第45話 ライカナとの出会い
海の底に珊瑚礁が見えるほど澄んだ入り江。
アベルとカチェは食料を探す。
小魚の鱗が日光を反射して律動するように輝いていた。
まるで踊りみたいだ。
この辺りには背鰭ワニのような魔獣がいないので、一人が念のため見張りをして、残りの者がサザエや海老を海で捕まえる。
貝類は幾らでもいるので、いちいち深くまで素潜りなどしなくても岩場で簡単に取れた。
カチェは海鳥の抜け毛を集めて「魔火」で火をつけた。
その種火を集めた流木に移して焚火にする。
アワビやサザエを傍に置いて焼く。
ちょっと生焼けぐらいが柔らかくて食べごろだ。
調味料など何もいらない。
天然の滋味を好きなだけ堪能できた。
空腹も満たされたアベルは隣にいるカチェの姿を見た。
上半身に麻紐と大きな葉っぱで作った水着風のものを身につけているけれど、しなやかな体の大部分が見えているから、すごく女性らしい。
熱い生命の力が、はち切れそうなほど詰まった少女の肉体だった。
アベルは見ているとムズムズしてくるので、無理に視線を逸らせた。
そんな気持ちに気が付かないカチェがアベルに聞いてくる。
「……アベルさ。このまえモーンケ兄さんと喧嘩しそうになったでしょう」
「ああ、あれですか。ちょっと頭にきたというか。あいつ、あまりに態度が悪いから」
「あの人、ああいう性格なのよ。いちいち、ぶつかっていたら本当に斬り合いになるかもね。やめてほしいわ」
「まさかカチェ様に仲裁されるとは思いませんでした。イース様を馬鹿にしたり使用人扱いされると嫌だったので、つい本気に……。今後は控えます」
「イースのことになるとアベル、怖くなるね。必死になるみたい」
「そりゃ従者としては主が蔑ろにされて黙ってはいられません」
「……それだけかしら。やっぱりイースのこと好きなの?」
直球の質問だった。
カチェは紫の瞳で見詰めてくる。
嘘を許す気配ではない。
アベルは答えを探してみる……。
「それ前にも父上と母上に聞かれたことがあるんです。だけれど、単に好きというのと同じにしてしまうと……違うなって」
アベルはイースの持つ清らかさについて説明しようとしたが、不可能だった。
善悪を超えた透明な視線を持っていて、他者を妬まず侮蔑せず、名誉も金も欲せず……。
過保護ではないのに、守ってもらっている。
しかし、そうした印象というのは全て自分の心にあるものであって、相手がカチェだろうと誰であろうと説明自体が意味を成さない。
口に出して言えば、どこか別物に変質してしまう類のことであった。
人に伝えることができない物事が誰の胸にもあるものだ……。
――俺は愛っていうのが何なのか……よく分からない。
考えているが、でも、未だに分からないでいる。
強いて言えばアイラとウォルターが俺に持ってくれたあれが愛だろう。
ということは俺がイースか誰かに同じようなものを持てば……。
それが愛なのだろうか?
