第10話 旅立ちの前
アベルは礼服など持っていないので、ウォルターの古着を仕立て直すことになった。
両親が、どういうデザインにするか楽しそうに相談している。
アベルは自分の身長や体格の発達を意識した。
毎日、鍛えているせいか、あるいは血筋のせいか成長は著しい。
もう幼い子供というよりは、完全に少年だった。
手足の筋肉も逞しくなってきた。
仕立て直しはアイラだけでは大変なのでテナナ集落で一番、裁縫の上手い女性にも手伝ってもらうことになった。
その日、いつものようにアベルが道を歩いていると出会った村人たちが話しかけて来る。
「伯爵様から、従者の誘いがあったんだって? さすがアベル君だねぇ」
ほとんど、そういう内容だった。
人の口に戸は立てられぬ、というけれど……ちょっと呆れるほどだった。
田舎なので話題に飢えているのかもしれない。
いつものようにアベルが人のいない森の中で訓練を終えて家に帰ると、リックがいた。
睨みつけるような必死の顔つきをしている。
「どうしたんだよ。リック?」
リックの方が二歳年上の十二歳なのだけれど、アベルはどうしても丁寧な口調で話す気になれないので基本タメ口である。
「おっ、おれも従者になりたいっ! 騎士になりたいっ」
「え……、マジで?」
「ああ、マジだっ」
「父上に聞いたけれど、戦争とかもあるってよ。王道国って外国と凄い戦争しているらしいぞ。ヘタしたら死ぬよ?」
「おれは死なない。おれならっ、絶対」
リックの目は血走っていた。
アベルは説得不能の意気込みを感じたので、体で分からせるしかないと覚悟を決める。
リックに木刀を一振り渡す。
「じゃあ、やろっか?」
アベルは予告なしに軽く木刀を突いた。
リックの腹に木刀の先が減り込む。
不意打ちに対応できなかったリックが呆気なく崩れ落ちて、膝をつく。
「き、きたねぇぞ……。急に」
「戦場でも同じことを言うのか?」
歯を食い縛ったリックが気を取り直して、木刀を構える。
彼とて魔力を使えないものの体は鍛えている。
まるっきり非力なわけではない。アベルは本気で向かい合う。
いきり立ったリックが木刀を振り下ろす。
だが、無駄な動きが目立ち、簡単に見切れた。
振り下ろされる木刀を躱す。
お返しにリックの胸を強く突き飛ばすと、呆気なく彼はバランスを崩してひっくり返った。
相手の上体を揺さぶって転倒させるアイラから教わったやり方だ。
単純だが効果がある。
その後、昼飯になるまで、そんなことをずっと続けた。
リックは諦めない。執念だけは凄かった。
手加減したとはいえ鼻血は出ているし、もうボロボロだった。
アベルが少し強めに木刀の一撃を当てると、もうそれで倒れてしまう。
治癒魔法を使って回復してやった。
リックは悔しいのか泣いていた。
「……なぁ。どうして騎士なんかになりたいんだ? そんなにいいものじゃないと思うぜ。たぶん」
「お、おれっ……。一生、畑仕事で終わりたくない。泥まみれになって、冬は霜焼け、夏は汗だく。気候が悪ければ収穫も少ない。努力したって大して生活が良くなる見込みもない。そんなの嫌なんだ。たのむよぉ。アベルの従者でいいからさっ! おれも連れて行ってくれぇ!」
「いや、おれが従者なんだ。従者の従者って聞かないな。そういうの奴隷っていうんじゃないか?」
リックが絶望的な顔をする。
潰れた芋みたいな顔の彼がそういう表情をすると、なんというか趣があって、やはり力になってやらないといけない気がしてきた……。
「と、とりあえず、父上に相談しよっか」
アベルは昼食で隙ができたウォルターに話しかけた。
後ろにはリックが控えている。
「父上。ちょっと聞いてください。リックが……」
事情を説明すると、珍しくウォルターが少し怒っていた。
目が怖い。
「それで? リック君をどうする気だ。アベルの従者にすんのか?」
