第55話 飛竜に乗って
朝方、軽めの食事を終えたアベルたちは、準備を整えて表に出るように魔女アスから言われる。
アベルたちは洗濯してもらった服を着て、鎧や胸甲を装着した。
なんだか気分新たな再出発という感じだった。
ガトゥとカザルスが自動人形のフロイアとゲルダに別れの挨拶をする。
二体は礼儀正しいが、まったく感情を感じさせない態度で別れの言葉を喋った。
モーンケは選びに選び、迷いに迷った末に大きな宝石が六つほど付いた黄金の首飾りを手に入れた。
ライカナは巻物と本を持ち運べる限界まで所望して認められている。
その書物を黄金と同じであるかのように大切に革のリュックへと入れた。
アベルたちは魔女アスに率いられて神殿から離れて、高原に差し掛かるあたりまで歩く。
魔女アスは前身頃が開くデザインの黒いローブを、すっぽりと纏った姿をしている。
表に出ているのは顔と足首、あともう一つ。
刀の柄がローブの隙間から飛び出ている。
アスは額にサークレットをしていた。
親指ほどの大きな深紅のルビーが嵌っていて、台座は黄金で作られている。
闇のように黒いローブと相まって、魔法使いらしい雰囲気が良く現れている。
アスがアベルの前に立ち、腕をローブの前身頃から出すと捲れた下から際どいほど露出の多い服がのぞく。
肩は丸出し。胸の谷間からヘソまで素肌が見えるように、ざっくりと開けたデザイン。
引き締まって、くびれた腰が確認できるほど体に密着した服だった。
しかも、太腿もほとんど丸見え。
材質は薄絹を黒く染めた物のようだった。
薄い衣の下にある乳嘴の突起まで、ありありと感じられる。
形の良い乳房と共に、思わず鷲掴みにしてやりたくなるような魅力があった。
アベルは注視してしまうが、慌てて目を逸らす。
しかし、見蕩れていたのはアスに察せられていた。
彼女は誘うような仕種と妖淫な笑みを浮かべた。
勘のいいカチェに見つかったら大変なのでアベルは体ごと反転して、やりすごす。
魔女アスは半裸の女性と男性が絡み合った姿をした精巧な彫刻の前まで来ると、身軽に飛び乗る。
そうして何か指で印を結ぶ動作をして、短く詠唱。
魔法を発動。
青空に信号弾とも花火とも言えるような閃光と爆発が広がる。
すぐにレザリア山脈から黒点が近づいてきた。
ぐんぐんと大きさを増してゆき、それは巨体を上空に旋回させる。
ジェット旅客機ほどもある飛竜が、高原にその身を降ろした。
羽ばたきだけでアベルたちは吹き飛ばされそうになる。
竜の鱗は金属的な錆びた青銅色をしている。
長大な翼は、竜の頭から尾よりもさらに広く大きく見えた。
その圧倒的な巨体にアベルは恐怖を感じる。
こんなのが暴れたら、とんでもねぇことになるぞ……。
飛竜が顔を近づけてきた。
眼は爬虫類のもので、瞳孔は細く縦長だった。
数千本もの牙が生えている咢を、ゆっくり開く。
そして、低く重い共通言語で喋るのだった。
「我が主、アスよ。久しく呼ばれていなかったな。いずこかへ旅立つのか」
「飛竜ラシュゲドよ。砂漠を越えたところまで我らを運んでください」
「よかろう」
飛竜はその身を沈ませ、長い尾の先端をアスの掴まる彫刻の脇へと、丁寧なほど静かに置いた。
アスは尾に飛び乗り、そのまま背の方へと歩いていく。
アベルたちを手招きした。
カチェが、凄いわと喜びながら同じように尾へしがみ付いて、登っていく。
飛竜の首から背中にかけては、長い毛が密集するように生えていた。
馬の尾毛の数倍の長さである。
その毛にしっかりと掴まっているようにアスから指示がある。
全員の用意が整うと飛竜は長大な翼を羽ばたかせると共に、魔力の行使を始める。
