隠れた先で
佐奈井は、園枝がちょうど沸かしていた茶を飲んでいるところだった。園枝が柿や桑などの葉を乾燥させ、混ぜて作った茶は、香りがよくて飲みやすく、体をぽかぽか温めてくれて、襲われたばかりで動揺していた佐奈井を落ち着かせた。
――たぶん、もう大丈夫だろう。
篤英という男には、この家に入るところを見られてはいない。香菜実も隠しとおせる。
「――香菜実の父親が現れて、それで慌てて逃げてきた、と」
園枝は、香菜実に聞かされた事情を確認する。
「どういうことなのか、話せる?」
普通ならば、香菜美にとって喜ぶべきことだ。佐奈井と香菜実の行動には理解しかねるところもあるらしいが、園枝は邪険に思う様子もなかった。話しやすい状況を作ろうとしているのだろう。
しかし香菜実は、口を開きかけて、つぐんだ。
簡単に話せるわけがない。
「そいつ、いや香菜実の父親が、刀を向けてきたんだ」
佐奈井が代わりに答えた。傍らにいる理世や頼孝も、息を飲んでいる。
「香菜実はとっさに逃がしてくれた。助かったよ」
佐奈井はそう、香菜実の肩をぽんぽんと叩く。こちらを見つめる香菜実の口元が緩んだ。
「それで、俺らにかばってほしいわけか?」
頼尊が尋ねてくる。
「いさせてくれるだけでいいんだ。迷惑はかけない」
「香菜実の嬢さんもか? その父親とやらから引き離して」
日頃から慶充に乱暴を働いてきた篤英だ。
「うん」
香菜実に確かめることもなく、佐奈井はうなずいた。あんな父親の元で、香菜実が再び怯え続けるなんて、見過ごすことはできない。
「……おとなしくしていろよ。あと、そいつもさっさと飲め」
頼孝は、佐奈井の目の前に置かれた湯呑を見やる。まだ中身が半分ほど残っている。
佐奈井は、まだ温かいそれを一気に飲み干した。
「それで、彼の目的は何だ? 慶充と香菜実を連れ帰ることか?」
茶を飲み干した佐奈井に、頼孝はさらに尋ねる。
「それしかないよ」
どうしてこんなことを聞くんだろう、と佐奈井は思った。今までの話を聞けば、わかりきったことのはずなのに。
頼孝は、一つため息をついた。
「わかった。言い忘れていた。……さっきの薪、ありがとうな。あんなにたくさん。お前が割ったのか?」
佐奈井は、妙に体がこわばった。
「いいや、香菜実や慶充と一緒に」
さっき篤英と出くわす前、園枝に頼まれた薪を渡そうとした際、この家の中から不気味な会話を聞いた。民衆が蜂起するとか。頼孝たちにとって、知れ渡ったら都合の悪い話だ。
薪を置いてきたことで、盗み聞いていたことがばれている。
「そうか」
佐奈井は、園枝に目をやる。園枝は、佐奈井から視線を逸らした。
峰継はひたすら、篤英を追いかけていた。町の中の通りを駆けていく。足の古傷がうずくが、構ってもいられなかった。
道のりをたどっているうちに、峰継は気づいていた。篤英は、あの頼孝の家へと向かっている。まるで佐奈井と香菜実の逃げた先を、おおよそ掴んでいるように。
逃せば、佐奈井が危ない。
角を曲がって、そして頼孝の家が見えてくる。
いよいよ峰継の視界から、篤英の背以外が見えなくなった。慶充と香菜実の父親といえども、本気で息子に手をかけるというのならば、こちらも……
篤英が、突然に足を止めた。全速で駆けている峰継は、そのまま篤英に掴みかかろうとする。
だが、篤英は身をかがめた。右足を繰り出してきて、峰継の右足の古傷を蹴りつける。
もろに攻撃を食らった峰継は、前のめりに倒れた。
「あんたの息子の顔は知っている」
倒れた峰継に向かって、篤英は言い放った。
「お前がまだ足軽だった時に、一乗谷の練兵場にお前の息子が出入りしていたからな。無防備に外を出歩いていたおかげで、息子と娘の居所がわかった。その点は感謝するさ」
そしてまた、頼孝の家へと向かっていく。
峰継は立ち上がろうとした。だが右足が麻痺したようになって、上手く動かせなかった。
ではなぜ大野郡に出てきた?
峰継は、駿岳という男を思い出した。彼が、慶充のことを話したのかもしれない。
ふと、戸が叩かれた。
佐奈井はとっさに戸のほうに目をやる。すでに嫌な予感がしていて、とっさに香菜実の手を取った。
「隠れたほうがいい」
二人で奥の間へと向かって、そして襖を閉める。佐奈井は襖に耳を押し当てて、状況を探り始めた。
「娘を探している」
声を聞いて、佐奈井はぎょっとした。篤英だ。
ひょっとしたらと思っていたけれど、本当にこの家に目をつけられるなんて。
篤英か二人いたその取り巻きが、さっき自分が薪を届けに来るのを見ていたのではないか。それでこの家に目をつけた?
でも変だ。あの篤英は、慶充と香菜実がこの大野にいて、しかも香菜実が外に出ていたとはいえ、あっけなく見つけた。なぜだ?
「突然押しかけられても。名は何と?」
頼孝が応対している。
とにかく、佐奈井はほっとした。隠しとおすと約束してくれたばかりだ。いないと話して、篤英は去っていくだろう。
「香菜実という名が。ここに逃げ込んではいないか?」
篤英が尋ねている。早口なのは、峰継に追いつかれる前に連れ去ろうと急いているからだ。
「香菜実、と」
「待て。囲炉裏のそばにある湯呑は何だ?」
篤英が頼孝を遮った。
「この家にいるのはお前たち三人だけか? 囲炉裏のそばには五つあるが」
佐奈井は手をきつく握った。湯呑を置いたままなのがうかつだった。
襖の向こうから、刀を抜く音が聞こえた。
「何をするつもり?」
刀をちらつかせての脅迫に、理世が声を上げる。
「むやみに隠しとおすならば何が起きてもおかしくないと思え」
佐奈井は、香菜実に目をやった。指を口に押し当てて、静かにしているよう伝える。まだ見つかると決まったわけではない。
「香菜実という娘はここにいるのか?」
篤英がさらに詰問している。いないと話してくれ。
「……香菜実なら、確かにここにいる」
頼孝があっけなく答えた。
「ちょっとあんた」
園枝が咎めている。だがすでに、篤英が家の中に上がり込むところだった。足音が響いて、それは佐奈井たちが潜んでいる襖のほうに迫ってくる。
そして乱暴に襖が開けられた。片手に刀を持った篤英が、佐奈井と香菜実を見下ろしている。
――斬られる。
佐奈井は逃げようと思ったが、足が上手く動かない。せめてもの意地で、篤英を見つめ返すのが精いっぱいだ。父さんは?
「斬りつけないで!」
園枝の声が家の中に響く。
「父上やめて」
香菜実の声が虚しく響いた。彼女は自分の父親の足にすがりついている。
だが篤英は、刀をしまった。
「殺しはしない」
篤英の声が聞き取りづらい。
と、佐奈井は腹に強い衝撃を感じた。そのまま床の上で丸まる。
篤英に蹴られたのだ、と気づいた次には、佐奈井の意識は途絶えていた。
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