5-3

 下校時刻。

 桜鳳学院の校舎からは、その日の授業を終えた生徒たちが、ちらほら帰途についていた。だが、授業が終わってすぐに帰るというのは、この学校では少数派だ。

 放課後、戦闘科の生徒は幻獣との闘いに備えた自主訓練、研究科の生徒であれば自身の研究テーマに没頭する時間なのである。


 ただ、アタルは残ってトレーニングするのは馬鹿らしいと思っており、学校が終わればすぐに帰る。美幸も特にこれといった研究テーマもないので、アタルと同じく、少数派に属している。


「アタル君は、これからどうするの?」


「しばらくは、大人しくしているよ。この数日で目立つことが何回かあったからね、ほとぼりが冷めるまで、また地味な存在に徹するよ」


「でも、昨日の事件についてはどうする?」


「それについては、ちょくちょく調べることにする。あのじゃじゃ馬お嬢さんがどこまでやるのか見届けたいし」


 そのセリフを聞いた美幸は、意外に思った。それなりの付き合いだが、アタルが他人のことを気に掛けることなど、今までほとんどなかった。少しの間行動を共にした、レイラ・グローフリートのことが、余程気になるのだろう。アタルの心中の変化を美幸は喜ぶべきなのか、今はわからなかった。


「わかった。私もいろいろと探ってみるね。何かわかったら、その都度連絡するね」


「ああ、頼む。それと……」


 言いかけた時だった。強烈な眩暈めまいが視界を揺さぶる。思わずよろめいたアタルは、手近にあった電柱に手をついた。


「大丈夫!?」


 突然の不調に、隣の美幸は心配そうに声を掛けた。アタルの眩暈はすぐに治ったが、彼の表情は焦りに満ちていた。


「ああ、ちょっと立ちくらみがね。大丈夫、すぐに治まったから」


「アタル君、もしかして……」


「どうやら、あんまり長くはもたなそうだ。服部、昨日の件は一旦後回しにして、裏ルートの幻想子ファンタジウム探しを優先しよう」


 アタルの表情から、事態の深刻さを美幸は悟った。この状態は黄色信号だ。このままでいると、いずれ自分はに陥るだろう。


「うん、わかった。でも、くれぐれも無理はしないでね」


「迷惑かけて悪い」


 不穏なやり取りがあったところで、二人は地下鉄の入り口で互いに別々の方面へと別れた。ひとりになったアタルの表情は暗く、険しいものであった。


     ××


「ただいま」


 やはり、誰からも返事は返って来なかった。

 いつものように、玄関での決まった所作を終えたところで、とりあえずリビングに向かう。誰もいないリビングルームにあるダイニングテーブルには、一枚のメモが残されていた。拾い上げて読んでみると、『夕食は冷蔵庫の中のものを適当に食べて。カナエより』と書かれていた。

 メモをもとの場所に戻したアタルは、これといってやることもないので、取り合えずとばかりにテレビの電源を入れた。ソファに座って、少しばかりニュースを視聴するが、この前の同時多発幻災と、ミリーナのことをまだ報じていた。だが、昨日の事件については、一切何も触れらなない。


(大衆の気を引くようなネタしか報じないのは、マスコミの性っていうやつか……)


『……次に、与野党で審議がなされている、〝研究目的で使用する幻想子についての規制ガイドライン〟についてですが――』

 

 ブツリ、とテレビが真っ黒な画面に変わる。ニュースへの興味を完全に失ったアタルは、ため息をつくと、自室に向かった。部屋に入ったところで、制服のジャケットを放り投げると、アタルは仰向けにベッドに倒れこんだ。


(これから、どうしようか。服部が幻想子を見つけてくれることに、賭けたいところだけど、もしも見つからないままだったら……)


 シーツに顔をうずめながら、アタルは考え込んだ。だが、いい妙案も浮かばず、数分が経過したところで、仰向けに寝がえりをうった。

 何もない白い天井を見つめながら、アタルは左手を顔の上へとかざす。


(このままだと、限界リミットまで二、三日程度だろうな)


 大きなため息をついて、目を閉じる。こんな時は、オフィーリアと雑談でもして、気を紛らわせたいところだが、あいにく今日は不在のようであった。

 静かな部屋の空気が、まるで質量があるかのように、重く胸の上にのしかかる。そんな雰囲気から逃れようと、あれこれ考えを巡らせていた時だった。すっかり忘れていたが、話し相手はほかにもいたことを思い出し、ポケットから携帯端末を取り出した。


「マナ」


『はいなのです! どうされましたか? ご主人様』


 底抜けに明るい声とともに、端末の中に赤い髪の少女が映し出される。場の雰囲気を読むことのないこのAIは、こんなときこそ役に立つ。話相手ができたことに、少し心が軽くなったような気がした。


