第5章

棚に置かれた、多数の石膏像が、窓から入る淡い光に、頼りない影を落とす。


いくつものイーゼルも日時計のように、微動しながら、室内を回転する。


天宮は壁に飾られている数点の絵画のひとつ―――


マグダラの油絵をゆっくりと降ろした。


その裏には日本地図が貼られている。


それはおよそ美術室には似つかわしくないものだった。


三重の南端、岐阜の北端と北東、南西、


そして静岡の南東にプッシピンが射されている。




「あまり時間がないな」天宮はひとりつぶやく。




あいつが現れた以上、気づかれるのも時間の問題だ。


だが、時の有利はこちらにある。すでに2箇所は抑えてあるのだ。


岐阜の北端と三重の南端にあるプッシュピンは赤いものが射さっている。


ほかは青いピンだ。




天宮はあごに手をやり、思案する。しばらくすると、一人にんまりと微笑んだ。






夜のとばりが落ちた東京都内のある繁華街。多くの人々が行き交っている。


酔客やポン引き、きらびやかなネオンに負けず劣らず着飾った女たち。


そして、獲物を見定めている物騒な目付きの男たち・・・。




その雑踏の中に、江野生人の姿があった。黒いレザージャケットのポケットに


両手を突っ込んで、漫然と歩いている。


彼の横顔に、ネオンの光が当たり、赤から緑へ、そして黄色に染まり


また黒い影を落とす。その繰り返しで江野のシルエットは時には映え、


またその輪郭をあやふやなものへと変える。




江野の前から、3人の男たちが歩いて来る。20代前半といったところか。


それぞれに、だぶついたカーゴパンツを腰までずり下げ、

原色のTシャツに殴り書いたような英文字のロゴが入っている。


一人は赤いキャップをあみだに被り、鼻ピアス。口を開けないとわからないが、


彼は舌にもピアスをしていた。ほかのふたりも耳に数珠なりに


ピアスをしている。


皆、澱んだ目付きをしており、まるでハイエナのようだ。




その一人が江野の通り過ぎざま、江野の肩にぶつかる。


赤いキャップをあみだに被っている男だ。




「痛えなこの野郎!」江野の背後に吐き捨てるように怒鳴った。。


「おい、シカトすんのかぁ?」


3人の最も長身の男が因縁を吹っかけてきた。江野の肩を掴み、


彼の動きを止める。




「今夜の強姦の相手は見つかったか?」


江野は3人に背中を見せたまま、静かにつぶやいた。その言葉を聞いて、


3人は少なからずも蒼ざめる。




なんでこいつ知ってんだ?俺たちがこの街でやってること・・・。


サツか?いやサツには見えない・・・・・・。


もし、俺らの秘密を知ってんならヤキ入れとかないとな。3人の共通意識に、


黄色信号が点る。




「おい、お前、俺等に付き合え」


3人の中で一番の長身の男が、江野の肩口を掴む。


そのまま路地裏へと引っ張りこんだ。長身の男は江野を行き止まりの


薄汚い落書きだらけのコンクリート塀に叩きつける。


そこは幅3メートルで両側を雑居ビルに囲まれた袋小路だった。


地面には酔客の吐しゃ物や、アルコール類のビンが散乱している。


人とおりの多い通りからは忘れられた場所。


カツ上げなどの恐喝犯罪が頻繁に行われる場所。




「でめえ、何モンだあ?」




江野はそれには応えず、レザージャケットのポケットに手を突っ込んだままだ。


表情は能面のように無表情だ。




「何とか言えよ、ああ?」赤キャップの男が凄む。


と同時に尻ピケットからナイフを取り出す。




江野はナイフなど意に介さず、静かに言った。


「お前たちはこの1ヶ月で、十数人の女を強姦してきた。我が欲望のために。


 なかなか黒い魂をしている。気に入った」




「何をワケわかんねえことを!」


赤キャップの男がナイフを振りかざし江野に突進する。


その勢いから、ただの脅しではない。




ナイフに切っ先が、江野の首に近づいたとき、旋風が起こった。


周りの空気が江野に集まっていくようだ。


その風の強さは、若者3人組をたじろかせた。




上昇する風圧が、江野の髪を吹き上げると江野の左目が露わになった。


その左目は赤い。瞳孔も赤くその正確な位置はわからない。




江野の左目が赤いキャップの男を捉える。


赤いキャップの男は突然痙攣し、その場で動けなくなった。


そればかりか瞬きも出来ず、声も出せない様子だ。


口からは涎が白い糸を引いて落ちていく。




「どうした?コウ」


長身の若者がコウと呼ばれた赤キャップの


男に呼びかけた。だが赤キャップはナイフを構えたまま、ひざから崩れ落ちる。




ほかの2人はその様子に怯えながらも江野に向かっていく。


江野に近づいたその2人は見た。変貌をした彼の顔を。


顔は青灰色になり、静脈が浮き上がっている。


そして問題の左目には炎のごとく紅く燃え上がっていた。




この期に及んで、2人の若者は相手が異形の者だと本能的に察知した。


急いで反転し、慌てふためいて我先に逃げようとする。


だが、もう遅かった。2人は反転しかけた状態で


固まっていた。自らの力で行動が出来ない。




江野は両手を広げた。風の勢いが3人の若者から彼へと吹き返す。


それと同時に、3人それぞれの若者の身体から、


黒灰色の煙が噴出し、江野の口へと吸い込まれていく。




数秒後、その薄汚い路地裏に江野の姿は無かった。


ただそこには、懺悔するかのようにひざを折り曲げた、


3人の若者の死体があるだけだった。

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