第13話  強盗と小便と娘

 



 ハイワンドの城から城下町へと出るにはたった一つの門を利用するしかない。その城外門は既に開かれていた。

 不審者が入り込まないように兵士が隊列を作って見張っている。

 朝は任務のため登城したり、逆に出ていく騎士が多いから門は開けるものらしい。


 アベルたちの他にも任務に赴く騎士がちらほらといる。

 いずれも、三人か五人ほどの従者を連れている。

 従者は歩いているのが普通だ。

 槍を手にした従者、大型の盾を持ったり荷物を背負った従者もいた。

 中には馬に乗っている者もいるが、それは従者より身分が一段上の騎士見習いのようだった。


 二人乗りなどしている騎士は一人もいなかった。

 そのせいか、やはりチラチラと訝し気に見て来る者が多かった。

 また、ある騎士など明らかに嘲笑していた。


――騎士と従者が二人乗りで、そんなに可笑しいか。

  バカにしやがって……。


 アベルは心中でそんなことを考える。

 城外門を出た先は広場になっていた。

 ちょっとした露店などもたくさんあり、賑やかだ。

 商工組合ギルドの建物もあり、様々な人間が行き交う。


 羅紗の帽子を被った商人、くたびれた作業着の労務者、踊りや歌を披露する道化師の姿まである。芸人は田舎のテナナでは絶対に見ない種類の者だ。


 アベルはリックの姿を探すと……いた。

 宿屋の前で樽を運んでいるので、どうやら彼は彼でさっそく仕事を見つけたらしい。

 アベルを見つけたリックはひしゃげた芋のような顔を驚愕に歪めていた。


「アベル! アベル!」

「聞こえているよ」

「昨日はどうしたんだっ。戻ってこないじゃないか」

「城から出られなかった……ごめん」

「なんで馬に乗っているんだよ? ってその人……亜人?」

「俺の仕える騎士様だ。文句あるならお前でも許さないぞ」


 リックはどうやら全く芳しくない状況を察したらしく絶望的な顔をした。


「リック。しばらく日雇いでもやって食いつないでくれ。俺が機を見て、お前が城で働けないか誰かに頼んでみる。用事があるなら門のところで落ち合おう」


 馬が加速する。

 名残惜しそうなリックの姿が離れていく。


「じゃあ、リック。頑張れよっ」


 リックを連れて行けるわけがなかった

 殺し合いになるかもしれないのだ。




 ~~~~~




 馬は様々な人が働くポルトの街を出た。

 収穫物を満載にした馬車と何度も擦れ違う。


「イース様。これからどこへ?」

「馬で夕方まで行くとレカという町がある。私は定期的にそこで待ち伏せをしている。なぜなら町の規模に比べて騎士の数が少ない。そして、レカは翡翠の採掘場が近いから翡翠商人が多い。要するに金持ちの多い町だ。狙われやすい」

「なるほど。でも、それなら伯爵は兵士や騎士を回せばいいのに」

「ベルル団長の出陣が近い。騎士、兵士はかなり不足している。それに、レカが襲われそうというのは、あくまで私の勘と独自の情報による」

「情報とは?」

「先日、小さい街道で追剥ぎを始末した。そのとき、悪党の一人がレカを狙っている輩がいると吐いた」

「イース様。それなら他の騎士に声を掛ければいいのに」

「私が相談しても共に戦おうという者は少ないよ。いないわけではないが」

「それはイース様が亜人の血を引いているからですか」

「まぁ、たぶんそうだろう。私とつるんでも得することなど有りはしない……」


 そう語るイースがどんな表情をしているか、彼女の後ろに座っているアベルには見えなかった。

 

 昼に小さな知らない町でパンと豚肉の燻製、チーズを買って軽く食事をする。

 ナナにも水と乾草を与えた。

 少しだけ休憩して再び、出発。


 雌馬のナナは頑健な馬だった。

 瞬発力はなさそうだが、バテずにどこまでも歩んでくれた。


 イースは無口ということもあって、ほとんど何も喋らないまま移動していく。

 アベルは、ただ黙って背中にしがみ付いていた。

 黒髪から女性の甘い匂いが漂ってきたがそれは黙っていることにした……。

 言えば、どんな反応があるか予測不能だ。


 日没の一時間ほど前にレカの町についた。