「いや、それで、どうしようかってことで」
「アベル。荷物持ちが欲しいのか? いい気になって勘違いしてんじゃねーぞ。従者の給金で他人の食い扶持まで稼げるわけねぇだろうが。さっそく子分がほしいとはな。やっぱりまだ子供だな」
アベルは頭を掻く。
ちょっと誤解されてしまったらしい。
「父上。違います。僕の話を聞いてください。その、リックに切っ掛けが必要だと思います」
ウォルターは腕を組んで口を、への字にした。
「僕は嫌いな言葉があります。試合で、負けそうになった者に指導者が言う言葉です。諦めたら、そこで試合終了……という言葉なんです。
これの意味は簡単に諦めるなってことで、本当はそれ以上の深読みは必要ないのですが、僕は嫌いなんです。
なぜって、試合にも出られない者のほうが多いからです。どんなに努力しても、僅かも得られなかった者には、残酷な言葉だからです。諦める前に勝負がついているということがあるけれど、それはやっぱり理不尽だなと思うのです」
僅かも得られなかった者……そりゃ俺のことなんだよ……、とアベルは心で付け加えた。
後ろに控えていたリックが前に出で、ウォルターに土下座した。
「ウォルター様っ! おれが無理言っているんですっ。でも、アベルに付いていかなきゃ、おれ一生この村からでられないよぉ!」
今度はウォルターが頭を掻く番だった。
そうして立ち上がると村長の家へ向かう。
行動の速い男だった。
~~~~~~
リックの件は双方の両親が相談して、とりあえずアベルと一緒に行動するということで落ち着いた。
それは領内とはいえ一人旅は危険だろうということと、リックもそろそろ出稼ぎなり農業なりで職業を決めなくてはならないから、世間勉強という意味合いもあってのことであるが。
アベルが思うに絶大な信用のあるウォルターが推したのが決定的だった。
ウォルターとアイラには途切れなく訪れる患者がいるので、ハイワンド伯爵の本拠地ポルトには着いてこられない。また、出頭も命じられていない。
命令はただ一つ、アベルを従者にするということのみだ。
夕方、問題が片付き、アベルは風呂に入って寛ぐ。
リックの必死な願いが叶って、まずは一仕事終えたという気分。
オヤジっぽいが、この時が最高だ。
思わず日本語で歌いたくなる……。
すると誰かが近づいてきた。
シャーレだった。
「ア、アベル……」
なぜかシャーレの顔が上気して真っ赤だ。
夕焼けで赤いのではなかった。
「どうした? シャーレ……風呂に入りたいのか」
アベルは時々、シャーレのために風呂を用意してやることがあった。
ただ、村人全員を風呂に入れてやれるわけでもないから秘密でやっている。
村にある風呂は蒸し風呂が主で、体を温めたら井戸水で体を洗うというものだ。それとて準備には手間がかかるので普通は行水で済ます。
夏ならそれはそれで悪くも無いが、それ以外の季節となると冷たい水は苦痛である。
「う、うん。そう。お風呂……入りたい……」
「あ。じゃあ、そろそろ出るから、向こうに行って待っててくれ」
「あの……あの……。一緒に入ろう……」
「へ?」
アベルの返事を待たずシャーレが服を脱いでいく。
シャーレの表情は羞恥に満ち満ちていた。
「いや、恥ずかしいなら止めようよ」
「恥ずかしくないもん!」
シャーレは服を脱いで裸になってしまった。
まだ、彼女は子供の肉体だけれど、やはり女っぽさというのある。
綺麗な体だった。
田舎娘らしく腕なんか日焼けしているけれど、アベルの基準で言えば最高レベルの美少女だった。
アベルは思う。なにか変だぞと。
「シャーレ。どうしたんだよ?」
「あ、あのね……。お母さんが……」
「ドロテアが?」
「アベルはきっと将来、ウォルター様のような騎士様になるから、今のうちにアベルと契りを結んでおけって」
――あのバカ母!