カチェは黙然と考え込んでしまったアベルを見て、思っていた以上に悩ませてしまう質問だったと気が付いた。
たぶん、アベルの中でもイースに対する気持ちは処理しきれていない感情なのだろうと察する。
アベルのことは好きだがイースは恩人だった。
結局、報奨を払わないまま亜人や混血が差別されている皇帝国のために献身的な働きをさせてしまった。
カチェはイースとの間にある信頼関係を壊すようなこともしたくなかった。
もしイースとアベルが主従の関係を超えて愛し合うようになってしまったら、自分はどうすればいいのだろう……。
おとなしく引き下がるか、それとも頼んで自分も二人の愛に加えてもらうか。
そんなことはできるのだろうか……。
全く想像もつかないのでアベルに焼けた獲物を渡し、とりあえず話題を変えようと思った。
「皇帝国までの長旅、協力しなければ成功しないわ。わたくしもモーンケ兄さんやロペス兄様とは上手くいっていなかったけれど、何とかやっていきましょう」
「必ず無事に皇帝国へ、お届けします」
「ふふ。頼もしいね!」
アベルたちは今後の目標を立てた。
とにかく島から大陸へ渡らなければならない。
そのために、まず、なるべく早く船を作る。
それから長旅に必要な装備などを用意する……ということだ。
計画だけなら簡単だが縄一本とて自作しなければ手に入らない。
人間の身長の三倍ほどはある麻の木を伐採して、そこから繊維を解し取り、撚り合わせてロープにするだけでも、途轍もない労力を要するのだった。
それから海や川に落ちても溺れないように全員で泳ぎの訓練も開始した。
一行の中で、もともとしっかり泳げたのはイースとガトゥ、それにワルトだけだった。
アベルですら長距離は泳げなかった。
なにしろ泳ぎというのは、いくら力が強くてもコツを掴まなければいけない。
さらに海だから海流という厄介な相手がある。
巨漢のロペスなどが、ガトゥに結構厳しく泳ぎを指導されるのを見ていると、やはり軍隊っぽさが抜けないものだと、アベルは妙な気分になった。
なにしろガトゥは下手くそに泳いでいると怒鳴りながら、それなりに大きい石を投げつけてくるようなこともしてくる。
鬼教官である……。
~~~
日々は、あっという間に積み重なっていった。
旅の準備は急いだところで僅かずつしか進まなかった。
島に来てから、もう百二十日が経過した。
だいたい早朝から昼までは狩りをして食べ物を確保。
暑さが厳しい正午頃は水泳の訓練をしたり、日陰で縄を編んだり、鹿皮を加工して袋も作った。
船作りは、少しずつやるしかなかった。
船の設計についてアベルとカザルスは何度も話し合った。
カザルスは大木を刳り貫く方法で、大型カヌーのようなものを作りたいという。
しかし、ノミのような刃物は無い。
手斧が有効な道具だが、二本しかない。
剣は木材加工では、あまり役に立たない……。
魔法の「炎弾」を使えば太い幹も爆破して、やや強引ではあるが木を倒すことはできる。
しかし、木材を加工する魔法は誰も知らないのであった。
というわけでアベルは木の棒に、尖った石を添えて麻縄で括りつけて石斧を自作した。
それで木を伐採しようと力を入れて思い切り石斧を幹に叩きつけてみれば、すぐに麻縄はぐらついて、使い物にならなくなった……。
駄目になった石斧をガトゥに見せると、笑われた。
縄で括った程度の構造では、強度不足なのだそうだ。
アベルは母親アイラに教わった事を思い出す。
アイラは薬師であったが、猟師の娘だったので狩りの腕は極めて優れていた。
弓の作り方、動物を捕える罠の仕掛け方など、いろいろなことを教えてくれた。
黒曜石のナイフは、鉄製ナイフの切れ味を上回るという話しを聞かせてもらったこともある。
ガトゥとイースは石斧を自作したことまではないものの、どういう物なのか目にしたことがあるので、再現を試みた。
腕の太さほどある生木の棒に、焼いて熱くさせた小さな炭を乗せる。
風を送り込んで炭をさらに高温にする。
炭の乗ったところは炭化して脆くなるので、そこを細い石を使って穴を空けた。
