第120話  素晴らしき傭兵ども

 



 ディド・ズマは荒れていた。

 血走った眼には狂気じみた怒りが渦巻いている。

 十傑将や配下の傭兵団長を睨み付けた。


 修羅場を潜ってきた男どもを恐怖させるだけの迫力。

 よく敵からは蛙に似ていると罵倒されるが、そんな可愛いものではなかった。

 人間というよりも怪物そのもの。


 上納金を二季の連続で払えなかった傭兵団があった。

 団長は連行され、拷問じみた折檻になった。

 肉が爆ぜるまで殴られ、その後は力任せに体を圧し曲げて頭を股の間に入れる。

 関節という関節を破壊して、最後は腰の骨を折った。

 縄で拘束して、まるで球体のように体を変形させたあと、放置するのだった。


 三日三晩苦しんで死ぬと言われていた。

 今は部屋の隅で、肉の球体が唸り声を上げている。

 ディド・ズマの手下たちは肝を冷やす。

 どんな方法を使っても金を集めなければ殺されると心に刻みつける。


 十傑将のひとり、レンブラートが殺された。

 会計のマゴーチと共に。

 レンブラートの腸は盛大に飛び散っていた。

 マゴーチは喉を大きく断たれていた。

 二人は羽振りのいい大物だったが、ただの醜い死体になった。

 そして、金貨千枚以上が奪われた。大事な書類や手形も失せた。

 ディド・ズマは死人など無視するが、盗られた金は絶対に諦めない。

 激怒した。

 犯人を草の根分けても探し出せと激しい号令が出た。


 ところが、レンブラートとマゴーチを殺して金を奪った奴らがはっきりしなかった。

 捕まえられなければどんな制裁があるかもわからない。

 手下たちは焦り、血眼になって探した。

 現場に居合わせて逃げた奴隷の何人かを捕えた。

 拷問したが、大した情報は手に入らなかった。

 手練れの魔法戦士二人、獣人一人のたった三人が襲撃してきたという。

 顔は面頬で隠れていて、誰も分からなかった。


 手応えのない犯人探しは上手く行かなかった。ちんけな盗賊が十人ほど引っかかったぐらいだった。

 もちろん犯人でありえなかったが、ディド・ズマの憤懣の捌け口になった。

 ボロ雑巾になるまで痛めつけたあとは殺し、ゴミとして捨てられた。

 手下たちにしてみればディド・ズマの暴虐から逃れるための、人柱のようなものだった。


 以来、ディド・ズマの機嫌は直らない。

 ハーディア王女との会見も芳しくなかったらしい。

 不機嫌さに拍車がかかる。

 残虐は加速する。


 冬が来た。しかしディド・ズマは休息を許さない。

 宿営地でのんびり冬越しなど、出来はしなかった。

 上納金を稼ぐために働くか、皇帝国から略奪するか、あるいは亜人界で荒稼ぎをするか……。

 急き立てられた野犬の群れさながら傭兵たちが奔走する。


 ところが戦争は異様な情勢になってきている。

 皇帝国の支配領域に進撃したところ、村という村、街という街は既に崩壊していた。

 あらかた放火され、物資は持ち出されて人もいなかった。

 遠路はるばると略奪目当てにやってきて、銀貨一枚にもならない日々。