アベルは頭を抱えたくなる。
慌てて風呂から出て、熱温風の魔法で体を素早く乾かす。服を着る。
風呂に穴を空けてお湯を抜いて、また塞ぎ、もう一度お湯で満たしてやる。
「シャーレ。そういうのはもっと大人になってからやるんだよ。あと五年かそこら経ったら考えよう」
「アベル」
シャーレは嬉しそうな顔をしていたが、実際のところアベルは酷く焦っていた。
五年たったら考えるって……、何を考えるというのだ。
まだ将来のことなど全く分からないのに。
~~~~
礼服や旅装、道具類は用意するのに八日間を必要とした。
アイラとウォルターが冒険者時代に使っていた物をそのまま譲ってもらえたので、だいぶ早く整った。
アベルはウォルターから路銀も貰う。
銀貨五十枚と金貨一枚だった。
金貨というのは本当の貴重品で、そもそも農民が所持することなど稀であった。
アベルが初めて見るそれは皇国金貨と呼ばれ、親指の爪ほどの面積だった。
テナナには商店がないから、物の相場というのはいまいち分からないが、銀貨一枚あれば大人が二日ぐらいは楽に暮らせるみたいだ。
前世的に置き換えてみて、銀貨一枚が一万円ぐらいかなと大雑把に理解する。
旅立つ前、ウォルターとアイラは診療所を臨時休業してまで、かなり本格的に剣の稽古と魔法の訓練をしてくれた。
これまではいかにも子供相手の初歩的な内容で、それも仕事の合間に教えてくれる程度のものだっだ。
しかし、旅立ちの前とあって実戦で使うような、護身術を踏み越えた殺人剣法の色合いを含んだ技を伝えて来る。
特にウォルターはこれまで絶対に教えてくれなかった火魔術を伝授してくれた。
火魔術は初級を超えると、そのいずれもが人を殺傷しうる強力な破壊力を持っていた。
しかも、爆発の魔法などは破片が飛び散るため、自分や無関係の人をも巻き込みうる極めて危険なものであった。
ウォルターは言う。
「いいか。魔法は大きな力だ。一度に何百人を殺すような魔法もある。だが、人殺しに慣れるな。慣れると、平気で殺すようになる。そういう奴は例え有能な魔法使いでも道を踏み外しやすい。
お父さんは冒険者をやっていた時、亜人界で盗賊団の討伐をしたことがある。盗賊どもの頭は有能な魔法使いだった。百人からの子分がいて、気の向くまま人を殺しまくっていた。だから、大規模な討伐令が出されて、三百人ぐらいの冒険者や流れの武人が集まった。俺の旅隊もそれに加わっていた。
激しい戦いの結果、盗賊の頭は手下に裏切られた。そうしたら……そいつ、仲間も殺して最後は自分一人で戦った。もちろん多勢に無勢。ズタズタにされて殺された。後から知ったが、その魔法使いは若いころ、優秀で期待された奴だったらしい」
アベルは頷いた。生半可な才能は自らを滅ぼす、ということだ。
別れ前の修行は続く。
アイラは攻刀流の利点と弱点を数日の間で凝縮して教え込んでくれる。
「お母さんが攻刀流を習い始めたのは十五歳のときよ。ウォルターのいた旅隊に攻刀流第六階梯の使い手がいたの。その人と同等になるのに三年かかった。アベル、あなたは今、たぶん第四階梯程度の腕があると思う。十歳という年齢で稀なことです。
体が成長して身体強化ももっと巧みになれば、さらに強くなるわ。でも、油断しないでね。世の中、化け物みたいな奴がゴロゴロしているから。
お母さんは一度だけ、防迅流第八階梯の人と稽古で立ち合ったことがあるの。全く敵わなかったわ。実戦なら確実に殺されていたでしょう」
アベルは結局、アイラとウォルターから一本も勝ちを取れなかった。
準備は整い、ついに出発の日になってしまった。
大げさだが人生の転機が訪れたわけだ。
早朝、旅装に着替える。
麻の生地で作られた服に、革の上着を着る。
それから雨に耐えられる外套を羽織った。
履物はこの地域では標準の革サンダルである。
腰にはアイラが保管していた刀を差している。
