第12話 イースの従者
荷物を持って赤毛の十五歳ぐらいの従者についていく。
厳めしい本城から出て、しばらく歩くと城壁の際に建てられた日当たりの悪い陰気な建物があった。
二階建てで、傷んだ感じが見て取れる。
中に入ると廊下があって、扉がいくつかある。
手入れがされていない。
生活の気配がないから物置とか倉庫のように使われているようだが、その内の一室の扉に騎士の紋章と家紋が掲げられていた。
名を知らぬ従者がノックをするが、反応はない。
「ここが騎士イース・アーク様の部屋だ。アーク様は何らかのご用事で不在である。では、私はこれで」
「えっ。ちょっと待ってください。僕、これからどうすればいいのですか」
「従者アベル。君は団長のベルル様からアーク様の従者を勤めるように命令された。あとは仕えるだけだ。他に何をするというのか」
赤毛の従者はそれだけ言うと、そっけなく立ち去った。
アベルは呆然とその背中を見送るほかない。
一人残されたアベルは取りあえず空模様を見る。
どんより曇っていた。
もうじき雨になりそうだった。
しかも、すでに時間は夕方である。
リックのことは気になったが、今日は城から出るわけにはいかないだろう。
イースと接触しないとならない。
アベルは床に座る。部屋の前で待つことにした。
外から、しとしと水滴の音がする。
いよいよ暗くなってきたのでアベルは「魔光」の魔法を唱えた。
頭上に光の球が現れる。
この魔法の特徴は、明るいが熱はほとんど発しないところにある。
ダンジョンの行動では非常に重宝する魔法らしい。
類似の魔法に「魔火」がある。
これは第一階梯火魔術の魔法で、マッチほどの火を発生させる。
単に明るさという意味では魔光のほうが圧倒的に上だが、魔火は種火などになる。
要するに用途が違うということだ……。
時間が過ぎていく。今日は思いかけず稽古などをして、ちょっと疲労している。特に、累代貴族の末としか言いようのない威厳を漂わせたバース伯爵と会話をしたせいか気疲れがあった。
少し、うとうとする。
時計がないから時間も分からない。
アベルは待ち続けている……もしかしたら今日は帰ってこないかも、そんな考えがよぎる。
ふと、イースのことを思い出すと不思議な気持ちになる。
異様な少女だった。
見た目は美しかったが、人格というか性格に底知れなさがあった。
どんな風に接すればいいのか見当もつかない……。
出入口とは逆の二階に上がる階段側から僅かに気配を感じたので振り返った。
仄暗い廊下の奥に誰か立っていた。
心臓の鼓動が跳ね上がる。
雨避けの外套を着ていて顔が見えない。
一階の入り口は逆側の一か所だけだ。
では二階から降りてきたのだろうか?
アベルは誰何する。
「誰だ」
「……お前こそ誰だ」
聞き覚えのある声。
澄んで落ち着いた、イースのものに違いない。
「あっ! 騎士イース・アーク様。僕のこと憶えていますか? アベル・レイです。フムの村で魔獣討伐をした」
イースが外套の覆いを外した。
速足で寄ってくる。
アベルの目の前に、あの怜悧な美少女がいた。
僅かにウェーブのかかった、濡れたような漆黒の髪。
豊かに胸元まで流れるように伸びていた。
瞳は改めて見ても
やはりイースは物凄い美少女だった。
外見、十四歳ぐらいに見える。
あまり変化を感じさせない。
「お前か。あの時の異常な子供。たしかアベルという名だったな。成長しているから分からなかった」
異常とは端的に言ったものだった。
もっとも本当のことだから反論できない。
そして、腹を決める。
――俺を、どうしたことか見抜いたこの女。
たぶん勘が極めて鋭いのだろう。
これから仕えることになるとは……だが他に道はない。
「え~と。僕のことは、まぁいいじゃないですか……。いずれ説明します。ベルル・ハイワンド騎士団長から命令されました。今日から僕は貴方の従者です」
「お前が私の従者? それで喋り方も品がいいのか。以前のような大人の口調の方がしっくり来てるぞ。ボクなんて話し方、剥げるようなメッキなら装わないほうがいいのではないのか」
「いやぁ、へへへ……。その節はご無礼をしました。それより入り口とは逆からお帰りなので驚きました」
「お前のせいだ。警戒した」
イースは鍵を外して扉を開けた。
黙って中に入る。扉は開いたままだ。
アベルは部屋の外で待つ。
中から、何をしている、入ってこいという声が聞こえた。
一応、女の子の部屋だろう……。
アベルはそう思うが許可があるのだ。
構うものかと足を踏み入れた。
魔光に照らし出されたのは、ちょうど前世に住んでいたアパートに近い広さの部屋だった。
ベッドが一つ。
大きな挟み箱が一つ。
桶。水瓶。
あとは何かの壺とか袋が纏めて置いてある。
紐が一本、部屋の中を渡してあって洗濯物が、ぶら下がっていた。
イースは外套を脱ぎ、胸甲を外した。
革の服も脱いで、あっという間に下着姿になってしまう。
――こっちが子供だからって気にしろよ!
