第14話  カチェの我儘、キレる少年

  



 アベルたちは日没後、ポルトに帰還した。

 城門を開けてもらい、馬車ごと中に入る。

 生きている罪人たちは牢獄にぶちこまれた。

 狼人は深手を負っていて、さらに揺れる馬車で移動したものだから死ぬかと思われたが、意外にも強靭な生命力で生き延びていた。


 アベルとイース、それにレカ駐在騎士のイル・ハイドンの三人で報告へ向かう。

 騎士団本部は本城の内部にあるのではなくて、その隣にある立派な石造りの建物であった。

 堅牢な構造の二階建てで、一種の小さな砦のような雰囲気だった。

 入り口では衛兵が歩哨をしている。


 アベルはあの陰険な感じの伯父に会うのが苦痛だった。

 だが、団長室に行ってみればベルル団長は不在。

 かわりにロペスとモーンケがいた。

 他にも騎士団の幹部のような雰囲気の男が三人いる。

 イースは直立不動の姿勢で申告する。


「レカの町にて強盗団を退治いたしました。抵抗したため、うち五名はその場で殺害。四名は連行しました。取り逃がした者はいません」


 代理のロペスが鷹揚に頷いた。


「うむ。取り調べ、裁判は明日にでも我々が行う。一人で五人を討ち取るとはご苦労……でもないか。亜人のイースでは賊程度、簡単なことだろうよ」


 アベルはその態度にムッときた。

 働いたのだから、素直に感謝の言葉ぐらい言えよと思う。

 それにしても長男ロペスは武人らしさを演出しようとしてか、やたら横柄な様子だった。

 しかし、まだ二十代前半のロペスがそんなことをしても、質の良い迫力はなくて、どちらかというと嫌味な粗暴さばかりが目立つ。

 これが親戚かと思うと頭が痛い。

 そこへイースが淡々と訂正した。


「いえ。討ち取った賊の内二名は従者アベルによるものです」


 ロペスやモーンケもその報告で「おっ」という顔をする。

 アベルは、まぁ当然かもな、と思った。

 体格はそれなりだけど一応、まだ十歳の男の子だし……。

 モーンケが血相を変えて口にした。

 

「ど、どうせイースが何もかも面倒を見て、それでアベルが止めを刺したってところだろう。いくら何でも……こんなガキが単独でやれるはずがねぇ」


 アベルは沈黙することにした。

 反論にも値しないというか……劣等感丸出しのモーンケに付き合ってやることもない……。


 ロペスの応対は抜けたもので、特に事件の状況について詳しく聞くでもなく、報告はそれでお終いとなった。

 褒美もなければ、ねぎらいもなし。

 それが地の性格なのか憮然とした顔でロペスも黙り込んだ。

 もはや語ることもなくアベルたちは退室する。

 騎士イル・ハイドンが不満そうに言った。


「亜人風情のイースに手柄を横取りされて、とばっちりだな。褒美もなしと来た」


 それが別れの挨拶かよとアベルはキレてしまった。

 疲れていたし、あの従兄たちにもうんざりだった。


「お前、その口の効き方はなんだよ……」


 ハイドンが、目をひん剥いて見てくる。


「お前が賊に気付けなかっただけだろう。それがイース様のせいだと? イース様を侮辱するのか?」

「なんだ、ガキがっ! 従者ごときが騎士に向かってっ!」


 ハイドンは顔を赤くして怒っていた。

 アベルの激情も相乗的に吊り上がっていく。


「従者もクソもねぇよ。じゃあ俺と決闘してみろ!」

「な……」

「騎士様なんだろ? 偉いんだろ? 見事に俺を殺したら、今度はイース様がお前の相手になってくださるよ。あの賊みたいに、汚ねえケツと空っぽ頭を泣き別れにしてやるって意味だ! どうした? 言葉が分かりますか? 騎士さまぁ!」


 ハイドンは明らかに困惑し、動揺していた。

 子供に喧嘩を売られたということ、どうやら本気で決闘をする気みたいだと察し出す。

 そして、アベルを決闘で倒したとしてもイースが控えているということを思い知る。


――まぁ大ピンチだよな。どうすんだよ、騎士様?


