第32話 渇望の声を聴いて
アベルたちは少し離れた林の中に、賊たちの馬が繋がれているのを見つけた。
そこに乗ってきた馬を一緒に隠す。
それから皆で作戦を考える。
間違いなく相手は実力を持った強者ぞろいだ。
これまで討伐してきた犯罪者らとは格が違う。
頭数も多い。しかも、魔法の使い手までいる。
もし、敵が逸早く異変を察知したら廃屋の中に目がけて火魔法を使われてしまうかもしれない。
火事にでもなれば当然、内部にいる人間は燻し出される。
慌てて飛び出たところを狙われたら厄介だ。
とは言え、戻ってくる賊に合図を送る者は必須だった。
そこでアベルとイースだけが危険を承知で手前の屋内に潜むことにした。
ペスアの街から連れてきた三人の護衛たちは奥の廃屋に居させて、残りは屋外で待ち伏せ。
護衛たちのことは良く知らないので戦力として期待しない。
防迅流と水魔術を使うという魔法剣士ボックはガトゥ、ヨルグ、カチェで対応する。
女の魔法使いゼルマーネはアベルとワルトの連携攻撃で一気に片を付ける。
イビサとかいう剣士の腕前は分からないので、特に対策はしない。
そして、スタルフォンと護衛三人は敵の剣士勢を牽制してもらう。
賊の首領、
これには一対一ではなく、できればイースとダンテの二人で当たらせるとした。
アベルはイースの祖父であるダンテの腕前を知らない。
しかし、イースが自分より強いと言い切るのだから信頼することにした。
それよりもっと分からないのはヨルグという男だ。
イースの父親にしてはあまりにも姿が似ていない。
さらに会話もしない。実力も不明……。
いったい何なんだろうとは思うが、聞き難いことだった。
そうして作戦は出来上がった。
しかし、全ては流動的だった。
こんな風に計画を立てたところで、すべて無駄になるかもしれない。
アベルとカチェは、あばら屋から少し離れた藪の中に「土石変形」で穴を作る。
待ち伏せ部隊を隠れさせるためだ。
二人で作ったから、それほど時間もかからなかった。
「カチェ様。気分悪くないですか?」
「わたくしは皇帝陛下にお仕えする貴族です。領民を守るため、乗り越えなくてはならない義務でした。それに……」
貴方がいるから平気でした、とは黙っていた。
気恥ずかしかったからだ。
カチェは気丈に応えてくれたが、やはりいつもより気持ちが陰っていた。
アベルは少し迷うものの、始めて盗賊と戦った時のことを話してみる。
「実は言うと僕は最初に戦った後……おしっこを漏らしました」
カチェが、えっという顔をする。
それから笑う。
「やだわ。アベル、本当に!」
「う、嘘じゃないですよ……。僕は父上に言われました。人殺しに慣れてはいけないって。さっきはつい怒って、殺しましたけれど……気持ちは悪いです。でも賊を滅ぼさないと平和に暮らしている人が殺されてしまうから。だったらやるしかない。ゴミ掃除のようなものだと、そう思っています」
アベルの横に座るカチェは力強く頷いた。
もはや紫の瞳からは、僅かな陰りも消えていた。
むしろ生命力が輝いているようであった。
「わたくしも同じ心です! ソロスとやら、必ず討ち取りましょう!」
「カチェ様。これから戦う敵は、きっと僕らがこれまでやり合ってきた奴らとは比較にならないほど強いという気がしています」
「アベルとなら……必ず勝てます」
カチェには本当に怯えがない。
だが、そこがアベルにとっては不安だった。
「強敵こそ予測できない隠した技を持っているものです。魔法使いと戦う時は相手の魔力を読んで中和か干渉で意図を妨げてください。
それから魔法剣士と言っても色々な奴がいます。魔法使いが取り合えず剣を持っているだけというような場合もあるし、その逆……初級魔法ぐらいしか使えない剣士もいます。見抜いて戦い方を変えないとならない」
カチェは素直に頷く。
「カチェ様は魔力が強いから。ある程度は水壁を維持したまま、炎弾を使うこともできますね」
「できるわ」
「なるべく手数を多くしてください」
「それは騎士団の魔法使いの先生に習いました。ただし魔力の消耗は激しくなるから、そこに気をつけろと」
「あとは……土石変形硬化で足元を拘束されないように。これは魔力を読み取れば簡単に分かります。常に踊るように足を動かして位置を変えるのも効果的です」
「大丈夫よ。全部、前からアベルに教わっていることよ」