 イースは町に入らず、町を見渡せる丘へと馬を進めた。

 ナナの丈夫な足は斜面を物ともしない。


「町には入らないのですか?」

「夜間、町に忍び込む人間がいないか監視したい。ここが適切だ」

「月明かりだけで見えますか? 夜じゃ見えないと思いますけれど」


 この世界には二つの月がある。

 この二つともが満月となった双満月の日は、松明が無くとも夜道が歩けるほど明るい。

 しかし、今日は満月ではなかった。


「私は夜目が利く」

「夜目……。昼間と変わらないぐらいに見えるのですか」

「そうだな。少し薄暗く見える感じだな」


 魔人氏族の血統による能力らしい。

 アベルは夕焼けに染まるレカの町を見た。

 規模はテナナよりかなり大きい。

 人口は五千人ぐらいだろうか。もっとかもしれない。

 町の周囲は柵のようなもので囲まれている。

 しかし、乗り越えが不可能なほど高いものではない。


「強盗団はおそらく真夜中に侵入、あらかじめ目を付けてある商家に侵入して明け方までに町を出るはずだ」

「出て来るところを待ち伏せですか」

「いや、町の反対側から逃げられると追い付けない。侵入した先で戦う」


 イースは草の上に布を敷いて寝ころんだ。

 しばし休憩といったところだ。

 これから殺し合いかもしれないのに、豪胆なことだった。


 アベルはさすがに緊張してくる。

 強盗団、来なければいいとも思った。

 そして、大抵は願望と逆のことが起こる。

 夜中、寒さに震えているアベルにイースが話しかけてきた。


「来たぞ! 魔光を出せ」

「光を見られるかも」

「道が暗過ぎ、狭すぎる。馬でも危険だ。それに賊はもう町内に入った。たぶん見つからない」


 馬はかなりの程度、夜でも眼が効くという。ただアベルにしてもこんな夜中に馬を駆けさせた経験などなかった。

 ここはイースの指示に従うまでだ。

 アベルとイースは雌馬ナナの背に飛び乗る。

 魔光で山道を照らし出した。

 イースはナナを急がせる。


 町の入り口は木柵で閉め切ってある。

 周囲も同じくだった。

 ナナの手綱を柵に繋いで置いていく。

 木柵を攀じ登った。


「商家といっても複数あるのではないですか?」

「この町で一番、大きい商家へ行ってみる。強盗団の狙いは金だ。そこが一番怪しい」


 イースが迷いなく夜の町を走る。

 家々はいずれも固く木戸が閉ざされている。

 人影が全くない。


 やがてイースは辻で動きを止める。

 そっと様子を伺った。

 視線の先には大きな石造りの建物がある。


「魔光を消せ」


 言われた通り、魔法を解除した。

 イースは足音をほとんど立てずに建物に近づいていく。

 アベルは耳を澄ませた。

 建物の中から、物を動かす音が微かにしている。

 夜中にしては変だ。

 いや、明らかに異常。

 アベルはイースに頷く。


 商家は、ぐるりと石壁が囲んでいて内側には庭があり、さらに建屋がある構造らしい。

 アベルが壁に手を突く。イースがその背中を利用して身軽に壁の上に登った。

 イースが背負っていた両手剣を外して、アベルの前に突き出す。


「掴まれ」


 アベルが鞘に入った剣を掴むと勢いよく引っ張られ、体ごと上昇した。

 壁の上に乗った。

 すぐに庭に降りる。


 商家の勝手口が空いていた。

 ほんの僅かに光が漏れていた。

 勝手口を塞ぐように誰かいる。

 向こうも気づいたらしい。


「強盗か?」


 あまりにも率直なイースの質問。

 相手は答えない。

 それどころか不気味な気配をした男たちが、ぞろぞろと建物から出てきた。

 四人もいる。

 みな、剣や短刀を手にしていた。

 顔は布で隠している。


 アベルは緊張と興奮で頭が破裂しそうだった。

 すぐ目の前に、自分の命を狙ってくる敵がいる。

 信じられないような状態。


 とにかく相手が何も喋らないのが恐ろしかった。

 話し合いの余地などどこにもない。

 震える手で柄を握り、もどかしく抜刀する。


 突然、イースは気合の声すら出さず、即座に踏み込むなり先頭の男へ剣を振り下ろした。

