第102話  襲撃

 





 翌日、アベルたちは夜明け前から活動を始める。

 ディド・ズマの傭兵軍団はすでに行動を開始していた。

 軽騎兵による先発隊は早くも出発。

 数千人の戦闘員が並び、順番が来ると縦列となり行進していく。


 アベルは軍容をよく観察しておくことにした。

 細かいところに練度が現れるものだ。

 例えば待機中の態度など。

 注意散漫で座り込んだりしている者がいるような部隊は、おのずと規律が知れる。

 

 だが、そういうふざけた態度をしている者は一人もいなかった。

 百人隊長らしき末端の指揮官が、かなり厳しく統制をしているのが見て取れる……。

 見れば見るほど精強な部隊なのが理解できた。

 さすがディド・ズマ直属の軍団「心臓と栄光」だ。


 まだ朝方のうちに傭兵軍団は街道へと姿を消した。

 アベルたちはケルク市に戻ると奴隷の取り引きはまだ続いている。

 競り市場は白熱していた。


 二級品の奴隷を少しでも安く買おうという目論見の者と、僅かでも高く売りたいディド・ズマ側とが激しく商戦を展開している様相だ。

 昨日も見かけた、太った四十歳ぐらいの仕切り人が値切り交渉を仕掛けている商人と渡り合っている。


「こんな病人たちを高く売ろうというのは料簡が狭いではないですか」

「ただの風邪や骨折ばかりだ。すぐに治る」

「今日、売れなければお荷物になるだけなのが分かっているはず。それでなくとも食費が掛かっている。それとも捨てていくのですか。それを待っていてもこちらとしては良いのですが」

「金十枚も値下げしただろう! これ以上は安くしない! それからな。捨てていくつもりはないぞ。売り物にならなかった奴らはきっちり殺していくからな」

「……五十人を纏めて買うと言っているのです。あともう一声いただければ、怪我人も含めて百人買ってもよいと考えています。殺す手間が省けますぞ」

「ふん。しつこいお客だの~。根負けしてしまいそうだ」


 よく観察すると奴隷の取り引きを仕切っていた四十歳ぐらいの太ったブルドックみたいな男は、明らかに苛立っていた。

 食い下がる商人に苦戦中らしい。


 兇悪なディド・ズマの手下を向こうに回して引けを取らない三十歳ほどの、一瞥したところ貴族のような身なりの良い男の商人は、実に粘り強く交渉している。

 褐色の髪を長めに伸ばしていて、頭に羅紗の鍔なし帽を被っていた。

 眼に商人らしからぬ鋭さがある。

 相手を決定的に怒らせない丁寧な口調であるが、しかし、決して下手には出ない。

 商談は長引きそうだった。


 会場で売れ残っている奴隷は二百人ほどだろうか。

 アベルは一つ気が付いた。

 まだ、五十人ほどの傭兵が奴隷の監視をしている。


――ということは取り引きが終わったら、こいつらはどうする気か?

  当然、先行した軍団を追いかけるつもり……。

  襲えるだけの小部隊かもしれない。

  きっとそうに違いない!


 ディド・ズマの本隊は先を急いでいる。

 奴隷の取引は長引いた。

 そこで発生した、この状況。


 本当に危険な賭けだが、他に取るべき方策もない。

 アベルはカチェらを促してケルク市を出る。

 それから騎乗して急ぎ軍勢が通過した街道を進む。

 今のところ風景は麦畑ばかりだが、地形を読むとこの先は林や原野になっているはずだ。

 旅人の姿は極端に少ない。

 おそらく凶暴なディド・ズマの軍団に恐れをなして退避しているのだろう。


「ねぇ。アベル。どうするつもりなの」

「遅れて出発する部隊がありそうです。それを待ち伏せします」

「ディド・ズマに一矢報いるというわけね……。望むところだわ」

「スターシャさんはどう思いますか?」

「やるってんなら止めないぞ。手伝ってやりたいぐらいだが戦闘には参加してやれない。あたいは目付のお役目をいただいたからな。離れた所から見届ける」

「万が一にも貴方が捕まりでもすれば大変なことになってしまうからね」

「そういうことだ。逆にお前らが殺されたとしても無関係の敵国人の仕出かしたこと。一つ忠告しておくが、捕まるぐらいなら自決したほうがいいぜ。マジで半端ない拷問が待っているからな」


