第98話  炎の女戦士






「待ってくれ! 本当にやる気はない……そうだ。あのときガイアケロン王子様は僕とイース様を部下に欲しいと言ってくれました。それなのに勝手に殺したりしたら、まずいでしょう」

「ああん? 口の達者な奴だな。殺さなきゃいいんだろ? おいっ! 木剣をこいつに渡してやれ!」


 命じられた兵士が樫のような堅い木材で造られた木剣を持ってくる。

 スターシャは腰の剣を外して、代わりに訓練用の木剣を手に取る。

 アベルは事態の成り行きに困惑するばかりだ。

 落ち着いた様子のカチェは黙って様子を見ている。


「いいかっ! お前を叩きのめしてここに来た理由を言わせてやるぞ。だが、もし、あたいに勝てたら、そのときはガイ様にお前が謁見を望んでいると伝えてやってもいい」

「……う~ん」

「言っておくがな。ガイ様やハーディア様は暗殺者に狙われているんだ。おめぇみたいな皇帝国の戦士が会いたいって言って会えるわけねぇだろ」

「そんなことは分かっています。そこを曲げて頼んでいるのです」


 突然、スターシャは無言のまま、アベルの喉元に木剣を突いてきた。

 上半身を仰け反らせて躱し、バックステップで距離を取る。

 鋼の胸甲に籠手や脛当ても付けているが、生身の部分をあんな木剣で突かれたら大怪我をしてしまう。


「さっさとこいよ! あと防具を外せよ。五分五分の勝負だ。キンタマついてる男なら文句ねぇだろ」


 畳み掛けるようにスターシャは挑発をしてきた。

 もはや言葉による説得は無理だった。

 しかも、まわりの兵士たちも雰囲気を察して警戒を強めている。

 建物の外に出られない。

 この手合いは口よりも腕ということだ。

 アベルは上半身の防具を全て取る。


「……分かりました。じゃあ、やりましょう。でも、約束を守ってくださいよ」


 アベルは刀を腰から外してカチェに渡す。

 それから木剣を両手で持ち、相対した。

 

「うらぁぁぁぁぁ!」


 裂帛の気合い。

 容赦ない斬撃が頭上めがけて振り下ろされる。

 アベルはそれに対応して、試しに剣先を軽く打ち合わせてみる。

 

 木と木がぶつかる、高くて乾いた音。

 凄い威力だった。

 手が軽く痺れる。

 下手に当てたりすれば得物を落とされるか、腕を揺さぶられてしまいそうだ。


 だが、付け入る隙は必ずあるはずだった。

 こうした場合に思い出すのはライカナの戦い方。

 彼女は魔人氏族であるがゆえに腕力も非常に優れていた。

 しかし、それにも関わらず力で押しまくるような戦闘方法は決してしなかった。

 むしろ、技巧を重んじた上で相手の力を利用する戦いを旨としていた。

 スターシャのような相手にも有効そうだ。


――いなし技を仕掛けてやるか。


 アベルはそう思うが、スターシャの技量は達人の域。

 かなりの威力、そして精妙さのある斬撃を繰り返してくる。

 アベルは回避したり木剣で防御するので精一杯になりつつある。

 そう簡単に機会は巡ってこない。

 となれば相手を騙す技だ。


 相手を焦らすために、わざと鈍い動きをしてみせた。

 間一髪のところで避けてみせる。

 スターシャはますます猛り、手加減のない攻撃を連打してきた。

 顔のすぐ横、堅く重い木剣が過ぎ去り、耳に風きりの音が不気味に響く。

 あんな打撃を顔に食らえば顔面骨折は間違いない。


「所詮は魔法剣士なんてこんなもんだ! 魔法は接近戦に持ち込まれたら使えない。剣の腕はいまいち! 大したことないねぇ」

「……」


 余裕からの大言なのか挑発なのかハッキリとはしない。

 だが、必ずスターシャが苛立って動きが雑になる瞬間が来る。

 それまでひたすら凌ぐ。


 アベルは歩法を意識する。

 歩きの技術は無数にあるが、母親アイラから叩き込まれた攻刀流のものは摺り足。

 摺り足は挙動が相手からは捉えにくく、動きの「起こり」を隠す効果がある。

 