 火花。

 防御のために賊が掲げていた刀があっさり折れる。

 ズシャッという肉が叩き斬れた音。


 悲鳴は起きなかった。

 たった一度の斬撃は敵の肉体を、奇妙なほど変形させた。

 背骨が完全に断絶している。

 即死だ。

 アベルの胃が、ずんと重くなる。


 暗いが魔光は使わない。

 イースは夜目が利くのだ。

 余計なことはしないでおく。


 アベルは賊を牽制できる位置に着く。

 さらにイースが、見ていても分からないほど速い突きを放った。

 剣の切っ先。

 賊の腹に突き刺さった。


「うげえぇぇぇぇ!!」


 苦悶の叫び。

 残った二人がイースを挟み撃ちしようと場所を移りつつある。

 賊が足を踏み出した瞬間、アベルは鉱物魔術「土石変形」で足元の地面を盛り上げる。


 派手に爪先が引っかかった賊は、前のめりに転んでバランスを崩す。

 アベルは剥き出しの後頭部に刀を振り下ろした。

 ゴキンッという硬いものが割れる音がした。


 賊が地面に倒れた。

 魚のように痙攣している。

 アベルの全身に冷や汗が噴き出る。

 確認しなくとも手に確かな手応えが残っていた。


 最後の一人はイースが、一振りであっさりと始末した。

 もう、ほぼ胴が両断寸前になるほどの斬撃だ。

 縄のようなハラワタが飛び散っている。


 イースが振るう大剣は恐るべき威力だ。

 まったく短剣程度で防げるものではなかった。


 四つの死体が出来上がった。

 地面に血だまりが広がっていく。

 アベルはそれを信じられない気持ちで見つめる。


 イースは無造作なほど大胆に家屋の中に入っていく。

 慌ててアベルは追う。

 なんだか足がもつれて、ただ歩くという動作なのに上手くできない。


 中では蝋燭が灯っていた。

 何人か簀巻きにされて、床に転がされている。


 賊は見える限り五人もいた。

 なかでも一人が異様だ。

 狼男だった。


 犬のような耳が生えていて、顔も毛むくじゃら。

 八割方は獣の面相に、二割だけ人間っぽさが混じっている感じ。

 一応、ぼろぼろになった服を着ている。


――あれが狼人か!


 アベルが驚いていると、賊のうち二名が短刀を手に飛びかかってきた。

 一人はイース。

 もう一人がアベルにである。


――げっ、こっちに来たっ!


 瞬間的に魔火を発動。

 賊の顔に叩きつける。

 なんらダメージにはならないが牽制だった。

 不意を突かれた相手は顔を顰めて怯む。


 好機到来。隙ができた。

 稽古の通りやればいいんだとアベルは自分に言い聞かせる。

 夢中で上段から刀を振り下ろす。

 

 アベルは自分でもびっくりした。

 刃筋の立った一撃は、賊の片腕をあっさり切断した。

 こんなに鮮やかに斬れるとは思いもしなかった。

 短刀を握り締めたままの腕が、ぼとりと床に落ちる。


「うああぁぁああぁぁ!」


 賊が腕を押さえて膝をつく。

 血が迸った。

 ビシャビシャという水を撒いたような音がする。


 アベルは顎を狙って蹴り上げた。

 決まった、という感触。

 転倒した賊は動かない。

 アベルは震えながら荒い息を吐いた。


 イースの方は、逆上した賊がメチャクチャに短剣を振り回しながら突っ込んだ。

 そこへ彼女が体当たりをぶちかます。

 

 身体強化の怪力のせいで体格で勝っていたはずの賊が吹っ飛んだ。

 壁に衝突して崩れ落ちる。

 失神していた。


「ガオオォォオォォ!」


 耳をつんざく、吠え声。

 アベルは思わず怯む。

 狼人が鼻に皺を寄せていた。

 犬歯を剥き出しにして、凄い迫力である。


 次の瞬間、狼人はアベルの予測を遥かに超える跳躍をした。

 壁を蹴り、空中で一回転しながらイースの真上から奇襲。

 普通なら対応できないような動き。

 ところがイースは簡単に防いだ。

 まるで重さを感じさせないほど大剣は軽々と振られる。

 

 二人は激しい打ち合いの応酬。

 とてもではないが介入できる状況ではない。

 状況的にアベルは残った二人の賊に目を付ける。