気象系統らしき魔術と竜翼による揚力とが合わさり、ついに巨体が浮かび上がった。
アベルたちの体が上昇感で圧される。
視界が高くなり、遥か地平線を遠望できた。
東に森林地帯。
西にレザリア山脈の険しい山岳が連なる。
カチェが歓声を上げた。
魔女アスはライカナやアベルに言う。
「飛竜ラシュゲドは昼まで飛行を続けます。休憩のため地上に降りたら、我々の食事と排泄を済ませて、再び飛行。およそ四日間で砂漠を越えられるはずです」
「アス様。わたしはレザリア山脈を越えるのに半年、砂漠越えに一年を想定していました。大幅な短縮です。感謝の極みであります」
「ライカナよ。恐縮は無用のこと。私の好きでしていることゆえ」
飛竜の速さは飛行魔道具などと比べれば、ずっと遅かった。
ただそれは飛行魔道具があまりに速いということであって、この世界の移動速度としては最上等であった。
飛竜は螺旋飛行をしばらく続けて高度をつけると、レザリア山脈の大渓谷に向かって悠然と羽ばたいた。
山脈の上を通過するのは二度目だが、今度はいくらか落ち着いて景色を眺められるというものだった。
なにしろ以前は、もうこれから全員が死ぬであろうという覚悟を決めつつあったぐらいだ。
カチェは飛行魔道具に乗っていた時のことを思い出した。
アベルは自分とイースを抱えて、いちかばちか魔法で助けると言ってくれた。
やっぱり何時でも助けてくれる、頼りになるのがアベルだ……。
雄大な自然を眼下に空中飛行が続く。
白い雪の積もった峰々。
麓には針葉樹林がある。
谷や絶壁が幾つも重なり、それは雄大な奇景ではあるものの徒歩で移動する者を苦しめる難所なのが見て取れた。
そんな地形を飛竜によって無関係とばかりに飛びすぎるのは快感であった。
アベルたちは無性に笑えてきたので、大笑いしてしまう。
複雑で、途轍もなく巨大な山塊はいくら見ても見飽きるということはない。
夢中になっているうちに嶽麓の最も険しいところを飛びすぎていく。
昼前にレザリア山脈を通過すると、遥か彼方まで無限に広がっているような砂漠がある。
下界は草地が混じる岩石地帯であったが、やがて荒涼たる乾いた大地となり、ついに砂丘のばかりが広がる場所になった。
そして、正午ごろに飛竜は砂漠のただ中に着地した。
一行は尾を伝って砂漠に降り立つ。
気温は上空とは比べ物にならないぐらい暑い。
湿度がないのがせめてもの救いだったが、この直射日光に晒されて歩くのは苦痛に過ぎると思われた。
アベルはライカナに聞く。
「砂漠はどうやって移動するのですか」
「移動には砂漠トカゲか駱駝が必要です。徒歩では無謀すぎるというもの。昼は天幕を張って、そこで人も家畜も日差しから逃げます。日没後に月明かりや星座を頼りに進むのです」
「砂漠トカゲっていうのは乗り物ですか」
「そうです。比較的気性の穏やかな大蜥蜴です。もちろん専門業者が調教していないと乗り物としては使い物になりません。砂漠に強い生き物なのですが、その他の地域に連れて行くとすぐに弱ってしまいます。だから砂漠専用の家畜です」
「ふ~ん……。そんなところを通って魔獣界にまで行ったのですか」
「はい。砂漠にもやはり大帝国の遺跡があるのです。そういう施設を調査しながら東へ進むことをずっと続けたのです」
食事は簡素に済ませた。
水魔法の清水生成で飲み水を作り、アスから提供されたパンと干し肉、乾燥果実などを食べて、それで終わりとなった。
小用を足して、再び飛竜に乗る。
好奇心旺盛なカチェは魔女アスに聞いた。
「この飛竜ラシュゲドは何を食べているのですか」
