第31話 初めての戦争らしい戦争(中)


 六枚の翼を生やして空気を掴み、減速をかけてグランフォートの陣地に降り立つ。


 突然の訪問に兵達がどよめき、私は気にしないよう上を指した。直後にヴァテアが着地して、今度は士気高揚の喊声が上がる。


 指揮者の補佐をしていた女竜人が、私達に向かって駆け寄った。


 四肢に紅の鱗を纏い、ドレス調の優雅な鎧を纏った美女傑だ。シムナのように鍛え抜かれた肢体は力強く、それでいて人妻特有の女性と母性を兼ね備える。


 人換算で二十歳前後の若々しさというのに、もしこの世界にもその界隈が賑わっていれば、間違いなく食指が動くに違いない。


 私の考えを読んだのか、シムナが触手を抓ってきた。


 頬を膨らませて嫉妬する様が可愛らしく、ぎゅっと抱きしめて思いを返す。女竜人はそんな私達の仲睦まじさに微笑みを見せ、右拳を左胸の前に構えて礼を取った。


 敵意が無い事を明確に示し、敬意を見せて友好の初手を交わそうとする。


 私もまた、触手の一本で同じく左胸の前に構えた。



「女神軍第四軍団長しなずち。我が友ヴァテア・G・グランフォートへの義により加勢致します」


「グランフォート皇国第二皇子ヴァニク・D・グランフォートが第一夫人、ラフィエナ・グランフォートです。加勢を感謝致します。ヴァテア殿下には後でお話がありますので逃げないでください」


「え? この扱いの差は何?」


「私達の苦労が理解できませんか?」



 青筋を立てて浮かべる笑顔が怖い。


 幸いなのは、その対象がこちらではなくヴァテアだという事だ。防衛戦争中なのに帰りが遅いとか、そういう真面目な理由と思いたい。


 だが、今は戦況の方が大事だ。



「私の巫女達が両翼から進攻します。正面をお任せしても?」


「承知しました。そちらの動きに合わせて、私達も前進しましょう。殿下は最前列に。士気が更に上がります」


「俺無しでも戦えるようになって欲しいんだけど―――はい、ごめんなさい、すぐ行きます」



 向けられた冷たい瞳に屈し、ヴァテアはブツブツ文句を言いながら身体を透けさせて虚空に溶ける。


 私もシムナを降ろして周囲に血をばらまいた。


 いつもの祝詞で狩り蛇十体を生成し、最前線に向かったであろうヴァテアの護衛に向かわせる。多分必要ないと思うけれど、乱戦は質の差を覆す偶然を生む。万が一を考えて、億に一の可能性を兆以下にまで落として減らす。


 さて、次はどうしよう?



「失礼ですが、戦争の経験は?」


「負け戦を二度。ヴァテア殿下と夫に一回ずつ、二万倍差の戦況をひっくり返されました。なので、戦における優勢は常に疑い、使える物は何でも使う事を信条としています。殿下は私達を鍛えたいようですが、それで負けてしまっては元も子もありません」


「負けるヴィジョンが見えますか?」


「見えないからこそ、警戒し、備えるべきです」


「ふむ…………」



 慎重に過ぎる。


 絶対的な経験不足から、見えない物を見ようとして見える物を見ようとしていない。


 ヴァテアが鍛えようとするわけだ。危機的な状況から勝利の匂いを嗅ぎ分ける感覚が育っていない。敗北を避けようとして勝機を掴む事が出来ない。


 二度の敗戦程度では、この辺りの反骨精神の成長は不十分らしい。


 うちの巫女達も似た事になっていないか、今度確認しておこう。


 特に、黒巫女衆は経験が浅い若い巫女が何人もいる。必要なら、朱巫女衆の修練合宿に参加させてみるか。


 まぁ、その前にこの戦争を終わらせないと―――。



「しなずち様、戦況が動くぞ」



 シムナの言葉の直後に、グランフォート兵達が雄叫びを上げた。


 前線に現れたヴァテアが兵達を鼓舞し、同時に左翼から百の頭を持つ大蛇、右翼から死体が集まって出来た強大なゴーレムが現れ、ダルバス軍に攻撃を加え始めた。


 既に有利だった戦況にダメ押しが入り、敵方は恐慌状態に陥っている。その場に立ち尽くす者、生き延びようと逃げる者、絶望から自害する者など多種多様だ。



「シムナの見立てで、この後はどうなる?」


「普通の戦場ならこれで終わりだ。勇者なら、両翼のわかりやすい大物に一撃をくれてから正面を突破する。尖兵なら?」


「アガタとノーラは無理だ。私かダイキなら、正面から押し返せなくもない」



 そう。可能性としては在り得なくはない。


 圧倒的な物量か、圧倒的な暴力か、それらに匹敵する何かさえあれば、まだダルバス側に目はある。


 問題は、そんなものが本当にあるのかという事。


 正義を振りかざす連中は、大義名分さえあれば動く。


 勝機があろうがなかろうが、正しいと信じた道を行くのが正義なのだ。もし、きちんと勝ち目を用意して動くような輩なら、そいつらが持つのは正義ではない。扇動と打算だ。


 ダルバスは仮にも正義の神を名乗っている。


 自身の務めをしっかり果たしているならば、尖兵を出すか、無様に敗北を喫する筈。


 どっちだ?



『主様、ダルバスの大司教がお出ましだ!』


「そっちか」



 上で監視していたラスティから報告が入り、示された方角に目を向ける。


 敵陣後方の空で、無駄に煌びやかな馬車が戦場を見下ろすように駆けていた。更に地上には増援と思しき奴隷兵団が追随していて、戦場に向かって駆けだして―――?



「速い!」



 増援の進行速度が異常だ。


 徴兵されたと思しき粗末な格好の奴隷達が、常人を遥かに超える速度で戦場になだれ込んでくる。対処の指示を送ろうとするが間に合わず、あっという間に戦場入りして両翼と魔力槍の嵐を掻い潜って来た。


 数はおおよそ五千。


 先遣がヴァテアに迫り、敵将を討ち取らんと果敢に攻める。狩り蛇達が二十の蛇龍頭を生やして応戦しているにもかかわらず、抑えきれずに接敵を許してしまっている。



「ラフィエナ殿、兵を下がらせろ! ラスティは私に代わって巫女衆を指揮! シムナは正面で敵兵を押し返せ! 私はあの悪趣味な馬車を叩き落す!」


「『了解!』」



 指揮を委譲して、単身で敵の本陣に向かって駆ける。


 ただの奴隷が一流顔負けの身体能力を持っている?


 狩り蛇の攻撃を避けてヴァテアに斬りかかる?


 普通なら在り得ない。だから、これは普通じゃない。おそらくは尖兵の能力で、あの馬車に乗る大司教が元凶だ。



「私と同じ匂いがするなっ」



 もし予想が正しければ、アレの相手は尖兵以外出来ない。


 存在自体が明確な拠り所を持っていなければ、あちら側に染められる可能性がある。心を貪り、身体を貪り、底無しの沼に引きずり込んで、後戻りできない底の底まで連れていく。


 胸糞悪い感覚が喉奥で蠢く。


 おぞましい何かが巫女達に這い寄り、犯そうとしている感覚が這い回る。それは私だけがして良い物だ。他の誰にもやらせてたまるものか。


 許せない。


 許さない。


 皆は私の巫女だ。私だけが触れ、私だけが染み、私だけが注ぐ。


 お前にその権利はない。


 お前に権利は渡さない。


 もし、それでも犯そうというのなら―――。



「私が、死をくれてやるよ」

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