 スターシャは真面目な表情で忠告して来る。

 降伏は出来ない戦い。

 生きるか死ぬか、それだけだ。

 カチェは風景を眺めながらアベルに聞く。


「どのように攻撃しましょうか?」

「二手から奇襲できれば……」

「側面からと……さらに別方向から襲うわけね」

「待ち伏せに適した地形を見つけるのが先決です。地形によって奇襲方法は変えましょう。敵にどれぐらいの使い手がいるのか分かりませんが、ともかく爆閃飛で攻撃をします。初めは接近戦を避けて魔法で戦士をできるだけ倒していく。敵の魔術師が考えているよりも強力で付け入る隙がなければ逃走します。できれば攻撃地点と逃走経路を見定めておきましょう」

「勝てそうなら接近戦に持ち込んで戦闘は継続するのね」

「はい。重要人物の首を獲ったら……目的達成です。逃げる時は、いきなり北のハーディア領を目指すのではなくて敵を攪乱するために東か西へしばらく進んで、それから迂回しましょう」

「久しぶりの戦闘だわ……」


 アベルはカチェの瞳が好戦的にギラギラと輝いていくのを見た。

 ロペスと同類の、ハイワンドに流れる戦士の血を濃厚に感じて背筋が冷たくなる……。


 やがて街道を進んだ先、待ち伏せに適した地形を見出した。

 起伏の少ない平坦地。

 道路の両脇は草の生えた原野と立木が混在したような風景。

 藪が広がっていて身を隠せる絶好の場所があった。

 アベルは距離を測る。

 藪は街道から百メートルほど離れているので、爆閃飛で攻撃しやすい距離だ。

 なおかつ直ぐに敵の反撃は受けない


 さらに馬を隠せる林も近場に見つかった。

 奥へは森が続いているので、もし逃げなくてはならない時にはそちらへ行けばいい。

 もちろん敵がそちらへ逃げてしまう可能性もあるのだが……。

 まずは身を隠して先制攻撃を仕掛けることが重要なので、その他のことは深刻に考えないことにした。


 アベルは街道の地面を鉱物魔術「土石変形」によって波打つように変形させる。

 馬が足を落としたら転ぶほど深くした。

 それから「清水生成」によって水を満たして、泥沼のようにする。

 ただの水たまりと思って馬が入り込んだら、転倒する可能性が高い。


 敵の一行が泥沼で行進を止めたら、脇からアベルとワルトが攻撃を仕掛ける。

 カチェは道路を挟んで逆側に身を隠した。

 敵がアベルたちの攻撃に対応したら背後から攻撃できる。

 しかし、たった一人で戦うのだからリスクは大きい。

 あとは、どのタイミングでカチェが参戦するかだが……それは任せることにした。


 スターシャは馬を隠した林の方へ行った。

 戦いにアベルたちが負けたら一人立ち去ることになる。

 彼女は沈黙のまま別れた。

 頑張れだとか助言じみたことは何も言わない。


 アベルとワルトは藪に身を隠して、じっと待つ。

 ワルトのぴんと立った耳が、ときおり物音を探って僅かに動いている。

 聴覚と臭覚に優れている獣人がいると頼もしいものだ。


 同じ姿勢でいると体が固まってしまうので体を解しておく。

 朝からほとんど物を食べていないが、少しも腹は減っていない。 

 やや曇天になってきた。


「ご主人様。来たっち……」


 アベルは様子を見る。

 ざっと俯瞰したところでは百人ほどの集団だった。

 やや乱雑な隊列を作っている。

 間違いなくケルク市で奴隷の売買をしていたディド・ズマの手下たち。


 二頭立ての馬車が三台ほどいる。

 幌が付いていて、物資を運んでいるのか人が乗っているのかは分からない。

 騎兵が十頭。旗印を掲げている者がいる。

 菱形をした見覚えのない紋章なので人物の特定はできない。


 物資を背負って運んでいる奴隷が大勢いた。

 奴隷の運搬人と戦士は一目で明確に違いが分かる。

 武器を持っているか、いないかだ。

 