 アベルは睨みつける。


「ばかなっ。くだらない子供の相手などしていられるか!」

「二度とイース様の批判などするな!」


 騎士団の従者たちが言い争いに気づいて数名、走り寄ってきた。

 面子に関わるハイドンは逃げるように無言で立ち去る。

 それで終わりだった。

 アベルとイースも建物から出た。


「アベルよ」

「はい」

「ああした軽口をいちいち相手にしていると、私は毎日、決闘しなくてはならなくなる」

「はい」

「私はああいうのに慣れている。だいたい私は、感情というものがそうは動かない」

「はい」

「怒るとか悲しいとか、そういうのが少ない」

「はい。でも、僕は気になります。イース様。団長とか他の騎士は、いつもあんな感じですか?」

「あんな、とは?」

「いや。まるで感謝もしてないし。仮にも命がけで戦っているってのにさぁ! ケチな言い方……」

「別に気にしたことも無い。いつものことだ」


 イースにとっては日常のことらしかった。

 恬然とした態度だった。

 まるで水のような感情……。


――いかんいかん。

  なんかイラついて俺の方が怒ってしまった。

  落ち着こう。


「……ふ~ん。ブラックだねぇ」

「ぶらっく? どういう意味だ?」

「闇が深いって意味ですよ」


 アベルとしては一種の冗談として受け取ってほしかったのだが、イースは神妙な顔つきで黙ってしまった。


「あ……あ~。お腹空いたな。イース様。お腹減りましたよね」


 昼食も摂らず道を急いだから、腹減りは本当のことだった。

 アベルもさすがに何か食べたい。


「そうだな。だけれど、夕食の時間はもう過ぎてしまった。今からでは絶対に料理人たちは働かない」

「とにかくちょっと行ってみましょう」


 食堂の厨房に行くと、女の使用人が洗い物をしている。

 料理人らしき男たちが三人ほど、野菜を切っていた。

 明日の朝食の下ごしらえみたいだった。

 騎士の朝は早いから、前日に仕込んでおかないと間に合わないだろう。

 それで夜になっても仕事を続けているのだった。

 はっきり言って重労働だ。


――前世でもそうだったけれど、

  シェフっていう職業はハードだからなぁ……。

  俺も刑務所の中で炊事当番をやったこともあったな。

  でもあれはやって良かった。

  出所した後も自炊ができるようになったからな。


「あの~。すみません」

 

 アベルが声をかけると、もう犯罪者のそれと言っていい顔のおっさんが、ジロッと睨んできた。

 四十がらみで眼つきなど血走っている。


「食事の時間は終わりだって言ってんだろ! 何度言えばわかんだよっ! 食い物なら自分で用意しやがれ」


 いきなり怒鳴られた。


「い、いや。違うんです。僕は治療魔術が使えるんですけれど、手を怪我した人とかいないですか? 無料で治しますよ」


 料理人や使用人の女たちも「信じられない。こいつ本物か」という顔をしていた。


「嘘じゃないですから。騙されたと思って、誰かいませんか?」


 すると怖い顔をしたおっさんが、手を突き出してきた。

 布で縛られているが、左の人差し指がけっこう深く傷ついている。

 アベルの思った通りだった。

 料理人というのは必然的に包丁で怪我をしやすい職業なのだ。

 アベルが掌に魔力を集中させて指を治すイメージを強く持つと、白く淡い光が発生した。

 たちまち指の傷だけではなくて、アカギレやら何やらも快癒している。


「すっすげぇ! 本物だぁ」


 その場の全員が感嘆の声を上げた。

 もう一人の料理人は、手の甲に火傷をしていたので、それも治してやる。

 女性の使用人も手が水仕事で荒れきっているので、ついでの大サービスで治した。

 完全に場の雰囲気は逆転していた。

 アベルは言う。


「あの実は、僕は騎士様に仕えている従者なのですが、ちょっと任務で帰還が遅れまして。それで、今から厨房を貸してもらってもいいですか? 料理は自分で作れますから。食材もできれば使わせてもらいたいのですが」

「そういうことか! いいぜ。いくらでも使えよっ。この料理長ピエール様が許してやるよ!」


 とんでもなく強面の四十歳ぐらいのおじさんは料理長だった。

 厨房で料理長と言えば神様みたいなものだから、頼もしい許可だった。


――やっぱり特技があるっていいな……!