「なにか、面白い話でもしてくれないか」


『面白い話……ですか? 申し訳ありません、マナはご主人さまにとって、何が面白いのかを理解できないのです』


 サポートAIには、少々荷が重い要求であったか。仕方ないと思い、別の話題を振ることにした。とにかく、今は少しでも気を紛らわせたかった。


「じゃあ、明日の天気とか、僕の興味を引きそうなニュースを頼むよ」


『わかりました! まずは、明日の天気予報からなのです。明日は太平洋側に停滞する低気圧の影響により、曇り時々雨なるのです。なので、傘を持ってお出かけすることをおすすめします。また……』


 端末から流れるマナの音声が、部屋に響きわたる。少しの間、アタルはマナの話に耳を傾けていたが、それでも気分が晴れることはなかった。頭の中のもやは、いつまでも晴れることはなかった。


 —―三日以内に、幻想子を手に入れる。できなければ、自分に待ち受けるのは〝死〟だ。


     ××


 都内某所。

 明かりのついていない、真っ暗な雑居ビルの一室。殺風景とばかりに、家具も何もない部屋には、かろうじて一組のデスクとチェアが置かれていた。そんな無機質な空間に、男はいた。

 男は、体にぴったりとなじむオーダーメイドの高級なスーツを身にまとい、デスクの上のノートPCを眺めていた。年のせいか、ディスプレイを見続けることに疲れたとばかりに、時折目元を抑える。


 やがて、革張りのチェアに深くもたれかかると、大きく息を吐いた。そして、デスクの上に置いてあった携帯電話を手に取ると、どこかに電話をかけ始めた。


「……もしもし、私だ。今しがた、君がこの前送ってくれたレポートを読んだよ。なかなか面白い報告じゃないか。さっそく、取り掛かることにするよ」


 男は満足そうな笑みを浮かべ、手元の携帯電話から聞こえる相手の声に耳を傾ける。


「わかってる。報酬はそれなりの額は用意させる。それにしても、君が仕入れた情報はとても興味深い。レポートに記載してあった実験結果にも、対策を施したというのは本当かね?」


 電話越しの相手から良い反応が返ってきたようだった。


「はっはっは、いや流石だよ。君のおかげで、私もいろいろと貴重な情報を手に入れることができた。引き続き、情報提供をよろしく頼むよ。……ああそうだ、くれぐれもPCやメールの内容は完全に消去することだ。最近、そこらの情報は簡単に掘り出されてしまうからな。くれぐれも、足がつかないように気を付けたまえ」


 そう言って、男は携帯電話の通話を切った。同時に大きなため息をつく。


「……若造が。その程度の情報で随分と大した額を要求するじゃないか。貴様の代わりなどいくらでもいるわ」


 軽く苛立った声を上げ、不満げな表情のまま、男は再び携帯電話を取ると、先ほどとは別の宛先に電話をかけた。


「私だ。作戦の準備はできたか? ……よし、決行は二日後だ。どうやら、公安が我々の作戦を嗅ぎ付けたようだ。あまり時間はない、まずは〝白狼〟の始末だ。その後、例のを東京で起動する」


 先ほどの会話とはうって変わり、男は低い声で相手先に指令を飛ばす。


「ところで、今の時期の日没はどのくらいだ? いや、装置の起動時刻をいつにしようかと考えていた。できることなら、太陽とともに、この国にも沈んでもらおうと思ってな。どうだ、なかなか詩的な結末だろう?」


 男は、自分が吐いた皮肉めいたセリフをせせら笑う。


「……午後七時くらいか。わかった、起動時刻はそれでセットしてくれ。私か? ああ、ちょっと野暮用でしばらくは東京近辺にいる。大丈夫だ、装置の起動前には必ず離れる。それでは、諸君らの検討を祈る」


 通話を終えた男は、携帯電話を懐にしまう。代わりに今度は、懐からシガーケースを取り出すと、中から一本の葉巻を取り出した。そして男は、慣れた手つきで吸い口をカットすると、マッチで火をつけ始めた。

 葉巻を一口吸い、満足げに紫煙を吐き出した男は、PCに映し出された情報を一瞥いちべつする。


「……私としては、作戦の成否より野暮用のほうが重要だがね。そうだろう? ……


 PCの画面に映し出されていたのは、何者かによって調べられたアタルの写真とその経歴だった。


「また、君に会えることを楽しみにしているよ」


 男はそう言い残すと、持っていた火のついたままの葉巻を誰もいない室内へ向かって放り投げた。そして、椅子から立ち上がると、その場から立ち去る。直後、男が去った部屋には、鼻をつくほどガソリンの臭いで充満していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る