アベルは困惑する。
イースは桶に入っていた水を加熱の魔法でお湯にすると、下着まで脱いで足や体を拭く。
アベルはなるべく見ないようにする。
見てしまったけど。
少女らしく、控え目にふっくらとした胸だった。
背丈はアベルより少し高いぐらい。年相応の少女の身長だ。
手足は魅力的にしなやかだが、引き締まっていた。
肌の滑らかさや細やかさ、それに白さが、目に痛いぐらいだった。
冷たい艶めきというものなのか、見たこともない色気を醸し出している。
イースは手早く体を清潔にすると部屋着に着替えた。
装飾など全くない麻服。
ワンピースのようなものだが、どうにも華やかさのない服だった。
なんだか勿体ない気がした。
「どうして私の従者になった」
イースの質問だった。
「命令でした。たぶん、イース様の名を出したから……」
「なんで私の名を出した」
「カイザンの町に立ち寄ったとき、家が無人でしたから、もしかして何かあったのかと思って」
「今、あそこは私の赴任地ではない」
「城でお勤めですか」
「そうだ」
「どんな任務ですか」
「強盗、ごろつきの始末。魔獣の討伐」
殺伐とした任務のようだった。
「騎士っていっても色々な任務があると聞きました。税を取り立てたり、揉め事を解決したり」
「ああ、そうだな。だが、私はそういう任務はできない。戦うだけが取り得だ」
「実は従者になれと命令されたものの、なにをすればいいのか分からないです」
「戦闘のとき、役に立てばいい。お前、あれから腕は上がったか」
「う~ん。少しは。父上、母上からは結局、一本も取れませんでしたけれど」
「両親はどの程度の腕か。魔獣討伐の時の手並みはかなりのものだった」
「母が攻刀流の第六階梯。父が防迅流の第五階梯です。階梯というのは目安でしかないそうですが」
「アベル。お前の異様な魔法。あれは誰から習った? 親か?」
「あれは自分で思いつきました」
「面白い使い方だった」
イースはベッドに横になると毛布を被った。
「えっ。もう寝るのですか。食事は?」
「食事は済ませた。私は料理をしないから、部屋で物は食べない。明日も早いからもう寝ろ」
「……あっ。そうか。隣の部屋が僕のかな」
「違う。隣の部屋は鍵が閉まっているから使えない。寝るなら、ここか床だ」
ここと言うのは、ベッドで、つまり同衾ということだ。
――えーと。なんだ? この女。
アベルは固まってしまった。
体はそこそこ成長してきたが、まだ子供だと思って油断しているのだろう。
「一応、言っておくが以前、私の体を触ってきた男がいた」
「はい」
「触り方が下手だったから、気持ち悪かった。だから、ぶん殴った。歯が折れて倒れた。顔の骨も折れていた。そいつは二度と私の前には現れていない」
何というか、修羅の女らしかった。
アベルは黙って床に座った。
寝床のことは明日、考えることにした。
~~~~~~
朝、表から小鳥の鳴く声がした。
アベルは目が覚める。
床に座って寝たから、質の悪い睡眠だった。
イースも目覚めたようだ。
ベッドから起き上がると木戸を開けた。
雨は止んでいて、うっすら明るい。
イースは部屋着を脱いで、薄緑に染めた麻の下穿きを身につけた。
白い上着は絹かもしれない。
鎧は胸甲だけを身につける。
胸甲は鈍色をした、装飾性のほとんどない物だった。
船の舳先に似たデザインだった。
異様なのは手に持つ剣で、ほとんどイースの背丈と同じぐらいある。
大の大人でも振えないような、ごっつい両手剣だ。
だが、ゴブリン退治の時、この剣を自由自在に振っていたのをアベルは良く知っている。
両手剣はイースの体格では腰に差すより背負った方が具合いいようだ。
帯剣ベルトを襷掛けにして剣を装備した。
足元の装備は厳重で、革靴に鉄の覆いが脛まで伸びている装備を着けていた。そのあたり、実戦経験者らしさが出ている。
アベルが、よくよく見てみると数日分の下着などが脱ぎっぱなしになっていた。
