第132話  闇夜の戦い






 十傑将のロシャは五人の手下を連れて、夜の街を歩く。

 手下の内、一人は骨虫、もう一人は縊り鼠という仇名の男たちだった。

 その二人は、つい先ほど裏通りで人を殺してきた。

 相手はただ通りすがりの男で、骨虫が突然襲って首を掻き斬った。

 こうして殺人をしておくと胆が据わって、仕事が捗るというのが理由だった。


 ロシャらは闇夜に紛れて運河を小舟で進み、地下水道の中に入る。

 少し奥で船を下り、狭い石段を上がっていくと貴族街に出た。

 人気は無い。月明かりだけを頼りに無言のまま歩いてゆく。

 

 先頭を歩く男は道案内だ。

 傭兵たちが貴族街の地理に詳しいはずもなく、新たにロシャが雇った。


 普通に昼間、エイダリューエ家の前まで行くのなら、こんなことをする必要はない。

 検問の衛兵に許可書を見せて、貴族街を堂々と通行することぐらいできる。

 しかし、ズマの命令はハーディア王女の寝室や居室の位置を探り出せ、ということだった。

 闇夜を利用して潜り込むしか方法はなかった。


 ロシャは内心、激しく不満だった。

 そんなことを調べてどうしようというのだ……。

 まさか枕元に恋文でも置いていくつもりではあるまい。


 だが、成功させなければズマは怒り狂う。ハーディア王女の事になると気違いじみていた。

 下手をすれば制裁される。ロシャは凄惨な拷問を思い出し、身震いした。

 失敗するわけにはいかない。


 案内の男が指さした。

 その先の壁がエイダリューエ家のものらしい。

 ロシャらは道端の藪に分け入る。黒い外套に身を包み、地面に伏せていれば隠れることができた。


 骨虫と縊り鼠が、小動物のような身の軽さを見せた。

 素早く通りを横切り、鉤爪のついた縄を投擲する。

 器用に登って、あっという間に姿を壁の向こう側に消した。

 あの二人は、かつてハーディア王女を視認したことがあるので、本人を見かけたらそれと分かるであろう。




 アベルは夜中、目が覚める。

 誰か扉を開けたからだ。

 敵を追い求めて野営を繰り返すような日々を送った結果、熟睡しない癖がついている。

 扉を静かに開いたのはワルトだった。

 起き上がると小声で報告してきた。


「変な臭いがしたっち……。外から誰かが入ってきたずら」

「昨夜はそういうことはあったか」

「ないっちよ」

「……」

「血の臭いが混じっている気がするっち」


 アベルは革靴を履き、刀と棒手裏剣を身につけた。

 防具を装着する時間はない。

 木戸を少しだけ開けて、外を覗くと、うっすら月明かりだけがあった。

 まだ真夜中だ。夜明けには時間がある。

 どういうことなのか想像してみる。


 こんな時間に衛兵が出入りすることはあるだろうか……。

 エイダリューエ当主のセムは邸宅や庭の警戒を、厳重にするよう命じている。

 だから庭などは無数の見回りがいるはずだ。しかし、ひとたび邸内に入れば衛兵は少ない。

 現に、帰国に同行した旅団員の大部分は離れた倉庫で寝起きしている。

 特にガイアケロンが傍にいさせてくれと頼んだ側近だけが、邸内の利用を許されていた。


 大邸宅のうち、寝室など重要施設は二階に集中しているはずだった。

 これは貴族の館では、いわば常識だった。

 一階は安全上の問題、景観の悪さなどから厨房や倉庫、使用人の部屋に割り当てるのが普通だ。現にアベルに与えられた個室も一階にある。


 ガイアケロンの居室は二階の南側手前。着付けを手伝ったから室内の様子も理解している。

 ハーディアの部屋はもっと奥にあるらしいが詳しい場所を確認していない。

 カチェは侍女としてハーディアの側で休んでいるはずだった。


――暗殺者かもしれない。


 アベルはその結論に至り、緊張を覚える。