 傭兵たちは失望し、怒る。

 次の村に行くと、そこも燃やし尽くされていた。


 やがて怒りを通り越して、呆れる。

 農民や市民が素直に言う事を聞くはずが無かった。

 おそらく強権で威圧し、脅し、引き剥がすようにして住処を追い出したに違いなかった。

 やらせたのは、どうやら皇帝国の第二皇子テオらしい。

 どんな男だと皆、噂した。


 飢えた傭兵どもを満足させる収穫が全く無かった。

 上納金が見込めないディド・ズマは狂ったようになる。

 金が無ければハーディア王女と結婚できない。

 イズファヤート王に直接、大言をかましていた。

 金貨五十万枚になる富を集めて献上してみせると。

 だからハーディア王女をくれと。


 その約定が危うい。

 金が無ければディド・ズマの面子は丸潰れ。恥に塗れる。

 蛙が飛ぼうとしてやっぱり泥沼に落ちた……。




 ディド・ズマの粘りつく視線が十傑将や幹部の間を泳ぐ。

 殺されたレンブラートの代わりとして成り上がったサルゴーダの顔で止まった。

 サルゴーダは二十二歳。十六歳でディド・ズマの傘下に入り、たったの六年で十傑将にまで取り立てられた。

 それだけの才覚があった。

 狡猾で腕っぷしも強く、魔法も使えて、しかも運があった。


「サルゴーダ。お前は上納金を納めた」

「はい」

「だが、この程度で安心すんじゃねぇぞ!」


 褒められるかと思ったが逆に大喝された。

 サルゴーダの背筋に冷や汗が流れる。

 ディド・ズマが何を考え、どう出てくるか想像もつかない。

 もしかして殺されるのだろうか、そんな思いが過る。


「マゴーチとレンブラートを殺った奴……、なぜ見つけられねぇんだ!」


 謝ったところで無意味。

 かえって怒りを倍増させる。

 サルゴーダは手を打ってあると強調する。


「ズマ様。変に金遣いの荒い奴がいないか探しています」

「馬鹿野郎! 俺の金を使い込まれてからじゃ遅えだろうが!」


 サルゴーダの全身から汗が噴き出る。

 どうして俺だけが吊し上げられるのだという理不尽と恐怖。

 十傑将の中では一番の新参。

 だからか……。


 ディド・ズマが手元にあった鉄の棍棒を掴むや投げる。

 殺される……。

 サルゴーダの隣に座っていたニケという十傑将の顔面に命中する。

 歯の砕ける音。肉の潰れる音。

 飛び散った血液がサルゴーダの頬に当たる。


「ニケ。お前は大した額でもねぇ上がりすら集められなかった! 何か言う事はあるか?」


 ニケは首を振る。喋りたくても、潰れた口では話しなどできない。

 サルゴーダは次こそ、自分の番かと慄く。

 身を退く動作は許されない。

 

 以前、制裁に軽く抵抗した傑将がいた。

 即座に殺された。

 ディド・ズマの粘ついた眼が這い回る。

 怪物。

 巨大な醜い蛙の化け物。

 サルゴーダの足が浮いたようになった。


「いいか! いま、方々に偵察隊を送っている。皇帝国の内部へ西に入ったところ、ベリコの街にテオ皇子の軍団が駐屯しているらしい。夏には決戦だ。それまで金を集めておけよ!」