アベルは頷いた。
それから仕上げに罠を一つ用意する。
即席大砲だ。
おそらく賊はアベルたちが通ってきた方向から戻って来る。
そこを狙うわけだった。
射線を道に合わせて、地面に硬い横穴を形成した。
時間をかけて正確に作る。
穴はボロ布で塞いで、砂をかけて隠した。
あとは散弾の代わりに「土石変形」で石礫をイメージして内部に詰める。
敵が来たら、穴の最奥部に確保してある空洞に幾つもの炎弾をイメージして魔法を発動する。
そういう準備をしていても、アベルはどのように戦うべきか様々に考えないわけにはいかない。
敵が恐ろしかった。
いきなり剣戟に持ち込むつもりはない。
まずは魔法だ。
だが、炎弾は強力なのだが問題もあって、まず飛翔速度が遅い。
緩いキャッチボールぐらいの勢いだから距離があればあるほど軌道を読まれる。
それから射程距離。
アベルは何度も試したが、せいぜい二十メートルぐらいしか飛ばない。
氷槍も似たり寄ったりで、遠くなると威力が弱まる。
ありったけ魔力を込めれば、確かに氷の槍は大きくなるが……所詮は単体に対する攻撃にすぎない。
そこをいくと散弾大砲ならば多人数に手傷を負わせることができる。
もっとも敵が予想される射線上に現れてくれなければ完全な失敗となるだけだ。
こうした術を使うことは皆に伝えてあって、罠の発動を合図として戦闘開始となる。
日が暮れて、じっとりと重く湿った夜が来た。
月は細く、闇は濃い。
アベルとイースは廃屋の中で松明を点けて待つ。
もはや準備は整い、やることも話し合うこともない。
アベルは死闘の予感から息苦しさを感じる。
気を紛らわせるつもりでイースの横顔を見詰める。
思わずうっとりするような甘い曲線を描いた頬。
秀麗な眉目と恐怖などどこにも無い澄んだ瞳……。
透明な心が、表情に現れているようにしか見えない。
イースはいつも通り、少しも緊張を感じさせない。
アベルは本当に羨ましくなる。
動揺しない心、人を憎まない精神。
それに比べて自分は我欲や怒りに任せて戦っている。
ある種の憧れをイースに感じていた。
「ねぇ、イース様」
「なんだ」
「イース様の父上。ヨルグ殿って……怖い人だと思いました」
「そう見えたか」
「はい」
イースは過去を思う。
血の繋がらない父親ヨルグに養われ、結局、最後には真剣を用いた稽古をすることになった。
殺し合いといってもいい。
ヨルグは、剣と強さに憑りつかれた男だった。
強くなるためだけに祖父ダンテへ弟子入りした。
名誉も金も捨てた人生。
剣の道に全てを注ぎ込んで、しかし、血の繋がらない娘に負けた男。
その屈辱から娘を憎み、突き放した父親……。
誰にも話したことはない。
感情が薄いはずの自分に、杭のように残った記憶と想念。
アベルにだけは話したくなる。
戦闘が終わったら伝えてもいいと思いついた。
そんなことを感じる相手など生まれて初めてであったが……。
イースが感じるところ、アベルは優しさと激しい怒りが混在した人間だった。
よくできた子供のようでいて、内面には底知れない渇望がある。
このまま成長すれば、いったいどうなるだろうか……。
アベルが自分に寄せる信頼は明確に伝わっていた。
イース自身もまた、アベルに強い絆を意識している。
これまでの人生でなかったことだ。
もしかしたら自分の探している心が、アベルを通じて手に入るのかもしれない。
イースは口を開こうとした矢先、馬の騎行の音を聞きつけた。
「きたぞっ!」
アベルは頷いた。
松明を手に持つ。
表に出た。
頭には奪った冑を目深に被ってある。
おそらく露見しないはずだった。
もし、ばれたら全員で突撃するまでだ。
丘に松明の輝きが一つ。
灯りに数騎がぼんやりと浮かんでいた。
炎が円を描く。
アベルは左右に振った。
灯りがゆっくりと近づいてくる。
馬が、かなりいる。
後続が丘を越えたらしく松明が増える。
暗くて明瞭ではないが二十騎ほどは戻ってきた感じがあった。
アベルは魔力を高めるべく強く意識する。
緊張と興奮で心臓が爆発しそうだった。
盛大に魔力を発散させているから敵の魔術師に感づかれたかもしれないが、もはやなるようになるしかない。
即席大砲の内部に炎弾を五つほどイメージ……。
大砲の底に空けた小さな穴が明るくなる。
注ぎ込んだ魔力は急速に火力へ転じ、魔法が発動した。