 槍や剣を持っているのは五十人ぐらい。

 馬車の中にまだ兵がいそうだ。

 先頭を進む三騎の警戒騎兵は、道路の状態が悪くなったのを認めて停止した。

 それから用心深く馬を降りて水溜まりの深さを調べる。

 徒歩の傭兵たちは車輪が穴に嵌らないように警告を与えた。

 

 運搬をしている奴隷たちが馬車を道路脇に誘導していく。

 武装している者は、そうした作業を手伝わない。

 かたまって様子を見ている。

 好機到来。


 攻撃するのなら、今しかない。

 常識的に考えれば絶対に仕掛けない数的格差。

 これは無謀な戦いなのだろうか……。

 思わず自問してしまう。

 

 隠しようもない恐怖感、緊張、それから何故か湧き出る自信。

 二律背反した感覚。

 上手に戦えば三十人ぐらい単独でも倒せそうな気がしてしまう。

 錯覚ではないはずだ。


 ずっとずっと戦ってきた。

 思いがけずヨルグのような師に鍛えられもした。

 引き返せない破滅に飛び込むかもしれない怖気……その奥から記憶の中でより一層美化されたイースの面影が蘇る。


 戦うと決めれば、滾るような怒りが込み上げてくる。

 複雑な色彩が交じりあった波のような激情。

 衝動が理屈を上回るときだ。


――俺は狂っているのか?


 とっくに狂っているのかもしれない。

 憎悪の極み……その果てに父親を殺した。

 ぶっ壊れた心の安全弁。

 破壊への欲望が止め処もなく溢れ出てきた。

 体内の魔力、どこまでも猛る。


 アベルは溶岩のようにパワーを孕んだ魔力を加速させるようなイメージを強く持つ。

 腹の辺りが熱くなってきた。

 魔力をさらに湧き上がらせて、渦巻くように流動させた。

 脳裏には爆発の光景を思い描く。

 敵の肉体を粉々にする、純粋な破壊への願い。


 敵群の中に反応がある。

 魔力の発散を感じて、警告の大声を上げた。

 さすがに数々の実戦を経ている傭兵たち。

 

