戦火の始まり

 慶充よしみつは、自分の家のほうに目をやった。長俊ながとしの館の前からでも、自分の家を見つけることができる。やはり応戦命令に応じてか、篤英の取り巻き二人が家からこちらへ向かってきている。

 そして……

 家からもう二人、飛び出してきた。小さな人影だ。

 家に残された香菜実かなみが、佐奈井さないの縄を切って、二人して出てきたのだ。

 よくやった、と慶充は微笑む。

 峰継みねつぐが一乗谷に着いているとすれば、彼と合流して、ここから逃れればいい。自分はできる限り、一揆勢を防ぐ。佐奈井と香菜実には、指一本触れさせない。

 戦おうとする相手は民衆。峰継や佐奈井たちもただの民衆の一人だが、戦場で狂気に憑りつかれた者たちが、あの子らに乱暴しないとも限らないのだから。

「慶充、どうした? さっさと来い」

 篤英あつひでがせかしてくる。彼はすでに一揆勢が押しかけている峠のほうへと向かっていた。十歩分の距離が空いている。

「今すぐ向かう」

 慶充は腰の刀に手を添えたまま駆け出した。

 多すぎる敵を目の前に、自分の身がどうなるのかは、考えないでおいた。

 

 佐奈井と香菜実は、動揺が広がる路地を走っていた。すでに町では騒ぎになっていた。

「混乱に乗じて家財が奪われるぞ!」

「さっさと逃げろ」

 人々がわめきながら駆けまわっている。佐奈井はとっさに、香菜実の手を取った。はぐれたくない。

「峰継さんは? 見つかった?」

 香菜実は尋ねてくる。

「ううん、まだ」

 峰継は、まだ谷に着いていないのだろうか。

 ……その時、

「……奈井」

 喧噪に紛れそうだったが、自分を呼ぶ声を、佐奈井は聞き逃さなかった。父さんだ。近くにいる。

 佐奈井は足を止めた。後ろを振り向く。声はこちらから聞こえた。

 ちょうど峰継が、家の陰から出てくるところだった。見つけると、佐奈井はすぐに駆けていく。手をつないだままの香菜実も一緒だ。

 そして佐奈井は、峰継に飛びついた。峰継は迷いなく佐奈井の体を受け止める。

「無事でよかった、佐奈井」

 佐奈井は頭を、思いっきり父の胸に埋めた。

「うん」

 峰継が乱暴に頭を撫でてくる。

「ちょっと父さん、髪が乱れるって」

 佐奈井は、しかし拒んだりはしなかった。笑顔がこぼれる。

「すまなかったな、遅くなって」

 父も笑っていた。こんな風に明るく笑うのは、たぶん久しぶりだ。

「いいよ、別に」

 篤英にさんざん脅されたけれど、今となってはどうでもいい。また父に会えてよかった。

「怖くなかったか?」

「十二年生きていて、一番怖かった」

 はにかんで言うと、峰継がぽかんと頭と叩いてきた。

「自分の年を間違えるな。お前はもう十三歳だろう」

 そう。佐奈井は冬のこの時期に生まれた。いろいろありすぎて、年を重ねたことを意識していなかったのだ。

「取り込み中に申し訳ないけど」

 園枝そのえの声が聞こえて、佐奈井は峰継を放した。すぐそばには園枝だけでなく、理世りせもいる。峰継についてきたらしい。頼孝はどうしたのだろう。

「もうすぐここも戦場になる。逃げるのが先ではないの?」

 佐奈井たちの周囲では、逃げ惑う人たちでごった返している。

「慶充はどこ? 彼にも香菜実をどうするか聞かないと」

 理世に尋ねられた香菜実は、あっ、と洩らした。

「兄さんは今、前波長俊様のところにいる」

 佐奈井は、父と再会した喜びも忘れた。慶充は今頃、長俊に反乱勢の迎撃と鎮圧を命じられているだろう。暴徒と化した人たちの、まさに矢面に立つことになる。

 ひょっとしたら慶充は人を殺めるかもしれないし、殺められることだって……

「慶充のところに行く」

 佐奈井はそう言っていた。

「……何を言う」

 峰継が突如として変わった。冷たい言い方。佐奈井は、ただ峰継を見返していた。峰継からは、さっきの笑顔が消えている。

「そんなことをしている時間はないだろう」

 どういうことだ? 

「だってこのままだと慶充が」

「彼らが敵を留めている間に逃げればいい。彼もそれを望んでいる」

 そうかもしれないが、峰継は勝手なことを言う。しかも香菜実の前だ。香菜実も、戦に巻き込まれるかもしれない兄を心配している。ここで兄とはぐれたくはないはずなのに。戸惑いで、佐奈井は何も言えなくなった。

 まるで……。

 佐奈井だけが無事でいればいいような言い方ではないか。

「谷の北からも暴徒が押し寄せてくるぞ!」

 行き交う人たちの中から、叫び声が聞こえた。

「何?」

 峰継が北のほうを見やる。佐奈井も、すでにその言葉が意味することがわかっていた。

 暴徒と化した民衆は、谷の南の峠から迫っている。加えて北からも。

 つまり自分たちは、挟まれている。武器を持った者たちに。いつ、誰を襲い、奪うかわからぬ者たちに。


 慶充は、足を止めていた。南の峠に向かっている最中に、別の兵が駆け寄って、谷の北からも暴徒と化した民衆が押し寄せてくると伝えてきたのである。

「本当か?」

 その兵に聞き直す。

「ああ。正確なことはわからんが、こっちもかなりの数だ」

 慶充は歯ぎしりした。南の峠に現れた一揆勢を押しとめている間に、佐奈井たちが谷の北から逃げられると踏んでいたというのに、これでは挟み撃ちだ。

 一乗谷には今、逃げ道がない。完全に包囲されている。戦のために虐げられてきた民の怒りは、それほどに強い。

 だが慶充は、そんなことよりも重要なことがあった。

 ――佐奈井たちが危ない。

「父上、反転する」

 篤英に告げる。何か言われるよりも先に、慶充は後ろを振り返っていた。

「待て慶充、目の前にも敵がいるのだぞ」

 篤英が引き留めようとする。迷っていた。狭い谷に挟み込まれた今、どこへ向かえばいいのかと。

 慶充は、構わず駆けていた。さっきから決意していることを、独り言のようにつぶやく。

「妹と、佐奈井を守る」


 そのころ、谷の南では、武器――といっても鍬や鋤ばかりで、よくて刃の欠けた刀――や松明を掲げた民たちが、一乗谷に侵入していた。押しとどめようとする兵をそれぞれ囲っては、鍬で殴りつけて倒し、刀を持つ者がとどめを刺して、前へと進んでいく。

 かつての領主朝倉義景を裏切って領主となった男、長俊を見つけ、血祭りにするために。



完結

以降は『ほむら双刀そうとう――谷の風の向かう先は』へ続く

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谷の風の向かう先は 灰澤 ミズキ @mizukihaizawa

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