第96話  再び東へ

 




 アベルは仲間と一日の移動を終え、ゆっくりと夕食を楽しんでいた。

 以前と比べれば少人数なので負担は少ない。

 従者や見習いであったときは、ありとあらゆる雑事を全てこなしていた。

 なにしろ最底辺の立場である。

 ところが今となっては、むしろシャーレがあれこれと世話を焼いてくれるほどだ。


 向かい合って幼馴染のシャーレが座っている。

 癖のない金髪に艶があって美しい。

 エメラルドのような緑の瞳は優し気で親愛が溢れていた。

 

 一緒に居て気分のいい相手だった。

 彼女は自己主張は控えめで、常に体を動かし協力をしてくれた。

 先回りして行動できるから、特に指示もしないですむ。

 それに、やはり飛びっきり性格が良かった。

 不機嫌でいることなどなく、常に穏やかなのである。

 共に行動していると、こちらの心が和らいでくるような女性だった。


 同じ女とはいえ、例えばイースとは比較するような人間ではなかった。

 持っているものが根本的に違う。

 家庭的で、感情が伝わりやすく、いわば全く普通の女の子であった。


 夜の飲食店は半ば酒場のようなところである。

 酔漢の笑い声が、そこらじゅうで響いていた。

 アベルは、ふと気配を感じ振り返る。


 我が目を疑った。

 驚きで体が固まる。

 そこには別れたはずのカチェの姿が……。

 