 魔法使いの風体をした男が防御魔法を素早く詠唱している。

 動きが機敏だ。

 アベルの頭上に魔素が寄り集まり、光を発する。

 急激に紡錘形の塊へと転じ、近くにいるだけで焼けるような放射熱を出す。


「爆閃飛」


 ロケット弾に似た炎の槍が敵群へ、すっ飛んでいく。

 狙いは魔法防御の範囲外。

 騎兵の乗っている馬。

 吸い込まれるように飛翔して、赤い閃光が走る。


 腹に響く爆発音。

 大きな馬体が粉々に飛び散る。

 乗っていた男の上半身のみが空中に放り上げられた。

 破片を食らって周囲の傭兵たちが転倒する。


 アベルは爆閃飛をさらに二回連発する。

 傭兵たちの手足が千切れ、鎧ごと胴体が砕ける。

 腸が飛び散る様子が、やけにくっきりと明瞭に見えた。


 爆発に驚いた馬が一匹残らず暴走していく。

 騎兵が懸命に操ろうとするが、棹立ちになった馬から落馬する者が何人もいた。

 馬車に至っては興奮した輓馬が原野の中に逃げ込んで木に衝突。

 荷台が横転した。


 戦闘員とは違って運搬をしていた奴隷たちは逃げ惑う。

 戦う意志のない奴隷は敵ではないので、攻撃を当てないようにしてやったが怪我ぐらいさせてしまったかもしれない。

 それとは対照的に、戦い慣れた傭兵たちは素早く体勢を整えてきた。


「水壁」を作れる魔法戦士および魔法使いが防壁を形成。

 その後ろに槍などを持った戦士が戦列を取ろうとしていた。

 アベルはまだ防壁に入りきらない敵へ再度、爆閃飛を撃ち込む。


 炎の嵐。

 ごつい体格をした戦闘員が玩具の人形のように吹き飛ぶ。

 地面に叩きつけられたその男が立ち上がろうとするが上手くいかない。

 再び転倒してから、己の足首が千切れて無くなっているのに気が付いた。

 獣じみた悲鳴を上げる。


 アベルは息を整える。

 心臓が破裂しそうなほど動いていた。

 二十人ぐらいは殺すか戦闘不能にした手応えがあった。


 敵群は二手に分かれる。それぞれ十五人ほどの人数。

 アベルとワルトが隠れている茂みを複数方向から押し囲んで、それから一気に攻めようという意図だ。


 常識的な戦法だった。

 アベルは戦況を見渡して次の決断をする。

 黙って包囲されては殺される。


 回り込もうとしている敵の最左翼へ走り込んで接近戦に持ち込んでやると決心。

 二刀流は切り札として隠し、まずは無骨のみを鞘から抜く。

 敵の魔法使いから「氷槍」が放たれたが、当たらない軌道なので無視した。


 円形シールドと両刃剣で武装した傭兵たちが戦列を作っている。

 列の人数は十人ほど。

 後ろに魔法使いが数人。

 

 下卑た殺気を放って、じっくり攻め寄せてきた。

 戦列を崩せないから歩みは遅い。

 アベルは気象魔法「極暴風」をイメージ。

 敵が目測十メートルまで迫ったところで魔法を行使した。


 土煙が煙幕のように戦列へ吹き付ける。

 盾は風の圧力を大きく受けるので、戦列は前進を停滞させた。

 アベルとワルトは姿勢を低くさせたまま茂みから飛び出る。

 興奮で体が熱い。


 敵の最左翼へ全速で駆けた。

 戦列の背後にいる魔法使いが同じく気象魔法「極暴風」を行使。

 アベルの魔法と相殺された。

 

 傭兵の中に魔法剣士がいた。

 その男が炎弾を放ってきたが、アベルは「水壁」を創生。

 炎の塊は水壁に衝突して激しい水蒸気を発する。


 ワルトが単独で跳躍するや急激に接近。

 傭兵の構える円形シールドに飛び蹴りを食らわせる。

 激しい衝撃で盾ごと相手の体を転倒させた。

 