 イースに話しがついたことを伝えて、食堂のいつもの席で待っていてもらう。

 アベルは食材を物色する。

 肉は豚と牛がある。卵もあった。パンもある。小麦粉。野菜。芋……。

 食用油に塩。砂糖はない。ハーブは大量かつ種類があった。


 パンの屑を集めて、パン粉を用意する。

 それから豚肉と牛肉を薄めに切った。

 布で押えて、麺棒で叩く。薄っぺらくなるまで良く叩いた。


 その肉に塩とハーブで味付けする。さらに粉チーズと小麦粉を振りかけた。

 木のボウルに卵を溶きほぐして、水を少しだけ入れる。

 下ごしらえをした肉をくぐらせる。パン粉を全体的にまぶす。


 フライパンを火にかける。植物油をなみなみと入れて、適度に熱する。

 熱すぎると黒こげになってしまう。

 肉をフライパンに投入する。しばらくして、裏返す。


 同時に人参と野菜、芋をバター炒めしておく。

 本当はソースが欲しいのだが、今はない。

 酢と油と肉汁、それにハーブを数種類で即席のソースを作った。

 料理長がパンとキノコのスープを用意してくれた。


「いいんですか?」

「俺たちのまかないだ。気にするな。そんなことより、従者さんよ。あんた料理人だったのかい?」

「……。母親を真似ました」


 それは嘘だった。アイラは料理を教えてくれたけれどカツレツはメニューになかった。

 本当は前世のテクニックだ。


「見たこともない料理だが、良くできてやがる。少し味見させてくれよ」


 アベルは揚がったばかりのカツレツを一切れ、渡した。

 料理長は口に入れて、何度もうなずいた。


「うん。サクサクと食感がいい。しかも、肉がちょっとばかし硬い物でも柔らかくて食べやすくなる。こいつに合うソースがあれば完璧だなっ!」


 アベルはカツレツと野菜ソテー、スープ、パンを盆に載せて席まで運ぶ。

 イースは目の前の料理を見つめていた。


「この料理はどうしたのだ。時間外では、決して料理人たちは食事を作らない」

「僕が作りました。スープは料理長のご厚意ですけれど。食べてください」

「お前の不思議なところを、また見つけた」


 イースはカツレツを口にした。

 表情はいつもの通り、冷然としたもののはずだが、少し柔和になった気もする。


「美味いぞ」

「小皿の汁を付けて食べてみてください。味わいが変わります」


 イースは言われるがまま、即席のソースを付けて食べた。

 眼つきが少し変わった。


「すごく美味しい。こんな料理は初めて食べた」


 アベルも自分の分を食べてみたが、豚のも牛のも、かなり良く出来ていた。


「カツレツっていうんです。僕の故郷の味……かな」

「そうか」


 食事が終わり、食器を洗おうとしたら女性の使用人がやってくれた。

 イースとアベルは礼を言って食堂を出る。

 歯磨きをして、部屋に戻った。


「しまった……!」

「どうした、アベル」

「寝床を用意しようと思っていたのに忘れていました。毛布もない」

「なんだ。そんなことか。今日は私と一緒に寝ればいい」

「え~と……顔の骨は折らないでくださいね」

「触りかた次第だな」


 イースが珍しく冗談を言ったのかと思ったが、表情はいつもの通りだった。

 本気なのか違うのか。

 アベルは首をひねった。


――とりあえず触らないでおこう……。


 イースは装備を外して、服を脱ぐ。

 アベルは急いでお湯の準備に取り掛かる。


 部屋にあった大桶を外でよく洗って、部屋に持ち込む。

 水魔法で桶に水を溜めた。

 ついで「加熱」の魔法でお湯にしておく。


 イースは相変わらずアベルを子供と見てか、裸を隠そうとしない。

 白い肌が目に痛い。

 下着も脱いで、全裸になると体を拭き清める。


 イースは頭も洗った。

 手桶でお湯を掬い、大桶から零れないように頭にかける。

 手で長い黒髪をゴシゴシ擦る。

 うなじのあたりが、妙に色っぽい。


 アベルは覗いているつもりはないけれど、何となく見てしまう。

 別に文句は言われないのだから。

 あんな綺麗なものを見逃すなんて、勿体ない。


「イース様。今度、僕がお風呂を作りますよ」

「鉱物魔法で地面を変形させて作るのか」