 王族、貴族間の嫉妬や敵意は想像を絶する。

 権力闘争は信じられないような陰湿さを帯びているはずだった。


 アベルは音を立てないように歩く。

 魔光はまだ使わない。光で位置が暴露してしまう。

 敵から先に見つけられるということは、先制攻撃を食らうのと同義だ。これは戦いの禁則である。

 アベルはワルトの腕を掴み、誘導してもらう。

 忍び足ならワルトの方が上手いかもしれない。獣人は狩猟者でもある。

 邸内は暗く、ほとんど何も見えない。


 この大邸宅の構造は、それほど把握していない。

 まだ到着したばかりであるし、屋敷の使用人や騎士たちは外部の者がうろつくのに良い顔はしない。

 とりあえず玄関を目指す。中央階段がそこにある。


 辿り着いた正面玄関には天窓があり、珍しくもステンドグラスのような不透明な硝子が嵌め込まれているので、僅かに明るい。

 中央階段から二階に移動。

 とりあえずガイアケロンの部屋の前まで忍び足で移動した。扉に異常はない。

 ノックすると中から人が現れる。

 馬廻りのヴァンダルだった。それから見知った中年の魔法使いが一人。

 この二人は不寝番だ。


「どうしたアベル」

「何か異常は? 些細な事でも」

「いや、特には」

「ハーディア様の部屋を知っているか? 僕の奴隷ワルトが変な臭いがしたって言っている。血の臭いだって」


 ヴァンダルは顔つきを変えて奥の別室に行く。

 ガイアケロンを起こしたらしい。

 王子は寝起きであるのを感じさせない軽快さで飛びだして来た。

 手には小振りで幅広の剣を携えている。

 屋内で狭いため、いつもの大剣では使いにくいから違う武器を選んだらしい。


「すみません。せっかく休んでいたのに」

「安全に関わることは必ず知らせるように言いつけてあるからな。気にするな」


 アベルは事情を説明すると、部屋の配置を理解しているヴァンダルに先行を任せて進む。

 ヴァンダルも決して腕の劣る男ではないが、隠密行動には慣れていないようだ。足音が響いてしまった。


 通路を二度折れた先で異常は直ぐに発見できた。

 窓の一つ、木戸が不自然に開いていた。

 他の戸締りは完璧なので、こんなハーディアの居室の近くに限って忘れるなどということは考えられない。

 ガイアケロンがハーディアの部屋をノックして開けると、中からカチェや侍女が出てきた。

 特に問題はないという。ハーディアは安眠薬の影響か、まだ寝ているらしい。

 アベルは即断する。


「僕が侵入者を追います。たぶん慌てて逃げたのでしょう。少人数の方がやりやすいからワルトだけ付いて来てほしい。他はハーディア様を守ってくれ」


 返事を待たずアベルは窓から外に飛び降りた。ワルトが続く。

 臭いを手掛かりにワルトが闇に包まれた庭園に入って行った。

 月明かりで、かろうじて物の輪郭が捉えられる。

 夜警の衛士もどこかにいるはずだが、なにしろ広大な庭園なので姿は見えない。

 しかも、みやびた趣を出すために木陰や起伏があるので、隠れる場所は無数にあった。


 下手に衛士たちを呼ぶと混乱を起こすだろう。まだ、主要な者との面通しをしただけなので互いに顔も名前も分からない。

 ワルトは臭いを追って迷いなく小走りで進む。


 そろそろ外壁に着くかと思われた頃、アベルは闇の先に何らかの気配を察知した。

 暗がりで待ち伏せしているつもりらしいが、数々の戦闘で鍛えられた感覚はそれを逃さなかった。

 ワルトも仕草で伝えてくる。


「出でこいよ。そこに二人いるのは分かっている」


 無言のまま、茂みから敵が姿を現した。

 二人とも布で顔面を覆っている。防具を身につけているのか分からない。

 黒っぽい服で詳細は見えなかった。