「安心なさい。人間なんか食いでが無いから捕食対象にしていません。ときどき海まで行って、鯨や大きな海棲生物を捕えているようです。一度、満腹になれば数か月間は捕食の必要がないのよ。それにしても他者の食べている物には興味が湧くものよねぇ」
「鯨って、そういえば見たことがあります。海面に背中を出して、噴水のように水を飛ばしていた。食べたことはありませんが」
「あら。見聞が広いのね」
「わたくしたち、最果ての東の島に飛行魔道具で行きましたから。そこで海にいたのを見ました」
「あの島ね。戦略上は何の意味もない島でした。ただ、大陸極東を大帝国の勢力圏に治めたという事実を作るために拠点を築いたのです。他にも北極と南極に拠点を造りました」
ライカナが驚いてアスに質問する。
「北極も南極も未踏の地です。地図すらありません。なぜなら地形が峻険すぎるうえに寒すぎて人間は生存できません」
「そうよ。だから様々な魔術を使って身を守り、そうして辿り着いたの。分厚い氷、氷原と氷山しかなかったわ」
「大帝国のために?」
「ええ。あいつは、そういうの好きだったから……。でも、ほんの僅かな最高位の魔術師しか行けないから、すぐに放棄してしまったけれど。ああ、いちおう教えてあげる。そこに皇剣を隠したりはしていないわ」
それから魔女アスはイースの大剣に視線を移した。
「そう言えば……イース。その大剣。孤高なる聖心という銘ではないですか」
「その通りです、アス様」
「懐かしいわねぇ。グゥインが精魂込めて造った剣。切れ味はどう」
「私が所持した剣の中で最高です」
「ふふっ。あの島で誰も知らず飾り物になっているより、遥かに本望でしょう」
夕方、再び食事のために飛竜は着陸してくれた。
また同じように手早く諸々を済ませて、再び竜に乗る。
夜間も飛んでくれるらしい。
竜の背毛の中に埋もれていると高空の寒さも、さして気にはならなかった。
むしろ、柔らかくてふさふさした毛の中は、けっこう居心地がいい。
横になっても余りある広さだ。
アベルの隣にいるカチェは目を輝かせ、笑顔で言う。
「飛竜で移動なんて古代伝説の勇者みたい。すごく楽しいわ」
カチェの喜んでいる気持ちがアベルにも良く伝わってきた。
そうなるとアベル自身も数倍面白くなってくるから不思議だ……。
イースは興奮を隠しきれないそんな二人を静かに見守っている。
夜間飛行中、見えるものは月の光に照らされた下界の砂漠と上空の星月のみ。
アベルとカチェは、いつしか眠っていた。
飛竜の背の上で寝て過ごし、上空で夜明けを見た。
地平線の彼方から現れた曙光が、雲海と砂漠を照らしだす。
絶景としかいいようがなかった。
空は瞬間のうちに色彩のグラデーションを変えていき、世界は姿を変えていく。
旅が人生観を変えることがあるとすれば、こういう時なのではないか。
アベルやカチェはそう感じた。
景色は相変わらず延々と続く砂漠だ。
しかし、ときおり小規模の草地と樹木を見つけることができる。
それは砂丘の海に浮かぶ小島のような姿をしたオアシスだった。
早朝、飛竜がそうしたオアシスから程近いところに着陸した。
カチェは魔女アスに問う。
「あの水場に行ってみてもいいですか」
「どうぞ。ただし、注意しなさい」
カチェがオアシスに向かって元気よく走っていく。
アベルはそれを追って行った。
砂漠は砂に足を取られ、歩き難かった。
離れた所から見ればラピスラズリのように青いオアシスの水は、近づけば底が見えるほど澄んでいる。
小魚が泳ぎ回っていた。
後から付いてきたライカナにアベルは問う。
「もし陸路を進むとなると、こうした水場を中継するのですか」