 向こうの奴らと視線が合った。


 賊は邪魔とばかりに覆面を外した。

 髭面。

 殺気に満ち満ちた、荒れきった男の面相が現れる。

 もう、殺しモードに入ったらしい。

 隠す必要がないと。


 アベルは、いつもの手。

 土石変形で敵の足を束縛しようとした。

 ところがそれを察した賊が足を跳ね上げた。

 どろりと床が崩れて穴が空くも、避けられてしまう。


「こいつ初級の魔法使いじゃねぇぞ」

「仲間を殺しやがったな! このクソガキ! ただじゃ殺さねえ。舌を斬り取って、目ん玉ほじり出してやっぞ!」


 激怒した賊たちが脅しつつジリジリと近寄る。

 手にする小剣が不気味に光った。

 アベルは背を向けて逃げたくなるのを必死に我慢した。

 ここで背を向ければ、間違いなく刺される。


 だが、二対一では殺されてしまう、という恐怖の想像が湧く。

 敵が寄りそうな瞬間、必死に土石変形で床を崩すことを繰り返した。

 人体がすっぽり入るような大きな穴は、とてもではないが瞬間で作りだすのは無理だった。


 だから、小さい穴を連続して空け続ける。

 大した障害ではないが敵は警戒して飛び込んでこない。


 必死に、どこか弱点はないかと二人の盗賊を観察する。

 まずいことに胴体に鎧を装着していた。

 これでは刀なんかで斬りつけても衝撃ぐらいしか与えられない。

 アベルは魔法を思い浮かべる。


「氷槍」という魔法がある。

 水魔術第三階梯の技で、イメージを強く持てば魔法名を詠唱するだけで氷の槍が射出される。

 しかし、鉄の鎧を貫通する威力はないはずだった。


 素早く動きそうな盗賊の頭に命中させることができるか確信がない。

 だが、爆発系の火魔術は室内で使うなどもってのほかだ。

 自分も人質も巻き込んでしまう。

 迷いばかりが生まれる。


「ぐああぁああぁぁあ!」


 狼人の叫び声。

 イースの方は佳境に入っていた。

 狼人は短刀、あとは素早い体術で相手を圧倒するという戦闘スタイルだったようだが、イースの異常に速い剣と力に負けていた。


 イースは突如、地を這うほど屈んで横殴りの剣を振るった。

 この予想外の攻撃、狼人は辛うじて後ろ飛びで逃げたが、好機なのをアベルは見逃さなかった。

 部屋の隅に追い詰められた狼人の足元に穴を作り、足が入ったところで埋めて硬化させる。


「うっ! なっ?」


 動けない狼人の肩口にイースの剣が入った。

 わざと手加減したらしく、即死しない。

 しかし、十分に深い傷だった。

 鎖骨が切断されている。

 狼人はその場に崩れ落ちた。血が滴る。

 アベルは叫んだ。


「お前ら、抵抗をやめろっ。殺されてぇのか!」


 子供の声だから迫力はないが、状況が脅しでないのを証明していた。

 残った賊が唇を噛んでいる。

 顔に迷いがあった。

 アベルは少し優しい声で押してみる。


「死刑にはならないかもよ? いますぐ死ななくてもいいだろう」


 説得が、緊張の糸を切った。

 それに最大の戦力である狼人が負けたのも心理的に大きかったらしい。

 賊が武器を捨てた。

 座り込んでしまう。


 イースがその場にあった縄で賊を拘束する。

 アベルは隙を見せないように切っ先を常に賊へ向け続けた。


 手が震えて刀は常に振動していた。

 縛り上げられた賊が、正気を疑うほどの険を含んだ視線でアベルを舐めるように見る。


「このゴルド様もヤキが回ったもんだぜ! こんなガキの魔法使いに負けるとはなぁ!」


 アベルは大きく溜め息をついた。

 全身、汗でビシャビシャだった。

 眩暈で立っているのもやっとだ。


 戦いが終わったと思ったら、生暖かいものが足を伝っていった。

 アベルは小便を漏らしていた。


「ああ……」


 なぜか、凄い快感があった。

 やっちまった感も同時にあるけれど。


 疲労しきったアベルが立ち尽くす横で、イースは素早く行動をしていく。

 簀巻きにされている商人たちを解放した。


「ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」


