第39話 ナルグカ樹海の成り立ち
「ぐすっ……ぐすんっ…………もうお婿を取れぬぅ……」
私の胸の上で、何度目かわからない文句をリザが漏らす。
樹海に一番近い、温泉で有名な宿場町。その一番奥まった宿の一室で、私達はまぐわいの余韻に浸っていた。
アシィナとヒュレインも一緒で、今は私を挟む形で横で寝息を立てている。
見込んだ通り、リザは良かった。
小柄な体の奥はきつくて狭く、ついやりすぎて何度も気をやらせてしまった。一人にここまで注いだのはシムカ以来で、血を注いで巫女化させるまでもなく、飲ませた精の力だけで巫女の身体に成り代わっている。
虹色に輝く髪に指を入れると、馴染むように吸い付き流れた。
上の口に反して、身体は私を受け入れている。無駄に抵抗する理性もその内素直にさせるとして、今は三人の温もりで身も心も温まろう。
あと三時間くらい。
「失礼致します」
部屋の端に備えられた小窓が開き、廊下に控える少年が声だけを入れた。
こちらを覗こうとはせず、開けた隙間に自ら指を入れて目隠しの代わりにしている。
よく躾けられているようで、宿に対する好感度が上がる。しばらくここを拠点として動くのも良いかもしれない。
「何か?」
「ドルトマ・アルヴマーシュ様がしなずち様を朝食にお誘いです。如何なさいますか?」
「ドルトマが? わかった。すぐに行こう」
三人の額にキスをして、いつもの軍服を羽織って立ち上がる。
炎精の恋人ドルトマ・アルヴマーシュ。
故あって、勇者でありながらヴィラの繁栄の加護を求めたダークハイエルフの青年だ。恋仲である炎精のカーマは実体を持たない精霊で、受肉して結婚の仲買をした縁がある。一ヶ月ほど社で面倒を見ていた事もあり、同性の友人では一番仲が良いかもしれない。
夜の生活の知識とか技術とか色々仕込んでやりすぎ、一緒にカーマに追いかけられたのは良い思い出だ。
戸を開けて廊下に出ると、青い尻尾を持つ幼い人狼が頭を下げた。
確か、女将のお気に入りだったか。
「湧き滝の間でお待ちです。ご案内致します」
「よろしく。あと、これ」
二十錠程の錠剤が入った巾着を手渡し、握らせる。
「え?」
「一回一錠。良いきっかけになれば良いな」
「あ……ありがとうございますっ」
礼と一緒に尻尾をブンブン振り始める。
弟がいればこんな感じで可愛いのだろうか。頭を撫で、耳の後ろを指先で弄って反応を楽しむ。くすぐったそうに身を捩らせる仕草が狼というより子犬のようで、尻尾の感度を確かめる為に触手を伸ばし――――
「それ以上のお手付きはシムカ様に言いつけますぇ?」
「ごめんなさい」
いつからか居た笑顔の女将に、暗く冷たい怒気を叩きつけられた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
湧き滝の間は宿の外にあった。
八つの石柱が石造りの浴槽を支え、地面から吹き出す温泉がアーチを描いて注がれる。
瀑布の如き水音が外に響き、溢れ落ちる湯と白い湯気が壁の代わりに耳目を遮る。唯一の出入り口である飛び石の足場を伝い歩き、私は静寂で満たされた室内へと身を投じた。
柱に仕込まれた減音の魔術で、外の騒音は欠片もしない。
間者が入り込める隙も無く、湯治に見せかけた各国の重鎮達が会合の場として使用していると聞く。貸し切りには相応の金額が必要で、そんな所に呼び出す理由は果たして一体何なのか?
豪華な食事が並べられた長テーブルの向こう。一人で座る黒褐色の少年の顔を覗きこむ。
幼さが残る端正な、同性すらも擦れ違い様に振り返る可愛らしい顔立ち。日に三回は攫われそうになるという美少年の表情はしかし、普段の凛々しさに加えて僅かな焦燥が滲んでいる。
本当に何があった?
リザと大して変わらない外見年齢であるものの、彼は五百の齢を超えるダークハイエルフ。ダークエルフの十倍以上の寿命を持つ彼らに在っては若輩の一でも、北の最強勇者たる彼の焦りは、世界的に見て異常な事態だ。
出来る限り平穏を装い、私は彼の歓迎を受けた。
「お久しぶりです、しなずち様」
「『様』は要らないよ、ドルトマ。私と君の仲じゃないか」
「今回は、君の友人であるドルトマとしてではなく、ダークハイエルフのドルトマ・アルヴマーシュとしてここにいる。だから、用件が終わるまではこのままでお願いしたい」
「……そっか。わかった」
彼の心情を考え、私は促されるままに席に着いた。
給仕も奥方もいない所を見ると、先だって人払いをしたのだろう。ドルトマは魔術で食器や食材を浮かべ、配膳をして私の前に並べてくれた。
少しだけ、不満を持つ。
同じ皿を奪い合い、より多くを奪い合い、最後の一つを奪い合う。それを許し合うのが私達の仲だった筈だ。
なのに、これは何だ?