生木に空いた紡錘形の穴に、ちょうどよい石を嵌め込むのである。
そうして作った石斧は、充分に実用できるものになった。
山で適当な樹を伐採して、まず試しに三人乗りぐらいのカヌーに似た、刳り貫き船を作ることにした。
それは実験のための船で、何度か大陸と島の間を往復して、やりかたを確立してから荷物を載せて本番としようと決めた。
アベルが目測で見た感じでは、大陸との海峡は幅七キロ程度だった。
そう遠くない。
しかし、海は全く未知の領域だ。
だいたい海流や風向き次第ではどこに流されるか分からないし、大陸側が上陸できるか不明だった。
さらに言えば上陸したとして、その先へ陸路で歩める場所なのか……ということだ。
船が転覆して刀や装備を失いでもしたら、損失どころの話しではない。
武器が無くなったら強力な魔獣に対抗できなくなるかもしれなかった。
一つの失敗が破滅を招くかもしれない。
慎重に進めるほかなかった。
その日、アベルとカチェは獲物を求めて海に来ていた。
良く晴れた日だ。
風向きが変わっていて普段だと海から大陸の方に吹くことが多いが、今日は逆だった。
アベルは、そういう風向きや雲模様には敏感になっている。
赤道だけあって、突如、すごい嵐が来ることもある。
予兆は空や風に必ず現れるものだ。
アベルが、なんとなく海峡を眺めていると奇妙な物が見えた。
海の上。風を孕んだ帆のようなものが進んでくる。
「まさかな……」
呟きながら眺めていると、どう見てもそれは小型ヨットのようなものに見える。
海上を滑るような速度で進んでいる。
アベルとカチェが凝視していると、もうそれは間違いなく船であった。
人が一人で操船しているように見えた。
船は砂浜の方へ向かっている。
岩場だと船が衝突してしまうから、安全に着岸できるのは砂浜ぐらいだった。
「まずいぞ! 背鰭ワニどもがうようよしている方へ進んでいる」
アベルとカチェは駆け出した。
船は一直線に砂浜を目指している。
操船者は目立たないように伏せたらしい。
人影が見えない。
背鰭ワニは流木と同一視しているのか海上の船には、あまり関心を払っていない。
やがて漂着するように砂浜に辿り着いた。
アベルたちが注視していると、錨らしきものを船内から外へ放り投げた。
そして、中から脱兎のごとく人影が飛び出してきた。
波打ち際を凄い速さで駆ける。
カチェが驚いて声を上げる。
「速い!」
しかし、背鰭ワニも貪欲なほど凶暴なので、走る人影を追う個体が数匹いる。
アベルたちは砂浜に向かって走る。
アベルは二老人から習った火魔術「火球熱獄召」を詠唱。
発動した魔法。
人影に迫る背鰭ワニに火球をぶち込んだ。
大した音もしないが強烈な熱によって背鰭ワニが一匹、丸焼きになった。
カチェが「炎弾」を発生させて、牽制的に射出する。
顔のすぐ傍で爆風を受けた背鰭ワニが方向を変えて突き進む。
人影がアベルの前まで逃げてきた。
雑嚢を背負って、革製らしき軽装鎧を着た……女性だった。
まず、目に飛び込んだのは美しい薄青色の髪だ。
それから、アベルを不思議そうに見詰めてきた瞳はグリーンサファイアのような鮮やかな緑色をしている。
柔和かつ芯の通った表情をしていた。
年齢二十代後半ぐらいの知的で、どこか隠しきれない色香が溢れる女。
肌がイースのように透き通る白さだった。
アベルは叫ぶように声をかける。
「もっと陸の方へ逃げましょう! あいつら、そうそう陸地までは来ないから」
「分かったわ。任せます」
危険な状況なのに落ち着いた声質の返事が返ってきた。
言葉は通じるようであった。
安全地帯に逃げ込んでから改めて、アベルは女性に相対する。
背は向こうの方が高い。
アイラよりも、もう少し高いぐらいの身長だった。
かなりの美人さんだ。
カチェが元気な挨拶をした。
「こんにちは! 綺麗な髪でびっくりしたわ。何族の方ですか?」
女性は、にっこり笑顔で答えた。