 体格は中肉中背らしいが、体を屈めるようにしているので妙に小さく見えた。

 アベルはどことなく嫌なものを感じる。

 戦場の騎士や戦士と違って、いかにも夜陰に紛れて攻撃するのを得意としている雰囲気だった。


 敵は姿を現したものの、特に喋るわけでもない。

 武器を構えて静かに「待ち」の姿勢。

 こちらの出方を見るつもりかとアベルは感じる。

 疑ればきりがない。

 例えばこの二人の他にまだ伏兵がいるかもしれない。

 不用意に魔光でも出したところで短弓のような飛び道具を使ってくる可能性はある。


 無骨と白雪は既に抜刀してあった。

 牽制攻撃など下策の相手だ。それだけの実力を感じる。

 決断した。最初から猛攻撃で一気に片を付けよう。


 氷槍で先手、同時に接近しようと魔力を高めた瞬間、敵二人が動いた。

 その場でバネのように前跳躍をして間合いを詰めてくる。

 闇夜。

 敵の得物がはっきり分からない。

 それでも勘で見当をつける。

 一人の敵はダガー、もう一人は棒のようなものを持っていた。

 男が棒を振う。

 アベルの背中が粟立つ。


――音が違う!


 何か擦れるような奇妙な響き。棒が風を切る音にしては違和感。

 咄嗟に体をしゃがんで回避すると、耳元を何か通過していった。

 アベルの心臓は太鼓のように乱打した。冷汗が出る。

 絶対にただの棒では無かった。


――なんだ! 今の?


 こうなったら仕方ないので「魔光」を発動。

 アベルの頭上に紫色をした柔らかな光球が浮かび上がる。

 すると正体が分かった。

 ただの棒に見えたそれは、先端に鎖と分胴を付けた武器だった。


 闇夜に騙され、ただの棒と戦っているつもりだと想定外の距離から伸びてきた分胴に顔などを破壊される得物だ。

 おそらく鎖が伸縮する仕掛けがあってワルトにも見えないように操作したに違いない。

 アベルは予想外の罠に嵌められかけて、怒りが湧き上がる。

 治療魔術があろうとも、一撃で意識を失うような攻撃を受けてしまえば無意味。

 どれほどの戦士や魔術師でも、嵌め手に絡め取られると命を失うことになる。


 ダガーの男とワルトが接近戦を始める。

 ワルトは動きが鈍る道具は不利と見て、斧を投げつけるなり短剣を抜く。

 投擲された斧を敵は軽々と避けた。

 

 ワルトは横跳躍と見せかけて突然、速足で襲い掛かる。

 しかし、ダガーの男はワルトの短剣を器用に回避して、逆に足蹴りをしてきた。

 素早く跳ねてワルトは躱す。アベルは異様な蹴り技なのを理解した。

 男の爪先に穂先のようなものが付いていて、実際は蹴りというより刃物による突きだった。


 鎖付きの棒にしても爪先の刃物にしても、不意打ち専門の武器だ。

 そうした武器は相手の不測に付け込むとかなり有利で初見殺しにもなる。

 剣の達人を目指す者ならば、まず使わない邪道の手口だった。


 アベルは極めて危険な賊と断定して生け捕りなど考えず、ここで殺す決意を固める。

 すでに接近され過ぎていて魔法を行使する隙はない。

 気象魔法の極暴風で相手を弾き飛ばして距離を稼ぐと、視界が悪いから逃がしてしまう恐れがある。

 逃走だけはさせない。


 摺り足で前進。アベルが狙いを定めたのは鎖棒を持つ相手。

 敵は後退せず、対峙してきた。

 アベルは間合いに敵をおさめるべく、じわじわ接近すると敵は懐から何かを取り出し投げつけてきた。

 半身ずらして回避する。

 胸のきわを掠めていったそれは、やはり鎖だったが先端に鉤爪が付いていた。


 敵が鎖を巧みに引くと、鉤爪がアベルの服に引っ掛かった。

 アベルは上体を揺さぶられる。鉤爪を外す隙はない。

 さらに強く体を引っ張られて途惑った瞬間、敵は棒の逆側の鞘を外す。

 刃が冷たく光った。


――槍にもなるのか!