 戦列を作っている隣の男がワルトに斬りつけるが、紙一重で回避。

 ワルトは逆襲。

 盾を片手で掴むと揺さぶり、強引に防御を剥して戦斧を打ちつける。

 肉が潰れる湿った音。

 斧が敵の右肩の半ばまで食い込む。


 ワルトを包囲しようと残った敵が押し寄せてきたところで、アベルも突入。

 挑発すると傭兵の男は不用意な斬撃を繰り出してきた。

 見逃さず無骨を革の籠手に斬りつけると、いとも簡単に手首が落ちる。

 動脈から蛇口さながら血が流れる。

 意味不明な悲鳴。


 後列にいる中年の魔法使いが「氷槍」を創生しているが、一呼吸遅い。

 隙を逃さずアベルは棒手裏剣を投擲。

 魔法使いの左の目玉に深々と突き刺さった。

 その場に崩れ落ちて、釣り上げられた魚さながらに痙攣している。


 ワルトはいつものように変則的で予測の難しい跳躍や体捌きをして相手を翻弄する。

 そして、少しでも隙があれば強烈な蹴りをぶちかました。

 敵が怯んだところでアベルは前進。

 わざと上半身を前傾させて攻撃させやすくしてやる。

 むろん誘いだった。


 相手の魔法剣士は絶好の機会と勘違いして両刃剣で突きを仕掛けてくるが、カウンターで肘に斬りつけると無骨の刃が滑らかに通る。

 剣を持ったままの腕が落下した。


 魔法使いが土石変形硬化を行使してきたので、アベルは対抗して魔力を注ぎ込む。

 鎖帷子をした年若い魔法使いが、引き攣ったような表情でアベルを見てきた。

 アベルが放射する強烈な魔力に怯んでいる。


――こいつ、全然魔力の弱い魔法使いだ。

  これなら圧倒できるな。


 アベルは魔力を活性化せて、地面から無数の硬化させた土の槍を突きだす鉱物魔術「土槍屹立」を強くイメージ。

 相手の魔力を押し返して、魔術を発動させる。

 土中から突き出した石の槍が魔法使いの太腿を貫いた。


「ぎゃあぁあぁぁ!」


 アベルとワルトは傭兵たちから付かず離れずの移動を繰り返す。

 ところが敵の残った一群が背後や横に回ろうとして来た。

 加えて落馬を免れた四騎の軽騎兵が急速に接近してくる。

 たちまち形勢は不利。

 

 騎兵の一人が弩でアベルを狙っていた。

 引き金にかけた指に注目。

 力を入れた瞬間に横っ飛び。

 アベルの体の脇を矢が過ぎ去った。


 アベルとワルトは包囲を避けるために、互いに協力しながら原野を後退していく。

 騎兵を交えた傭兵部隊は散開しながら押し寄せて来る。

 その数、二十人ほど。

 だいぶ殺したとアベルは喜びを感じる。

 まだ数で優位な傭兵たちが脅し文句を叫んでいた。

 勝てるつもりの勇ましさ。


 アベルは切り札のカチェを待つ。

 必ず最高の瞬間に行動を起こしてくれる。

 絶対の信頼。

 