 総集会という名の脅しが終わった。

 傭兵団「心臓と栄光」の幹部たち、傘下の団長らが軍陣から走る。

 飢えた犬どもが、金のために散っていく。


 みな、誰もがディド・ズマを恐れていた。

 あの欲深い男。

 王女を娶りたいなど、いくらなんでも望みが大きすぎた。


 噂によれば五十万枚の金貨を積まないと婚姻は成らないという。

 想像するだけで馬鹿らしくなるような途方もない金。

 ただでさえも莫大な戦費が必要なところで、さらにそんな金を用意する。 

 調子に乗りすぎた。しくじっている。

 多くの者がそう考えたが、そんなことは口にしただけで殺されかねない。

 黙って従うしかない。


 とにかく決められた上納金を掻き集めないと、追放どころか殺されてしまう。

 ディド・ズマは冷酷だ。

 働きが良ければサルゴーダのように若くして成り上がられるが、少しでも上手くやれないと十年来の古参でも処分される。


 とてつもなく過酷だが、それでも旨味があった。

 成功すれば広大な荘園が与えられた。

 大きな屋敷に、数百人の奴隷。

 ディド・ズマの威勢を借りて、どんな乱暴もやりたい放題。

 我慢など何一つする必要はない。

 ただ一点、ディド・ズマの機嫌さえ損ねなければ……。




 ディド・ズマは部屋の隅の肉体を蹴飛ばす。

 虐待した手下の成れの果て。金を集められなかった無能。

 呻き声。

 少しもすっきりしなかった。

 憂さ晴らしに女を犯すことにした。

 高級娼婦ではなくて素人の女。

 それも処女がいい。泣き叫ぶのを押し倒せば楽しめるだろう。


 売春婦たちを束ねる母親のネージャ・ズマを訪ねる。

 そこらの貴族よりも遥かに裕福な母。

 肥え太った体を絹の長衣で包んでいた。

 顔は皺と弛みで複雑にうねっている。


 巨大な宝石のついた金の指輪を、親指以外の全ての指に嵌めていた。

 数千人の売春婦たちの上に君臨する妖怪と呼ばれていたが、ズマにとっては最愛の母親。

 母を侮辱する者は容赦しなかった。


 父親のズラフ・ズマには何人もの女がいた。

 子も十人以上生まれた。しかし、育ったのはディド・ズマだけだった。

 ディドという息子を生んだネージャは尊重されていた。

 それが売春婦の束ね役という、下賤の上にも下賤と呼ぶべき立場の女であっても。


「母様」

「なんだい? ディド。また金かい」


 皺が蠢く。

 母が笑っていた。

 妖怪が唯一、可愛がるのは息子のディドだけだった。


「違うよ。女を都合してくれ。たまには処女がいい」

「昨日、買ったばかりの娘がいるねぇ。それも貴族の娘っ子。処女さ。あたしが調べたんだから間違いない。今から用意してやるから待ってな」


 売春婦にも高級と下級がいる。

 処女を抱くと寿命が延びるという言い伝えがあるせいか、老人に人気があるのは男を知らない女。


 ところが犯したいだけの若い男にとって処女は大したものではない。

 むしろ犬も食わないと嫌う男もいる。

 面倒くさい。めそめそ泣きやがる。しゃぶりもしない。

 そのうえ、下手したら入らねぇと来たものだ……。


 ディド・ズマはいつもの部屋で待つ。

 どこからか連れて来られたばかりの女に個室などあるわけがない。

 だから訪れるのではなく、連れて来させる。


 売られ攫われ騙され、あるいは空腹に耐えかねて自分からやってくる女たち。

 なかには荒稼ぎした金を持つ傭兵どもから巻き上げようと、野心を胸に飛び込んでくる女もいた。


 まずは顔と体、愛嬌と色気。そうしたものを手練れの女衒らとネージャが吟味する。

 ごく僅かな上物には教育を施す。

 高級娼婦に仕立てあげ、裕福な商人や貴族へあてがう。

 莫大な金になる。

 娼婦たちが稼ぐ金の九割以上はネージャが吸い上げるようになっていた。


 それ以下の女たち。

 中級は百人隊長やそこそこ名声のある武人の相手になる。

 下級の女たちは、たちんぼとして街に立つ。

 あるいは荒れ狂った傭兵団に送り込めば、新しい戦力を呼び込む餌にもなる。


 ディド・ズマの部屋に連れて来られた女。

 赤毛の髪をした、おとなしそうな小娘。

 十六歳ぐらいだった。

 年齢など聞きはしない。

 歳に何の意味があるというのか。

 そして、名前も必要ない。


 ディド・ズマが心から欲しているのはハーディアのみ。

 あの気品ある豪奢な金髪とは比べ物にならない髪だと思った。

 色香と華やかさが一体となった肌。

 この世界で最高の女。

 奪い取りたい、全て味わいたい。


 ディド・ズマは己を肯定する。

 分を超えた望みなどあるはずがない。

 何もかも手に入れてきた。

 俺には俺の流儀がある。

 邪魔な者、役に立たない者は一人残らず殺す。

 

