7-3

「ここが、例の浄水場跡ね……」


 無人タクシーを降りたレイラは、目の前に広がる施設を睨みながらつぶやいた。

 使われなくなった浄水場は、錆びついた配管が無数に絡み合いながら、そびえ立っていた。来るものすべてを拒む、そんな雰囲気を醸し出していた。幻災対策を自治体が優先するあまり、この手の施設の解体は後回しになっている。

 この中に神代アタルは本当に捕らわれているのだろうか。そう思いつつも、レイラは、左腕につけている時計を確認する。時刻は午後一時二十六分。約束の時間までには何とか間に合ったようだ。


「ヴィラル、この施設の中はどうなっているの?」


『検索結果によると、目の前に見える建物は管理棟、その右向かいにはろ過施設があります。そして、さらにその奥には、浄水施設が広がっているようです』


 ヴィラルはそう言うと、端末の画面に施設の案内図を表示した。


「いったい、こんな広い施設のどこにいるっていうのよ」


 思った以上に広い敷地にレイラは辟易へきえきする。一つひとつ建物を調べていたら、日が暮れてしまうだろう。何かヒントがないかと、レイラは美幸に送られてきた写真を画面に表示する。

 だが、いくら目を凝らしてみても、画面の中のアタルの写真は全体が薄暗くて、背景の様子がまるで分からない。居場所がわかるような情報を写真から読み取ることはできなかった。


「仕方ないわね。とにかく中に入れば、何かわかるでしょ」


 悩んでいても仕方ない、まずは中に入ろうと、施設の正門へと向かう。レイラの身長よりも遥かに高い、錆びまみれの格子状の門は侵入者を拒む威圧感を出していた。だが、門扉に鍵などはついてなく、門の右半分の地面には誰かが開門したときに落ちた錆が線を描いていた。中に誰かが入ったことが、一目瞭然でわかる。


 同じように、レイラも門の右半分を掴んで、思いっきり押す。流石に門自体に重量があることと、門のローラーも錆びついていることもあって、なかなか動かない。それでも、しばらく格闘し続けて、やっと重い扉が動き始める。ズルズルと引き摺られる振動とともに、響き渡る終末的な金切り音は、レイラの鼓動を少しだけ早めた。やがて、人ひとり分入れるだけのスペースが空いたところで、施設内への侵入は成功した。


(あれは……)


 侵入に成功したレイラが、真っ先に気が付いたのは、門の内側に設置されていた監視カメラだった。それは、朽ちつつある施設の設備にしては、やけに新しい。


(なるほど、こっちの様子は全部筒抜けってわけね)


 敵の誘いに乗って来たのだから、これから何が起こってもおかしくない。そう気を引き締めたレイラが、施設の奥へと一歩踏み出した時だった。レイラの携帯端末が突然鳴り出す。

 いかにもというタイミングと、見知らぬ番号からの着信。言わずもがなと、レイラは電話に出る。


「なによ。こっちから来てやったんだから、出迎えてくれたっていいのよ」


『えっ? あ、あの……』


 誤算。てっきり、あの男が嫌みの電話でもよこしてきたかと思ったが、どうやら間違いだったようだ。電話をかけてきたのは服部美幸だった。そのことに気が付き、レイラは慌てふためく。


「ご、ごめんなさい、服部さん。でも、どうやって私の番号を……」


『それよりもレイラさん、私も……自分にできることをやることにしたよ』


 別れ際とは違った力強い声が、スピーカー越しでも伝わってくる。


『早速だけど、レイラさん。もしかして、これから建物ひとつづつ調べていくの?』


「う……」


 自分の考えを見透かされ、レイラはきまりが悪かった。だが、手掛かりがない以上、どうすることもできない。そんなレイラの行動を予測していたかのように、美幸は救いの手を差し伸べる。


『例の男から送信された写真を解析したら、アタル君がどこにいるのか手掛かりが掴めたの』


「ほんとっ? それで、神代アタルはどこにいるの?」


 すると、レイラの端末はメールを受信した。急いで確認すると、それは美幸からで、画像ファイルが添付されていた。画像は美幸が解析し、周囲の様子がわかるように露光量が増幅された写真だった。