 そこへ新たな爆発。

 完全に背後からの不意打ち。

 カチェの炎弾だった。

 騎兵が一人、爆発で体を破裂させた。

 馬がパニックになって走り回る。


 カチェは迷わず突撃。

 残った騎兵が方向転換を試みているところで、一気に近寄った。

 騎兵が短槍で突いてきたが穂先を刀で払う。

 反撃。

 上段切りを太腿に与えると、骨まで断ち割った手応え。

 落馬した。


 残った一騎が騎馬突撃の様子を見せたので、棒手裏剣を馬の鼻面に投擲。

 命中。

 驚いた馬が飛びあがって横転した。

 馬体に騎兵が圧し潰されて動かなくなった。


 アベルは後退をやめ、一転して逆襲。

 奇襲された敵から何か動揺の声が聞こえた。

 剣を持った傭兵と相対する。

 庇のついた鉄兜の奥から、殺意に満ちた髭面が見える。


 敵の斬りつけを見切って、鎬を刀で叩いて軌道を弾く。

 瞬間、渾身の一撃を大上段から打ちつければ冑が斬り割れ、脳漿が飛び散る。

 かつて鉄の冑をカチ割るなど到底できない芸当だったが、今では難なく行えるようになってきた。


 ワルトが変則的な跳躍で相手を翻弄して優位を占める

 低い姿勢から傭兵の脛を狙って斧を繰り出す。 

 激しい衝撃に耐えられなかった足が枯れ木のように折れた。

 残る敵は十五人あまり。


 背後から奇襲したカチェに数名の傭兵が反撃してくる。

 カチェは敵から目を離さずに、体を斜めにさせた姿勢で後退。

 向かってくるのは一人の弩兵と三人の剣士風の男。

 距離を保ちつつ、カチェは炎弾を詠唱。

 弩兵が走るのを止めて、落ち着いて狙いを定めてくる。


 カチェは矢の飛来を予測して、集中する。

 さらに摺り足で後退を続ける。

 わざと動きを止めた。

 好機到来と見た弩兵の親指が動いて金具を引くのが見えた。

 瞬間、見切って体を反転させる。

 耳のすぐ横を矢が通過した。不快な空気を裂くような音が残る。


 カチェはさらに接近してきた剣士三人に炎弾を射出する。

 体を狙っては回避されるかもしれないので、初めから足元の地面を狙っていた。

 三人組のすぐ手前の地面で爆発。

 土や石が破片となって飛び散る。

 一人が足を負傷したのか跪いた。


 三人組が魔法で防御してこなかったということは、使い手がいないのだろう。

 弩兵と組めば対抗できると思ったらしい。

 攻撃を外した弩兵は再装填に取り掛かっていた。

 弩は威力が大きい分、弦の張力が強いので準備に時間が掛かる。


 その隙を狙ってカチェは前進。

 斬り合いになる距離寸前で手斧を腰から外し、思い切りブン投げる。

 外しようのない近距離。

 狙った剣士の胸甲に命中。

 赤い火花が飛び散り、錬鉄に斧の刃が食い込んでいた。

 致命傷ではないが、やられた相手の男は驚愕の顔つき。


 カチェは大股で一気に距離を詰めると、魔力を奮い立たせて渾身の斬撃を残る男に与える。

 あまりに速い斬りつけは相手に悟られなかった。

 肩にあった防具の隙間に刃筋が立つ。

 敵の腕が根元から切断。


「ひいぃいぃい!」


 狼狽えた声を上げて、ふらふらとよろめく。

 手斧を食らわせた男の膝に蹴りを食らわせると、弾けたような折れる音がした。

 そのまま仰向けに転倒した。


 弩兵は慌てているらしく、まだ矢の装填ができない。

 カチェは炎弾を創生。

 相手はやっと弦を引き絞って金具に固定した。

 射出された炎弾が飛翔して、弩兵の胸に命中。

 炎が膨れて人体が果物のごとく砕けた。


 カチェが視線を転じればアベルとワルトが猛然と敵の群れに襲い掛かり、圧倒しているところだった。

 残る敵は十人ほどだが、人数は関係なかった。

 巧みに位置を移動して一対一の状況に持ち込み、正確な攻撃で相手を傷つけていく。


 敵は戦列を形成しても動きで遅いものだから、弱点である横に回り込まれている。

 カチェも攻撃に加わる。

 すぐに敵の弱点に気が付いた。

 敵のうち魔法を使えるのは一人だけになっているらしい。

 灰色のローブを着ている男が必死にアベルの魔力に抵抗しているものの、もう追い詰められる寸前といった気配。


 カチェは「氷槍」を創生する。