 見間違えるはずがない。

 こんな美しい少女が、二人といるものか。

 生命力が溢れ出るような紫の瞳。

 眦は少し上がり気味で、性格の鋭さが現れている。

 紫紺の髪は、きっちりと切り揃えられていて前髪は眉の部分で横一直線に整っていた。

 少し汗をかいている。

 よほど急いで来たという雰囲気。

 驚いたが……しかし、考えてみればこんな予想外のことをやってしまうのがカチェという人間だった。


「カチェ様……。追いかけてきたの?」

「そうよ。アベルだけ……楽しそうな旅なんてズルい」

「た、楽しくはないよ。危険な、何が起こるか分からない旅です」

「そこが面白いじゃない。アベルだけ行かせはしないわよっ!」


 気の強そうな、ともすれば傲慢なほどの態度。

 幼い頃から支配者階級として教育されてきた人間の持つ、命令に慣れた様子。

 でも、旅の経験などから人当たりは、ずいぶん柔らかくなった。

 そこらの狭い世界しか知らない貴族などより、遥かに豊かな知識を持っている。


「わたくしも食べたい。お腹空いたわ」


 アベルの隣に空いていた席について料理を頼む。

 前に座るシャーレが途惑ったような表情をしていた。

 そんなシャーレにカチェが、怜悧で優雅な笑みを浮かべて話しかける。


「シャーレ。改めてよろしく」

「えっ。は、はい……」

「聞いたけれど、アベルと夫婦を装っているのですって?」

「そうなんです。男の一人旅は怪しまれるから」

「これからアベルの面倒は、わたくしが見るから。貴方はあんまり演技しなくてもいいわよ。なんなら役柄を変わりましょうか」

「お断りします……! 大事なお役目です」


 シャーレも表情を取り戻して穏やかに笑っているし、カチェも口角を上げているのだが妙な緊張感が二人の間で漲っている。

 アベルは急いで口を挟むことにした。

 良く分からんが放っておくと、不味いことになりそうだ……。


「カチェ様。なんと言って家を出てきたのですか。よくバース様が承諾しましたね?」

「明日にでも手紙を出すつもりです。アベルと合流できたことは知らせないと」

「……本当にちゃんと承認あるんですか? もしなかったら大変なことになるけれど」

「大丈夫よ。覚悟の問題ね。それさえあれば、何とでもなるわ」


 アベルは内心、困惑する。

 どことなく不穏当なカチェの答え。

 何があったのか、詳しく聞くのが怖い。


――おいおい。本当に大丈夫なのか……。



 カチェが上機嫌で焼いた鳥肉や、豆のスープなどを食べている。

 その姿を見ていると心配とは逆に喜びが湧いてくる。

 いなくなってみて、カチェのことが嫌でも思い出された。

 陽性の性格。前向きさ。勝つまで続ける気力。賢さ。


 アベルは自分にないものばかりだと、別れてからはっきり気が付いた。

 例えば死んでしまったヨルグの強さというのは、凄まじい粘着性や執念から生み出されていた。

 どうやら自分が強くなったのもヨルグと良く似た精神性が根源のように思える。

 カチェの強さというのは全然、別物だ。

 やっていることは同じ戦闘でも、裏と表ぐらい違う。

 不思議だ……。


 シャーレはアベルの表情を見て取り、複雑な想いを抱く。

 突然、やってきたカチェを明らかに受け入れていた。

 むしろ、喜んでいるほどだ。

 二人の絆の強さを理解する。


 シャーレは内心、困惑の極み。

 心浮かれるほど楽しい旅が、これで全く様相を変えてしまった。

 幼馴染としてアベルには子供のころから親しみを感じていた。

 長じるにつれて尊敬する少年から、具体的な恋愛の対象になりつつあった。


 その矢先、戦争が押し寄せて離れ離れになってしまった。

 そして、帝都に逃れてから最悪の知らせ。

 ポルトのお城は吹き飛び、アベルも含めて大勢が戦死したという……。

 最悪の結末であった。

 故郷テナナからも遠く離れ、気力を無くしつつある日々。


 子供の頃から親戚のように接してくれたアイラに支えられて、何とか再起した。

 仕事に没頭すれば、いくらか辛いことも忘れられた。

 アベルの喪失は鈍い痛みを持ちつつ、日常生活と同居しつつあった。

 思えばそれが少女時代の終わりであり、これからは薬師の腕を上げて大人として生きていかなくてはならないと理解した。

 悲しみから始まった大人の訪れであった。


 ところが……アベルが生きて帰ってきた。

 こんな喜びがあろうか。

 世界はより一層輝き、薔薇が咲いたようだった。


 アベルは帝都でお勤めをして、自分は薬師として働いて……。

 ときどき一緒に食事をして、買い物をして……。

 そんな日々が続いてくれるなら、これ以上ない幸福なことだと思っていた。

 激しい恋慕とは違うものの、幼馴染としての親愛が男女の情愛に高まるかもしれないという期待感のようなものが湧いた。


 やがて素晴らしい知らせを親方ダンヒルから知らされた。

 今度はアベルと故郷テナナに帰れるというのだ。

 なんでもアベルはハイワンド領の偵察任務を受けたという。

 一人では怪しまれるから夫婦を装ってほしいとの依頼に内心は歓喜したものだ。

 たとえ演技でもアベルのお嫁役など……。


 ワルトがいるもののほとんど二人旅のようなもので、日を重ねるごとに関係が深まるようであった。

 それなのに公爵家のお嬢様が来てしまった。

 何ということだろうか。

 