「そういうことです。ここは小さい水場だから無人ですが、大きな貯水池を作っている町もあります。砂漠の自由都市はかなり栄えているのですよ。魔獣界から亜人界、人間族の地域へと交易品を運ぶ道筋になっていますから」
水場の付近は、動物の白骨が散らばっていた。
見物を終えて帰ろうかという時、アベルは異常を感じる。
砂が盛り上がり、もこもこと動いていた。
そんな動きが十ほどある。
だんだん近づいてきた。
嫌な予感しかしない。
「ラ、ライカナさん……あれって」
「砂漠の
アベル、カチェ、ライカナがそれぞれ「炎弾」を発動、先手必勝とばかりにぶちこんだ。
砂の小山が爆発して、中から人間サイズの巨大な蠍が這い出てきた。
その姿は、毒針を禍々しく伸ばした醜悪な姿。
ハサミは、挟まれたら腕ぐらい千切られてしまいそうだった。
鎧のような甲殻が一部分、炎弾の威力で剥がれて体液を滴らせている。
ところが、まるで逃げる気配はない。
あくまで捕食しようとしてきた。
他の大蠍も砂から姿を現す。
炎弾をさらに一斉射出。
砂の遮蔽物がないので、直接命中したのが功を奏した。
大蠍の体が爆発で引き千切れる。
あと、七体。
戦闘に気が付いたアスやワルト、イース、ロペス、ガトゥ、カザルスが走って近づいてくる。
モーンケだけは少し遅れている。
ライカナが加勢に叫ぶ。
「接近戦はいけません! 刺されたら猛毒で即死します!」
アベルは体内の魔力を加速させ「魔凍氷結波」を発動。
二匹を纏めて、一気に冷気の渦の中に叩きこむ。
激しい氷結攻撃で二匹の大蠍は動きを止めた。
残り五匹。
その時、炎の槍のようなものが飛来。
次々と大蠍に突き刺さり、爆発を起こした。
魔法を発動しているのは魔女アスだった。
あっさりと化け物を一掃する。
アベルたちは魔女アスの元に戻る。
「アスさん。助かりました」
魔女アスは意外そうに言う。
「アベルは魔力の質や量はいいのに、魔術の種類を知らないのねぇ」
「習ったのは父上からです。正式に魔学門閥に入ったことはないから……」
「門閥なんて、くだらないわ。入らなくて結構。私がいくつか教えてあげる。アベルなら、すぐ使えるでしょう」
「そうですかね……」
「魔法とは、想像力。破壊を欲するのなら、その破壊の意志が強ければ強いほど効果が増す。知っているでしょう?」
アベルには思い当たる節があった。
――たしかに前世に映像で見た爆撃や爆弾の破裂を想像すると、
威力が増す気がするな……。
「さて、さきほど私が使った火魔術は、爆閃飛といいます。炎弾よりも高速かつ遠距離に攻撃できるのが違いです。私のやり方を真似て、慣れたら自分流に素早く発動できるようにすればいい」
アベルは魔女アスがやるように指で印を結び、詠唱してみる。
同時にロケット弾のようなものを想像してみた。
頭上に円錐形をした熱の塊が生み出されていく。
灼熱を放つ熔けた鉄のようなそれに充分な魔力が宿ってきた。
誰もいない砂丘に向かって、爆閃飛を射出。
火を噴く炎の塊が飛翔して砂に命中。
爆発を起こした。
人体なら粉々に吹き飛ばす威力。
甲殻に覆われた大蠍を殺したところを考えれば、鎧を装着した相手にも効果があるはずだ。
「よほど反応の良い者でなければ回避するのは不可能だな。逆にこれを防ぐには水壁でいいのかな」
「水壁でも防げますが、アベルに異種類の防御的魔術を教えましょう。一つは氷の壁で物理攻撃も火炎攻撃も防ぐ魔術。もう一つが土の壁で攻撃を防ぐ魔術」
その二種類の他にも、いくつかの魔術をアスから伝授された。
カチェも一緒になって学ぼうとしたが、アベルのようにたった一度で再現はできなかった。
かなり悔しそうにしている。