巨大な銅鑼を鳴らしたような爆発音。
腹に響く衝撃波が伝播してくる。
火炎が砲口から噴き出す。
真っ赤な火の粉が闇夜に煌めいた。
無数の礫が賊たちへ飛んでいく。
大きな悲鳴が幾つも上がる。
馬が嘶き、棹立ちになった。
主を失った馬が目標もなく走って逃げ出す。
アベルとイースは廃屋から出ると、迷うことなく敵に向かって駆ける。
アベルは魔光を出した。
位置は暴露してしまうが見えないと困る。
穴からガトゥたちも出てきた。
カチェが、やはり魔光を出している。
アベルの前方を駆けるイースは大剣を抜いて、頭上で掲げるように構えていた。
焦げ臭い煙。
道に倒れている賊たちや馬。
瀕死で呻いている。
アベルやガトゥは倒れている敵の鎧の隙間を狙って、刀を刺し込んだ。
散弾は十人ぐらいを薙ぎ払っていた。
もしかして、これで敵の首領を殺せていればいいとアベルは強く願う。
戦いなんかすぐに終わって欲しい。
しかし、そうはいかなかった。
道の奥から別の集団が現れてきた。総勢三十人はいそうにも見えるが、暗くてはっきり分からない。
敵の方に二つ、魔光が現れている。それから松明も幾つか。
青白いその光に照らされて、茶色のローブを着た女と盾を構えて防迅流の構えをしている男が見えた。
さらに奥、長い刀を抜いた男がいる。
彼らは落ち着いた態度でアベルたちを迎え討とうとしていた。
あれがソロス、ボック、ゼルマーネと見て間違いなさそうだった。
用心深く後方にいたらしい。
実に警戒心に満ちた態度だった。
ボックらしき魔法剣士が氷槍を唱えた。
アベルは「火炎暴壁」をイメージして、魔法名を唱える。
炎の壁が発生。
鋭い音を立てて飛来してきた氷の槍は蒸発した。
アベルは炎を維持したまま、極暴風を発生させて敵に浴びせる。
これは威力自体は大したものではないが、敵を混乱させるはずだった。
ところが魔法剣士のボックと女魔術師ゼルマーネが揃って水壁を創って防御。
信じられないが完璧に防がれてしまった。
「げっ。嘘だろ!」
思わずアベルは唸る。
これほどの連携を取って魔法を防ぐ敵には会ったことが無い。
作戦では即席大砲で気勢を制して、さらに追撃。
一気に片を付けるはずだったが、もはや敵は防御を固めて反撃しつつある。
かつてない強敵を相手に勝てるのか、胃が締め付けられるようだった。
カチェが習得している最大火力の第四階梯火魔術「竜息吹」を詠唱していた。
強力な攻撃魔法で形勢を決めようという試み。
アベルはその援護に回る。
火炎放射器に似た現象を発生させる竜息吹は効果範囲もあり威力は高い。
その代わり発動にはそれなりの集中と時間が必要だった。
賊の集団は人数で優っていることに気が付いたらしく、二手に分かれようとしていた。その意図は包囲や挟み撃ちだ。
「囲まれる前にやるぞっ!」
危険を察知したガトゥの叫び。
呼応してイース、ダンテ、ヨルグは首領のソロスに狙いを絞って猛攻を開始する。
だが、ソロスに到達するには三十人を超える剣士や幹部たちを排除しなければならないだろう。
勝つか負けるかの瀬戸際。
ゼルマーネの創り出した水壁の脇から槍を持った男が二人、出てきた。
イースとダンテが対応するべく、さらに前に出る。
当然であるが槍は攻撃範囲が広く、刀剣よりも有利である。
だが、それは実力が拮抗している場合のことだ。
イースのような達人が大剣で戦うとき、そうした常識的前提は崩れ去る。
敵から見た体の面積を減らすため前屈みになったイースは突き出された槍の穂先を見切って、上段から大剣を振り下ろす。
弾ける音、呆気なく槍の柄が折れる。
そのまま間合いに飛び込んだイースが得物で鋭く突くと、鎧が破れる。大出血の敵は倒れた。
もう一人の槍使いもダンテが横殴りの剣で冑を叩き割る。
刀剣や槍を手にした賊どもが、さらに散開しながら襲って来た。
闇夜に金属の打ち合う音、獣じみた絶叫が響く。
詠唱しながら魔力を高めるカチェは無防備だ。
アベルは離れられない。
すると賊の群れから一人、ものすごい素早さで迂回し、駆けてくる影がある。
間違いないなく狙われているのはカチェだ。
炎弾では避けられてしまうほど早い。
とっさにアベルは走って敵の進路を妨害する。
駆けてきた男の姿が魔光に照らし出された。
まだ若い、二十歳ぐらいの細目の男。酷薄な視線だった。