「わたしは魔人氏族の者です。本名はリリーナ・ライカナ・ヴィエラというの。職業は……学者かな。最近は冒険者やっているのか学者やっているのか、自分でも分からなくなりそうだけれど」
アベルはどこかで聞いた名前だと気が付く。
「ん……。学者? ライカナ……。あれ、なんか聞き覚えありますよ。本とか書かれたことないですか」
「本はだいぶ書いたから。ライ・カナというのは、わたしの筆名です。だから、わたしのことはライカナと呼んでくださいな。親しくなったらリリーナって呼び捨てにしてもいいですけれどね」
「え~と、僕が読んだ本の書名は、国家誕生と滅亡の歴史……だったかな」
「あ、それ。たしか十八年前に書いた本です。読んでくれたのね。ありがとう」
ライカナは本当に嬉しそうに笑う。
アベルは正直に思ったことを口にした。
「僕、ライカナさんって、もっと爺さんだと思っていました。こんな若い女性だったとは……」
「ふふっ。人間族からすれば若く見えるのかしら。これでも八十八歳だけれど」
カチェとアベルは、えっ、と声を揃えてしまう。
ライカナは微笑しながら聞いてきた。
「まさか人がいるとは思わなかったわ。見たところ、お二人は人間族の少年少女さんだけれど……わたしの本を読んだということは字が読めるのよね。謎だわ。こんなところまで自分で来たの?」
「いや……実は信じて貰えるか分からないのですけれど、飛行魔道具で来たんです。信じないですよね、こんな話は?」
アベルの予想に反してライカナは感嘆の表情を露わにする。
「飛行魔道具! 信じるわよ! じゃあここ、まだ稼働している着陸誘導施設があるのね」
「あ……そこまでお分かりですか」
「見たいわ! 案内してよ!」
断る理由もないのでアベルとカチェはやたらと楽しそうにしている彼女を連れて行く。
道すがらなんとなくアベルはイースのことを話した。
「あの……実はこちらに魔人氏族の血を引く人がもう一人いるんです。イース・アーク様という方で……皇帝国で長らく騎士の立場で働いております。僕はアベル・レイという者で、そのイース様の従者をしています。正確には騎士見習いですけれど」
「わたくしはカチェ・ハイワンド。皇帝国伯爵家の者です」
「イース・アークさん……。アーク家というと氏族の中でも由緒ある氏ですよ」
「あ……そうなのですか。氏族のことは詳しく知りません」
「ハイワンド伯爵家の方までおられて面白いわね。何があったのかしら?」
アベルとカチェは中央平原での決戦からポルト籠城、そしてカザルスのことまで掻い摘んで説明する。
ライカナは感心したり笑ったり、表情がころころと変わる。
好奇心の豊かさがよく表れていた。
ただ、ガイアケロンとハーディアとの決闘の段では、少しだけ雰囲気が変わった。
ライカナはアベルに聞く。
「ガイアケロン王子に仲間になってくれと頼まれて、断ってしまったの。もうその気はないの?」
「どうですかねぇ……。正直、皇帝国にはうんざりしているところなんですけれど。まぁ、ガイアケロン王子様、ほんとイイ奴でしたよ。名君になれそう。決闘しておいてこんなこと言うのも変な話ですけれど」
イースは建物の日陰で麻縄を編んでいた。
麻縄は敷物にもできるし、サンダルのような履物も作れる。
麻は島に数種類が自生していた。
イースとライカナが視線を合わせる。
ライカナが明るい声で挨拶をする。
「こんにちは。わたしはリリーナ・ライカナ・ヴィエラ。ヴィエラ氏の系譜に連なる者です」
「……私はイース・アーク。見てのとおり魔人氏族の血を引いている。ただ、私は氏族そのものとはほとんど交流がないので……系譜などはよく分からないのだ。ところで、貴方は海から来たのか?」
「そうよ。わたし、遺跡や遺物に興味があるの。さっそく調べようかしら」
ライカナは管制塔のような建物に入り、ちょうど中にいたリアンとクアンの二老人にも挨拶をして、それから迷わず塔の真下へ行く。
ライカナは螺旋階段を昇るのかと思いきや、一階部分の床をゴツゴツと叩き始めた。
空洞っぽい音がする。
ライカナは手早く床の石を外すと、階段が地下に伸びていた。