 アベルは焦りそうになるのを抑え、繰り出される刃の軌道を見切る。

 真っ直ぐに顔面めがけて伸ばされてきた。

 左手の刀で弾く。火花が散った。


 敵は後ろに下がりながら、さらに狙いを澄ましてくる。

 鉤爪を引いてアベルの行動を制限しながら再び必殺の刺突を繰り返すが、二刀で捌けない攻撃ではないと見極めた。


 アベルは無謀なほど大胆に接近。

 迎撃してきた槍を跳ね除けると、右手に握った無骨を、溜めの動作なく敵の腕に目掛けて振り下ろす。

 こうして勢いをつけるための動きを省いた斬撃は、相手に「起こり」を察知させない効果がある。


 禍々しい愛刀が滑らかに肉を斬る感触。

 半ばまで上腕を断った手ごたえがあったが、敵は武器を捨ててバックステップで距離を取ろうとした。

 アベルは炎弾を創生、敵の身のこなしを考えれば回避されるのは明白なので、相手の背後に向かって射出。


 爆発。

 敵が背中から爆風を受けてよろめく。

 作りだした隙、アベルは跳躍接近。

 ただの攻撃を仕掛けるつもりは無い。

 それでは回避される。

 狙いは上段と横からの多重攻撃。

 わざと分かりやすい上段を仕掛ける。


 敵は小刀を抜いて防御してくるのが見切れた。

 左の白雪で小刀を激しく打ち下ろし、防御を破る。同時に掬い上げるように無骨を首筋に一閃。

 柔い手ごたえ。

 頸骨ごと男の首が切断される。

 動脈から血を吹き、体が倒れた。


 爆発による派手な音がしたので、あたりが騒がしくなってきた。

 少し離れた所から衛士たちの叫び声がする。

 ダガーの男も猛者らしく、ワルトと互角に渡り合っている。


 アベルがワルトの援護をしようと接近したとき、ダガーの男が何かを投げつけた。

 ワルトの足元でそれが破裂する。

 煙が湧き立つ。

 