いよいよ距離が縮まる。
斬り合いしかない。
アベルの頭は燃えるように熱くなる。
上段に構えた刀を敵へ振り下そうとして、しかし堪えた。
間合いに敵が入ってこない。
ぎりぎりの場所で停止していた。
ある程度の熟練者と戦うとき、無意味な攻撃は死に直結している。
つまり、下手な攻撃を躱されると、おのれの身は無防備に晒されているわけだった。
そこを狙われてお終いだ。
対峙。
アベルは敵の眼を睨みつける。
呼吸が荒くなる。
冷静になって敵の手の内を読もうとするが、興奮のせいで上手くいかない。
疑いたくなるが細目の敵は笑みを浮かべていた。
よほど戦いに慣れているのだろうか。
それとも演技……。
「俺はイビサってんだ。ちょっと話しをしようや」
瞬間、敵はアベルの間合いを超えて両刃の両手剣を振り下ろす。
騙し討ち。しかも速い。
アベルも呼応して刀を繰り出す。
切っ先同士がぶつかり火花が飛び散った。
敵は巧みに剣先を動かしてアベルの刀を巻き取ろうとしてくる。
アベルはバックステップで距離を稼いで「氷槍」をイメージ。
目の前に氷塊が創られ、鋭い形状に変化していく。
イビサという男は、馬鹿にしたような嘲笑を浮かべた。
魔法攻撃を避けて、反撃の速攻を仕掛ける意図とアベルは見抜いた。
とっさに奇策を実行する。
あえて氷槍を射出させないで、アベルは無謀なほど大股で接近。
歯を食い縛る。
狂気じみた激情。
このまま相討ちでも構わない。
尽かさず上段斬りを見舞った。
予測を裏切られたイビサは僅かに遅れて剣を跳ね上げた。
アベルは手の内を締める。
刀を振るうとき、すべての動作で渾身の力を籠めればよいというわけではない。
刃筋の立った物打ちどころが物体に接触する瞬間だけ、全力を集中するのである。
加速度のついたアベルの刀が剣と激しく衝突、イビサの得物を横に逸らした。
アベルの顔のすぐ横を剣が通過。
当たれば一撃で致命傷だ。
アベルは刀を握り直す。
体幹を維持したまま下段突きをイビサの顔面へ仕掛けた。
イビサは態勢を崩したまま横殴りに剣を振ってきた。
剣がアベルの腕にぶつかり防具で止まる。
力の乗っていない攻撃には金属板を縫い付けてある籠手を破壊するほどの威力はなかった。
そして、アベルの突きはイビサの頬を貫き、顔面の奥に達する寸前。
イビサが体を仰け反らせて刃を外す。
血が噴き出る。
「ぐあぁぁあっ!」
絶叫を上げてイビサが地面を転がり、背中を向けて逃走する。
アベルの全身から冷や汗が流れた。
恐怖と興奮で手が震える。
そのときに気が付いたが、賊の群れから十名ほどが分離し、こちらへと近づいて来る。
逃げたイビサが合流するなり、やつらを殺せと叫ぶ。
アベルは、ぞっとした。
あの人数を防ぎきれるか……無理だ。
そのとき、カチェが声を上げる。
「みんな、魔法を使うわ!」
竜息吹が発動。
火炎放射のような炎の帯が暗闇を引き裂いてイビサのいる群れに命中。
大きな炎はさらに膨れ上がり、火の粉が小雨のように降る。
火達磨になったイビサらが手足を激しく振り回し、悶える。
体を燃やした人間が何人も暴れる光景は凄まじい。
アベルは思わず顔を引き攣らせた。
体に纏わりつく火を消そうと地面に体を擦り付けているが、大量の水でもかけない限り不可能であった。
ひとりひとり、力尽きて動きを止める。
アベルが様子を見ていると驚くべきことに、敵の一人が炎に包まれたまま来た道を引き返して逃げていく。
どうやらイビサらしい。
凄まじい執念だった。
「助けてくれぇ! ゼルマーネ……」
「ち、近寄るんじゃないよ! 死にぞこない!」
「火を……消して……」
「そんな暇があるかっ、ウスノロめ!」
イビサがゼルマーネの創り出していた水壁に体ごとぶつかる。
焼けた鉄板を水に落としたような音と盛大な水蒸気。
賊の中から長大な刀を持った男がゆっくりと歩み寄り、視認できないほどの素早い斬撃をイビサへ与えたように見えた。
体から燻りを上げているイビサが崩れ落ちて、二度とは動かない……。
アベルはその男の頬に百足に似た傷があるのを認めた。
あれこそが首領、百足のソロスだ。
賊の魔術師ゼルマーネが効力を大幅に減らした水壁の維持を止めて、次の魔法に取り掛かる。
防壁が無くなった好機だった。
瞬間、ガトゥが手斧を掴むなり振りかぶり、全身を使って投げつけた。