 止めの一撃。

 射出された氷槍は魔法使いの後頭部に突き刺さった。

 残った敵は五人。


 意味不明な唸り声、罵りと叫び、半狂乱になりながら傭兵たちが逃げに移る。

 ワルトの素早さにはまるで及ばない。

 背後から戦斧を叩きつけられて傭兵が倒れる。

 アベルは走りながら炎弾を射出して、逃げていく敵を一人残らず討ち取った。


 戦闘はおおむね決着する。

 頭を割られ、あるいは大出血により死亡している者が黙して地面に横たわっていた。

 体を大きく傷つけられて歩行できなくなった者らは、這い蹲りながら罵詈雑言を口にしている。

 その数、十人ほどだろうか。

 誰も彼も眼は血走り、顔は憤怒で染まっている。

 右足首を炎弾で吹き飛ばされた男が、止血のために自分で脛の血管を押さえていた。


「うぅ~……畜生……クソがよ! 俺の足が無くなってやがる……」

「こ、殺してやるぞ……殺してやる……この野郎、絶対殺してやるからな」

「てめぇのケツの穴に剣をぶっ刺してやる……! 目玉を抉り取ってやるぞ!」


 アベルは話しかけた。


「なぁ。あんたらの中で一番偉いのって誰?」

「教えるものか……! くたばれよ、クソ野郎。心臓と栄光に逆らって生き延びた奴なんざ、いねぇんだ」


 そう嘯く男の顔に貫禄はない。

 いかにも低劣な賊といった風情なので、アベルは無言のまま首筋に刀の切っ先を突っ込んだ。

 血の泡を吹いた男。死んだ。


「お~い。素直に言えば命だけは助けてやるよ。早い者勝ちだぞ。助けるのは最初の一人だけ。後から喋っても遅いからな」


 任侠とか武侠と言われ、あるいは親分子分とも言い表す傭兵や戦士の世界。

 血よりも濃い誓いだとか。

 けれど、そんなものはやっぱり表面のことである。

 熱狂の最中で戦いはするが、負けと決まって素面しらふになってしまうと感情のボルテージは極大から一挙にマイナスへと振れる。


 そうなると不満や本音が出てくるものだ。

 所詮は金や女、刹那の名誉が目当てで傭兵をやっている者たち……。

 アベルは怪我で動けない男たちの顔を眺める。


 憎悪で獣さながらの表情を浮かべている者だけでなく、卑屈な怯えを隠しようもなく晒している者がいた。

 炎弾の爆発で骨折でもしたのか手足が捻じれて倒れている。


「なあ、あんた。何か喋りたい? そういう風だね」

「あ……の」

「この集団で一番偉いのは誰だ」

「……じゅ、十傑将のレンブラート様がいたけれど、爆発で死んだぜ。会計のマゴーチってのが馬車にいて……そいつはどうなったか知らない」

「裏切りやがったな! てめぇ!」


 罵りの声。

 不意に途切れる。

 男の頭蓋をワルトが斧で叩き割る。

 アベルは次の行動を考える。

 行方不明のマゴーチという男を探すべきだろう。

 しかし、顔が分からないから死んでいたらどうしようか……。


 アベルの周りには、いったんは逃げた奴隷たちが近寄ってきていた。

 彼らの中には拾った武器を手にした者がいる。

 奴隷は逆らわないだろうと予測していたのだが、間違いだったのだろうか。

 アベルは叫ぶ。


「なんだ、お前ら! 奴隷ならさっさと逃げちまえよ!」


 奴隷は慌てて手を振って否定の仕種をした。


「お、俺たちも戦う! こいつらに酷い目に合されていた」

「……」

「それにしてもあんたらすげえな。ズマの金を強奪とは!」

「金?」

「そうさ! 奴隷の取り引きで得た金を奪いに来たんだろう? 俺たちも仲間にしてくれよ!」

「……お前らの面倒なんかみられないぞ。どこへでも好きなところへ行け」

「そんなこと言わないでくれよ。あんたらみたいな凄腕の命知らず見たことも無いぜ」


 どうやら強盗に間違えられているようだ。

 無理もないと言えば無理もない状況だった。

 その方が都合はいい。


 奴隷たちは負傷して倒れている傭兵へ襲い掛かる。

 ついに来た復讐の時に興奮していた。

 わざと骨折している足を蹴っ飛ばすような拷問じみたことまでしていた……。

 怒鳴り声と悲鳴。

 アベルに事情を暴露した男は命乞いを始めた。