 また、クンケルやルネから習得したのは武帝流のステップ歩術である。

 リズムのようにステップを踏みつつ常に移動していると、これもやはり相手からは次の挙動を予見しにくくさせる効果がある。


 いずれにしても相手の出方の先手を打ち、敵の選択肢を減少させ術中に嵌めるのが最善。

 スターシャのような上級者であっても粘り強く対応しつづければ、いつかは時が訪れる。


 一進一退の攻防が続く。

 こんな場合、鮮明に蘇るのはやはりイースだった。

 稽古をしているとイースが巨大な岩壁に思えた。

 どんな連打を仕掛けても技を試みても付け入る隙など無かった。


 そして、目の前のスターシャという女がイースよりも強いなどと言うことは有り得ない。

 それはここまで打ち合って明確に分かる。

 勝ち目は必ずあると信じることができる。


 辛抱強く凌ぎ続けた。

 やがてスターシャの好戦的な顔に、苛立ちの影を認める。


 機が来た。

 唸るスターシャの斬撃。

 ここぞという間合いで横手から弾き、いなす。


 いなすのは相手の力を利用するので、自身は力負けしない最低限の圧力を加えればよい……はずだったのだが、スターシャの重たい打撃の威力は想像を超えている。

 手首に強い負担。

 驚きを抑えつつ強引に摺り足で踏み込み、スターシャを剣界に収める。


 丸出しの腹に向かって突きを繰り出した。

 だが、スターシャは強引に足を振り上げて蹴り技で対抗。

 木剣ごとアベルを蹴り飛ばそうという大胆な動き。

 本物の刃物が相手ではないから可能な手であった。


 鍛えられた太ももにアベルの木剣が突き当たる。

 常軌を逸した攻撃本能だった。

 アベルも覚悟を決める。

 適当なところで納得させられる相手ではなかった。

 さすがにガイアケロンの側近だけある。


――手足の一本ぐらい折ってやる!


 横っ飛びでスターシャの蹴りを避ける。

 反復横跳びの要領で、間髪入れずに再び接近。

 彼女は腿を負傷したために片膝を床に着けていたが、戦意は全く失っていない。

 噛みつきそうな表情で睨み付けていた。


 これで決着だ。

 そう念じつつ、腕に横薙ぎの斬撃を加えるが、スターシャは異常な反応を示した。

 拳が潰れるのも構わず、握り締めた拳骨で木剣を迎撃。

 湿った、骨の砕ける音。

 しかし、斬撃を防がれてしまった。

 