狙いは女魔術師のゼルマーネ。
回転する斧が一直線に飛翔した。
まさに命中するとアベルが確信したとき、ソロスらしき剣士が長い刀で斧を叩き落とした。
鮮やかな刀捌き。
やはり別格の手練れだ。
尽かさずイースとダンテが、飛ぶが如くの足運びで一直線に賊たちへ近づく。
激しい猛攻で、次々に敵を打ち伏せた。
それを見たガトゥとヨルグも動いた。
大きく迂回して奥にいるソロスの横に回ろうとする。
場が急に流動的となり、敵味方が入り乱れてきた。
それまで身を伏せて機会を窺っていたワルトが猛然と跳躍して敵中に飛び込む。
どうやら派手に動いて敵をさらに混乱させるつもりらしい。
賊の振るった剣をワルトは短剣でいなして、激しい蹴りと体当たりを与える。
相手は倒れて動かない。
横合いから別の賊がワルトに襲い掛かる。
ワルトは素早く後方に跳躍して、斬撃を避けた。
防具をしていないワルトは身軽さに加えて、なにやらトリッキーで奇抜な動きを見せていた。
敵は惑わされていく。
闇夜に重なる幾つもの叫び声。
悲鳴。
金属が割れて骨肉の潰れる音が響く。
混戦が激しさを増し、魔術師ゼルマーネが慌てて後退しようとする。
アベルは眼を凝らして、その動きを見極める。
ゼルマーネは化粧で顔面が白い。
それが、やけに目立って見えた。
アベルはその顔を目掛けて氷槍を撃ち出す。
闇を切り裂く氷の塊。
だが、魔力の発散から攻撃を予期していたゼルマーネは短い詠唱の後、「火流陣」と叫んで体が隠れるぐらいの炎の壁を創り上げた。
正確に射出された氷の槍が溶けて消える。
アベルは見知らぬ魔法に息を呑んだ。
魔術師ゼルマーネが後ろに逃げていく。
イースの父ヨルグは、驚くべき達人だった。
数人の賊を、どのような技によるものか巧みな駆け引きで斬り殺し、賊の幹部である魔法剣士ボックに迫った。
接近するや防迅流を使うボックの盾に、まるで嵐のような連撃。
間合いを詰められたボックが苦し紛れにヨルグの顔面へ突きを入れてきたが、それをしゃがんで回避。
ヨルグはそれまで両手で刀の柄を握っていたが、突然、左手を離してボックの盾を掴んだ。
ボックは暴れて自由を取り戻そうとするがヨルグは手を離さない。
ガトゥが絶好の機会とみてボックに組み付いた。
足を引っかけ、冑を掴んで引き回す。
金属の防具同士がぶつかり、固い土に衝突して派手な音を鳴らした。
「ぐおおぉぉおあっ!」
大の男たちが掴み合い、威嚇の絶叫を上げて怒鳴り合う。
ガトゥの格闘技が勝った。
ボックが仰向けに倒れたところ、鎧の弱点である股が剥き出しになった。
ヨルグが素早く刀を突き込む。
魂消る悲痛な声をボックが上げる。
泥まみれのガトゥが短剣を抜いて止めを刺す。
ダンテは大剣を頭上で旋回させる連撃を繰り返した。
大剣特有の「はたき斬り」という技に似ていて、相手の攻撃を横から叩いて止め、さらにそのまま刀身を相手に食らわせる。
アベルからすると防ぎようのない技術と強引さの混ざった技だった。
荒れ狂った賊たちが、堪らず押されていく。
ついに敵の防御線が崩れて、首領ソロスの前にイースが立つ。
強敵を前にイースは怯まず、下段の構え。
身長にだいぶ差がある。
言ってしまえば大人と子供ほどの差。
だが、イースはさらに姿勢を低くさせながら前に駆け、ソロスの足元から巧妙な攻撃を仕掛けた。
大剣が蛇のように伸びてソロスの下腹部に近づく。
興奮したアベルはイースの攻撃が敵を圧倒するかと期待したが、ソロスもまた並の使い手ではなかった。
イースの連撃の恐ろしさを察して、下段攻撃をしのぐなり後ずさりする。
そのときだった。
濃密な霧が発生していた。
ゼルマーネを中心として、白い靄が生まれる。
気象魔法「迷霧」という霧を発生させる魔法だった。
アベルは知ってはいたが、使ったことがない魔法だ。
不利と見て、視界を潰して逃げ出すつもりらしかった。
逃がすものかとアベルは「旋風招来」を詠唱して発生する傍から霧を吹き飛ばす。
やがてスタルフォンとペスアの護衛三人も合流してきた。
敵の手勢が一人一人と減っていく。
女魔術師ゼルマーネの年齢は三十代後半ぐらいだろうか。
闇夜にも目立つほど白粉を顔面に塗りまくったゼルマーネの顔。
焦りに満ちていた。
大事な魔術師を護衛をするはずの賊が、突然と森の方へ走っていく。
役割を放棄して逃走に転じた。