 ダガーの男はさらに同じ球のようなものを懐から出して、連続で破裂させた。

 アベルは咄嗟に棒手裏剣を敵の体に向かって投擲。

 命中した。

 だが、ワルトが悲鳴を上げる。強い刺激臭が伝わってきた。


「毒か!」


 アベルは慌てて口を袖で覆い、後退する。

 ダガーの男は隙を逃さず、体を翻して走る。外壁に取りついた。

 毒煙のせいで痛む目をしばたかせ、アベルは氷槍を創生。

 敵が鉤縄を使って壁の登攀を始めたところで射出。

 心臓あたりを狙ったつもりが、痛みのせいで逸れて脇腹に命中した。

 相手はそのまま壁の向こうに逃げてしまった。


 急いでアベルは清水生成で水を作って顔や目を洗った。たぶん唐辛子の粉のようなものに毒を加えたものではないか。

 水で洗うと目はだいぶマシになる。

 追跡を続けようか迷ったが、ワルトが尋常ではない苦しみようだった。

 聞いたことのない悲鳴を上げて、のたうちまわっている。


「ワルト! 今、助けてやるから落ち着け!」


 獣人は嗅覚が鋭敏な分だけ刺激物には弱い。

 弱点をもろに突かれた形だった。

 とにかく水で顔や鼻を洗い流してやる。ワルトは目を真っ赤に充血させて涙を流していた。


 毒煙の成分がまだ辺りを漂っているのか、あるいは体に付着したものが再度巻き上がっているのか、再びアベルまで咳き込んだり目が痛くなったりしてきた。


――こんな方法もあるんだな……。


 アベルは未知の攻撃に驚きつつワルトの治療を進める。

 もう全身を洗浄するような感じだ。

 敵を驚かせるため、足先で泥を蹴り飛ばして相手の顔にぶつけるというような事は自分でもしたことがある。

 毒煙はそうした不意打ちの発展系というべきだろう。

 ただ、毒の粉を作って、腸詰め用の薄い膜などに込めた球を作っておくのは技能や手間がかかる。

 しかも、使い方を誤ると自分や仲間を巻き添えにするから、通常の戦士は扱うことのない道具だ。


 わざわざこうした物を用意するのは、潜入や不意打ちばかりを専門にしているからと思われた。

 何て厄介な敵だろうかと戦慄する。


 いよいよ集まってきた衛士たちが武器を構えてアベルとワルトを詰問しだしたが、そこにギムリッドとガイアケロンらが駆けつけた。

 衛士たちにアベルが味方であるのを伝える。

 

 治療を続けるとワルトは取りあえず落ち着いたが、毒の痛みがよほど酷いようで疲労していた。

 アベル自身も毒の成分によるものか、体が怠い気がする。

 喉はいがらっぽい。


「ガイアケロン様。敵二人のうち、一人は討ち取りました。もう一人は壁を登って逃走しましたが、浅くない手傷は与えています。そう素早く逃げられるとも思えません」

「ギムリッド殿。どうするか」

「無論、追うに決まっています!」


 オーツェルの兄であるギムリッドは、顔に激しい怒りを表していた。

 名門エイダリューエ家、その次期当主の立場であり、いかにも上流貴族といった男だったが、今は別人のような殺気を漲らしている。


 彼は炎弾の爆発で飛び起きたらしく、寝間着のままだった。

 腰巻だけはしているものの上半身は裸。

 鍛えられた腕や胸板が松明の炎に照らされている。

 衛士長を呼びつけるなりギムリッドは大きな怒声を上げた。


「賊に侵入されるとは何事だ! いったいどこを見張っていた! 私みずから敵を追うぞ。この侮辱を必ず晴らす!」


 ギムリッドは抜身の剣だけを携えて猛然と走り出す。

 アベルやヴァンダルは付いて行くが、ガイアケロンは部屋に留まっているハーディアの元に戻っていった。

 その方がいいとアベルは思う。

 これが本格的な攻撃の前触れなら、狙われているのは王族兄妹なのだから……。




 ロシャは爆発音を聞いたあと、すぐさま撤退を始めた。

 骨虫と縊り鼠は何か失敗をしたに違いなかった。

 目的は潜入偵察であり、見つかった時点で逃げるしかない。

 夜の道を小走りに駆けて、地下道の入り口まで退く。

 そこで奴らの帰りを待つ。

 舌打ちした。


 ハーディア王女の寝室の位置だけでも特定できればいいが、騒ぎを起こしてしまった。

 ディド・ズマは怒るかもしれない。いや、必ずそうなる。


 責任は骨虫らにあるはずだが、そんな理屈が通用するとも思えなかった。

 ロシャは歯ぎしりしながら戻りを待つ。

 もし、帰ってこなければ何の成果も報告できない。

 それだけは避けたい。

 しかし、どうしようもなかった。 


 やがて暗がりから体を引き摺るようにして現れたのは、骨虫だった。

 辿り着くなり、か細い声で訴えてきた。


「ロシャ様。治療魔術師のところ……連れて行って。金払うから」

「王女の寝室は」

「……二階の東側の奥」

「どうして分かった」

「いっとう豪華な扉。中から香水の匂い。それから侍女が出入りしていた。俺、壁に張り付いて、木戸に穴開けて見ていた。ハーディア王女の声、そこから聞こえた。寝静まってから、もっと確認しようと屋敷のなかに入った。そうしたら見つかって、鼠は庭で殺された」