 シャーレの持つ女の勘は、敏感にカチェのアベルに対する愛情を感じ取る。

 それにアベルはいまや公爵家の身内であり、信じたくないほどの身分の差がある。

 しかし、それが何だとシャーレは自分に言い聞かせるように考えた。


 ただ、喧嘩のようになってしまってはアベルを困らせることになるだろう。

 向こうもそれは分かっているはずだ。

 シャーレは自重しつつ、しかし、アベルへの好意を抑えるつもりはなかった。





~~~~~





 翌日から、四人での旅路が始まった。

 季節は夏から秋に変わりつつある。

 この時期は長雨が続くということはあまりないので、旅に向いた季節であった。

 

 皇帝国の雨季は地域によって、だいぶ変わる。

 寒冷な北部では夏でもあまり雨は降らないらしい。

 その代わり、冬は大量に雪が降る。

 帝都の付近で降雪は少ない。あったとしても年に二、三度。

 積もるようなことは数年に一度だという。

 皇帝国東部から中央平原にかけては、初夏に雨が降りやすい地域だった。



 アベルたちは領境で必ず検問にぶつかる。

 皇帝国の各地は、公爵や伯爵といった貴族たちに統治を任されている。

 貴族の統治が上手くいかないと定められた税金を国庫に納められなくなる。

 それは貴族として大変な不名誉であるし、仮に不払いが続けば皇帝から統治不十分として、爵位や領地を剥奪されてしまう。

 だから、貴族たちは自分の領地をよく治めようと躍起になるものだ。


 アベルはバース公爵から与えられた書面を検問官に渡す。

 リモン公爵が自ら認めた、本物の書類。

 そこにはリモン公爵の求めによってテルマ薬品店の薬師二名とその他を招くというようなことが書いてある。

 押印してある紋章、署名、どれも格式のあるものだった。

 検問官は書類を調べると、疑うこともなく通してくれる。

 カチェも連れの商人だと言えば、文句を挟む余地がなかった。


 東への旅は順調に進み、アカドゥール、ベリコと移動していく。

 良く整備された道路なので通行しやすいのだが、行き倒れた人をたくさん見かけた。

 困窮の末に餓死したのか病死したのか、はっきりしたことは分からない。

 服を奪われたらしく、丸裸の死体も頻繁に見かける……。


 三十日目にパティアの街に到着した。予定よりも早いほどだ。

 皇帝国東部最大級のかなり大規模な街で、かつてのポルトよりも栄えている。

 どこもそうであるように、街はすっかり壁に囲まれていた。


 市街地を囲む壁は簡単なものではなく、しっかりとした石造りで高さもある。

 アベルたちは入市税を払って街に入ると、中は帝都以来の混雑ぶりだ。

 特に兵士や騎士といった軍隊関連の人が大勢いる。

 大きな盾を背負って、手槍や剣で武装した兵士が数百人と歩いていた。


 装備や軍服の統一性が高いのは皇帝親衛軍や貴族の直属部隊なのであるが、ここにいる兵士たちはそうではなかった。

 明らかに傭兵という風情の者も大勢いる。

 戦争のため臨時に雇われた者たちだ。

 

 当然、治安は非常に悪くなっていた。

 戦争で荒れた気風の男たちが大勢いるのだから、喧嘩や騒動は日常茶飯事。

 そうした男たちの落とす金を目当てにした売春婦なども集まり、真昼間から路地で盛んに客引きをしている。

 

 王道国の攻勢から逃げてきた難民も数えきれないほどいて、彼らの多くは日雇労働をしたり軍隊関連の仕事をしていた。

 農民にせよ牧畜業にせよ、土地と密接な関わりのある職業なので、いったん逃げ出してしまうと直ぐに無業者となってしまうのだった。


 アベルたちは情報収集のために西方商友会の集会所へ行ってみた。

 中には地元の商人や業者などもいて、二十人ぐらいの人がそれぞれ商談などをしている。

 アベルは集会場の仕切り人らしき中年の商人に登録票を見せて、パティアの情勢を教えてくれるように頼んだ。

 緑色をした帽子を被った相手の男は、愛想よく答えてくれる。


「なんといっても戦争関連は賑わっているぞ。ここから東は戦ばかりだぜ」

「最前線はもっと東だと思っていたけれど」

「小部隊による侵入が相次いでいる。王道国の攻勢は、いよいよ盛んだ! 近いうちにまた大合戦になるって噂だ」

「もっと詳しく聞かせてください」