 脳裏に現れた、輝くハーディアの姿。

 快感が爆発する。


「ぐおおぉおおぉおお!」


 夜空に獣の怒号が響き渡る。

 怒りがほんの僅かに薄まる。

 すぐに元の濃さになるだろうが。


 娘がジメジメと陰気に泣いている。

 有り得ないほどの金をくれてやったというのに。

 舌打ちと共に寝台から蹴り飛ばした。床に倒れる。

 そのまま無様に部屋の外へ逃げて行った。


 それにしても、どこのどいつが金を奪ったのかと疑う。

 直後、ひらめく。

 もしかすると襲ったのは手下かもしれない。

 

 十傑将や団長たちの関係は決して良くない。

 むしろ仲違いしているに近い。

 理由は知らないがレンブラートかマゴーチに恨みを持って襲ったのではないか?

 あるいは上納金が払えないために仲間を襲って都合しようとした……。

 それなら犯人が見つかっていない理由にもなる。

 疑いはますます深くなる。


 ともかく金は集まらない。

 主であるイエルリング王子に相談しなければならない。

 イズファヤート王に約束してしまった。

 およそ三年で王政金貨五十万枚に相当する富を献上すると。

 全て、何もかもが上手く行ったとして、ぎりぎり届く額だった。


 もう、その計算は成り立たない。

 皇帝国がふざけた手を打ってきた。

 敵に奪われる前に奪う。破壊される前に破壊する。


 そんなことをやる皇子がいるのか……?