 骨虫は脇腹からかなり出血がある。それから胸にも血の広がりがあった。

 このままでも、それほど長く生きているとは思えない酷い傷だ。


 ロシャは少し考える。

 ハーディア王女が本当に滞在しているのはどうやらこれで確かめられた。実は別の場所にいる、というような仕掛けでもないと裏が取れたのだ。

 たぶん疑り深いディド・ズマはそれを気にしたのではないか……。


 次に骨虫を見た。こんな手負いの男、いるだけ逃走の邪魔だった。

 下手したら追いつかれてしまう。

 そんなことあってはならない。ロシャは野心を滾らせる。

 もっともっと自分の荘園を広げ、やがては数千人の奴隷を支配するのだ。こんなところでくたばってたまるか。


 無言のまま骨虫の首を掴んで、腕力で捩じり回す。

 鈍く、割れた音が頸椎から響く。

 ロシャと手下たちは地下道を駆けて小舟に乗り、闇夜に紛れて運河を進んだ。


 アベルたちは点々と落ちている血痕を辿って追跡した。

 やがて広場の片隅にある下水溝の脇に男が倒れているのを見つけた。

 すでに死んでいる。ここで力尽きて倒れたのかと思ったのだが、死体をよく調べると首が折れていた。

 どうやら口封じのため共犯者によって殺されたらしい。


 ギムリッドは死体を持ち帰るように指示して、それから地下式になった側溝の中を衛士たちに調べさせる。

 しばらくして、誰もいないという報告があり、邸宅に戻ることになった。


 ギムリッドは駆け足で大邸宅に向かって走る。アベルはそれに付き従った。

 邸内や庭園は騒然としていて、他にも隠れている者がいないか、灯りを手にした衛士が徹底的に調べている。

 ギムリッドは迷うことなくハーディア王女の居室へ向かっていた。

 扉の前ではオーツェルと当主セムが護衛の騎士と共に見張りのようなことをしていた。

 ギムリッドは精巧な飾りの付いた扉を叩き、声を掛ける。


「ギムリッドです。ガイアケロン様。中に入ってもよろしいでしょうか。報告があります」


 扉を開けたのは治療魔術師のクリュテだった。

 部屋にカチェ、ハーディア、ガイアケロンがいる。

 ギムリッドはハーディアの前で頭を下げて詫びた。


「ハーディア様。賊の接近を許すなど、このギムリッドの失態です。何とお詫びすれば良いか分かりません」

「賊はどうなりましたか」

「二人とも百人頭アベルが討ち取りました。私の衛士はお役にたてず、恥の上塗りとはこのこと。しかし、彼には最大の感謝を。のちほどエイダリューエから恩賞を授けたく思います」

「彼は配下の中でも特に手練れといえる者です。気になさらず。どんな敵だったのか話しなさい、アベル」


 アベルは寝間着姿で椅子に座るハーディアへ近づく。

 

「これまで戦ったことのない手合いです。毒粉の入った球を投げられて、奴隷ワルトは戦闘不能にされました。武器もかなり変わっていましたね。鎖分胴と仕込み刃物のある棒というか槍というか……奇妙な物です。驚かされてしまった」

「おそらく暗殺や潜伏を生業にしている卑賤の輩でしょう。そういった者は不意打ちに長けているので歴戦の戦士でも討ち取られることがあります。よく斃しました。見事ですよ、アベル」