「ああ。しばらく静かだった王道のリキメル王子が最近は攻勢に転じている。それからイエルリング王子の軍団も、じわじわと戦線を拡大させているな。特に活発なのはディド・ズマが直接率いている傭兵軍団だ」

「ガイアケロン王子とハーディア王女は?」

「近頃は大軍を動かしていないが、いずれ攻勢を仕掛けて来るだろうよ。直面しているリモン公爵は攻撃に備えて物資を集めているぞ。商売の機会があるかもな」

「注意することがあったら教えてください」

「数えきれないほどあるぜ……。戦争に必要な物ならなんでも売れるといっていい状況だ。でも、話しはそう簡単じゃない。まず、貴族は手持ちがなくて金を後払いにさせようとしてくる。だが、応じたら駄目だ。絶対に踏み倒される。よほどしっかりした担保を取っておくんだ。それから、敵味方に関係なく兵士や傭兵の中にはタチの悪い輩も大勢いる。命だけは失わないようにな。悪いこと言わねえから、強盗に襲われたら金を払ってでも生き延びろ。だから不必要な金は持ち歩くな。現金は組合に預けるとか、有力な商家に投資することだ」

「なるほど……参考になりました」


 今度はアベルが知っていることを教える番であった。

 帝都にいた間に見知りしたことを、できるだけ伝えてやる。

 相手は商人なので物価や物資の需要と供給などを教えてやれば、興味津々で聞いたものだ。

 会話が一段落したところで、相手の商人は感心したように言う。


「あんたら若いのに、これから独立した薬商人としてやっていこうとは立派なもんだな」

「いやぁ。まだ駆け出しなんで、危ない目を乗り越えても儲けないと」

「まぁな。商人はどこかで賭けないと大きくは稼げないからな。ただの小売りで一生を堅実にやっていくのが退屈という者もいるよな……。そうだ。お前さんに一つ教えてやるよ。今、このパティアに皇帝軍の執軍官であるノルト・ミュラー子爵が滞在しているぞ」

「ああ……。あの、新しく指揮官になったという」


 アベルは祖父バースからノルト・ミュラーについて教えられたことを思い出す。

 ミュラーはコンラート派閥に抜擢された人物で、異例なことに子爵という低い立場でありながら執軍官に任命された男だった。

 

 通常、一つの軍団を指揮する執軍官は公爵か、あるいは皇族が務める。

 子爵位の人間がそうした高位に就くのは異例なのであった。

 これはテオ皇子やノアルト皇子が実力本位の抜擢人事をしばしば行うため、やる気のある人間が二人のもとに殺到したのに刺激されたという噂もあった。


 そうした事情があり、本来ならば皇帝国の要として機能しなければならない皇帝親衛軍も、現在は分裂状態であった。

 一方は積極的に第二皇子テオらについているが、もう一方はコンラート派閥に属している。

 当然、ミュラーはコンラート派閥の将軍ということになる……。

 中には派閥争いを嫌い、どちらにも加担せずに戦争に集中している生粋の武人もいるにはいるが、よほどの人物でなければ皇族たちの影響を免れることなど出来はしないのだった。


「じゃあ、そのミュラー様とやらに薬でも売りつけられるかな」

「へへっ。そいつはお前さんの営業次第だろうよ! まぁ、そういうわけで、ここパティアは軍の拠点として、しばらくは好景気ってわけだ。もっともディド・ズマなんぞが攻めてきたら恐ろしいことになるだろうが」


 組合の商人は、その後も細かいことまで様々に注意を与えてくれた。

 アベルはそれらを覚え込む。

 リモン公爵領への比較的安全な道を教えてもらい、だいたい知りたいことは集まった。

 商会場を後にして、仲間たちと相談する。


「カチェ様、シャーレ。今日はどうしますか。見物でもしていく?」

「薬は足りているから、あたしは特に欲しいものはないけれど」

「アベル。わたくし、そろそろ防備がほしい。ここなら胸甲ぐらいは売っているはずです」

「そうですね。ここらで手に入れておくのがいいのかも……」


 アベルはカチェの上半身を見た。

 すらりとした長身スレンダー系の体つきであるのだが、胸など実にふくよかになっていた。


――ずいぶん立派に成長したなぁ……。

  子供の頃なんか、ぺったんこだったのにな。


 これでは男性用の鎧では合わないかもしれない。

 舞踏会で踊ったときに体が密着したものだからどれほど大きくなったか理解しているつもりだったが、見れば見るほど見事の一言だ。

 不意にカチェと視線が合う。