「すごい……」


『送った写真を見てる? それなら、左の真ん中あたりを拡大してみて。見切れてはいるけど【プ棟】って看板が見えるでしょ。この施設でその名前があるのは、〝中間ポンプ棟〟のみ。このまま真っすぐ進んで、北西に向かって』


「ありがとう、助かったわ」


 レイラは言われた通りの場所に向かうために、駆けだした。一体どうやったらこんなことができるのだろうかという疑問は抜きにして、美幸の協力はありがたかった。


『レイラさん、通話は切らずにヘッドセットに切り替えて。これから私はあなたを支援するオペレーターになるから、何かあったら私に言ってね』


「それはいいけど……」


 味方が増えるのはいいが、美幸の実力を知らないレイラは口ごもった。心許こころもとないまま、レイラは施設内に通された道路を横切ろうとした時だった。


『レイラさん、そこは真っ直ぐじゃなくて、右に曲がって』


「ええ、教えてくれてありが……って、どうして私が道を間違ったってわかるの!?」


 道を誤ったことを指摘する美幸に驚き、レイラはあたりを見回す。もしかしたら、自分を追って彼女もここにいるのかもしれないと思ったが、美幸の姿は見つからない。


「あ…………」


 ふと、レイラの視線が止まる。彼女が見つめる先には、一台の監視カメラがこちらを見降ろしていた。それは、この施設の正門そばにいたものと同じものだ。


「まさか……」


『そう。孤立スタンドアロン型じゃない、ネットワークに繋がってさえいれば、侵入できる穴は必ずある。相手が見ているように、私もレイラさんを、このカメラを通して見ることができるんだよ』


 その時レイラは、はじめて自分がことを意識する。そして少なくとも、美幸はそこらの高校生とはかけ離れたスキルの持ち主であることも判明した。だとすれば、彼女のような優秀なハッカーと一緒に行動していた神代アタルも、やはりただ者ではないのだろう。


「そのカメラで、神代アタルがどこにいるかは分からないの?」


『残念だけど、このカメラは施設の外壁にのみ仕掛けられているみたい。だから、建物内の様子は全く分からないの。もしかしたら、覗かれても問題ないよう、外だけにしているのかも。だけどその代わり、すべてのカメラの映像は監視してるから、もし誰かが外に出てきたらすぐに教えるね』


「了解、施設の監視は頼んだわ」


 空っぽの浄化水槽と、浄化施設に挟まれた狭い一本道をしばらく進んでいると、目的の中間ポンプ棟が見えてきた。他の建物よりひと回り小さいが、それでも隠れ家として利用するには十分すぎるほどの大きさだ。次第に大きくなっていく建物を前にして、レイラはふと思う。


(ここまで来るのに何もなかった。すこし上手くいき過ぎてないか――)


 誘い込まれ、敵の手中にいるにもかかわらず、ここまで何の苦労もなくたどり着くことができてしまった。無論、監視カメラの映像から、自分がここにきていることはとうに知っているだろう。それでも、何もしてこないというのは多少なりとも不気味だ。何もない状況を、逆にレイラが警戒し始めた時だった。


『幻想子反応確認! お嬢様、お気をつけて』


 きた――頭で考えるよりも前に体は反応していた。

 背中に背負っていたライフルケースから、彼女の愛用の両手剣を手際よく取り出し、正面に向けて構える。すぐに折りたたまれた刀身が勢いよく伸び、コーティングするかのように反幻想子アンチ・ファンタジウムが刃先を覆った。


「美幸、戦いに集中するから、通話は一旦切るわ」


『うん。まだカメラには何も映ってないけど、レイラさん、気を付けてね――』


 美幸との通話はそこで途切れた。レイラは大きく息を吐き、敵が現れるのを静かに待つ。

 やがて、一本道の向こうから、揺らめく影がゆらゆらといくつも浮かび上がる。その正体は幻獣だ。この前と同じように、大型動物の幻獣が五体、赤い目をぎらつかせながら距離を詰めてくる。