ゼルマーネが逃げるなとか、あとで殺すとか叫んでいた。
突然、ワルトが跳躍した。
獣人の体は軽々と闇夜を滑り、賊の肩を蹴って、さらに遠方へ飛ぶ。
その先にいるのはゼルマーネ。
女の魔術師が狼人に接近戦で敵うはずなどなかった。
魔法を発動させる前にワルトの短剣がゼルマーネの首筋を裂く。
女の悲鳴、すぐに弱々しく消えた。
負けると悟った賊のうち、さらに数名が闇夜に走って逃げていった。
気が付くと、辺り一帯に死体ばかりが散らばっている。
死にかけの賊が苦し気に小さな呻きを上げるほか、物音はしない。
そして、敵は百足のソロスだけになった。
アベルから見てソロスは三十歳ぐらいに見えたけれど、実はもっと若いのかもしれない。
凄惨な体験をしてきた者の顔は、たいてい老けて見える。
ソロスの頬は痩せていた。
目だけがギラついている。
まだ、諦めていない。
最後に道連れを探しているようにも見えた。
イースとダンテが挟み撃ちの陣形をとる。
アベルはじっくり見ていられたわけではないが、ダンテの剣術はイースのものに似ていた印象だ。
いつ二人が攻撃するのだろうと思っていたところ、そこへヨルグが声を上げた。
「そいつは、俺が倒したい。やらせてくれ……」
アベルはヨルグを不審に思う。
二人に任せていれば、ほぼ確実に勝ちが取れる。
ここは邪魔しないほうが良いのではないだろうか……。
ヨルグは、おそらく五十歳は越えていて、老剣士と言ってもいい。
しかし、年齢に似合う態度や戦い方ではなかった。
もっと粘ついた、執念めいた気配が刀の扱い方に宿っていた。
ヨルグは柄の長い刀を大上段、頭上に掲げる。
あの手の位置だと、左右のどちらへも攻撃できる。
ただし、胴や足元がガラ空きだから、敵が激しく変化してきたら対応できないと殺されるのは自分だ。
ソロスの使う斬流は、攻刀流に並んで有名な流派だった。
片刃の刀を使う流派なので、ソロスも得物は湾曲した刀身を持つ刀だった。
ソロスは片手で柄を持ち、切っ先をヨルグの顔面に向ける。
あれをやられると突き付けられた側からは刀身の面積が極限的に薄くなり、距離感は掴み難くなる。
ソロスの意図をアベルは推察する……。
たぶんヨルグの大上段からの打ち下ろしを紙一重で回避して、突きか押斬りを仕掛ける意図。
頭上から振り下ろされる刀を無視して反撃を行うのは、暴勇でもなければ無理だ。
対峙する二人。
ヨルグが動いた。
踏み込みと同時に左から刀を振り下ろす。
このとき、切っ先は奇妙な変化を描いた。
素直にソロスの頭を狙うかと思われた軌跡は、突然、直下に落ちる。
実はソロスの刀を狙っていた。
ソロスは体と刀を横にずらせて、刀を打ち下ろそうとした一撃を回避しようとした。
しかし、ヨルグの速さが一瞬上回る。
ソロスの刀が打たれて、地面にぶつかる。
ヨルグが突きに変化した。
ソロスは顔面目がけて突き込まれた攻撃に首を逸らせて回避しようとしたが、頬に切っ先が食い込んだ。
通り名の由来になった、百足に似た頬の傷跡が新たな傷で赤くなる。
百足のソロスが中段に刀を構え直す。
しかし、そこをヨルグが刀を下段から払い、腕に斬撃を加えた。
ソロスの左籠手が半ばまで斬り込まれる。
血が飛び散った。
ヨルグは正眼に構えて、右から撃ち込みをかけると見せかけて、やはり切っ先を変化させて刀を車に回す。
なんと騙し技に長けた狡猾な剣術なのかとアベルは息を飲んだ。
そして、詐術に満ちた巧妙な戦い方はイースのそれとそっくりであった。
姿は全く似ていない父と娘だが、剣だけは濃厚に同じ匂いがしている。
ヨルグとソロスの刀が衝突して火花が飛び散った。
片手のソロスは力負けして腕を振られ、上半身に隙ができる。
そこを逃すようなヨルグではない。
瞬間的に刺突の体勢へと移り、ほとんど視認できない速さでヨルグの刀がソロスの首筋に突き立った。
ソロスは僅かばかりもがいたが、血を吐いて、すぐに力なく倒れる。
地面に大量の血液が流れ出ていた。
どう見ても即死だった。
ガトゥが「お見事」と声をかける。
ヨルグが低い声で言った。
「これで斬流第七階梯とは笑わせる……。それ以下の実力だ。おそらく自称だろう。やはり階梯など大した意味がないな。やりあってみないと本当のことはわからん。なぁ、そう思うだろう。アベルとやら」
アベルは驚く。