 やばいと思ってアベルは目を逸らせたが、気づかれてしまった。


「アベル。わたくしのこと、いま見ていたでしょ……!」

「い、いや、別に……」

「胸のあたり見ていた。気になったの?!」

「その……あの……どんな防具がいいかなと思って……」

「……ふ~ん」


 誤魔化しきれなかったようだ。

 アベルがカチェの表情を盗み見ると、明らかに顔が赤くなっていた。

 初心な反応だなとアベルは思うが、自分も恥ずかしくて体が熱くなってしまった。

 シャーレが無言のまま笑顔でアベルに次の行動を促した。

 なぜだか、とても怖い笑顔だった。


「じゃ、じゃあ、市場の方へ行ってみましょう」


 四人で市場の方へ移動する。

 食べ物を売る屋台が数十軒と並んでいて、どこも賑わっていた。

 屋台は簡素な木の骨組みとテーブルで構成されている。

 布で天幕を張っている場合もあって、座って食べられるように席まで用意してある店と、買って立ち食いする形式など様々にある。


 小型の七輪で肉を煮たり焼いたり盛んなので、いい匂いがしていた。

 ちょっと腹が減ってきたところだ。

 焼いた挽肉と野菜を小麦粉の薄焼きで包んだ料理を買って食べる。


 アベルは街を歩く人を観察する。常にたくさんの人が歩き、混雑している。

 老若男女……あらゆる階層の人々がいた。

 武人、商人、職人など……。

 人間族だけでなくて獣人もいるにはいるが、ほとんどが運搬などをしている奴隷のような感じだ。

 奴隷と言っても大事な労働力なので、食事だけは豊富に貰える場合が多い。

 あまり粗末に扱うと奴隷が逃げてしまうこともあるから、皇帝国の役所では逃亡奴隷の捜索を行う部署があるほどだ。


 目当ての武具を売る店は、いくらでもあった。

 もともとパティアの街で武器屋を営んでいた様子の店もあれば、どこからか流れてきた武器商人が商品を売りさばいているような露店まで、全部で何軒あるのか分からないほどである。

 槍や剣、防具なども豊富に並んでいた。

 値段は帝都よりも少し安いほど。

 どうも皇帝国のあらゆる地域から大量の武器類が持ち込まれて、飽和状態になっているようだ。

 鍛冶職人が即席で武器を打ち直している場所は金属音が鳴り響いてうるさい。


 やがてカチェは手ごろな黒鉄の胸甲を見つけ出した。

 女性用なので優美な形状となっている。

 それから籠手と脛覆いも合わせて買いたいと店の主人に言えば、すぐにちょうど良い物が出てきた。


「アベル。装着してみるから、手伝って」


 着けてみなければ体に合うか分からない。

 アベルは革の帯で防具を留める手伝いをしてやる。

 こうした装備は慣れると一人でも簡単につけられるが、手伝った方がより速い。


 それに従者は主人の武装を手伝うのが基本中の基本とも言える。

 いまや同じハイワンド一族ではあるのだが、長年の従者としての習慣が身についていて、こうしたときには本能的に助けてしまう……。


 カチェの体に防備を密着させて、革の帯を留め金に潜らせる。

 アベルは妙な心地になってくる。

 こうしたことをしていると、なぜか親密さが増すというか、甘い雰囲気になってしまうのは気のせいだろうか。


 装着が終わる。

 お世辞の入る隙間が無いほど、実に凛々しい姿。

 実用品なので、お洒落でやっているわけではないのだが。


「どう? アベル」

「よく似合ってますよ」


 カチェは上機嫌になってくれた。

 痛んでいた革の帯を新品に交換させて、購入は問題なく終了。

 このあたりから一気に空気が戦地のものになってきたので、商人でもそれぐらいの武装は不自然ではない。


 もっとも、根本的にはカチェのような隠せない気品を持った若い女性が商人を名乗るのは、やはりどことなく奇異であった。

 どう見ても高家や金持ちのお嬢さんといった風情。

 そして、そんな女が武装して歩いていれば、どうしても人目を惹くものであった。


 街を歩いていても兵士や傭兵といったガラの悪い連中が冷やかしで口笛を吹いたり、話しかけてきたりということが頻発した。

 カチェはだいたいそうした男を無視しているが、行く手を塞がれるとそうはいかない。


「よぉ。お嬢さん、そんな立派な武装をして将軍でもやる気かい! なんだったら、おらの部隊に参加してくれよ!」


