第36話 大地の異変


 脈は世界の血管だ。


 水、土、気、魔、龍。この五つの栄養を各地に運び、そのバランスで地形や環境が変わる。


 水が多ければ池や泉に。


 土が多ければ丘や山に。


 気が多ければ森や樹海に。


 魔が多ければ薬草や鉱石の産地に。


 龍が多ければ天候に恵まれた地に。


 ハイエルフ達の森は気と魔に恵まれている。水と土も他と比べれば良いが、突出して良いのがその二つだ。


 ただ、龍脈には恵まれていない。


 他の脈が太すぎて入り込む余地がないのか、毛細のような線が隙間を縫うように通っているだけ。これではほとんど雨は降らず、水の補給は地下水脈に頼るしかない。



「それでこれだけの森が自然にできるとは考えにくい。この水の量なら森四割、草原六割が良い所だ。ハイエルフとダークハイエルフが手を加えたのか?」


「百年前にそんな事を聞いた覚えがあるわよ。で、しなずち様、そろそろ出して?」



 大蛇に全身を呑まれ、頭だけ出した状態でアシィナが嘆願する。


 怯え、媚びるような笑顔が嗜虐心を誘う。大蛇は私が腰から生やした物で、ヒュレインも同じように呑ませて地面に転がしていた。


 逞しく美しい馬体を内の触手で蹂躙され、『ぁぁ、出ちゃうの? 出ちゃうの?』と、興奮と発情しっぱなし。私に手を伸ばして口にもぶち込んでとアピールしていて、落ち着くまでこのままにしておこうと心に決める。


 そして、アシィナにはおしおきが必要だ。


 訊けば、南に自分を連れて行かなかった事を不満に思って、今回の計画を立てたのだという。嫉妬深いしっかり者は一緒にいて気持ちが安らぐが、私への独占欲は他の巫女達の排除へと繋がりかねない。


 自身の存在全てが私の為にあり、私にだけ向けるべき物と教育し直さなければならない。


 私はアシィナを呑み込む口を閉じ、内側に無数の触手を形成した。


 呼吸は出来る程度に穴という穴は全て貫く。悦びの艶声と水音が隙間から漏れ聞こえ、期待に胸を膨らませるヒュレインが自分もと艶めかしく懇願してくる。


 もうやってるのにまだ欲しいの?


 妊婦みたいになるまで注ごうか悩み、大蛇も閉じて放置を決め込む。


 少し視界を切って正気に戻そう。理想は最初に会った時の凛々しいくっ殺に戻ってくれると良いけど、逆に私が脳裏に張り付いて依存を強めて無理かなぁ……?



「全く……もう朝か」



 木漏れ日が照らし、樹海の陰影を際立たせる。


 照らされた木々と地面と、照らされていない木々と地面。


 元は同じ繋がりなのに、光の当たり方一つで大きく印象が変わる。はっきり見える美しさと、良く見えない妖しさ。片方でも価値ある物なのに、両方揃うと更に魅力が増していた。


 ただ、幾分光の方を多く感じる。


 頭上に広がる緑を見上げ、疎と密を意識して目を凝らす。


 枝の伸び、葉の並び、全体の樹形、一本一本を注意深く観察するとバランスの崩れが見て取れた。明らかに葉が少なく、末端の枯死した枝が痛々しい姿を晒している。



「樹が弱ってる? 落ち葉が無い所を見ると、何年も前からこの状態なのか? でも、魔脈とどういう関係がある? 木の成長は水、土、気、龍のバランスで、魔はあまり関係ない筈だ」



 考えを巡らすが、予想がつかない。


 仕方ないので、先に魔脈の異常の調査をする事にした。手を地面に突き入れ、大地の奥深くにある脈動を感じ取る。


 滑らかに流れる水脈、ゆったりとずれ動く地脈、奔流の如き気脈、辛うじて感じられる程度の龍脈。


 淀みしか感じない魔脈。



「……なにこれ?」



 何がおかしいって、全部がおかしい。


 本来の魔脈は膨大な魔力が一定の速度と圧力で流れ、脈の周囲に均一に浸透していく。それが、この樹海の魔脈は速度も圧力も場所によって全部バラバラになっていた。


 大地への浸透も濃い場所と薄い場所に別れていて、詳しく調べるのが馬鹿らしいほど滅茶苦茶だ。


 何となく、前世で教わった動脈硬化の症状を思い出す。


 血管の壁に血栓が付着して血の巡りが悪くなり、無理やり流そうと血圧が上がる。血栓が大きくなりすぎると詰まって壊死するか破裂するか、どちらにしても最悪の事態にしかならないと看護師のお姉さんは言っていた。


 それが、この樹海の規模で起こったら?



「距離的に社まで影響が出かねないな。解決の為には手段を選ばないから、君達の長にそう伝えておいてくれ」


『っ!?』



 半ば宣戦布告の意志を伝えると、囲むように隠れていた集団が動揺して汗の匂いを変えた。


 彼らの存在は、アシィナ達へのお仕置きの最中に匂いと熱で感じていた。


 果物の甘酸っぱい香りと薬草を精する時のほのかな刺激臭。つい最近も同じ匂いを嗅いだから、何者かは既に割れている。


 ジルランカ。ハイエルフ特有の匂いだ。



「それともう一つ、ジルランカはうちで預かっている。取り返そうというなら相手になるが、一族の命運をかけて挑め。女神軍第四軍が全霊をかけてお相手をしよう」


『我らに勝てると思っているのか!?』



 高慢そうな男の声が樹海に響く。


 声の質、汗に混じるストレスの色、口調等々、まるで負け犬の遠吠えだ。自身のプライドを保とうと必死に威嚇し、逆立ちしても敵わない事を本能的に察していても、理性がそれを拒否している。


 私は足から血液を地面に流した。


 小声で祝詞を上げて守り蛇を百匹生み出し、隠れている中で特に気配隠匿が上手い三人の足元に配置する。


 準備完了。



「実力のわからない相手に多勢で挑む慎重さは評価する。だが、斥候なら声をかけられた時点で逃げるべきだったな。そうすれば、少なくともこの被害は免れただろう」



 言い終わると同時に、二か所から悲鳴が上がる。


 一人は逃がしたものの、狙っていた内の二人を守り蛇は容易く呑み込んだ。地中には引き込まず、わざと地上に残す事で残りの視線を二か所に分散する。


 その隙に、私は身の程知らずの哀れな男と距離を詰めた。


 得物の弓の弦が引かれるが、動揺からか動きが鈍い。放たれるより早く懐に入って鳩尾に拳を入れると、男は痛みと呼吸困難でその場に崩れ落ちる。


 これで三人。


 片手を上にあげ、二十の蛇体を周辺の木々に巻かせる。獲物は追いかけず、地上十五メートルの高さに、半径三百メートル内の範囲で網のような場を作った。


 一瞬でも、全員が頭上の場に視線を向ける。その瞬間を狙って、地中に配していた九十余りの守り蛇が下からハイエルフ達に迫り――――



「そこまでじゃ」



 刹那に飛来した五十のブーメランが、全ての守り蛇を無数に刻んだ。

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