「はい」

「大量のお湯を加熱するのは魔力の無駄かもしれないな」

「あ。父上も似たようなことを言っていました」

「魔力の豊富な者でなければ、風呂の為にへとへとになるようなことはしない」

「僕は別に一人分のお湯ぐらい沸かしても、全然疲れませんよ?」

「ふむ。じゃあ、もしかしたらアベルの魔力量は多いのかもしれないな」

「そういうの量る魔法とか道具はないのですか」

「ないな。強いて言えば、強力な魔術を使えるかどうかが基準となる」


 イースの清めが終わったので、アベルは桶の残り湯を持って表に出る。

 新しくお湯を作って、自分も体を洗った。

 イースと違って屋外だから、ジャブジャブと盛大にやってやった。


 すっきりして、部屋に戻る。

 扉の内鍵を閉めた。

 イースは、もうベッドに入っている。アベルは魔光を消して寝台に身を横たえる。

 小柄だから、ベッドは狭くなかった。


 人生初の、肉親以外と同衾である。

 その相手がまさかイースになるとは思わなかったが。

 ドキドキした。

 ところが、よほど疲れていたのか瞼は猛烈に重たくなる。

 沈没するように眠りに入った。





 ~~~~~





 ……なんだろう。あったかい?


 アベルが目を覚ますと体が柔らかいものに包まれていた。

 イースだった。

 抱きつかれている。


――俺じゃなくてイースが抱きついているのだと、言い訳してみるか。

  誰も聞いてないけれど……。


 アベルが固まっていると鐘が鳴った。

 朝、一番の鐘の音だ。

 これをもって騎士、従者、兵士たちは活動を開始する。


「イース様。朝です」

「……うむ」


 イースは何事も無かったかのように離れていった。

 黙ってベッドから起き上がる。

 アベルは何か言われるかなと思ったが、イースは身支度を素早く整えると、さっさと部屋から出ていった。


――なんだ……?


 アベルの何度目かの疑問。

 答えてくれる者がいるはずもなく……。





 朝食に出かける。

 アベルが厨房で料理長ピエールに挨拶をすると、笑顔で答えてくれた。

 仲良くなることに成功したようだ。


 いつもの二人掛けのテーブルに座る。

 大麦の粥に豆が入ったもの。豚肉と野菜炒め、ゆで卵が朝食だった。

 気のせいか、やたら量が多かった。


 アベルはいつにも増して視線を感じる。

 耳を澄ませると、強盗どもとか、裁判が今日あるとか、死体が凄かったとか、そういう会話がちらほら聞こえる。


「イース様。今日の予定は?」

「たぶん、昼から強盗たちの裁判がある」

「僕らも出席するのですか」

「もちろんだ」


 アベルは皇帝国の司法制度についてまるで無知であるのを自覚する。

 そういう質問をしようという発想がなかったからウォルターにも聞いたことがない。

 テナナはあまりにも田舎だったので犯罪はほとんどなかった……。

 あるいはあったとしても村内で解決していたのかもしれない。


「裁判ってどうやるのですか」

「帝国の律令が基本だが、領主による裁量権も加味される。貴族の領地で起きた犯罪は、領主が公正に裁く権利がある」

「義務ではなくて?」

「領地権は義務ではなく権利だ。裁判権は領地権の一部であったはずだ」

「窃盗の罪はどうですか」

「金貨十枚以上の盗みは死刑になりうる。人を殺して物を奪った者は死罪だ」

「殺した人数に係わりなく?」

「そうだ。一人でも殺せば、結局は自分が殺されるわけだ」

「たとえば、殺すつもりじゃなくても殺してしまった時などは?」

「私は記録騎士ではないから判例を知り尽くしているわけではない。だが、馬の事故などと強盗では、同列に扱われることはない。意志なく強盗することは有り得ないからな。強盗がうっかり殺しただけだから許してくれ、と言っていちいち許していれば、きりがない」


 アベルは頷いた。


「そりゃそうだ。僕が知っている国のことなんですが、人を一人殺しただけでは死刑にならないんです。その国。それどころか、二人か三人を殺しても助かる可能性があるのです」

「強盗でもか?」

「そうなんですよ。刃物で刺しても殺すつもりはなかったって言い訳が成り立つのです」