 主人らしき年配の男が狂喜しながら礼を叫んだ。

 涙まで流している。

 聞けば予想通り商家の旦那でルノザと名乗る。

 他にルノザの妻、娘、手代一名、奉公人二名が解放される。


 全員、イースとアベルの働きに対して激賞を繰り返す。

 イースの容姿は亜人のそれであって、皇帝国では差別されているようなのだが、恩人となれば態度も変わった。


 戦闘も終わり、アベルは刀を鞘に納めようとしたが、自分の指が思うように動かないので驚いた。

 両手で握った刀の柄から指が離れないのだ。


「な、なんだこりゃ……くそっ」


 まるで自分の指ではないみたいだった。

 どれほど動けと念じても、殺人直後の異常な緊張と精神状態で肉体がいうことを聞かなかった。


 イースがやってきて、そっと掌をアベルの指に掛けると、一本一本、丁寧に引き剥がしてくれた。

 そうしてくれるイースの指が長くて綺麗なのが不思議だった。


「武器から手が離れなくなるのは新兵に良くあることだ。それなりに経験を積んでいる従者も、戦闘のあと吐く奴は珍しくない」

「すまない。イース……さま」

「ふっ。鍍金がさっそく剥がれたぞ」


 ほんの少しだけ、イースが笑った気がした。

 しかし、再びいつもの冷然した雰囲気に戻った。


 アベルが頭を斬りつけた賊は、ドロリとした脳漿を撒き散らして絶命していた。

 それから片腕を落とした賊も出血多量で瀕死となり、特に誰も手当てをしなかったから、アベルが気づいた時には死んでいた。


 まだ夜明け前だが、商家の奉公人が町に駐在している騎士の家へと連絡に走る。

 邸内の死体は五つもある。表に運び出すだけでも大変な苦労だった。


 さらに掃除もある。庭といい、室内といい、血飛沫でドロドロの有様だった。

 しかも、アベルが魔法で床の石畳を穴だらけにしてしまったから、さらに大変だ。

 空いた穴はアベルが慌てて修復したが、やはり元通りとは言い難く、歪な床になっていた。

 商家の主、ルノザは笑って許してくれたけれど……。


 イースは仕事を終えたとばかりに、縛り上げた賊の監視以外は何もしようとしなかった。

 アベルの下穿きは漏らした小便でグジョグジョの状態だった。

 ものすごく気持ち悪い。


 助け出した商家の奥さんに頼んで、井戸と桶を貸してもらった。

 庭にある井戸端で下半身裸になる。

 魔法でお湯を作って体を洗った。


 下穿きは、ざっと洗ってから熱温風の魔法で乾かす。

 この熱温風の魔法は本来、火傷するほどの熱風を敵に食らわせる魔法なのだが、威力を弱めるとこんなに便利なドライヤーとなる。


 アベルがそんなことをやっていると、誰か近づいてくる。

 助けた商家の娘だった。

 手に布を持っている。


「あ、あの。お拭きします……」


 二十歳ほどの綺麗な金髪を伸ばしたお姉さんが魔光に照らされていた。

 瓜実顔をした、なかなかの美人さんだ。


「え~、自分で出来るからいいですよ」

「いいえ。そう言わずに」

「いや、裸だからっ」

「子供のくせに、なに恥ずかしがっているの!」


 お姉さんは全然、ひかない。

 むしろグイグイと迫ってくる。


「じゃあ、布だけあればいいからっ」


 アベルは布をひったくった。でも、体はもうほとんど乾いていた。

 お姉さんはまだそこにいる。

 どうしたわけかアベルの下半身をまじまじと見ていた。

 羞恥心でアベルの顔は真っ赤になる。


「な、なんですか? 用があるんですかっ?」

「あんたって本当に子供なのね。まだ毛も生えてないじゃない!」

「放っておいてくださいよ!」


 お姉さんは半泣きになりながらアベルを抱きしめてきた。


「まだ子供なのに……辛いでしょう! 私たちのために人殺しなんて」


――そういうことか……。


 アベルは納得した。


「気にしないでください。従者なんか本人が好きでやっているのですから。嫌なら辞めればいいんだ」

「だけれど、おしっこ漏らすほど怖かったんでしょう?」

「うん。まぁ、覚悟はできていたんだけれど……やっぱね」

