第98話 鬼のミイラ
僕は昔、コンビニに置いてあるオカルト雑誌を読むのが好きだったんだけど、あれって今でもあるのかな?
雑誌っていうよりは、コンビニ本って言った方が正しいかな。分厚くて、ほとんどカラーページで、その割には値段が安い本。
まあ、値段相応というか、中身もそれなりのクオリティだったんだけどね。ネットで有名な何回見たら死ぬ絵とか、精神病を患った画家が描いた自画像とか、明らかに合成っぽい心霊写真とかをまとめて紹介してあるんだ。ただ内容がちょっと怖いだけのCMを、呪われたCMとか言って載せてたり、未確認生物の死体とか言って、明らかに腐ってるだけのクジラの死体を載せてたりね。
でも、当時はそれなりに楽しんだものだよ。まだ携帯を持たせてもらえなくて、ネット環境が身近になかった頃は、そういうものでオカルト欲を満たしたものさ。
今では、いい経験だったと思ってるよ。ヤバイくらい怖いものも、くだらないものも、玉石混合に摂取することで、どれが本物なのか見極める力が鍛えられたからね。はは。
ただ・・・、そんな僕の考えが、見事に打ち砕かれたことがある。これからするのは、その時の話だよ。
—鬼のミイラ—
とある地方にスキー旅行に行った時の話。
僕は運動するのが好きじゃないから、乗り気じゃなかったんだけどね。友達の付き合いで渋々行くことになったんだ。
案の定、まったく滑れなくて、僕は初日にして身体がバキバキになってしまった。二泊三日の予定だったんだけど、二日目の朝は筋肉痛でとても動けなかったから、ホテルに残ることにしたんだ。
嬉々として出て行く友達を見送った後、僕は暇つぶしにロビーで観光雑誌を眺めていた。スキーはできないけど、歩けない程じゃない。どこか、よさげな観光地があったら、行ってみようかと思って。
ところが、主要な観光地はスキー場からかなり遠かった。とても気軽に行ける距離じゃないし、タクシーを使ったらそれだけで破産だ。
これじゃどこにも行けないな。そう思って雑誌を畳もうとした時、ふと、ページの隅に乗っていたとある文字に目が留まった。
”○○山○○院”
ん?このお寺の名前、どこかで・・・。
あっ、と思い出したよ。
このお寺、昔読んだオカルト系のコンビニ本で紹介されていたはずだ。確か、鬼のミイラが祀られているとかで。
瞬時に記憶が蘇ってきた。”これは本物の鬼のミイラだ!”っていう紹介文。そして、載せられていたその鬼のミイラの写真。
頭に額の辺りから二本の角が生えていて、腕も脚も妙に細くて長い。その人間離れした身体の表面はボロ布のように朽ちていて、所々から骨が覗いている。そしてなぜか、それは体育座りのような格好で祀られていた。
じゃあ、ここに行けば・・・。そう思って、そのお寺の紹介文を読んだんだけど、鬼のミイラがあります、なんてことは書いていなかった。境内に植えられている桜が綺麗とか、長い石段があるとか、そんなことばっかり。
でも、確かにここだったはずだ。そんな自信があったから、僕は行ってみることにしたよ。そのお寺、スキー場から凄く近かったからね。
それで、スキー場に頻繁にやってくるバスを使って麓に降りて、タクシーを呼んだ。本当に近くて、ものの三十分程度で着いたよ。
それで、いざお寺の中に入ってみると、ほとんど人がいなかった。石段やおみくじ売り場にちらほらといるくらいで、境内にはまったく人気が無い。
まあ、いかに観光地といえど、目立つものはないんだから、こんなものか。そう思いながら、一通り見て回っていたんだけど、どこにも”鬼のミイラあります”なんて看板がない。あちこちウロウロしてみても、一向にそれらしきものが見当たらない。ここには、それを目当てに来たというのに。
あれ、記憶違いだったかな?いや、でも、確かにここだったと思うんだけど・・・。もしかして、もう展示はやっていないんだろうか?鬼のミイラなんて、今時流行らないし。
ため息をついていると、ふと、境内の隅っこで掃き掃除をしているお坊さんがいるのに気が付いた。
ああ、あの人に訊いてみよう。そう思って、近付いて呼びかけた。
あの、すいません。ここって、確か鬼のミイラが祀ってあったと思うんですけど。
すると、そのお坊さんは箒を掃く手を止めて、ゆっくりと振り返った。
・・・申し訳ありませんが、あれはもう展示しておりません。
えっ?
