第10話:最期の戦い

 平穏はふた月ほど続いた。それが長かったのか、あるいは短かったのかと問われれば、エンナは短かったと即答するだろう。


 それでもイーファとアンガスと共に過ごす時間はすでに身体にも心にも染みついており、もう長い間ずっと一緒にいたような気もした。


 どちらにしてもそれが今日で終わるかもしれない。まだ実感の沸かない事実ではあったが、頭ではそれを理解していた。


「ついにきたなぁ」


 三人並んで、城の屋根に立っていた。


 隣でアンガスが感慨深そうに言う。名残惜しさを多分に含んだ声音に、普段飄々としたこの友人も自分と同じ気持ちだと知れて、込み上げるものがあった。


「まだ終わらない。——終わらせやしない」


 自分に言い聞かせるように呟いた言葉に、エンナ自身がすがっている。


 そんなエンナに寄り添うように、


「もちろんです。明日からまた、三人で過ごす普通の日々がやってきます」


 こちらは確固たる決意を隠そうともしない声音でイーファが言う。


 隣にいるイーファを横目に見遣る。同じように視線をよこしたイーファはこわばった表情で、それでも艶然と笑んだ。


 自然と手と手が繋がれた。そのぬくもりを確かめるように、どちらからともなく握りあった。


 ふたりの様子を眺めていたアンガスが、こちらも笑みを浮かべる。寂しさを秘めた、それでもどこか満足げな表情(かお)だった。


「俺に悔いはないよ。おまえらが、そうやって一緒にいてくれることが俺の救いだ」


 それはアンガスの本音であると同時に、彼が死んだ後のエンナとイーファを慰めるための言葉でもある。


「なんだおまえ、本気で俺と戦うなんて言ってたが、勝つ自信がなくなったのか?」


 エンナは鋭い視線を向けながら、挑むように言ってやる。アンガスの生きる意志をたきつけてやりたかった。


「もちろん戦うからには本気だ。戦闘には自信がある。……でもなんでかな。今はおまえに勝てる気がしないんだ、エンナ」


 いつになく穏やかな空気を纏うアンガスに、またぞろ怒りが沸いた。


「わけのわからんことを言うな」


「おまえは優しい奴だ。そして何より友達想いだからな。おまえはきっと、俺のために俺を殺してくれると信じてる」


 呪いにも似た謂いだった。


 エンナは応えなかった。


 代わりとばかりに掌を差しだした。


 アンガスが目をまんまるに瞠ったあとに、苦笑した。


「野郎と手を繋ぐ趣味はねぇよ」


「うるさい。黙って俺にまかせとけ」


 無理矢理に手を取って繋いだ。


「ふふ、みんな仲良しですね。いいことです」


 いかにもイーファは嬉しそうだった。


「……ったく」


 そっぽ向きながらも、アンガスは繋いだ手を放さなかった。


 互いに異なる思惑を持ち、それでも根底を同じくする気持ちを手のぬくもりと一緒に共有した。今この瞬間、こうしていられることが幸せだと思った。


「行きましょうか」


「ああ」


 一転して真面目な調子で言うイーファにアンガスが応える。


 手は繋いだまま、三人して空を見上げた。


 遙か遠くの空に、遠目にも巨大とわかる影があった。


 それが一直線にこちらに向かってきていた。


 あの運命の日。イーファと、そしてアンガスと出会ったあのとき、逃がしてしまった天魔だった。エンナをそれを鋭く睨みつける。


「まずはあれを排除する」


 思い思いの決意を胸に秘め、再び戦場に飛び込む。


 †


 混戦のなかにいた。


 数多のチームカラーが無秩序に飛び交っている。それぞれのチームが何を意図して動いているのかは、同じ色の呼応石を持つ仲間同士でしか共有することができない。


 エンナの胸元にはアースブルーの光が灯っている。同じ光を放つ呼応石を持つイーファが、自分の斜め後方にいることを、呼応石を介して感じた。


 居場所だけではない。イーファの身体を流れる魔力の本流が、その意思が、その感情が手に取るように脳裏に流れ込んでくる。


 ひとりで戦い続けてきたエンナには初めての感覚だった。


 なんともいえない幸福感とともに、こそばゆい気持ちになっていた。心が浮き立つのを我慢できなかった。


 たくさんの天駆や天狼、そして色とりどりの陣を器用に躱しながらアイオンが天魔に向かう。倉に提げたいくつもの武器から、刀を選んで手にした。


 抜刀してアイオンと共に強襲する。


 天魔の瞳がエンナに向けられる。かつて恐怖したダークレッドの視線に、今は一切の恐怖を感じない。呼応石から伝わるイーファの存在がいつでもエンナと寄り添っていた。


 イーファが背後から凄まじい速さで迫ってくる。


「決めてくださいよ」


 追い越しざまにイーファの声が聞こえた。こちらには目もくれない飛翔だったが、心はひとつだった。


 イーファの拳が天魔の胴を捕らえる。強固な鱗が砕け、その巨体が僅かに宙で位置をずらす。


 再度攻撃しようと拳を掲げたイーファを、天魔は完全に敵と見なした。その瞬間を狙う。


 イーファの攻撃から一瞬だけ時間をずらして飛び込んだエンナの存在に、天魔の反応は鈍行する。


 アイオンの脚力を刀身に伝えるようにして、すれ違いざまに斬った。天魔の巨体に深い刀傷が刻まれた。


 悲痛な叫びを挙げた天魔を今度はイーファが追撃する。


 思い切り蹴り上げた。天魔の身体が跳ね上がる。それでも反撃にでた天魔の爪がイーファを襲うが、イーファは構わず天魔の懐に飛び込むや、回し蹴りの体勢に移行している。エンナの陣が自らを守ってくれることを知っての攻撃だった。