「イース様。従者って洗濯とかもするのですか」
「らしいな。だが、今日のところは洗濯などどうでもいい。荷物を持て。朝食を食べに行くぞ」
アベルはイースの後ろを歩く。
城壁の中は広い。
本城の他にもイースのねぐらのような小さい石造りの建物がたくさんある。
もっと大きな建築物もあった。
その内の一棟、やけに人が出入りしている。
「あそこが食堂だ。朝と夕の一日二回、食事が出される。普通、騎士は席に着き、従者が食事を運んでくる。給仕も従者の役目だ。しかし、私にそれはしなくてもよい」
中に入ると人が大勢いた。百人以上はいる。
騎士と従者は簡単に見分けがつく。
従者はアベルが胸に付けている赤いリボンの章を付けている。
奥が厨房になっていて、行列ができていた。
アベルとイースはそれに加わる。
アベルの順番が来ると、おばさんが料理の乗ったお盆を渡してくれた。
「私の席は決まっている」
部屋の隅にある二人掛けのテーブルだった。
「僕も同席して食べていいのですか」
「ああ。そうしろ」
アベルは席に着いた。
料理は固そうな黒パンに、どろどろした感じのスープ。
あとはチーズの塊。
それだけだった。ただ量は多い。
アベルはスープを一口食べてみる。豆と肉のスープだった。
軍隊っぽい味だ。
凄く不味いわけではない。だが、美味くもなかった。
イースは黙々と食べている。
アベルも倣ったが、アイラの味が無性に懐かしかった。
イースは雑談をする気配すらない。
燃料補給のごとき食事だった。
「食事に、お金は払わないものなのですか」
「そうだ。騎士団員の特権だな」
「あっちの人は葡萄酒を飲んでますよ。それから肉を食べている人もいる」
「違うものを食べたい人は自分で用意するのだ。私はこれで十分だ」
アベルはいくつも視線を感じる。
イースと同じ食卓についているのが珍しいのかもしれなかった。
食事を終えて、アベルは魔法で杯に水を満たし飲んだ。
寛ぐ間もなくイースと一緒に食器を持って厨房に返す。
他の騎士団員との雑談も全くなかった。
食堂にいた騎士はたいてい、他の騎士や従者と話しをしていたのに……。
よく観察すると食堂で出されるものは初めから食べるつもりがなく、ただ会話をしに来た騎士も大勢いるのだった。
つまりここは交流のための場所らしい。
それなのにイースは誰とも話しをしないし、話しかけられもしない。
――ああ、イースって無視されてるのか。
アベルは苦笑いを浮かべた。
表に出ると、水場に向かう。
アベルがどうするのかと思っていたら、イースは歯磨きを始めた。
うん、いいことだ。
頷いたアベルも雑嚢から歯ブラシを取り出した。
この世界にも歯ブラシはあって、アベルのものは馬の毛で出来ている。
他にも竹に似た植物で作られた種類もある。
身繕いが済むとイースは馬小屋に向かった。
厩舎には何十頭もの馬が並んでいる。
「馬をお持ちなのですね」
「ないと不便だからな」
ちなみに皇帝国には貴族しか馬に乗れないとか、そういう法律はない。
しかし、馬には維持費が掛かるため、庶民が娯楽目的で所有することは少ない。
運搬や農耕などの貴重な労働力として使役される馬が圧倒的に多い。
イースは馬小屋の管理人に預けてある馬具を受け取る。
「馬は支給されるのですか。それとも個人で飼うのですか」
「私の場合は自分で買った。ただし、馬小屋や世話に掛かる管理費は城が持ってくれる」
「なんとなく騎士と主の関係が分かってきました。食事、住居、戦うための環境。そういうものはなるべく主が用意すると……従者もか」
「そういう理解でいい。従者には二種類いる。アベルのように伯爵に雇われて、適当な騎士に配属される場合が一つ。
もう一つは騎士が自分で従者を雇う場合だ。騎士雇いの従者の給料は騎士が払うものだ」
イースは手早く慣れた感じで馬に馬具を装着していく。
馬も懐いているらしく従順だった。