 残った右手で木剣を掴みとり、ほとんど片足の力だけでジャンプ。

 体当たりを仕掛けてきた。

 アベルは木剣を放棄。

 迫りくるスターシャから距離を取ろうとしたが腕を掴まれてしまった。

 そのまま体を引き倒される。

 背中から倒された。

 衝撃。


 二人は絡み合う。

 スターシャは拳の潰れた左腕で強引にアベルを抑え付けると、残った右手で殴りつけてきた。

 アベルの頬に激しい痛み。

 目が眩む。

 頭に血が上る。

 思わず叫ぶ。


「この野郎!」

「あたいはヤローじゃねぇんだよ!」


 むらむらと湧く怒りのまま、アベルはスターシャが痛めている足を蹴り上げた。

 無理な体勢からなので大した威力ではないが、片膝を着くほど痛めているところへの攻撃だ。

 えぐい効果があるはずだった。


「ぐうぅぅうっ……!」


 顔を興奮で赤くさせたスターシャは鈍い呻きを漏らす。

 しかし、それでもアベルの袖を掴んで離さない。


「往生際が悪いぞ! お前の負けだ!」

「あたいは負けてない!」


 再びアベルの顔を殴りつけてきた。

 信じられないほどの重たい衝撃。

 軽く意識が飛ぶ。


 なんという馬鹿力なのかとアベルは戦慄する。

 鼻の奥に殴られた痛みが広がる。

 口内に血が流れてきた。どこか鼻の粘膜が破けたらしい。


 とりあえず距離を取ろうと渾身の力で立ち上がるが、スターシャは離れない。

 それどころかタコのように絡みついて来て関節技を仕掛けてきた。

 慌てて腕を取られまいと暴れる。


 木剣を弾き飛ばした左手の指まで折れているのに、構わず戦闘を続ける様子は鬼気迫っていた。

 さらに力を入れて引き剥がそうとしたら服の袖が破れてしまった。

 そのまま勢いに任せてアベルは離脱。

 袖が裂けて、千切れる。

 スターシャが服の切れ端を掴んでいた。


「お前の負けだろ!」

「負けてない!」

「木剣を入れたぞ! 実戦なら片足切断、出血で死亡だ」

「あたいだって、お前を二発もぶん殴った! 引き分けだ!」


 睨み合うが、スターシャは発情したように濡れた青い瞳を逸らさない。

 一歩も退かないという意欲に満ち満ちている。

 狂った雌猫のようだ。


 アベルはあれこれと考えたが良い手はない。

 まさか殺してしまうわけにもいかない。

 そんなことをすれば、このままこの場にいる連中と戦闘だろうし、ガイアケロンと密会するなど到底無理になってしまう。

 溜め息……。


「分かったよ……。じゃあ、引き分けな。あんたにはもう頼まない」


 アベルの服は破けて片方だけ半袖になり、鼻や口からも出血。

 まったく痛い思いばかりで、なんらの得るものも無かった。

 本当に草臥くたびれ儲けというやつだった。

 回復魔法を発動して自分の顔に当てる。


 まわりの兵士たちが興奮気味に、ざわついていた。

 見ている分には、さぞかし楽しかっただろう。

 あのスターシャ様がとか、あいつ治癒魔法までとか、そんな声が聞こえた。


「……。スターシャさん。あんたも治してやるよ」

「うるさい。敵に情けは受けない!」

「だから敵じゃないから」

「……そんなことよりお前、このまま帰れるつもりか?」

「どういう意味だよ」

「明日、もう一度、勝負だ。今度は絶対に負けないからな」


――おいおい。何を言い出すんだ、こいつ。


「いや、僕は忙しいんだ」

「このまま逃げるつもりなら話しは別だ。ここから帰さない。兵隊ども! 出入口を塞げ」


 兵士たちが弾かれたように駆け出した。それから武器を用意しはじめる。

 五十人ほどの男たちが槍や剣を持ち出した。


「やめてくれ! 殺し合いをしにきたんじゃない! 話し合いに来たって説明しているだろう!」

「あたいともう一回、勝負しろ」

「なんでそうなる?」

「このまま引き下がれるかってんだ!」


 スターシャは歯軋りをして、睨んでくる。

 青い瞳に戦意が燃えていて、それはそれで美しいほどだ。

 アベルは、やはり思った通りにはいかないと思案する。


 魔法を使えば強行突破はできるだろうが……死人を出してしまうかもしれない。

 それだけは避けないとならない。

 もとから難しい交渉の連続になるのは覚悟していたはずだと、自分を叱咤した。


「分かった……。約束する。明日、また来る」

「信用できない」

「信用しないのはお前の勝手だ!」

「ここに残れ」

「はぁ~?! 本当にめんどくせぇな。負けは認めない。こっちの言うことも全部疑う」

「なに甘いこと言ってんだい。お前をどうして信じなくてはならないのか? 充分、怪しいんだよ!」


 アベルは怒りを忘れるために遠くを見つめる。

 我慢……我慢だと自らに言い聞かせた。

 交渉というのは、つまり粘り強さだ。

 諦めたり本気で切れたらそこでおしまい。

 相手の弱点や好物、性癖を見抜いてそこを突破点にするのだ。


「……分かった。もう一度勝負してやる。だけれど勝ったら今度こそ謁見の願いを聞いてほしい」

「ふん。ようし。やる気になったな」

「あと残るのは僕だけだ。連れは帰らせてくれ」

「アベル。嫌よ。わたくしも残る」

「誰も言うこと聞いてくれないよ……」


 アベルは黙ってスターシャに近づき、睨み付けてくるその視線を無視して治療魔法を発動させた。


「いらないって言ってる! こっちにだって治療魔術師はいるんだよっ」

「すぐに来るわけじゃないだろう」

「だれがお前なんかに」

「僕は医者の息子なんだ。殺し合いしているわけじゃないから治してやる」

「やめろっ」

「一発ぶん殴ってから治してやるか!」


 嫌がるスターシャの肩を押えてアベルは無理矢理、治療を施した。

 見事な肉付き、しなやかで艶めかしく、それでいて強靭な太ももに淡い光を当ててやると、すぐに赤黒い打撃跡は消えた。

 それから骨の折れた拳も治癒魔法で治す。

 傷が癒えるや否やスターシャはアベルの体を突き飛ばした。


「おっと!」

「余計なことしやがって」

「……それで、これからどうするんだよ。ここに居ればいいのか」

「そうさ。飯は出してやる。再戦は明日の朝」

「本当に次で最後だからな。木剣を体に入れた方が勝ちだ。今日みたいに粘るのはなし」

「いいだろう。今度こそ叩き潰してやる。ここに来たのは敵地偵察のためだろう? 白状させてやるよ」

「違うって。ガイアケロン様は僕を部下に欲しいと言ってくださったはず」

「……じゃあ、なにか? 軍団に入って一兵卒から勤め上げるってわけかい。あたいの下足番か鎧箱の運搬人にしてやろうか」

「だから、そういうことの前に話しをしたい」

「そういえば、あの黒髪の女騎士はどうした」

「ずっと前に別行動になった。ここには来ていない」

「……」


 スターシャは疑わしそうに見つめてきたが、それ以上は問い掛けてこなかった。

 明日こそ勝利してやるというような意欲に燃えている。

 ガイアケロンと接触できる糸口かと思いきや、想像を超えた落とし穴だったかもしれない。

 しかし、賽は既に投げられていた。

 

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