「なんじゃこりゃ。わしら、こんなことになっておるとは気づかなんだ」
「地下にこれほど大きな空間があったとはのう」
ライカナは「魔光」を詠唱すると、無造作に地下へ降っていく。
進みながら教えてくれた。
「これと、ほぼ同構造の施設を何か所も見てきたわ。ここは誰かの屋敷跡というわけではないから罠が仕掛けられている可能性は、かなり低い。それでも油断はしないけれど。特別な罠に掛かってしまえば一発で死ぬことになる」
ライカナは腰に帯びた細身の長剣を鞘ごと外して、床をときおり叩きながら慎重に進んだ。
まず安全だというような事を言いつつも、そういう態度を取るあたりベテランらしさが表れていた。
地下は広い空間だった。
飛行魔道具が着陸した平坦な構造体の真下あたりは、全て着陸装置になっていたようだ。
以前、ポルトの城の屋上にあった筐体に良く似たものが、大規模な形でいくつも設置されていた。
発光ダイオードに似た魔石の粒が長い時を経て変わらず光を放っていた。
ライカナは説明してくれた。
「着陸施設の外郭は魔法の土石変形硬化で作られるのが普通です。一枚岩の構造になっているから言ってみれば巨石と同じようなもの。年月を経ても草などが生えにくい構造です。飛行魔道具を着陸させる構造物はそれ自体、価値のある材料で作られているから盗掘の対象になります。大陸側にある施設はわたしが見た限り、全てが冒険者というか盗掘者によって破壊され、精緻な工作物は珍品として持ち去られていました。大帝国の分裂戦争を生き延びた施設も、そうしてほとんどが略奪されてしまったの」
アベルも他の者も、呆けたようにライカナの説明を聞いているほかない。
ライカナはやがて地下施設の一角に歩みを進めた。
石の扉がある。
ライカナが全身の力で押すと、ゆっくり開いていく。
中には何があるのか……アベルは心臓がどきどきしてきた。
人が四人ほど入れば埋まってしまうような狭い部屋。
壁に、ボロボロに錆びた刀や槍の穂先が掛かっていた。
それから文字が刻まれた石板がある。
小部屋の最も奥に、一振りだけ金属の輝きを残す、まるで昨日作られたような大剣があった。
かなり大きい。
剣の全長はイースの背丈より少し短いぐらい。
鞘は無かった。
刀身は全体的には柳の葉のような、緩やかで優美な形状をしていた。
両刃の造りである。
柄も長く、普通なら両手で扱うものだ。
鍔は芸術品のように凝ったもので、百合の花弁のような造形をしている。
ライカナが大剣を手に取る。
台座から外すと、埃が舞った。
銘が彫られていたあたりを拭い、読む。
「ここにネストラ・グゥインという製作者の名前が彫ってあります。剣銘は、孤高なる聖心。グゥインは大帝国の最盛期から末期まで活躍した超一級の伝説的な名工です。これは物凄い価値があるわね」
アベルは不思議に思って聞く。
「なんでこんな剣があるのですか?」
「たぶん、二つの意味があるわ。一つは儀式的な碑とか、あるいはお守りとして安置した。もう一つは実用ね。なにか強力な魔獣が来た時に、この武器庫というか祠から取り出して使う……。ここは正に大帝国の勢力圏の極東にあたる地。特別視されていたのでしょう」
「この剣だけ錆びていないですね」
「グゥインなど、ほんの僅かな武器製作者は、神憑の鉄と呼ばれる合金を使って道具を作っていたようね。一説によると大帝国の建国者、始皇帝とその腹心の臣である魔女アスが開発した金属だともいわれているけれど。失われた技術ね」
ライカナは、ひとしきり大剣を調べていたが、やがて興味を失ったようにしてイースに渡した。
「この大剣、わたしが使うには大きすぎる。そして、持って帰るにも大きすぎる。始末に負えないわ。だから、同じ魔人氏族の誼でイースさんに譲ってもいいわ」
「いいのか? 高価なものだろう」
「だって、こいつを換金できるところまで運べないもの。ここにこうした物があったという事実が分かった時点で、わたしの探求心は満たされた。欲張っても仕方ないわ」
「盗ったことにならないだろうか」