なんで話しかけるんだよ、と思う。
「そ、そうですね。階梯って師範から認定してもらうものですから……弟子入りしている暇のない人には、確かに意味がないですね。ただ、相手を倒した時は、同階梯を名乗ってもいいから……」
「お前、イースの従者だろう。竜殺流を修めたいなら諦めろ。あれは魔人氏族のものだ。人間族が真似したところで習得できる者は稀有の天才だけだ。俺もお前もそうではない。見れば分かる」
天才ではない、と言うヨルグの口調からは粘つくような念が感じ取れる。
嫉妬、羨望、劣等感……。
「イース様と自分が違うのは分かっています。得物だって違いすぎるし、そのつもりはないので。まぁ、色々教えて貰っていますけれど」
「……お前を見ていると昔の俺を思い出す」
「え?」
「強さを求めて、ダンテ様に出会った。いつかダンテ様を越えようと必死になって、もはや三十年以上……。イースにも負けた俺だが、まだ諦めていない。諦められるものかよ。お前も誰にも負けたくないと願うのならそうすることだ」
「僕は別にイース様に勝とうとは思っていません」
表情をより険阻に変えたヨルグが睨みつけてくる。
「なんだと! 悔しくないのか? 勝てなくて」
「イース様は仕える方です。勝つとか負けるとか関係ないので」
「くだらん。見込み違いだったか……。俺はイースと殺し合いをしたとき、負けて、今も消えない悔しさに身を焼かれる気分だ。あれほど修行しても追い付けない者がいる。夜明けと日没のたびに思い出し、血反吐が出そうだ」
「な、何を言っているんだ……。殺し合い? イース様は貴方の子供でしょう。殺し合いをしたとは、どういう言い草ですか」
ヨルグの視線。
有り余るほどの殺気が宿る。
文句があるなら殺すぞ、という心の声が聞こえてきそうだ。
「何が悪い。そいつと俺は形だけの関係だ。実の子じゃない。戦士が強い者と戦いを求めるのは当然のことだ」
「あんたとイース様に何があったか知らないけれど、イース様は立派な人だ。たとえ血の繋がりがなくとも殺し合いを求める相手じゃない。
それにイース様は騎士だから任務として戦いはするけれど、自分から争いを求める人じゃない。それに比べてあんたは、まるで血を欲する気配があるな」
ヨルグはぞっとするような顔つきで言う。
修羅になった人間とはこうしたものかと感じるような……。
「天才でなければ、凡人は執念を持つぐらいしか可能性はない。戦いに執着を持たずしてどうやって強くなる? お前にはそういうモノがあると思ったのだがな。見込み違いだ。死ぬまでイースの足でも舐めていろ」
そうしてヨルグは話す事はないとばかりに、背を向け立ち去っていく。
もはや掛ける言葉もない。
あまりにも歪な人間だった。
それからアベルはイースの前に行く。
驚くベき事にその赤い瞳には、やや沈鬱を感じさせた。
やはりイースにも悲しむときがあるのだ。
「いつもと様子が違う理由。ヨルグのせいだったのですね」
「あの人は……父は強さに執着を持った人だ。戦士には、ときどきいる。強さに対して執念が深ければ深いほど、負けた時に憎しみと変わるらしい」
「肉親と争うのは格別つらいものです」
「まるで自分もそうしてきたような口ぶりだな」
アベルは黙る。
説明などできない。
イースは陰鬱な表情を消し、微笑して言う。
「不思議なところ、また見つけたな……。アベルが私の従者で良かった。私はお前と初めて会ったとき、自分とどこか似ている者かもしれないと感じた。しかし、お前には私よりもいいところがある。それは優しいところだ。その反動で怒りに駆られるのだろう。可愛いものだよ」
「心の有様では、とうていイース様に及びません。いつかイース様みたいに憎しみや穢れのない心になれるかと……考えることがあります。でも、無理そうだ。僕の心は欲望でいっぱいだから」
「私の心に穢れがない? そんなこと自分で思ったことはないな。人から言われたのもアベルが最初だ」
イースは微笑をさらに大きくさせた。
いつもの冷たく切れるような玲瓏さではなく、果てしなく慈愛に満ちた顔貌に感じる。
見たことが無いほど美しい笑顔。
自分の心に巣食う憎しみの塊のようなものが、少しだけ溶けて無くなる気すらする。
カチェは複雑な想いで、そうした二人を横から見ていた。
深い絆を感じさせる。
主と従者とは、ああしたものなのだろうか?