「ハーディア様はあんな手口の者とも戦ったことが?」

「無論、あります。奴らは狡猾ですが、それだけのことです。所詮、武勲の得られない暗殺稼業につく人間。剣の達人に比べて歪な腕前しか持たぬ者ら」


 ハーディアは平然としているように見えたが、ここのところ安眠薬がなければあまり寝れないらしい。

 やはり心には相当な負担があるはずだった。

 そんなとき、寝室の傍まで賊が来たとあっては、ますます辛くなるに決まっていた。

 ガイアケロンは滅多に不満を顔に表さないため普段通りに見えたが、ギムリッドなど悩み深い表情をしている。


「このギムリッド。ハーディア様の守護騎士を自認しております。しかし、これでは道化師も同じ。必ず首謀者を見つけて不名誉を濯ぎます」

「侵入した賊は成敗したのです。私はそれで許します。それに心当たりがありすぎて、犯人は見つからないことでしょう。むしろ悪いのはこうして狙われているにも関わらず、他に行く宛てのない我らです。ギムリッド殿はこれ以上、自分を責めないでください」


 ハーディアは少し寂しげに笑ってみせた。

 アベルの聞いたところによると、二人は王都にこれといった大きな拠点を持っていないのだという。

 王城に部屋はあるそうなのだが、形式的なもので、とても用に堪えない程度の設備らしい。

 それに王城は出入りに許可や制限が多すぎで不便だとも言う。


 いま、ガイアケロンとハーディアの名声は高まり、にわかの支援者ならば事欠かない。

 しかし、二人は品性下劣な者とは付き合いを絶つ潔癖さを持っている。

 誰の助けでも借りるというわけではないのだった。

 数日程度ならどこかに身を隠すことはできるかもしれないが、政治活動などを行うとなれば場所が限られる……。

 ハーディアがアベルへ気遣いの声を掛けた。


「今夜はもう賊は来ないことでしょう。良く働いてくれました。体に異常はないですね?」

「まぁ、ちょっと眼や喉が痛いですけれど」

「それはいけません! 見せなさい」


 アベルは頬を押さえられ、顔を固定された。

 ハーディアの琥珀色をした瞳が視線と重なり、己の深奥に潜り込んでくるようだった。

 妙な気分になる。


 これほど美しい姫に、口づけ出来てしまいそうなほど至近距離で世話をされたりすれば誰でもそうなると……思い込んでみる。

 アベルにとってもハーディアは稀有なる美貌に違いないのだが、今は目的を同じくする仲間意識が先にある。

 そんな意識が無ければこの溢れんばかりの色香にすっかり狂っていたのだろうかと、自問も湧いたが……。


「少し充血していますが無事のようです。もっと水で良く洗いなさい。擦ったらいけませんよ」

「分かりました」

「……それにしても綺麗な瞳ね。大事になさい」


 かつてその片方を潰したのではなかったかとアベルは言いそうになったが止めておいた。

 冗談にしてはキツいし、ハーディアは本気で心配してくれているみたいだ。


 二人の様子を傍観していたカチェは、嫉妬を感じた。

 自分は王女の護衛ではないのだ。

 アベルと共に戦うため付いてきたのに、ここに置いて行かれ、全く目的が果たせていない。

 心血注いで成立した秘密同盟のため王女を守ると言うのは、たしかに理屈には適っているのだが、納得ができない。


 ハーディアに労われているアベルを見ていると、その想いはますます募る。

 あんな風にアベルを看るのは自分の役割のはずなのに……。

 だいたいハーディア王女はどういうつもりなのだろう。

 いくらアベルが敵を撃退したからと言ってあれでは親密すぎる。


 ギムリッドもまた、やり場のない怒りを煮え湯のごとく滾らせている。

 本来なら、己こそが身を挺してハーディアを守ってみせたかったのにアベルという青年に立場を横取りされたような気分になる。

 すぐに拗けた根性だと思い直し、冷静になるが、それでも悔しいものは悔しい。


 ギムリッドにはハーディアへ激しい愛情を抱いている自覚がある。

 ハーディア姫がまだ十四歳のときに初めて出会った。