その証拠に顔付きが真剣だった。
よほど納得がいかなかったのか、カチェがアスに食い下がった。
「魔女アス様。このカチェにも使える魔法を授けてください!」
「……それじゃあ特殊な魔法を一つ、教えてあげる。貴方の美しい紫水晶のような瞳で思い出したわ。雷を使う高等魔術です」
魔女アスは手順と、詠唱を実践していく。
目には見えないが濃く重厚な魔力が凝縮されて、何らかの複雑な運動を繰り返している。
すると雲一つない青空から、紫の雷撃が突如として発生。
金属的な落雷音を轟かせて近場の砂丘に命中した。
甲高い激しい音に衝撃。
離れていても恐怖を抱かせるのに充分なものだった。
皆、見たことのない魔術の威力に砂漠の酷暑を忘れて見入る。
「この魔術は紫電裂という名です。雷撃系の魔術は発動と操作が困難を極め、そして、術者本人にとっても非常に危険な魔術でもあります。落雷は直撃した者の命を奪うだけでなく、周囲の人間に激しい傷を負わせることは知っているでしょう。その理由。雷の力は地面や物体を通じて伝播するからです。うっかり近場に落雷させると、雷電流は予期せぬ方向に流れ、自分自身を焼き尽くすことでしょう」
「危険だけれど高威力です。雷の攻撃は回避が不可能なのではないですか? 視認できないほどの速さ、しかも上空から攻撃がある」
「カチェ、洞察力が高いわ。ほぼ、その通りよ。防ぐ方法は二種類。避雷針となりうる柱のような構造物を構築、雷を誘導して電撃を土中に逃がす。もう一つは強力な磁界で雷の力を寄せ付けない方法。後者の魔法を使える者は私も含めて、この世の中で数人でしょう。避雷針は鉱物魔法が得意な者なら誰でも作れます。ただし、攻撃を予期して、それから作るわけですから……それなりの能力と器用さは必要です」
アベルとカチェは紫電裂を何度か試してみる。
上空に魔素を滞留させたのち、操作。
しかし、雷撃を現出させるところまではできなかった。
「まぁ、しばらく練習することね……。それより、魔法を使っていたら、招かざる客がこちらを見つけてしまったようねぇ」
アスが端正な長い人差し指で示す方向。
アベルが視線を向けると、無数の蠢く黒点がある。
ライカナが緊迫した声で言った。
「吸血虫の群れだわ! 一匹一匹の大きさは拳ほどですが、あんな数万匹の群れに襲われたら殺されてしまいます」
「げっ。要するにデカいダニみたいなものか! やべぇな」
「逃げるべきです。囲まれない限りは、逃げ切れます」
アベルたちは砂漠を走り、急いで飛竜ラシュゲドの尾から背へと駆け上がるように登る。
巨大な翼がはためき、砂が舞う。
すぐに飛竜の巨体は空中へと飛翔した。
その後、飛竜は短時間の休憩を挟んで飛び続けた。
そうしてアスの邸宅を発ってから四日目の昼。
砂漠は、徐々に草地へと変わっていく。
やがて遠方に街らしきものが見えた。
ライカナは景色を眺めながら言う。
「おそらく、ホロンゴルンという都市国家です。亜人界と魔獣界とを繋ぐ、境の都とも言われています。空中から行ったことなどないので確信はないのですが」
「いいえ。正解ですよ。ライカナ……。あまりに近くへ行くと地上の民どもを驚かせるから、少し離れた所に降りるわ」
しばらくして、螺旋飛行をしながら徐々に行動を下げていく飛竜ラシュゲドは草地に着陸した。
アベルたちは背から地上に降りる。
カチェが叫ぶように飛竜へ礼を言った。
「飛竜ラシュゲド。わたくしたちを安全に運んでくれたこと、感謝します」
重く、低い声で返事がある。
「人間族の少女よ。我は主の命に従ったのみ。しかし、感謝は受け取ろう……」
竜の生態はよく分かっていない。