 カチェは無言のまま、相手の男を蹴っ飛ばして追い散らす。

 アベルは顔を顰め、争いを収拾するや逃げるように立ち去った。


 その後、今夜の宿を決めたのちに駄目もとでシャーレを連れ、皇帝親衛軍の軍陣を訪ねることにした。

 執軍官をしているノルト・ミュラーという人物がどんな者なのか、一目ぐらい見ておきたいとアベルは考える。


 相手はコンラート派閥の重要人物で、半ば敵のような存在である。

 こうした機会を利用して人物を見極めておくのは悪くないはずだった。

 愚劣な人間なのか、欲深いのか、あるいは優秀なのか……。


 接触を試みるだけならば危険はないだろうとアベルは計算する。

 それにシャーレを同行させて、彼女の様子も見てみたいと思った。

 潜入や調査に全く向いていないようなら、やり方を考えないとならない。

 それを確かめたかった。

 癖のない金髪に櫛を通して身繕いをしているシャーレに問いかけた。


「これから薬師を名乗ってノルト・ミュラーという貴族に会いに行こうと思う」

「はい」

「普通に薬を売りたいと交渉するだけだから危険はないはずなんだ。……シャーレ、できるかな?」

「いつも通りやればいいんでしょう。演技なんかできないけれど」


 アベルは頷いた。

 それからカチェは変に目立つので、ワルトを番犬にして宿へ置いていくことにした。


「なんでよ! わたくしも行きたい!」

「カチェ様。一応、偵察なので……。我慢してください」


 かなり不満そうにしているが、なんとか宥めてアベルはシャーレを伴い宿屋を出る。

 ノルト・ミュラーは数百人の手勢だけでパティアを訪れているらしい。

 つい最近まで最前線で戦っていたが後方から戦力を引き抜いて、再び前線へと舞い戻るためだという。

 市の中心部には城がある。そういう様式はポルトの街と同じだ。

 おそらくミュラーはその城に滞在しているはずだった。


 どこでもそうだが賄賂次第で、けっこう融通が利く。

 アベルは城の門番たちに薬を売り込みたいのでミュラー子爵の側仕えか副官に連絡はつかないかと相談してみることにした。むろん金を渡して……。

 断られたら断られたで、そのときは諦めて戻ればいいだけのことだ。


「あの~。すみません」


 びったりと閉じた門扉の前に佇む門番は六人。

 開門時には不審者が入り込まないように数十人の警備がいるものだが、閉門時にはどこもだいたいそれぐらいの人数である。


「僕たち薬売りなのですけれど、取次ぎ役人様に会わせていただけませんか」

「薬か……。ふん。まぁ、会わせてやるだけなら俺様たちの力でなんとかしてやれないこともない」


 踏ん反り返ってそう言う門番に、アベルとシャーレは愛想笑い。

 門番たちの手に銅貨を握らせる。

 安酒が一杯か二杯呑める程度のものだが、大抵はそれで納得する。

 そういう相場というのは、暗黙の了解というものだった。


 門番たちは僅かに笑って頷いた。

 そうしてアベルたちは取次ぎ役人に案内される。

 さっそく中年の役人に要件を伝えて今度は銀貨を一枚渡すと、これでは足りないと露骨に言われた。


「初対面の者を恐れ多くもコンラート皇太子親衛軍の幹部に会わせてやるのだ。信用できるかどうか、形で示すがよい。そんなこともできない商人ならば御用聞きになど端から成れはしないぞ」


 アベルは黙って銀貨をさらに三枚ほど渡した。

 それで納得したのか、相手の役人は黙って頷く。

 そして尊大な態度で、ついて来いという仕草をした。


「いいか。皆様、とても忙しいのだ。立場の高い方にすぐ会うことなど難しい。まずは、どなたかの従者に薬師が売り込みに来ていると説明してやる。それで問い合わせがあればよし。誰も薬を必要としてなければ、そのまま帰るのだぞ」

「……はい」


 城壁の内部には庭があって、兵士が数百人ほどテントを張って露営をしていた。

 石積みで造られた本城の内部に入って二階に上がる。

 城の中は、行き交う将兵で活気があった。

 待合室のようなところに通されて、しばらくすると軍服を着た三十歳ぐらいの男が走るようにやってきた。

 態度や服装から誰かの副官という感じだった。


「お前たち。薬を売りに来ただと!」

「は、はい。こちらに立派な将軍様がいらしていると噂に聞きましたので」

「どこから来たんだ?」