恋する少女の感覚は敏感に、それだけではないと感じる。
しかし、明確なことはよく分からなかった……。
戦いが終わった。
逃がした賊へはワルトを追跡にやる。
夜の森で獣人に勝てる者などいない。
死体の始末は夜明け後にやることになった。
アベルは完全に緊張が切れると、猛烈な吐き気が抑えられず、嘔吐した。
その様子をイースとカチェが見ている。
カチェが言う。
「なによ。情けないわね。さっきの勢いはどうしたの」
「いつまでたっても慣れないですよ。戦いなんか」
「アベルって弱い者虐めが嫌いなんだね。さっきはあんなに怒っていた。今は普段通りだわ」
「大嫌いですよ。特に子供に暴力を振るう大人は……最低だ」
「そうね。わたくしも、そう思うわ。わたくしは貴族ですから領民を守らねばなりません。今日は義務を果たせて安心しました」
ワルトは逃げた賊を上手いこと討ち取ってきた。
逃走したのは腕の不確かな者だったようで、暗闇から奇襲したワルトになす術が無かったということだった。
翌朝、死体を処分して、主だった賊の首を獲った。
それらはポルトに持ち帰ってロペスに首実検してもらわなくてはならない。
四人ほど重傷だが生きている賊を捕えた。
移送はペスアの護衛たちに任せる。
彼らは面子を取り戻す機会だから、必ずやりとげると明言した。
賊たちは街に着いた後に裁判となるだろうが、まず確実に死刑だ。
ダンテとヨルグは城には戻らず、このまま帝都へ赴くという。
どうやら皇帝国や亜人界など至るところで混乱が起きており、それに纏わる秘密の任務につくらしい。当然、詳しいことは分からない……。
アベルはイースの祖父ダンテに別れの挨拶をする。
「従者アベルよ。ヨルグの件はすまなかった。あいつは曲がった人間だ。私の亡き娘と子をなして、その子と一流を極めんという夢を持っていたようだが、それが叶わなかった。それで、もっと屈折してしまった。しかし、義理息子ゆえ見捨てることもできない。死ぬまで私の元で剣の道を追求するだろう」
アベルは黙して首を横に振った。
「イースを頼む。私よりもっと器用な生き方のできない者だ」
「はい」
そうして義理の親子であり、騎士と従者でもある二人が街道へと姿を消した。
こんな世の中だ。
アベルはもう二度と会わないかもしれないと感じる……。
ポルトへ帰還する途中、ロペスの部隊と合流する。
いつもは傲慢な態度で冷遇してくるロペスも今回ばかりはイースとアベルの働きを激賞した。
ロペスは鷹揚な口ぶりで言う。
「良くやりとげた。バース伯爵様からアベルを騎士見習いにするよう手紙が来ていた。俺が団長代理として許す。アベル、今日から騎士見習いだ」
昇進にカチェが大喜びしてくれた。
紫の瞳に、温かい感情がこもっていた。
アベルは素直に感謝を述べる。
「カチェ様。ありがとう」
そして残務処理も終わり、ポルトの城下町にある「亀の友」という変な名前の亀料理の店で、お祝いとなる。
イース、ガトゥ、カチェ、ワルトがアベルの出世に乾杯してくれた。
ついアベルは酒を飲みすぎてしまった。
イースの部屋に戻ると、アベルはベッドにひっくり返る。
そのまま久しぶりに一つのベッドで眠りについた。
翌朝、アベルは目覚めると、柔らかいものに抱き付かれている。
イースだった。
小ぶりな乳房の感触が腕に伝わる。
アベルがそっと見てみると下着の隙間からイースのおっぱいが、ほとんど全部見えていた。
早起きはしないで、ゆっくりすることにした。
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