「でもね。本当に感謝しているわ。あいつら、私だけ殺さずに攫って奴隷にするか相談していた。もし、そうなっていたら……わたし……」


 そんな遣り取りをしているとイースの声がした。


「何をしている?」


 イースがアベルを見ていた。

 アベルは下半身裸のまま、お姉さんに抱きしめられたままだった。


「あ。イース様。いや、これは……」

「私の従者がどうかしたかな?」

「い、いえ。騎士様、ご無礼をしました」


 お姉さんはやっと離してくれた。

 なぜかイースの視線が痛いほど冷たかった……。


 駐在の騎士が慌てて駆けつけてきた。

 名はイル・ハイドンという三十歳ぐらいの男だった。

 従者も二名いた。


 駐在騎士ハイドンとイースは話し合い、結果、死体と生け捕りにした賊はポルトまで移送することになった。

 イル・ハイドンは馬車を所有しているから、それを使うことになる。


 アベルは商家の客間で明け方まで横にならせてもらった。

 疲労感はあるのに眠気は全く無かった。

 目を閉じたが、一睡もできない。

 アベルは今日の戦いを振り返る。


――あの狼男。凄い速さだったな。

  接近戦で一対一だったら……負けていたのは俺のほうか。

  たとえば炎弾にしたって、あいつなら避けることもできただろう。

  だいたい狭い室内だぞ。

  人質もいる状況では爆発系の火魔術は使えない。

  イースがいなければ確実に負けていた。

  もっと強くならないと殺されるな、これは。

 


 やがて、夜が明ける。

 朝方、表がうるさいと思っていたら、町の人々が賊を見物に来ていたのであった。

「うわぁ」とか「ひいぃぃ」などと悲鳴を上げている。


 軽い気持ちで来た人は皆、賊の死体を見て戦慄することになった。

 無理もないことだった。


 死体の中には、イースの攻撃で胴がほとんど両断されたものがある。

 また、アベルが頭を斬りつけた死体は、頭蓋骨が半ばまでぱっくりと割れ、ザクロのような有様だ。


 ルノザ商店の娘は、シャロットという名だった。

 彼女はアベルとイースに朝食を運んできてくれた。

 裕福な者しか食べられない上等な白パンに、分厚いハム、卵焼き、ミルク風味の肉入りスープだった。

 イースは黙々と全て食べたがアベルは一口食べただけで、もう胃が受け付けなかった。


「あのアベル様。口に合いませんでしたか」


 シャロットが申し訳なさそうに聞いてきた。


「悪いのはこっちです。食欲がなくて。せっかくの御馳走だったのに」


 彼女は辛そうな顔をして黙って料理を下げた。

 それから出発の前、ルノザ商店の主は謝礼を渡してきた。

 翡翠の首飾りが一点。銀貨が二十枚だった。

 首飾りには、親指ほどもある大きな翡翠が一つだけ付いていた。

 金の縁取りであしらわれている。

 アベルには宝石の鑑定などできないが、混じり気のない深い緑が美しい。

 装身具をイースが困ったように見ていた。


「私はこうしたものを身につける習慣がないのだが」

「そう仰らずにお納めください。下手すれば私も娘も殺されていたところです。あるいは娘だけ攫われ、どこか遠いところで奴隷にされていたかもしれません。

 せめてものお礼です。邪魔でしたら売っていただいても結構です。銀貨百枚にはなりましょう」


 イースはそれ以上、何も言わずに受け取った。


「アベル。これはお前の分だ」


 イースは銀貨二十枚を全て、渡してきた。


「え。全部ですか? 半分でいいですよ」

「いいから貰っておけ」


 イースは物事に淡泊な感じだが、お金にも執着が少ないのかもしれなかった。


「アベル様。また来てください」


 シャロットが別れ際、アベルの頬にキスをしてくれた。

 頬とはいえ、やけに情熱的なのはどうしてだろうか。

 気のせいか彼女の瞳は甘く潤んでいる。

 とても演技とは思えないが……。


 また来てほしいと言われたものの、おそらく再訪することはないはずだ。

 アベルは何も言えないまま別れる。

 罪人たちを乗せた馬車はポルトへ向かった。





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