「信じられん野蛮な話しだな。国というのは皇帝国だけと思っていたが、そんな酷い国もあったのか。悪法の国か」


 アベルは話が逸れたなと思った。


「犯罪者が死刑でなかった場合はどうなりますか」

「重罪ならば奴隷刑が普通だな。奴隷業者に犯罪者を売る。発生した代金は被害者および領主で分け合う」

「全額が被害者にいくわけではないのですか?」

「そうだな。捕まえるのにも費用が掛かっているわけだからな」


 そんな会話ののち、アベルとイースは食堂を出た。

 中庭に大勢の騎士や従者が集まっているから、何かと思い近づく。

 なんてことはない。

 強盗たちの死体だった。


 身包み全てを剥されて、全裸で地面に晒されていた。

 死体の傷を見れば、どうした状況で、どんな攻撃があったのかが分かる。

 騎士たちにとって死体は、重要な情報なのであった。

 ここで剣がどうしたとか、ここの斬り込みがどうとか、騎士同士が議論していた。

 

 そこには見覚えのある少女がいた。

 伯爵一族のカチェという女の子だ。

 藍色の髪が肩よりわずかに上まで伸ばされている。

 前髪は、おでこのところでパッツンにカットされていた。

 濃くて澄んだ紫色をした瞳、やや吊り目。

 小さい唇は桜色。

 鼻筋は涼しく通っている。


 十二歳ぐらいなのだろうか。

 やけに大人びていて将来が恐ろしい美少女だ。

 カチェが騎士に質問していた。

 アベルは騎士に見覚えがあった。たしか団長室にいた人だ。


「この胴が真っ二つの死体。凄いぞ。どんな武器で攻撃すればこうなる?」

「おそらく、イース・アークの剣によるものでございましょう。さすがというか恐るべき威力です」

「あの亜人の女騎士か……! 一人で五人全員を殺したのか?」

「イースは一応、混血ですので丸きり亜人というわけではないのですぞ。たしか、昨日の報告では従者アベルが二名を討ち取っております」

「なんとっ! どの死体だ」

「さあ。それは本人に聞かずば……」


 そこでアベルと騎士の目があった。


「おお。カチェ様。本人がそこにおりますぞ」


 カチェという娘がアベルを睨んできた。


――なんだ。この子?


「ねぇ。アベル!」


 いきなり呼び捨て……。


「どいつをあんたが討ち取ったの? わたくしに教えなさい」

「……その頭が割れている奴と、片腕のない奴」

「ふ~ん……。ねぇ、儀典長騎士。これってどうなの? やっぱり凄いの?」

「はい。見たところ、どちらも他に傷がありません。ということは、ただ一振りで致命傷を負わせた証拠であります。こうした死体の方が珍しいのです。普通、激しい剣戟を交わしておりますと、指が落ちたり顔に傷を負うなどします」

「……そうよね。わたくしも、そう思ったわ。アベル!」

「はい」

「あんた、攻撃はされなかったの?」

「されたけど防ぎました」

「あんたそんなに強かったの? ロペス兄様と試合したときは、そんなに強くなかったけれど」

「偶然です。僕は弱いです」


 カチェの表情がサッと変わった。

 疑念を露にする。


「え~? 俺は強いって自慢ばかりする奴はたくさんいるわよ。聞いてもないのに、わたくしにそんなことを言ってくる男ばかり。アベルはどうして自慢しないの?」

「いや、本当に弱いから」

「あんたって、ちょっと暗い顔しているけれど嘘つきなの?」

「は? 顔が暗いって?」

「そうよ」

「そんな言い方ないだろ」


 儀典長騎士と呼ばれた五十歳ぐらいの、頭頂部が禿げた男が厳しい口調で言った。


「従者アベル! カチェ・ハイワンド様に向かって言葉が悪い! 正せよっ!」

「あっ。はい。すいません」

 

 慌ててアベルは頭を下げる。

 従者などというものは騎士団にあって最下層なのである。

 しかし、カチェが口を挟んできた。


「儀典長。アベルは我が伯爵家、遠縁の者よ。おじいさまがそう仰っていた。これぐらいは許すわ」

「え! そのような話し、この儀典長騎士スタルフォン、聞いておりませぬぞ」

「アベル。あんた、貰った家紋の印章を見せなさい」


 アベルは困惑しながらネックレスを服の中から引っ張り出した。

 儀典長騎士がメダルを見る。顔付が困惑で歪んだ。