子供にはちょっと長すぎる刀なのだが、他にないので仕方がない。
どうやら名刀らしい。銘は「白雪」
その名の通り清潔な輝きがある刀だった。
これも、もし売れば金貨になるほどの物なので大事にしなくてはならない。
心臓縛りは考えた結果、左の腕に縛り付けて服で隠すことにした。
ここなら、いざという時に直ぐに抜けて、普段は隠しておける。
貰った金貨は非常に価値が高いので下着に縫い込んで見つからないようにしてあった。
これは路銀を盗まれた時などの、最後の保険ということだ。
アベルは父親から説明されたポルトの街までの道程を確認する。
テナナからポルトまで、大人の男性が普通に歩いて六日前後らしい。
途中、宿場町を上手に利用するため、天候と時間を考えて歩かなくてはならない。
行ったことはないけれど歩くだけだから何とでもなるさ、とアベルは思う。
「父上、母上、それではいってきます」
「おうっ。いつでも帰ってこい」
「アベルなら、どこでもやっていけるよ。心配はしていないからね」
ウォルターとアイラは、明るくにっこり笑っていた。
アベルは何か言いたかったが、どうしても言葉にならなかった。
特別なことは口にせず歩みだす。
振り返りもしない。
背中に二人の視線を感じながら離れていく。
奇妙な気分……。
シャーレの家の前を通ると、ドロテア、アンガス、シャーレと親子揃って並んでいた。
「アベル!」
シャーレが走ってきた。
柔らかくて熱い体が抱き付いてくる。
「早く帰ってきてね……」
シャーレは真剣な眼差しを送ってきた。
旅立ちの決心が揺らいでしまうほど気持ちが籠っている。
「うん。シャーレも薬師と看護婦の修行、がんばれよ」
シャーレの頭を撫でた。
しかし、別れを惜しむシャーレは村はずれまで見送るというので、さらに着いてくる。
ドロテアが別れ際に耳元で「シャーレはアベルのお嫁さんになりたいから待ってるわよ」と釘を刺してきた。
その目は至って本気だった……。
母親の執念が噴き出ている。
アベルはさすがにこれは引くと思いつつ適当に笑って誤魔化す。
当たり前だが結婚の約束などできないのだ。
村長の家の前ではリックが待っていた。
親父でテナナ集落の長であるゴードン・ハザフ氏もいる。
他にリックの兄が二人いた。
長男と次男だ。残りの兄たちは出稼ぎにいって不在のようだった。
リックの挨拶もまた淡泊であった。
親に一礼するとリックは走り寄ってくる。それだけだった。
羨ましいほど元気。
当てもないのに不安なんか何もないらしい。
アベルも村長へ簡単に挨拶する。
「うちの息子、本当は農業か材木職人が向いているのだ。従者など武芸も魔法も使えないで勤まるものか。なれやせん、そんなもの。アベル君。リックの夢が覚めたら、帰るように説得しておくれ」
村長のゴードンは息子の前で、堂々とそんなことを言ってしまった。
彼の性格など考えると、かえって意固地になりそうなのに……。
事実、リックは視線を外し、不機嫌そうに黙っている。
この親子関係が村からの逃避を促したようにも感じる。
アベルたち三人は、特に話題もないまま村はずれまで来てしまう。
これでシャーレともお別れになった。
エメラルドの瞳が悲しげに揺らいでいる。
色々と言いたくなるのを我慢して、またな、とだけ言って歩みだした。
アベルの核にいる男は胸が、ちくりと痛んだ。
人と別れてこんな気持ちになるのは初めてだった。
例えば、前世で勤めていたブラック企業を辞める時など、むしろ清々したものだった。
また会いたいと思えるような人間など、ただの一人もいなかった。
――もしかしたら、俺も少し変わったのかな……。
こんな日は何でもないような青空が、いつもより遠く広く、そしてやけに綺麗に見えた。
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