「はっきり聞きます。イース様の従者はすぐに辞めると言われました。なぜですか」
イースが赤い瞳を向けてきた。
「従者になる者の目的は騎士になることだ。騎士になり、役職騎士になり……、さらに男爵か子爵になる」
「出世ですね」
「私は見ての通り、魔人氏族との混血だ。ところが今上皇帝のウェルス陛下は亜人がお嫌いらしい。色々と亜人を排除する法律を作られた。
人は見た目で判断する。つまり私はどう転んでも皇帝国で立身出世の望みは薄い。しかも、私は戦闘しかできないから、任務は危険なものばかり当てられる。となると城雇いの従者はすぐに嫌になる。命懸けで働くのに見合う報酬はないからな」
アベルは理由を知り頷いた。
「イース様がみずから雇っても同じことですか」
「これという人間に出会ったことはない。数回、雇ってはみたが、みな辞めていった」
アベルは思う。ベルル以下、ハイワンドの親族たちはこっちが音を上げるのを待っているのだろうと。
助けを求めれば服従しかない。
困り果てて媚を売ってくる犬役をやらせたいのだろう。
――負けたくねぇな。
それに命令をこせないとなるとさらに立場も悪くなる。
ブラックだねぇ……。
「お前も辞めたくなったか? 辞めるなら早い方がいい」
「いえ。僕は治癒魔術師と、できれば騎士になりたいのです。そう簡単に諦めません」
「仕える者を変えた方が早いかもしれんぞ」
「……まぁ、いいじゃないですか。それに戦い方を教えてやると言ってくれましたよね」
「何か考えがあるか。お前が普通じゃないのは分かっている。好きにすればいい」
イースの馬は黒毛の雌馬だった。
名前はナナという意外と可愛い名前だった。
戦闘用の馬は気性が荒くなるという話しをウォルターから聞いたことがある。
しかし、ナナは穏やかな顔をしていて、実際、その通りの性格だった。
ナナの体格は大型種のそれで、実に野太い足腰だ。
「丈夫そうな良い馬です」
「速く走るのは苦手だが、野山をどこまでも進んでくれる」
「僕は走って後を着いていけばいいのですか?」
「アベル用の馬を用意するまで二人乗りだ。私の後ろに乗れ」
イースは身軽に騎乗した。アベルも続く。
馬に乗るには、なかなかコツが必要なのだがウォルターにいくらか教えてもらったので上手く出来た。
そのまま城門へと進んでいった。
「これから今日はどこに」
「ポルトの街を出て、治安が悪化している地域に行く。複数の強盗団が領内を荒らしている」
「ポルトに来るまで……確かに雰囲気は悪かったですね。まぁ、ああしたものかと思っていましたが」
「街道を使ったのだろう? 街道まで強盗団が出没するようになったら大問題だ。物流にも影響がある」
「伯爵の領地は、そんなに治安が悪いのですか。僕の住んでいたところは強盗団なんかいませんでした」
「強盗をやったところで利益にならないような田舎はあまり狙われない。治安だが、皇帝国の大部分が徐々に荒れてきている。ここ三十年ほど続く王道国との再戦状態が原因だ。戦争は年々激しさを増している。
それに亜人界からも獣人だとか部族の者が略奪目当てで越境してくる。色々な悪人がいるわけだ」
アベルは気になっていることを聞く。
「もし犯罪者がいたら、殺すのですか?」
「強盗団は十人以上の規模だ。こっちは二人。現実的に言って、殺さずに制圧するのは無理だな。下手に容赦すると殺されるぞ」
「イース様は人を殺したことがありますか」
「数え切れないほどある……。アベルは?」
「あり、ます……」
アベルの核にいる男は、憎悪と共に父親を思い出す。
怒りで視界が赤くなるようだ。
――くだらない、小男。
不満ばかりのクズ。
死んで当然の鼠野郎。
犯罪者どもは俺の父親と同類だ。
人の苦しみなんかどうでもいいと思っている害虫どもだ。
イースが呟いた。
「じゃあ、人を殺す準備や覚悟はできているな」
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