわば巨大な絶壁の迫力だ。
狂暴な傭兵を木偶人形のごとく容易に倒していく。
もともと動揺していたところに新手とあって、敵の集団は多勢にも関わらず逃げ出した。
ピソルが怒鳴り上げる。
「逃げた奴は後で必ず殺すぞ!」
アベルはその隙に火魔術「爆閃飛」を発動させる。
頭上に赤々と熱を発する焼けた鉄のような紡錘形の塊が現れた。
弓兵が隠れていそうな場所へ適当に撃ち込む。
炎の槍が闇夜を引き裂く。
激しい爆発。
弓兵が軽々と吹き飛ぶのが見えた。
アベルは猛然とピソルへ駆け寄る。
「ピソル! 俺を殺すんだろ! 来てみろ」
ピソルは表情を変えずに迎え撃つ姿勢。
「お前だけは殺してズマ様への土産にしとかねぇとな。絶対に逃がさねぇ!」
間髪入れずアベルは左手に持つ白雪を上段の構えと見せかけて、投げつけた。
爬虫類のような相貌に飛んでいく。
ピソルは見切って避けたが、続けてアベルは頭を狙って無骨を振り下ろす欺きを仕掛ける。
イースの得意技。
実際には刀の軌道は変化して、腕を落とす。
頭を防ごうとしたピソルの右手首に無骨が滑り込む。
切断された腕から血が噴き出た。
初めてピソルの顔に、くっきりと恐怖の表情が現れる。
無骨を下段から素早く返し、跳ね上げる。
ピソルの顎から額へ、刃が走る。
ゆっくりと顔面が削ぎ落ちていった。
大出血と共に体が倒れる。
恨み深い顔をした肉の面が、無残に暗闇を睨んでいた。
アベルは深く息をつく。
不意に現れた援護者たちは、いよいよ敵を圧倒していた。
屍が二十体ほど地面に横たわっている。
顔を隠しているが、実際に稽古をした相手だ。
間違えるわけがない。
アベルは駆け寄る。
「二人とも……!」
「今は話しをしている暇はないぞ」
獅子の仮面をした男から発せられたのは聞く者を安心させるガイアケロンの頼もしい声だった。
アベルの胸が熱くなる。
危機に陥るのを予期して、密かに広場の近くまで来てくれたのだ。
苦しい防御戦を続けているカチェたちに合流するや、ハーディアが物凄い魔力を集中させる。
魔術が完成するまで、さほど時間は要しなかった。
詠唱が完成する。
「氷嵐極界」
ハーディアの頭上に恐ろしげな轟音を立てる小型の竜巻が発生していた。
そこから氷の礫が嵐のように噴き出す。
傭兵たちに向かって、怜悧に尖った氷塊が襲い掛かる。その効果範囲は極めて広く、ほぼ敵の全てを覆いつくす。
相手の魔法使いたちが防御魔法を出しているが、まったく麻痺状態となった。百人を超す敵が身動きできなくなる。
アベルたちは逃走に転じた。
しかし、体力に劣るオーツェルが遅れだした。
魔力を消耗しているせいもあってか、ふらついている。
ガイアケロンが見かねてオーツェルを軽々と背負う。
「なぜ、貴方がここにいるのですか……! こんなことが……」
「黙って背負われていろ」
街は騒然としていた。
普通、夜間に人々は家屋に閉じこもっている。それは治安が悪く、下手に出歩けないためだ。
しかし、度重なる爆発音や叫び声に目を覚ました市民たちが窓を開け、あるいは外に出て様子を伺っていた。
それだけの大騒乱だった。
血まみれなったアベルたちが路地を駆け抜けていくと、驚きの表情をした人々と擦れ違う。
先頭を走るガイアケロンは名も無き小道を熟知しているようだった。時には家屋の隙間などを縫うように進んでいく。
だいぶ走ったところでガイアケロンは言った。
「この先に良心的な酒場があってな。夜通し営業しているから金を払うと夜中でも馬を預かってくれるのだ。ここでちょっと待っていろ。馬を返してもらってくる」
仮面を外したガイアケロンにアベルは思わず聞く。
「そんなことに詳しいのですか」
「当り前さ。十歳までは下町育ち。しかも、母は踊り子だ。母親の職場近くに預けられることもあった」
馬を連れガイアケロンとオーツェルが二人乗り。
カチェはハーディアの後ろに乗った。
スターシャとアベル、ワルトは依然として走って移動。
馬を預けていた神殿で無事に馬を受け取り、アベルたちは郊外を目指すことにした。
血だらけの外套などを捨て、装備を検めてからエイダリューエ家の邸宅に戻らなければならない。
いかにも戦闘をしたきたという姿で貴族街を歩くのは拙い。
やがて黎明が訪れた。
雨雲は去り、地平線と空の境界が澄んだ紺青に変わっていく。
アベルたちは王都郊外の休耕地で血だらけの外套を埋めて、装備についた汚れを布で拭う。
特に武器の汚れは凄まじい。
アベルが刀を調べてみると母アイラから貰った白雪に刃毀れがある。
それに対してアスに授けられた無骨は、やや紫に似た不気味な金属光沢を保ち、傷一つない刀身のまま……。
アベルはスターシャが不機嫌そうな、それでいて嬉しそうな顔をしているのに気が付いた。
それから彼女はガイアケロンに話しかける。
「ガイ様。家臣は主のためにあるのです。こんな風に助けられるのは納得いきません」
「スターシャ……。お前たちに何かあれば後悔どころではすまない。こちらの気持ちも察してくれ」
スターシャは赤面して俯いた。
決して部下を駒扱いしないガイアケロンを、だからこそ愛しているのだった。
これほどの
ガイアケロンはアベルに向き直る。
「アベル。無事で良かった」
「最後は助けられてしまうとは……」
「さすがに不安になったのだ。ハーディアも嫌な予感がすると。妹の勘は当たる」
「危ういところでした。やっぱり攻撃を焦ったのかもしれない。実は協力者を一人、殺されました。バザックというスターシャ旧知の人物です」
「たとえ間違えていても仲間のことは助けるものさ。楽な時にだけ味方するのは誰にでも出来る」
暗い情熱を瞳に宿したアベルが微笑した。
ガイアケロンはアベルに深く感謝する。
全くの無償で、命懸けの戦いを続けている。
儚く、砕け散ってしまうかもしれない自分とハーディアをこうまでして支えてくれる不思議な少年だった。
やはり友情を感じてしまう。
ガイアケロンはアベルに力強く頷く。
父親との謁見も近い。
僅かでも機会があれば、父を殺さずにはいられないだろう。
人々はガイアケロン王子は乱心したと思うだろうか。
乱心など出来る方が羨ましい。
冷たく研ぎ澄まされた精神は、狂気のような憎しみと混ざり合って離れない。
正気のまま、父を殺すはずだった。
その時には、ここにいる仲間たちを道ずれにしてしまう。
それとも仲間や妹も犠牲にしない方法はあるだろうか。
難しいどころではないが……。
「アベル。お前がいると何でも出来そうな気がする」
「望みは叶える。必ず」
ハーディアは兄が久しぶりに、心から爽やかに笑っているのを見つけた。
どうやらアベルのお陰らしい。
エイダリューエ家の邸宅に着いたら、細やかな祝宴に値する戦いだった。
いまだに不平を述べているオーツェルを宥めながら、一行は帰路についた。
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