 首を振る。

 見たくないものを見たという感じだ。


「アベル! わたくしと、これから剣の稽古をするわよっ」


 カチェの宣言。

 ふんぞり返って命令してきた。


――なにを言い出すんだ、この子!


 アベルは思いきり眉を顰める。

 儀典長騎士が大声で言う。


「だめですぞっ、カチェ様! これから書き取りの練習なのです!」

「昨日もやったでしょ! わたくし、剣とか魔法のほうが好きなのっ!」


 カチェが意気込む。


「アベル! 行くわよっ」

「従者アベル! カチェ様を止めよっ!」


 ブラック企業のみならず社会で良くある「板挟み」というやつだ。

 アベルは溜め息をついた。どちらを選んでもどちらか恨まれることになる。

 上手くやらねば。


「じゃあ、こうしましょう。剣の稽古もして、書き取りもすればいいです。これから剣を先にやりましょう」


 儀典長スタルフォンは渋々、了承した。


「イース様。すみませんが、成り行きでこうなりました」

「仕方ないだろう。昼に裁判だ。それまでに騎士団本部の前に来るのだ」

「はい」


 アベル、カチェ、儀典長騎士スタルフォンは移動する。

 その場にいた大勢の騎士や従者はやりとりを聞いていて、アベルが伯爵家遠縁の者であることは、あっという間に広がった。



 移動したところは、複数ある訓練場の内の一つだった。

 屋外で、地面は土。

 カチェは木刀を取る。アベルも木刀を使うことにした。

 相対すると、カチェは脇構えに木刀を持つ。

 意外としっかりした構えだった。


「いくわよっ」

 

 裂帛の掛け声と共に、木刀が突き出される。

 アベルは身を捻りながら木刀を横から弾く。

 びっくりするほどカチェの打撃は重かった。


 カチェの体内で魔力が爛々と燃え盛っているのを感じる。

 魔力による身体強化ができるのだ。

 となると、その攻撃は木刀といえども骨ぐらい圧し折る威力と見るべきだった。


 連続して斬撃きた。

 見かけによらず、カチェは手ごわい。

 突きや払いが、いちいち嫌なところを狙ってくる。


 アベルは強引に接近して、鍔迫り合いに持ち込んだ。

 腹にある魔力の渦を加速させて、身体強化に注ぎ込んだ。

 身長ではカチェの方が頭半分ほど高いのだが、腰を低くして力押しで一気に跳ね飛ばす。

 カチェが尻もちをついた。

 紫の瞳が、ギロッと睨み返される。


「アベル! やっぱりあんた強い!」

「いや、弱いですよ。僕は両親に一度も勝てなかったです」

「……わたくし、魔法の方が得意なんだよねっ」

「あっ。そうなの?」


 なぜかカチェは距離を取った。


「あんたみたいな暗い顔した嘘つきに負けたくないっ!」


 カチェは短く詠唱して、掌の上に「炎弾」を発生させた。

 スタルフォンが血相を変えて叫んだ。


「カチェ様! いけませんぞっ!」


 アベルは、ぞっとする。


――炎弾なんか命中したら死ぬっ!


 ウォルターの言葉を思い出す。

「中和」についてだ。

 火魔術に対抗するには水魔術か気象魔術を使う。


 アベルは瞬間的に「水壁」を発生させ、魔力を叩き込む。

 炎弾が飛翔してきた。

 水壁に命中して激しい沸騰を起こした。


 水蒸気がもわもわと上がるが、それだけだ。

 炎弾は消えている。

 アベルの水壁は分厚く水は大量に残っていた。


 アベルは気象魔術「突風」で水壁の水をカチェに向かって放射する。

 前世の放水車レベルの威力だった。

 カチェは激しい水流で引っくり返る。そのままゴロゴロ転がった。


 アベルが近づくとカチェは泥まみれで、小綺麗にしていた体がグシャグジャだった。

 アベルはグーパンチをカチェの頭にぶちこんだ。


「いったああぃぃ!」

「バカ野郎! 訓練で炎弾なんか使うやつがあるかっ!」

「わたくしを殴るなんて、身分をわきまえよっ!」


 黙ったまま、もう一発ぶちこんだ。

 カチェは睨み返すや、平手打ちをアベルにやりかえしてくる。


 バチンという音がして、アベルの頬がじんじんする。

 アベルは、さらにパンチをカチェの顔面に食らわせた。

 カチェは顔を真っ赤にして掴みかかってくる。