 褐色の髪を短髪にした三十歳ぐらいの相手は、鋭い眼つきで聞いてくる。

 アベルは身元ぐらい聞かれるだろうと想定内なので淀みなく答えた。


「帝都のモンバール通りに店を構えております、テルマ薬品店でございます。このたび我ら夫婦となり独立を許されましたので、儲かりそうな戦地へと赴いているところでございます」

「モンバールか、知っているぞ。……実は、腹痛で苦しんでいる人がいる。治療魔法でもあまり効果がないのだが……なんとかなるか?」

「診察してみないと、なんとも。でも、酷くならないうちに薬を飲んだ方がいいに決まっていますよ」

「……よしっ。ついてこい」


 アベルたちの通された質素な部屋では男が一人、長椅子に横たわっていた。

 寝ているのは四十歳ぐらいの、頭でっかちな男だった。

 艶のない茶色の頭髪が乱れ気味になっていた。

 少し痩せている。

 ギョロ眼で、その眼の下にクマがあって、あまり健康そうには見えない。

 ちょっと陰気なその男は、辛そうに眉根を寄せていた。


 アベルが一見したところ、銀ボタンの輝く黒染めの上着に金糸のモールなどが肩章に付いていて、立派な格好をしている。

 高級軍人という印象だった。

 腹痛のせいか嫌そうな顔でアベルを睨む。


「……なんだ、お前らは」

「僕らは薬師の夫婦です。腹痛を起こしているのは貴方ですか」

「暇な奴らだな。効きもしない薬を高値で売りつけに来たのか。困っている者に付け込むのは簡単だからな。休んでいれば治る。誰が買うか」


 なんか凄い勢いで疑り、そして結論に達してしまった。

 自己完結……。

 アベルは正体不明の人物を、どう説得しようか考えているとシャーレが代わって出てきた。

 落ち着いた、いつも通りの態度。

 顔には穏やかな、思わず人を安心させる微笑が浮かんでいた。

 優し気に顔立ちの整ったシャーレがそうした様子をしていると、警戒心は薄らぐと思われた。

 少なくとも男の自分が言うよりもいいとアベルは感じる。

 黙って成り行きを見守ることにした。


「取り合えず診察をさせてください。効きそうな薬があれば渡しますし、無いならこのまま帰ります」

「ふん……」

「どこが痛むのですか」

「胃だ」

「空腹時ですか。それとも満腹になったときですか」

「食欲はない。出された物も食べられないときがある」

「夜、急に目が覚めたりしませんか」

「……そういうこともあるな」

「夜は寝れませんか」

「寝ている暇など、ほとんどない」

「吐きそうになることは頻繁ですか」

「……まぁ、日に二度三度か」

「心労は多いですか」

「それなりに」

「どういった気苦労でしょうか」


 頭でっかちは、言おうか言うまいか迷っている様子だが、シャーレは穏やかに微笑んだまま答えを待っている。

 青白い顔に、神経質そうな目が光っていた。


「……その質問の意味はなんだ。診察なのか」

「人は解決できない悩みに苦しんでいると、本当に病気になってしまうのです。胃が痛むのはよくある病状です」

「……」

「なので、そうした場合には胃の薬と共に気持ちを和らげる薬や眠気を催す薬を処方いたします。もちろん、心労の源を解決するべきですけれども」

「そっちはどうにもならん。俺は上と下の板挟みだ。しかも、どちらも俺より爵位が上と来たもんだ。さて、どうすりゃいいんだ……。私が我慢するしかないよな。分かった。薬を出してみろ」


 再び自己完結して、頭でっかちの男は自嘲気味に笑った。

 シャーレは症状の見極めがついたのか雑嚢の中から、いくつかの小袋を取り出す。

 部屋の隅にいる従者にお湯の用意を頼むと、すぐに熱湯が運ばれてきた。

 それで煎じ薬を作り、陶器のカップに注ぐと腹痛の男に渡した。

 シャーレが聞く。


「一応、毒見をしますか?」

「必要ない。私ごときを毒殺したい者などいるものか……。だいたい毒殺というのはこんな明白に犯人が分かる状況で起こりはしないのだ。よく毒は食べ物の中に混入すると言われるが、それだと毒見にばれたり、料理を先に食べた者が反応を起こしてしまう場合がある。こっそり目標の人物が使う食器などに毒を塗っておくのが常套手段である」


 なんだか理屈っぽくそう言うや、煎じ薬を一気に飲み下した。

 しばらく効果が確認できるまでアベルたちは部屋で待つ。

 すると青白い顔をしていた男の顔色が、少し良くなったように見えた。