 なんと美しい少女だろうかと我を忘れるほど魅入られ、たった一日で心を奪われた。


 王道国の名門、貴族の粋として生まれ、誰よりも強く自制心と誇りを身につけている自負心を持っていたが、かの美と気高い精神に平伏したのだ。


 何とかして助力したいと申し出たが、ハーディアは容易にギムリッドを信用しなかった。

 長年に渡り、誠心誠意で交流を温め、さらに父親セムを説得してガイアケロン王子の支援者とした頃から態度が軟化した。

 ようやく姫から認められたと喜んだのも束の間、すぐに離れ離れになった。


 ハーディアは兄ガイアケロンと共に出征を命じられたのだ。

 二人は幼少時から、たびたび軍団に同行している。

 王族としての義務でありイズファヤート王の意思である。


 ギムリッドはどれほど自分も戦場へ付いて行きたかったか。

 しかし、エイダリューエ家の采配があって王都を離れられなかった。

 代わりに弟オーツェルに兵や資金を与えて送り出すことしかできなかった。


 以来、ギムリッドは度重なる婚姻の交渉を全て断り、王族兄妹の後方支援に徹していた。

 それは愛しいハーディアへの細やかな奉仕であった。


 ギムリッドは家令に金貨の収納箱を持ってこさせた。

 それをアベルの前で開かせる。

 人を魅惑させる黄金の重なりが煌めいた。

 ギムリッドは投げ遣りに言う。


「アベル。気の済むまで掴み取れ。私の代わりに働いた褒美だ」


 ギムリッドはせめて尊貴が司るところを果たして、苛つきを抑えたかった。

 貴族というのは、つまり施しであると考えている。

 高貴な生まれにより富を得られるのだから、その次には正しく与えなくてはならない。

 これが運命に選ばれし者の勤めである。


「申し訳ありませんが、結構です」


 断られるとは思わなかった。

 何もかも思う通りにならず、ギムリッドは怒りを抑えて聞く。


「……なぜだ! 不手際をした惰弱な男の金は受け取れぬというわけか」

「戦うのは当然で褒められる謂れのないことです。それとギムリッド様は僕の主人ではありませんので」


 これは半ば本心だが、もう半分は警戒心だった。

 贈り物というのは深読みすれば奇麗な脅迫でもある。

 与えられると次には何か命令を聞かなければ裏切り者のように扱われてしまう。

 報酬が大きければ大きいほど拘束力は強まる。

 それなら受け取らない方がいいのだ。

 だいたい金など己の目的ではない。

 

――俺の欲しいものは……!


 まだ見ぬ、イズファヤート王に対する憎悪と怒りは果てしなく深まる。

 心に残るイースの面影は優しさと共に、なおいっそう美しくなっていた。

 今日、首を斬り飛ばした賊の血潮。体液の臭い。

 破壊、欲望、そして希求は混然一体となり分離できない。

 求めるものはどれも度し難いほど巨大で、手に入れようとすればこの身が引き裂けるようなものばかりだ。

 

「二君に仕えずか……。よく言った。だが、このエイダリューエにも誇りがある。どちらを引っ込めるのが正しいのか」


 ギムリッドは見つめ返してくるアベルの眼力に怯みそうになった。

 膠着をガイアケロンが柔らかく崩した。


「ギムリッド殿。ではこうしよう。金貨は我が受け取る。そこからアベルに渡せばいい」

「これはこれは……。意地になりました。ここで引き下がらないと恥が重なるばかりのようです。アベル。君は一流の誇り高い戦士だ。その立ち振る舞い、貴族の者として認めてやる」


 アベルは一礼して立ち去った。

 何だか良く分からないがギムリッドから一目置かれたようだ。

 嬉しいような、厄介なような複雑な心境になる。


 与えられた部屋に戻り、寝ようと思ったが興奮して少しも休めない。

 王都に着いて早くも激しい戦いが始まった。

 この次は、どんな者と戦うことになるだろうか。







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