 ディド・ズマは信じられなかったが事実だ。

 おかげで手下どもを送り込んでも、金貨一枚と奪ってこない。

 この冬の稼ぎは絶望的だった。


 今やイエルリング王子に傭兵を供給しても金は貰っていない。

 主従とはそういうものだ。

 臣下になったのなら見返りなど期待せず忠誠を尽くすしかない。

 王子の重臣にしてもらうのと引き換えに、傭兵契約は大幅に変わった。

 イエルリング王子はほとんど只に等しい対価でディド・ズマの軍団を利用できる。

 そうまでしても王子に取り入らねばならなかった。


 悪辣な傭兵たちの頭にして売春婦の母を持つ男など貴族にしてみれば野卑どころのものではない。

 糞の塊として見てくる者すら大勢いる。


 ディド・デマは怒り、憎む。

 口だけの無能貴族を皆殺しにしてやりたかった。

 いや、いつの日か実際にやるだろう。


 しかし、イエルリング王子はそういう貴族とは違う。

 有能な者は重用する。だからディド・ズマを認めた。

 彼の王子の承認と政治力がなければ王家に近づけない。

 イズファヤート王に渡りをつけてもらえない。


 王子の後ろ盾が無ければハーディアと婚姻するなど、夢のまた夢。

 だからイエルリングは大事だった。

 制御しがたい怪物じみた男のはずのディド・ズマは王子に跪いて首を垂れる。


 地面に這うディド・ズマは夢想する。

 あのハーディアを毎朝毎晩、犯し抜く。

 そして、傭兵の王と呼ばれている己は、真の王になるのだ。

 やがてはイズファヤート王もくたばり、イエルリング王子と肩を並べられるだろう。


 数日後、雪原を移動してイエルリング王子の元へ着いた。

 イエルリングの親衛軍団は増強されていた。

 精鋭二万人が王子を守っている。

 凍傷を起こすような寒さの中、雪や泥に塗れて働いているのはディド・ズマが供給した傭兵ばかりだった。

 もともと、そのための傭兵どもだ。


 活躍できそうな合戦で良い位置に配されるのは累代に渡って王道国に仕えている名門貴族だけ。

 野犬と等しい傭兵たちにはなかなか機会が巡ってこない。

 どこまでも付いて回る身分の違い。


 広い天幕の中は暖かかった。

 イエルリング王子が鷹揚とした態度で椅子に座り、不思議なほど特徴の薄い中庸な笑みを浮かべていた。


 警護の戦士であるダレイオズの姿が見えた。

 岩石のごとき頑強な肉体が目立つ。

 ディド・ズマも一目置く手練れだ。

 他にも魔術師が部屋の隅に、目立たず静かに控えていた。


 イエルリングは初見、人に警戒心を与えない人物だった。

 整った顔。美男子と呼んでいい。

 武張った顔つきではない。見た目だけなら優男で、いかにも王族らしい上品さを感じる。

 しかし、よく見て、よく知れば、恐ろしいほど冷酷で合理的な人間であると分かる。

 それが分からないような奴は愚図だとディド・ズマは思う。


「イエルリング様。戦況はいかがですか」

「はっはっは……。いかがも何も、良いわけがなかろう。ズマ、お前も知っての通り皇帝国は後退の一手だ。我ら、もはやこれ以上進むだけの糧秣が無い。それでいて兵士たちが寒さから身を守る家もあらかた燃やされている。みな寒さに苦しみ、半ば病人になりつつあるぞ」

「こちらも事情は同じでございます」

「テオめ。思い切った作戦に出た。いや、これは戦略と呼ぶにふさわしい。空間と季節を利用した防御行動だ」

「いっそのこと他の担当戦域を攻めますか。例えばガイアケロン様が目標としているリモン公爵領など」

「いや、それはだめだ。こちらから約束は破りたくない」

「では、春から夏にかけて決戦を挑みましょうぞ」

「テオがあくまで戦いを回避すると厄介だぞ。まぁ、本国と父上には広大な領土を占領したと報告しておけば格好だけはつくがな。耕す者もいないから荒れ放題の農地など銅貨一枚の価値もないが! あっはっはっ……」


 イエルリングは口を開けて哄笑したが、少しも楽しそうではない。

 暗く青い眼に感情は篭っていなかった。

 イズファヤート王に似た、煙がかった色彩の瞳……。

 虚無を感じさせた。


「イエルリング様。今日はひとつ相談があります。例の結納金についてです」

「うん。どうした?」

「この冬の稼ぎが鈍いんでさ……」

「それならどこかで大きく取り戻すしかあるまい」

「それにしても時間がありません……。ハーディア様に他の縁談があると困ります」

「あるに決まっているだろう。もともとあの美しさ。血統の尊貴さ。欲しがる貴族や名門は無数にいる。ただ、ハーディア本人が決して同意しなかったこと。父王様が戦力としてハーディアを認めていること。この二つで婚姻が纏まらなかっただけだ。相手に事欠くことは無い」

「それなら急ぐしかねぇってことですね」


 イエルリングは微笑して頷いた。

 今度は本当に楽しそうだった。


「もちろん、急ぎはします。しかし、三年の期限が枷になっていやして。イズファヤート大王様にもう少し待ってくれるように頼んでいただけませんかねぇ」

「私に手ぶらでそれをやれと? ……手土産がいるだろうな。父王様は黄金を好む。とりあえず金を渡せるだけ渡してみたらどうかな。まぁ、お前とて結納金の他にも戦費を稼がなくてはならないのは分かるが、難しいから出来ぬなどと繰り言を述べたところで意味はあるか」