もう展示してない、ということは、以前は展示してあったってことだ。なのに、今はもう見れない?
どうしてですか?
そう訊くと、お坊さんは眉をひそめた。
とある事情がありまして、今は参拝に来られる方々の目につかない場所に祀ってあります。
・・・その、とある事情って、一体何なんですか?
僕は興味津々になって訊いた。これは何か、面白い話が聞けそうだと思ってね。
すると、そんな僕の意図を汲み取ったのか、お坊さんは、
聞きたいのなら、あちらの方でお話しましょう、
って言って、おみくじ売り場の方へ歩いて行った。僕はワクワクしながらついていったよ。
お坊さんはおみくじ売り場の裏手に僕を通した。どうやらそこはちょっとした休憩所になっているらしくて、小上がりにストーブが焚かれていた。上がり込んで、置かれていた座布団に座るお坊さんに倣って、僕も上がり込んで座布団に座った。
それにしても、珍しいこともあるものです。あれのことを、まだ覚えている方がおられるとは。
いえ、そういったものが好きな方でして。・・・それで、なぜ今は?
そう訊くと、お坊さんは少しだけ表情を曇らせた後、粛々と語りだした。
・・・いいでしょう。あれから、もう何年も経ちましたから。
あれは昔から、ここに祀られていたものでした。私はここの住職を務めていますが、父の、そのまた父の代よりもずっと前から、あれはここに祀られていました。
かといって、あれが昔から見世物のように扱われていたことはなかったと聞きます。少なくとも、私の祖父の代の頃は。そのように扱われだしたのは、父の代の頃のことでした。
まだ私が幼い頃、丁度テレビや雑誌でそういったものが流行し、ブームになっていたようでして。父はそれに目を付けたのか、それとも誰かから唆されたのか、人目に付かない所に祀ってあったあれを、わざわざ境内へと引っ張り出してきたのです。それなりの社を建てて、わざと参拝に来られる方々の目に付くようにして。
それが功を奏したのか、父の方から声を掛けたのか知りませんが、あれは日の目を浴びることになりました。テレビ番組や雑誌の取材が相次いで来るようになり、多少、世間の注目を集めることになったのです。
父はそれをとても喜んでいました。性分である目立ちたがり、というのもあったのでしょうが、取材費やそれ目当てに訪れる参拝客が落としていくお金が理由でしょう。他人から言われれば否定していましたが、そうに違いありません。父は、あれを使って儲けることに執心していました。
私はなんとなくそれを察して、父を冷ややかに見ていました。それは母も同じでした。かといって、私たちに父を諌めるほどの力はなく、ただ傍観するだけでした。
唯一、祖父だけが父に対して怒りを見せていました。ただ、その頃祖父は痴呆の症状が出始めていて、一日中床に伏せていましたから、父の行動を阻止するだけの力はありませんでした。
そんな祖父は時折、床に伏せたまま幼い私を呼びました。痴呆の症状が影を潜めている時です。祖父は正気に戻ると、どうしてか私を呼びつけて、懇々と話をするのです。
大概が、父のようになるな、真面目に寺を継げ、というものでしたが・・・、ある時、祖父は遠い目をしながら、こう言いました。
いいか、あれは本来、人の目についてはならんものだ。あれは、きちんと祀っておかんと、その内災いを招くだろう。
あれって、あの鬼のミイラのこと?