「イース殿、真面目ねぇ。持ち主なんかいないわ。千年前のものですもの。狂った魔獣の血でも吸わせてあげれば剣も本望でしょうよ。お使いなさいな」
イースは孤高なる聖心という銘の大剣を気に入ったらしい。
懐に抱えた。
顔には満足げな表情。
その後、ライカナは文字が刻まれた石板を持って地下を後にした。
わたしが欲しかったものはこれだと、嬉しそうにしている。
その後、ライカナの乗ってきた小舟を浅瀬から引き揚げて砂浜に上げておく。
こうしておけば満ち潮になっても船が流される心配はない。
夕方、山からカザルスやガトゥ、ワルト、ロペスとモーンケが獲物を手に戻ってくる。
客人を迎えて、ちょっとした歓迎会となった。
焚火を作り、鹿肉の一番上等な部位である背ロースを骨付きで炙ると、食欲をそそる匂いがしてきた。
他にも海鳥の卵だとか大きな海老などのご馳走で歓待する。
ライカナの来訪は大幸運だった。
何度も魔獣界を旅しているライカナの情報は貴重どころではない。
彼女はここに来た経緯も教えてくれた。
「大帝国の着陸施設は、おおよそ百メルテごとに建設されているの。それで大陸側最後の施設に記銘があって、そこには終着地ではないというようなことが書いてあったのよ。だから、この先にも必ず遺跡があるはずだって予測して探索を続けたのだけれど、海になってしまってね。でも、すぐそこに島があるでしょう。可能性があると思ったのですよ」
ライカナは革の鎧を外して、肩が大きく出た肌着の姿になっていた。
薄い肌着だから体の滑らかな軌跡が、くっきりと見て取れる。
豊満な胸の谷間が飛び出していて、男の目の毒だった。
腰はグッと縊れていた。
太腿は柔らかな曲線を描き、惜しげもなく晒されている。
肌は濡れたように輝いていた。
イースやカチェとは別種の、いわゆる妙齢の女の色香が溢れている。
女であるカチェですらライカナの湧き上がるほどの色気が、はっきりと感じられて訳もなく顔が赤くなった。
男なら、なおさらだ。
アベルはガトゥとモーンケ、ロペスらの目がぎらぎらと興奮で光を帯びるのを見つけた。
さながら野獣の目線であった。
アベルはその様子を見て苦笑する。
――まぁ百日以上、女とやっていないから……この人たち。
童貞の勝利だね。
やってなくても、別に辛くない……。
深く考えると悲しくなるから、とにかく童貞万歳だぜ。
そんな男たちの中でカザルスだけは知識的な質問ばかりをライカナに続けていて、そうした眼つきはしていない。
アベルは、カザルス先生はやっぱりちょっと狂っているなぁと改めて恐れ入る。
カザルスは目下の悩みをライカナに聞く。
「実はここから脱出するのに必要な船の建造に苦労していまして。船の作り方を教えていただけませんかねぇ」
「なるほど。だったら、わたしの船を増強する形で改造すればいいでしょう。操船は主にわたしがやればいい。みんなで、ここから出ましょう。といっても、大陸に渡ったところで危険な密林や砂漠を越えないと亜人界にも帰れませんけれど」
「やはり旅は危険ですか」
「見たこともない魔獣、得体の知れない冒険者や夜盗ともいえる者が跳梁跋扈しています」
アベルは恐る恐る聞いてみる。
「魔獣界の案内を頼むことはできますか? すごく都合のいい頼みだってことは分かっているのですけれど」
ライカナは頷き、少し考えてから答えた。
「いくつか条件があります。それを理解してくれたら魔獣界の案内をしてあげていい。まず、魔獣界の移動ではわたしに従ってください。もっと言うと、やるなと言うことはやらないで欲しい。それから極力は助け合いたいけれど、無理だと思ったらお別れする。そして、お互い恨まないこと」
妥当な条件だと思えたのでアベルたちは皆、納得した。
ライカナの話は続く。
「そして、これが最も重要なのですが、わたしには探しているものがある。それは遺跡や遺物だけではなく、あともう一つ。伝説的な魔法使い……その名を魔女アスと言います」
「アスって貴方の本にときどき書いてあった始皇帝の忠臣、あの魔女アスですか? でも、千年前の人間ですよ」