 ディド・ズマは内心、予想していた答え。

 つまりは金だ。

 イズファヤート王はやたらと金を欲している。

 では戦費に使うのかと思いきや吝嗇で、溜め込むばかりだと噂されていた。


 王道国の貴族たちは王を恐れているが、一方で激しい不満も持っている。

 重税に多大な軍役、それでいて分配は少ない。

 富んだのは王家だけで貴族たちは利益になっていない。

 その不満を抑え付けるためか、王直属の王宮軍団は国内を巡回ばかりして肝心の戦争へは参加させていない


 それは国内の貴族らに対する脅しだった。

 反乱など考えもするなという威圧。


 誰がどう考えても莫大な労苦だけを生む不公平と暴政。

 しかし、イズファヤート王の強権が恐ろしくて黙っている。


 黄金を手放さなくてはならない。

 ディド・ズマの命にも等しい金。

 脳裏にチラつくハーディアの顔と体。


 本来ならば女など「肉」である。

 肉は二通りある。

 食う肉か、犯す肉か。


 ディド・ズマは内臓を焼かれるように思う。

 俺はどうしちまったんだ……。

 女なんぞ、ただの肉なのに。


 だが、ハーディアの肉にはそれ以上の価値があると感じる。

 ハーディアの胸や腋、太腿。掴み取るためなら全て放り投げてもいい。

 豊満な乳房を握りしめ、情欲を掻きたてる腰を折れるほど抱きしめる。

 あの貴い、精緻な顔を舐め回してやりたい。


 ディド・ズマは血を流すようにして頷いた。

 イエルリングは、どこか高みから哀れな虫けらを眺める視線を持っていたが、女に狂った男は気がつかなかった。


「王政金貨十万枚を献上します」

「それじゃあ、足りない!」


 ディド・ズマは目を剥く。

 殺気に近いものが混じった眼で主たる王子を見る。

 彼は悠然と笑っていた。


「ん? 当然であろう。父上は五十万枚と言ったのだ。お前は三年以内と約した。それを待てと言うのだから、半分は渡しておくべきであろう」

「手付金にしては高いですな……」

「ものがものだからなぁ」


 王子は満面の笑みを浮かべて、これほど楽しいことは無いという風に笑った。

 ディド・ズマは拳を握りしめる。

 憤激で顔面が赤くなる。

 怒りが放射されていた。


 警護のダレイオズが体を少し動かした。

 それまで彫刻のように動かず、存在すら忘れそうなほど静かだったがディド・ズマの殺気に反応した。


 もし、金を渡して、しかし結局は五十万枚に達する富が集まらなかったら……。

 あるいはイズファヤート王が気まぐれを起こしてハーディアを他の誰かに与えれば……。

 献金した金は消え失せる。無駄になる。


 薄汚い傭兵の男が好き好んで王家に金を献上した。

 それで終わりだ。

 渡したものは返されることなど無い。


 いくら騒いだところで誰も味方しない。むしろ醜い蛙が何を鳴きよると馬鹿にされるだろう。

 そうと分かって金を出さなくてはならない悔しさ。

 憎しみに値した。


 ディド・ズマは憎悪する。

 無能な貴族を、家畜のような市民を、無欲な農民を、犬のような手下たちを。


「では、王政金貨二十五万枚に相当する富を王宮に送ります。ただし、大金ですので俺自身が持っていきます。大王様には謁見させていただけますな。それと残りの金は、集まるまで待ってもらうということで。もうあと三年はほしいですなぁ」

「父王様には俺からも頼んでおこう。ただし、どれほど待っていただけるかは私にも分からん」

「……それじゃあ困るんですがねぇ」


 ディド・ズマの底冷えするような声。

 イエルリングは平然と受け止めた。

 蠅の羽音程度にも感じていない。


「なに。もしハーディアにそれらしい相手が現れたのを私が察知したら、ズマに教えてやるよ」


 ディド・ズマは沈黙した。

 教えてやる。

 それからどうしろというのか。

 決まっている。

 殺すしかない。

 

 相手がどんな大貴族の子弟だろうと……豚のように絞め殺してやる。

 血筋だけの糞貴族どもに負けてなるものか。

 ハーディアは、誰にも渡さない。


「私もズマと早く義兄弟になりたいものだ。王道国へ行くときには私が作らせた新しい街道と橋を使うと良い。これまでより十日は早く王都に着くだろう」


 主に見送られてディド・ズマが軍陣から出ていく。

 溜め込んだ金を吐き出すために。

 望みを叶えるために。


 抑えられない欲望に突き動かされた男。

 その背中を眺める王子は冬の風にも劣らない冷笑を浮かべていた。

 



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