 スタルフォンが大声で怒鳴りながら、くんずほぐれつの二人を引き剥がした。


「こたびはカチェ様が悪いっ!」

 

 スタルフォンがカチェに言い聞かせた。

 アベルはちょっとこの禿げ頭を見直した。教育者らしい。


「炎弾は当たれば人が死にます。従者アベルの反応が遅ければ、良くて大怪我。それは訓練とは言いませぬ」

「……だって、アベルが実力を出さないから」

 

 カチェが不貞腐れていた。

 すっかり冷静になったアベルは宥めるつもりで言った。


「それについては謝ります。でも僕にも立場があります。次は本気で相手をするから許してください」

「ふん……。顔を出しなさい」

 

 アベルが顔を出すと遠慮仮借ない本気パンチが頬に命中した。

 強烈な身体強化の効いた一撃。

 アベルは仰向けに、ぶっ倒れてしまった。


「今日はこれで許してやる」


 見下ろすカチェは傲然と言い放った。

 尊大で他者を制圧するのに十分な効果のある態度。

 アベルはどこで習ったのだろうと不思議になるほどだった。

 貴族の血、将器とはこのことか。

 末恐ろしい……。

 

 アベルは口の中が切れて、血がダラダラと出てくるから治療魔法で自らを治した。

 その様子をカチェが驚きの顔で見ている。

 カチェもアベルのパンチで鼻血を流していたから、治癒魔法で治してやった


「あっ。痛みが消えた! アベル、本当に治療魔法が使えるんだ」

「まぁ、それでここに呼ばれたわけですから」


 ついでに水でビショビショなのを「熱温風」でざっと乾かしてやる。

 泥は落ちなかったけれど。

 けっこう高級そうな服が、どろどろだった。


「じゃあ、スタルフォン様。次は書き取りですよね?」

「おお。そうだったな」


 カチェが実に嫌そうな顔をする。

 座学は本城の一室で行われた。

 アベルも興味があって同席を頼むと断られなかった。


 内容は人間族の言葉と文字だ。

 中でも皇室の人に送る手紙などに使う、特別な言い回しについてだった。

 基本的には、装飾語と敬語の発展系だった。

 アベルは読んだ本で暗記していた最上等敬語をスタルフォンに聞いてもらう。

 スタルフォンの顔付きが変わった。


「従者アベル。お前は語学の才能があるやもしれぬ」

「スタルフォン様。質問があります」

「なんだ。従者アベル」


 もはやスタルフォンの表情は、どことなく柔らかい。


「外国というか……離れた地方の亜人たちと言葉は通じますか?」

「亜人どもと我々の言語には似たところがある。おおむね意味は通じると考えていいが訛りが非常に強いし、どことも知れぬ辺境の氏族によっては全く通じない場合もあろうな」

「ここで勉強できますか」

「亜人方言に詳しい騎士や教師がいる。習いたければ上役の許可を貰いなさい。正当な理由があれば良しとされよう。

 しかし、アベル。お前は見所があるからまずは教養を広く身につけよ。いきなり専門の道に入るには若すぎる」

「分かりました……」


 カチェはライバル心を燃やしたらしく、その日は珍しくも集中力を持って授業を受けた。

 そのせいでスタルフォンは、かなり良い心証を持ったらしい。

 アベルの帰り際、また来てもいいぞ、などと言われた。




 城から出て、裁判を行う場所へ向かう。

 アベルの核にいる男は前世に受けた裁判を思い出してしまう。

 父親を殺して、法に裁かれた。


――法律ってやつは、結局のところ俺を守ってはくれなかった。

  お前は可哀想だけど罪は罪だからという裁判官がいた。

  情状酌量はあったらしいが、それなら無罪にするべきだろう。


  俺は悪いことをしたとは思っていない。

  法律はただ、社会の秩序を維持するためにあるものだった。

  俺の苦しみを癒してくれるものではなかった。

  俺という犯罪者で敗残者を生み出しただけだった……。


  自分の存在、行為の意味や価値を他人から、

  法律というモノサシで勝手に決めつけられた。

  納得など砂粒ほどもない。


  だから、今度こそ、自分の価値は自分で決める。





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