「用件は?」
「ナルグカ樹海――――我々ダークハイエルフとハイエルフが住まう樹海について。貴方がここにいるなら、今はあそこを攻めているのでしょう?」
「攻め始める所だよ。昨日はリザとやり合ってる最中に変な魚に襲われてね。情報収集の為に一旦退いたんだ」
「しばらく退いて頂きたい」
強く重い口調で、ドルトマは言った。
瞳を覗くと、口調と同じ強い意志が見て取れる。冗談でも遊びでも悪戯でもなく、必要だからそう言っている。
だが、理由もわからず首肯出来る程、私の意志は軽くない。
まだ返答は来ていないが、ヒルディアとの契約もある。
「私は一組の男女との契約であそこを攻める必要がある。それより優先すべき理由があると?」
「はい。あの樹海は、理の女神アルセアが僕らの祖先を匿う為に作り上げた物。足りない水を生み出す為にウッドレイクという水を生み出す魔魚が地中を泳いでいます。ですが、十数年前からウッドレイクの数が爆発的に増え、地中の魔力と水のバランスが崩れてしまっている」
十数年前という言葉に、ヴァテアの顔が頭を過ぎる。
確定ではないが、何かしらの影響は及ぼしていそうだ。後で追及して、しっかり責任を取らせよう、そうしよう。
「それで?」
「ハイエルフはウッドレイクの間引きの為、アルセア神が遺した安全装置を起動するつもりです。貴方もそれに巻き込まれかねない。対価として、僕らの里は貴方とヴィラ様に忠誠を誓います。どうか、お願いします」
「……………………」
何だろう。色々と妙な違和感がありすぎて、素直に「うん」と言いたくない。
樹海とあの魚―――ウッドレイクの関係は分かった。ウッドレイクが増えすぎて間引く必要があるのもわかる。
問題は、間引くのに必要なモノが『安全装置』という表現である事。
装置なら起動する為の何かが必要なんじゃないか?
それに、接触のタイミングがあまりにも早すぎる。どこかで私の行動を監視するか、あらかじめ予測して網を張っていないと、この会談も成立しなかっただろう。
まだある。
ヒルディアとジルランカ。
ただの種族違いの恋かと思っていたが、今の話を聞いたら何かあるとしか思えない。少なくとも、ジルランカと『安全装置』との関係は確認しておいた方が良い。その関係性の為に、ハイエルフは彼女を狙っている可能性もある。
あと、アルセア神は何をしている?
信徒の危機を放っておくのか?
「回答する前に色々と確認しておきたい。安全装置はジルランカがいなければどうなる?」
「起動には必要ありません」
「ダークハイエルフとハイエルフは、アルセア神を今でも信仰している?」
「ハイエルフは未だに。ですが、アルセア神は半年前に、尖兵を連れてこの世界を去りました。こちらの里は新たな信仰神を探しましたが選定に揉め、僕の勧めでヴィラ様を主神と崇める事に決まりました」
「…………どれだけ暴れた?」
「何の事でしょう?」
ドルトマはそっぽを向いて目線を外した。
信仰を変えるなんて確実に揉めそうな事案なら、きっと里全体を相手に大立ち回りをした筈だ。最低でも半壊か全壊かは免れず、ヒルディアが言っていた今年の実りを思い出して早期の救援を予定に組み込む。
最強の肩書は伊達ではない。
うちの巫女達だって、彼に勝てるのはラスティくらいだろう。
「全く……最後に一つだけ」
「はい」
「その安全装置が君達の里を脅かす可能性は?」
「……………………」
私の問いに空気が変わった。
出来るだけ無難に取り繕っていたソレから、ばれてはいけない物を突き付けられた緊張感のあるソレに。おかげで違和感の正体がわかり、額に手を当てて天を仰ぐ。
あぁ、やっぱり。
だから、そうなのか。
「その安全装置を止める方法は?」
「…………十分な魔力を与えるか、物理的に破壊するか。ハイエルフはジルランカの命を禁術で魔力に変え、『アレ』に喰わせるつもりでした」
「ジルランカがいなければ、ソイツはダークハイエルフ達を襲うんだな? それで足りなければハイエルフの里も」
「………………」
真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに、真っ直ぐな目が私に向く。
嫌な目だ。私はこの目を知っている。
前世で何回も見た、死と隣り合わせになった時の兄貴と同じ目だ。
覚悟をした者の目だ。
「やめろ」
「聞けません」
「何人犠牲にする気だ!? 最後には君自身も死ぬ気だろう!?」
「その為にヒルディア達を君の所に送りました。僕らもハイエルフも元は同じ祖から生まれた存在。ヴィラ様と貴方の下でなら、きっと今以上の繁栄を築ける事でしょう」
「さっきから『君』と『貴方』で使い分けるなよっ! 私と君は『君』同士だけであれば良い! 君に『貴方』なんて、生きている世界が違うかのように言われたくない!」
「しなずち……」
「嫌だよ……行かないでよ…………兄貴みたいに『俺』を……私を一人にしないでよ…………っ」
心が揺れ、身体がぶれる。
もう捨てた筈の俺が、私の悲しみにつられて表に出て来た。何とか抑えようとするが、兄貴を亡くした時と同じ今の姿が、俺の心と同調して私の心を揺り動かす。
頭を抱え、俺を追い出そうと大きく振る。
悲しむだけの、苦しむだけの俺は要らない。
同じことを繰り返さない為に、俺は私になったのだろうに。
「兄貴……ヴィラ……真冬……ドルトマ……ヴァテア…………」
『しなずち』
愛しい声に顔を上げると、虚空が銀に輝いて褐色の美女が現れた。
銀色の長い髪。柔らかな肌。扇情的な凹凸を隠しきれない銀色の薄い衣。神々しく凛とした、静かな佇まい。
私の女神。
「ヴィラ……」
「少し休め。私が傍にいるから」
ヴィラの抱擁に包まれて、目を閉じる。
温かな、安らかな、静かな、彼女の鼓動。
私は私の在り方を思い出して安心し、しばしの眠りに意識を委ねた。
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