 それに顔つきが少し柔らかくなっている。

 頭でっかちは、ほんの僅かだけ笑ってシャーレに話しかけた。


「おお……。女の薬師よ。痛みがだいぶマシになった。魔法よりもいいぞ」

「魔法は一時的に痛みを消しますが、貴方の場合は傷が原因ではないので根治しません」

「ほう……もっと説明しろ」

「はい。今の薬は気分を解す効果のものです。それからあと二種類、薬を出します。一つは安眠できる薬。もう一つは胃の働きを良くするものです。あたしの見立てでは貴方の胃痛は精神的なものが原因です。胃の薬だけ飲んでも無駄です。薬の名は紙に書いておきますから、あとで必要なだけ別の薬師から買ってください」

「なんだと。いま、買ってやるぞ」

「あまり量を持っていません」

「そうか……。じゃあ買い集めて、また私の元に来るといい」

「あたしたちは旅の薬師です。ここに長逗留はしませんので」

「なんだ。商売っ気のないやつらじゃないか……。そういう人物の方が信用できるというものだ……。いつか、また来てくれ」


 さっきまで陰気な顔で苦しんでいた男は長椅子から立ち上がり、さっそく書類仕事を再開してしまった。

 なんという仕事熱心なことか。

 思わずアベルは言ってしまった。


「働き過ぎると死にますよ。疲労が募ると、体の弱いところから痛むものです」

「戦場で死ぬのも机で死ぬのも同じことさ。俺はこれでも皇帝国の貴族。戦いで死ぬのは覚悟している」 

「生きて追う目標もあると思いますが」

「近頃の薬師は説教まで垂れるのか。私が働かないと兵士たちが明日のパンにも困ってしまうのだ。さっさと去れ」


 それ以上、粘って情報を聞き出すのは不審に思われかねないのでアベルとシャーレは代金を受け取り、部屋を出た。

 城の通路を歩き庭に出て、それから応対してくれた従者に聞く。


「いまの方は、どなたなのでしょうか」

「……皇帝親衛軍の執軍官であられるミュラー子爵様だ」


――そうか。やっぱりあの男が……。


「すみません。僕たち軍の方のことはよく存じませんので……でも、偉い人ですよね」

「ああ、偉い人さ。何万人もの軍勢を指揮している。あの人のおかげで軍団が維持できていると言っても過言ではない」

「気苦労が多いようで」

「……お前たち、よくやってくれた。ここのところずっと胃痛に苦しんでおられるのだ。これで少しは良くなってくれると助かる」


 副官の男は本気でありがたがっている様子だ。

 そうしてアベルはミュラーの副官に門まで連れられた。

 お辞儀をして別れる。

 アベルは小さな満足感を得た。これでようやく密偵らしい仕事が少しは出来た。

 本番に臨む前の予行練習のようなものになっただろうか。


 帰路についたアベルは、やや驚きを持ってシャーレを見ないわけにはいかなかった。

 一応、偵察じみた行動であったのに、まったく普段通り。

 僅かも緊張した様子は無かった。

 おかげで疑われることも無かった。


「やるな。シャーレ」

「なにが?」

「いや、あんまりいつも通りだから。あれなら薬師にしか見えない」

「だって、あたし薬師だもん。あのミュラーって人。本当に苦しんでいたから助けてあげないと……」

「ああやって信用させて、診察の度にどんなことがあったとか、どこにいって何をしたとか聞き続ければ、やがて重要な情報も手に入ったかもな」

「密偵って嫌な役目ねぇ」

「……あいつ、立場の割には全然偉そうじゃなかったな。ちょっと性格が悪そうだったけれど。仕事が辛くて人間性が歪んでしまっているのかも」

「ねぇ。アベルの目的って、これで達成できたの」

「うん。まあね。どんな人か実際に見てみないと分からないから。それにしても抜擢人事というのも考えものだな。結局は能力を発揮できなさそう……。環境が悪すぎて人材が潰れてしまう感じかな」

「軍人や貴族の事は、あたしには良く分からない。子爵様だって庶民からしてみれば相当なものなのに」


 シャーレは哀れむような表情をしていた。

 どうやら本気で同情しているようだった……。

 優しい子だなとアベルは感心する。


 翌朝。パティアを出発。

 ここから数日でリモン公爵領に着く。

 そうなれば、いよいよ戦争の最前線であった。





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