ライカナは力強く頷いた。
知性に満ちた美貌は真摯で、そこには冗談の気配はない。
「わたしは魔女アスがまだ存命していると思っている。この遺跡も魔女アスの指導によって作られたと、地下で手に入れた石板に記されていた。それだけではなくて、さらに重要な情報も書いてありました。魔女アスの邸宅がある地についてです」
「どこですか、それ」
「密林地帯を超えた先にある山脈よ。レザリア山脈と呼ばれている……。亜人界への帰り道から少し逸れた場所ですから。それほど遠回りになりません。そこへ行くのに貴方たちも協力してください。これはわたしの人生を賭けた旅ですが、おそらく貴方たちにとっても得難い収穫となることでしょう。ですから損な取引ではないはずです」
皆は感嘆の声を上げる。
このままでは数年か、あるいはさらに時間を必要としてしまうかもしれない脱出が一気に短縮しそうであった。
アベルたちは相談したが、答えは決まっていた。
ライカナの協力はどうしても必要であった。
条件である魔女アス探索の手伝いをするしかない。
いろんな意味での興奮の夜が終わり、寝る段取りになったときライカナが言う。
「イース殿。わたし、貴方の部屋で寝させていただきたい。慣れない所だから同族がいれば安心できるのです」
「心得ました。借り家ですが、ゆるりと過ごしてください」
「ありがとう。寝る前に行水して体を清めたいのですが。どこかに井戸はあるかしら」
「アベルよ。客人に湯を用意してあげなさい」
「あっ……、はい」
アベルはライカナを井戸まで案内する。
桶に水を満たして「加熱」で適度な湯にした。
どういうわけかライカナはアベルに構わず、その場で肌着を脱いで全裸になってしまった。
アベルは困惑しつつ思う。
――魔人氏族は全裸を俺に見せる義務でもあるのかな……?!
月と星の明かりに照らし出されたライカナの裸身は、まるで芸術のごとしであった。
星月の光で肌が輝いていた。
全身の均整が取れていて、それでいて胸や尻はふくよか。
少女の体つきであるイースやカチェを跳躍した大人の女の肉体である。
アベルは驚嘆しつつ、イースもさらに成長したらこんなグラマラスな肉体になるのだろうかと思った。
少女体型のイースも素晴らしいが、大人になったらもっと凄いぞ……。
アベルは豊満な胸から無理やり視線を引き剥がして、建物の方へ帰る。
ところが岩陰にガトゥとモーンケがいた。
ライカナの方を凝視していた。
「なにやっているんすか? ふたりとも……」
モーンケは無視。ガトゥが答えた。
「アベル。ばかだなぁ。見ないほうが失礼だろう。っていうか、お前この……果報者。全然、隠しもしないで目の前で脱いでもらって。どういうことだ?」
「知らないっすよ。ガトゥ様も皇帝国の男爵でありながらノゾキは……ちょっとねぇ」
「いや、あれは見てくれっていう意味なんだよ! 間違いないぜ」
「……僕は思い込みの凄さを久しぶりに再確認しています。もうライカナさんは仲間なんですからね。変なことはしないでくださいよ……」
そして、アベルは麻の敷物をイースの部屋に用意して、ライカナを待つ。
ほどなくして彼女はやってきた。
「アベル君。お湯をありがとう。わたし、疲れたからもう寝かせていただきます」
「はい。こちらへどうぞ」
ライカナは中央に寝て、両脇をイースとアベルという配置になった。
アベルは魔光を消して全員で横になる。
知らない人と至近距離で寝るのは、騎士団では珍しいことではない。
アベルも軍陣ではよくやった。
しかし、薄着の色っぽい女性とは初めての経験だ。
イースと最初、一緒に寝た時も変な緊張があったものだが、今回はそれ以上である。
ちょっとした妄想がアベルの脳内に渦巻く。
イースとライカナが二人して、抱き付いてくるのである。
最高だな……。
イースは早くも規則的な寝息を立てている。
アベルも、うとうと睡眠が訪れたときである。
ライカナが、ぐっと体を寄せてきた。
滑らかで、どこまでも柔らかい肉が押し寄せてくる。
――んっ! なんだ?