『お嬢様! 後ろからも来ます!!』


「!?」


 背後に目を向ければ、それは前から迫りくる幻獣たちと同様、四体の幻獣がゆっくりと彼女との間合いを狭めていた。


(挟まれた――)


 狭い一本道の前後を、合計で九体もの幻獣に挟み撃ちにされる、いわば危機的状況。それでも、レイラは顔色一つ変えることはなかった。なぜなら、彼女には縦横無尽に駆けることのできる〝重力無効化靴ゼロ・グラビティシューズ〟と、秘蔵の切り札である両手剣があるのだから。


「ヴィラル、重力無効化靴ゼロ・グラビティシューズの起動と、〝ニーズヘッグ〟をいつもの出力で調整して!」


『かしこまりました。お嬢様、どうかご武運を』


 そうヴィラルは言い終えると、レイラは両足の裏からわずかな振動と、甲高い音が鳴ったのを感じた。靴の起動は終わったようだ。後は……この剣の準備のみ。

 だが、レイラの気配を察知したかのように、幻獣たちはレイラ目がけて勢いよく突っ込んできた。巨体の壁が今にもレイラを押しつぶさんと、前後から迫りくる。


「行くよ。ヴィラル」


 レイラは浄化施設の壁を駆け上がる。重力に逆らい、垂直の壁を青空目がけて登っていくのには、最初の頃は苦労したが、今はもう慣れた。地面から四メートルの高さまで登ったところで、レイラは壁から離れるように、ジャンプしつつ背面から宙返りした。彼女の下には、その様子を呆気にとられたかのように見上げる幻獣たちが群れている。空中を舞う一瞬の間にレイラは、そのうちの最も大きな体格を持つ、サイの幻獣に狙いを定めた。そのまま落下しつつ、手に持つ両手剣の刃を下に向けながら獲物の背骨を断ち切るかのように突き刺した。


 グオオオオオオオォォォォ!!!!

 深手を負ったサイの幻獣は、背中に乗るレイラを振り落とそうと暴れだす。だが、時すでに遅し。レイラが背中に突き刺した両手剣の刃は何の前触れなくする。それも、体内に食い込んだ部分のみ。爆発の衝撃が手のひらにビリビリと伝わる。だが、この程度の衝撃なら慣れっこだ。

 爆発の衝撃は、サイの幻獣の体を真っ二つに引き裂く。たった一撃で、幻獣はあっけなく絶命した。


 引き裂かれた幻獣の亡骸を踏み台にし、再び浄化施設の壁に着地したレイラは、突然の出来事に半狂乱する幻獣たちを見降ろしていた。これが、彼女の両手剣の隠された秘密。一撃のうちに敵を滅ぼす力を持った両手剣、〝爆刃剣ニーズヘッグ〟をレイラは構えた。残り八体の獲物をこの剣で、するため――


「はあああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!」


 再び彼女は空中に舞う。今度は剣を頭の上へ、上段に構えながら標的を定める。狙いを定めたのは、ヒグマの幻獣。それを察知したのか、幻獣は後ろ足で立ち上がり、迎撃態勢へと移行。右前足のかぎ爪を彼女に向けて振るう。一瞬の間を置いて、剣とかぎ爪が交差する。

 だが、レイラの振るった剣がわずかに早い。やいばは前足の付け根に食い込むと、再び爆発。飛び散る血潮と共に、くるくると回転しながら幻獣の前足は明後日の方向へと吹っ飛んでいった。

 あっという間の出来事を理解できない幻獣を残し、レイラは地面に着地。すかさず剣を幻獣の胸の中心へ突き立てた。破裂音とともに、気が付けば幻獣の体にはぽっかっりと大きな穴が口を広げていた。


「まだ、まだあぁっ!!!」


 倒れ行くヒグマの幻獣から、レイラは剣を水平に回転するかのように薙ぐ。振るわれた刀身は、取り巻いていたゴリラの幻獣の右わき腹に命中。瞬く間に、幻獣の胴体の半分は消失。残された幻獣は、あと六体。


 ――その姿、さながら戦乙女ヴァルキリー。ここまでかかった時間は三分にも満たなかった。


 

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