大部分は人間を食物として襲い、魔獣の中でも最も強い種族とあって危険極まりない存在だ。
しかし、ごく一部に智龍と呼ばれる竜がいると言われている。
智龍は共通言語を理解し、人と争うのを好まないという。
だが、その数は非常に少なく、智龍と会話をしたことのある者など滅多にいないのである……。
魔女アスと別れの時だった。
ほんの数日間の付き合いであったが、アベルにとってはある意味、この世界で最も因縁深い人物になった。
なにしろ自分の正体を知られてしまったから。
おのれの正体。
異世界人の魂を持つ者。
なにより父親を殺した男、ということ……。
ロペスがアスへ簡潔な礼を述べた。
「世話になったな。ずいぶん時間を稼げた。騎士人形との手合せも、なかなか面白かった。感謝する」
「いいえ。ロペス殿。こちらこそ良い出会いでした」
次の別れの挨拶はライカナだった。
彼女は澄んだ緑の瞳に、意志の力を漲らせて言う。
「魔女アス様。まだまだ聞きたいことや教えを請いたいことがあります。手に入れた本を精査ののち調査してから、また御前に参上します。わたしは理想を捨てません。理想すら持てない現実に価値を見出せはしないのです」
「ライカナ。貴方のように美しい志を持ち、それがゆえに無残に死んでいった者を私は数え切れぬほど見てきた。私は皇剣に関心を失っていましたが今は違います。私も探してみることにしました。……いずれ、再び会いましょう」
イースも短い挨拶をする。
「アス様。世話になりました。アベルの目を治してくれたこと、深く感謝します」
「イース。アベルと美しい絆を結んでいるわね。いつまでも続けば良いのですけれどねぇ」
残りの面子も、それぞれ別れの言葉を述べた。
それからアスは最後にアベルの元に来る。
ローブの内側から刀を取り出し、アベルに渡す。
前身頃が捲れて、きわどい衣装で彩られた豊満な肉体が見えてしまう。
名残惜しくなる強烈な魅力があった。
しかも、アベルにだけ見えるように上手に位置をとっている。
「この刀は
「僕、刀ならあるのだけれどな」
「二刀流の者と戦ったことはありませんか」
「……ありますね。僕の目を潰したやつです。名は戦姫ハーディア。王道国の王族です」
「一刀より二刀の方が有利というわけではないことぐらい、私も理解しています。でもアベルなら、いずれ二刀も使いこなすはず。持っていてください」
うっすらと笑みを浮かべる魔女アス。
貞淑な笑みには感じられない。
妖艶な魅力に満ちた、淫らがましいものだった。
アベルは困惑する。
自分の気のせいではない。
どう見ても誘っているのである。
アスという女が何を考えているのか全く分からない。
「じゃあ、これは頂いておきます。それでは」
アスが身を寄せて、アベルの肩を掴み耳元で囁く。
ねっとりとした甘く芳しい女の匂いが鼻腔を刺激した。
「私、貴方のことを見ているわ。貴方がどこから来て、何をして、いずこへ行くのか……。そして必要なとき、貴方の前に現れる」
魔女アスは飛竜ラシュゲドに乗り、去って行った。
アベルは自分の体に途惑う。
男のイチモツが、どうしようもなく屹立していた。
何か変な魔法でも掛けられたのかと本気で考えたほどだった。
ホロンゴルンまで徒歩で行く。
日没までには到着する。
できればそこで馬を買いたいと、皆の意見は一致していた。
目指すは西。
これまで、あまりにも遠かったので皇帝国に帰れるのか現実感がなかった。
しかし、今は違う。
期待に満ちたアベルたちの足取りは速かった。
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