ライカナが小声で囁く。
「アベル君。まだ……起きているでしょう」
「……はい」
「わたしねぇ……探索の目的はもう一つあるのです」
「はい」
「わたしは生まれたときに、占い師にこう言われたらしいの。この子は滅多に子供を授からない。子を成せる男はこの世に三人ぐらいだ……とね」
「はい……」
「だからね。わたし、いい男だなと思ったら、とりあえず抱いてもらうことにしているの。それでも、これまで子供を授かったことはないのですけれど」
「は、はい」
「アベル君、何歳なの」
「最近、十四歳になりました」
「あら大人びているわね。十七、八歳だと思っていた」
「よく苦労人の顔だとか暗いとか言われたもんです。そしたら、とうとう片目になっちゃったけれど。まあ、精神年齢は確実に子供ではないです……ね」
「アベル君……かなり可愛いわね」
「……」
「ねぇ、もう女の人とそういうこと……したことあるでしょう?」
ライカナは太腿を絡めてきた。
肌と肌が密着する。
すべすべして、気持ちいい。
気持ち良すぎる。
ものすごく香しい匂いが濃密に鼻をくすぐる。
アベルは下半身が素直に大きくなってきた。
「な、ないです」
「まぁ、遅いわねぇ。どうしたの? いいひとが居なかったのですか?」
「いや、その……」
「もしかして、イース殿に操を捧げているのかしら」
「……もしかしたら……そうかも」
「純粋ねぇ」
「いや、不純です。穢れ切った人間ですよ」
「わたしと……してみる……?」
「あの、その……」
「ふふ。ごめんね。からかってみたの。久しぶりに人間らしい子に会ったから」
「……魔獣界は、どういうところですか」
「一番、辛いのは砂漠かしら。密林も危険だけれど。それより嫌になるのは人間の浅ましさよ。魔獣に負けず劣らず、貪欲な獣が人間……だからわたし、基本的には一人旅をしているの。信頼できる仲間は滅多に見つかるものではない。たまには善い人も、いますけれどね」
アベルにはライカナの説明の意味がよく分かる。
人間こそ最も狡猾で、陰湿で、執念深いケダモノだ。
「……そんなところ通って、帰れるかな」
「諦めてこの島に住むのも悪い選択ではないでしょう」
「父上と母上、それに妹がいます。もう一度だけ会いたいな……」
「それなら悲観しないで、未知へ勇気を出して進まないと。恐怖は危機の予感だけれど、それだけに囚われていたらどこにも行けないのです」
「はい」
やがて、ライカナは寝息を立て始めた。
アベルの体に絡みついたまま……。
容姿は若々しい女性だけれど、実際は百戦錬磨のライカナが仲間になってくれたら、これほど頼もしいことは無い。ついでに胸や尻はもっと凄いが……。
アベルは色々な興奮によって、なかなか眠れなかった。
翌朝、アベルが目を覚ますとイースは既に起きていた。
ライカナに抱き枕状態にされているその姿を、やけに冷たい視線で見ていた……。
僅かに怒りの感情すら感じなくもない。
「あ、あの。イース様? 別にこのアベル、疚しいことはしていないですよ?」
あまり説得力はなかった。
なにしろ、でっかい胸の谷間が腕を挟んでいたから……。
イースは立ち上がると無言で部屋を出て行った。
アベルは呆然としてしまう。
イースからこんな態度を取られたのは始めてだった。
いつの間にか目覚めていたライカナが、くすくすと笑っている。
アベルが「あっ」とか、どうしようなどと呟いているとカチェが向かいの部屋から出てきた。
直後、アベルとライカナを見つける。
坂道を転がり落ちるように状況が悪くなっていく。
アベルは顔面に迫りくるカチェの鉄拳を、見ていることしかできなかった……。
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