「約束だろ? 命は助けるって! あいつらに言ってくれよ! 俺だって無理矢理やらされていて……。本当はズマなんかに従いたくねぇんだ。けれど仕方なく……」

「そんなものはお前の都合だ。奴隷にされたり殺された者には関係ないな」

「命だけは頼む。俺はもう二度と悪さはしない! 反省した。後悔している!」

「反省……? そんな自己満足でケリがつくかな。人生のツケを支払う時間が来たんじゃないか」


 眼をギラつかせた奴隷が槍を持って近づいてくる。

 喚きながら這って逃げる傭兵を滅多刺しにした。

 アベルとワルトは残った敵がいないか馬車の方へ走り寄ると、中から誰かが飛び出してきた。

 木箱のような荷物を抱えて林の方へ走っていく。

 アベルは接近しながら炎弾を創生。

 逃げる敵へ放つ。

 近くの木の幹に命中して、爆発。

 敵の体が衝撃波で飛ばされた。


 男が血と土に塗れた姿で倒れている。

 黄色の絹で出来た立派な服の残骸が、肥満した体にへばり付いていた。

 顔に見覚えがある。奴隷市場で取り引きを仕切っていた奴に間違いない。

 左腕が肘の部分から奇妙な方向に曲がっていた。

 重傷だが、まだ生きている。


「おい。声が聞こえるか。質問に答えれば助けてやるぞ」

「お、お前……こんなことして……ズマ様に殺されろよ。この糞め……。全身の皮を生きたまま剥ぎ取ってもらうからな。必ず発狂するまで痛めつけてやるぞ!」

「質問に答えれば助けてやるって。名前を言え」

「……マゴーチだ。知らんはずないな。ズマ様の会計だぞ、俺は。ええ、この野郎。俺を人質にする気だろう。そうか。狡賢いやつだな。早く手当をしやがれ!」

「マゴーチ……」

「そうだ! ズマ様の幹部として」


 アベルは脂肪で太く膨れた首筋を刀で断ち切る。

 悲鳴も出なかった。

 マゴーチは信じられないという顔をして悶えている。

 ぱっかりと開いた喉笛から空気が漏れていく。

 すぐに死んだ。

 背後を振り向くと顔を隠しているスターシャがいた。


「片づいた。こいつ、マゴーチという会計だった。あと十傑将っていうの? その一人が爆発で死んだらしい」

「やるじゃないか」


 それからマゴーチが抱えて運んでいた木箱に目を付ける。

 鍵が掛かっていたが破壊して開けると、中から書類と袋が五つ出てきた。

 袋の中身は金貨や銀貨だ。

 金貨だけでも、ざっと千枚はありそうだ。

 こんな大金は見たことが無かった。

 奴隷の取り引きで得た財宝というわけだった。

 金貨は無論のこと、書類も情報が手に入るかもしれないので奪う。


 奴隷たちの中には機敏な者がいて、さっそく死人から装備や道具を奪っている。

 逆に状況が呑み込めずに呆然としている者もいた。

 アベルに話しかけてきたさっきの奴隷がいる。

 やつれた顔に興奮が表れていた。


「なぁ! あんた! 頼むよ。俺たちを仲間にしてくれ!」

「どこか遠いところへ行って真面目な農民にでもなれ。ガイアケロンの領地ならきっと受け入れてくれるぞ。距離もそんなに離れていないだろう。じゃあな」

「あ、あんたら……。俺たちだけじゃ不安だから」

「立派な大人の男が人を頼りにするな。武器と防具はそこらに落ちている。探せば金目の物もあるさ。急いで逃げろ」


 アベルは奴隷たちを無視して、馬を隠してある場所まで走って戻る。

 とりあえず逃亡先を欺瞞するために東南方向に進路を取る。

 足跡は魔法を使って消せば、ハーディア領に逃げ込んだことは分からなくなるはずだ。


 馬が疲れるまで移動して休憩になる。

 カチェは勝利の興奮を抑えがたい。 

 体が燃えるように熱かった。

 本当はアベルに抱きつきたいくらいだった。


 仕方がないので、やり場のない情動をスターシャにぶつける。

 彼女の体を覆う鎧をぶん殴った。

 そのあと抱きつくほど身を寄せて、驚いたスターシャの青い瞳を見つめて言う。


「アベル、凄いでしょう!」

「……ああ、興奮したぜ」

「言っておきますけれどアベルに手を出したら……許さないわよ」


 スターシャは微笑する。

 紫の瞳をした少女の溌溂とした美しさが眩しかった。


 

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