私がそう訊くと、祖父は目を見張り、
・・・あれは鬼などではない。あれは、・・・人だ。
いいか、お前の代になったら、すぐにあれを元の場所へ祀り直すのだ。そうすれば、お前には災いをもたらさんだろう。
祖父はそう言うと、私の肩をポンと叩きました。それからしばらくして、祖父が亡くなり、その数年後、父も亡くなりました。
あ、あの、人って・・・。
僕が恐る恐る訊くと、お坊さんは伏し目がちに、また語りだした。
その言葉の通りですよ。あれは、人の身体を使って作られたものです。それも、一人ではない。複数の人間から。
知っているということは、あれの姿を覚えているのでしょう?
あれは人間離れした身体つきをしている。腕も脚も妙に長く、頭身も明らかにおかしい。
・・・あれはいわば、継ぎ接ぎの人形ですよ。頭も、胴も、腕も、脚も、別々の人間のものです。角だけは、雄鹿から切り出して取り付けた様ですが。
ですから、あれは本来、人目に付いていいような代物ではないのです。崇め祀っておかなければ災いをもたらす邪神。いや、その紛い物。
この日本では、そう珍しくはありません。それこそ父の代の頃には、各地でやれ鬼のミイラだ、河童のミイラだ、人魚のミイラだと、テレビや雑誌で囃し立てられていたでしょう?
その内のどれが本物で、どれが偽物だったのかは知りませんが、今となってはどうです?何々のミイラなんて、ほとんど聞かなくなったでしょう?
これは私の推測ですが、大半は私たちの業界の非難を浴びて処分されたか、然るべき場所に隠されたのだと思います。ほとんどのものは、本物の人間の身体の一部を使って作られていたのでしょうから。今でも表沙汰に残っているものは完全なる偽物か、猿の死体でも使って作られているものでしょうね。
今にして思えば、異常な時代ですよ。邪神の紛い物を平然とテレビで流し、雑誌で取り上げていたのですから。
僕はお坊さんの話を聞きながら、居心地の悪さを感じていた。
あの頃、テレビや雑誌で取り上げられていた様々なミイラ。僕はそれを、”こんなの偽物じゃんか”と、鼻で笑っていた。リアリティのない、くだらないインチキだとね。
でも、それは間違っていた。
気が付いたんだよ。お坊さんの言葉の通り、今は何々のミイラなんて話、まったく見聞きしなくなった。その理由は決して、流行らなくなった、なんてことじゃなかったんだ。
本当にヤバイものだったから、世間の目に付かないように消え失せたんだ。
目の鱗が落ちた気分だった。考えてみれば、人間の死体を継ぎ接ぎにして、イタズラに動物の死体と組み合わせるなんて、まるで猟奇殺人犯のやり口じゃないか。しかも、それをわざわざミイラにして残しておくなんて。
昔の人は、なぜそんなことを?
日本にだって、ミイラの文化はある。俗にいう、即身仏だ。でもそれは、仏教の一部でしか見られない民間信仰のひとつだ。動物の死体と組み合わせるなんて、そんな文化は無いんだよ。
あと、この話を聞いて、こんなことを思った。
これ、細部は違えど、”リョウメンスクナ”の話に似ていないか?
あれが嘘か本当の話かは別として、邪教が絡んでいたりする以外には、似通った部分が多い。
それに、お坊さんはあのミイラのことを、こう言っていた。
崇め祀っておかなければ災いをもたらす邪神の紛い物。
日本の各地で発見されたミイラは、邪神を創造する目的で作られたのではないか?
真相は分からない。ただ単に倫理観が狂った人間が作ったのかもしれない。それもそれで怖いけれど。
最後に、僕はお坊さんに訊いた。
あの、お父さんが亡くなられたっていうのは・・・。
すると、お坊さんは無気力に言った。
警察によると、目撃者はいないんだそうです。なので、自殺か事故のどちらかだろうということになりましたが・・・、電車に飛び込んだのです。
あれの災いを身に受けたのでしょう。身体はバラバラに砕けてしまっていて、棺桶の蓋を開けられませんでしたから。
ええ、身体がバラバラ・・・。正に、あれのようにね。
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