 その意図を共有するエンナは、アイオンの背から天魔の背へと飛び移りながら、陣を形成する。


 天魔の爪がイーファに届くことなくはじき返された瞬間、イーファの回し蹴りが炸裂した。


 天魔の巨体が大きく揺れるが、その背にいたエンナは器用に歩幅と体勢を器用に調節してバランスを保っていた。イーファと意識を共有することで、訪れる衝撃のタイミングと強さを予め知っていたからこそできる芸当と言えた。


 天魔の背に刀を突き立てる。深々と刺した刀の柄を掴み、そのまま駆けだした。鱗ごとその身体を切り裂きながら天魔の背を蹂躙し、天魔が大きく暴れ出したところで宙へと離脱した。


 意想外の衝撃があった。誰かにぶつかったのだと一瞬にして悟る。


「退いてんなよ。一気に終わらせるぞ」


 耳元でその声を拾った時には、すでに視界が一転していた。


 アンガスに投げ飛ばされたのだと、一瞬遅れて気付く。呆れながらも、愉快な気分になったのはなぜだろう。


 器用に陣を張って降り立ったエンナの傍らに、イーファが舞い降りる。


「エンナってば楽しそうですね」


 戦闘中とは思えない気さくさでイーファがくすくすと笑う。


「どうしたらそう見える……」


「見えるのではなく、ちゃんと感じてますよ? コレがありますから」


 誇らしげに呼応石をつまみ上げてみせる。


「相手の感情がわかりすぎるのも考えものだな……」


「ふふ、確かに気恥ずかしいですね、これは。でも、嬉しいです」


「……まあな」


 ふっと表情が緩むのが自分でもわかった。


「でも、そろそろ終わらせるか」


「はい! ……って、大胆なこと考えますね」


 エンナの思惑をいち早く感じ取ったイーファが呆れている。


「確実に仕留めるとしよう」


「了解です。わかりましたか、アンガス?」


 遅れてやってきたアンガスにイーファが問うが、アンガスはしかめっ面をしてみせる。


「わかるわけねぇだろうが。呼応石で二人だけの世界に浸ってんなよ」


「あれ? もしかして拗ねてます?」


「……拗ねてねぇ。で、どうするんだ?」


「見てればわかりますよ。アンガスは私に合わせてくれればいいです。ね、エンナ?」


「ああ。アンガス、しくじるなよ」


「誰にものを言ってんだ」


 エンナの右手首でブレスレット型の魔導具が一際大きな光を瞬かせた。空を溶かすようなアースブルーの輝きに、天魔のみならず他の天駆達もが一斉にエンナの方を見た。


 そのなかにはウォルスたちの姿もある。


“やってみせろ”


 ウォルスの瞳がそう語っていた。


 期待されたからには応えたいといういつもの想いが湧いてくるのを、しかしエンナはいつもより少しだけ前向きに受け入れることができた。


 そんな感情を、となりのイーファが本人以上に喜んでいるのを感じ取り、なおさら感動の熱に震える思いがした。


 空に、ゆったりと演算の文字式が浮かび始める。それが八カ所、それぞれが巨大な円環を描くように展開されていく。


 空が遙かなるブルーに染まっていく光景に、誰もが見惚れた。唯一、天魔だけが身の危険を感じ取り、元凶であるエンナに猛進を開始する。咆哮で大気を振るわせながら猛然と迫る漆黒の巨体をエンナは悠然と見据えた。


 エンナの前にイーファとアンガスが庇うようにして進み出る。それを視界に納めるエンナはなんとも心強い気持ちにさせられ、一切のあせりを捨て去って陣の形成に集中した。


「信頼しきってくれるのは嬉しいですけどエンナ、なるべく急いでくださいよ?」


「わかってるよ。防御はまかせた」


 ひとつ頷いたイーファが一直線に天魔に向かい、その後にアンガスが続いた。


 どこまでも自由に空を飛ぶ兄妹は息の合った連携で攻撃の手を緩めようとしない。殴り、離脱し、また殴る。とにかく天魔の進路を絶ち、エンナに攻撃させないための動きだった。


(少し妬けるかな……)


 着実に陣を作り上げながら、ふたりを眺めていたエンナはふと思った。呼応石無しにあれだけの意思疎通をはかる絆への羨望だった。


 ふたりが共に過ごした長い時間と思い出との産物だった。その記憶の中にエンナはいない。そのことがどうしようもなく寂しく感じられていた。


 ちょうど大胆な回し蹴りを見舞ったイーファが、一瞬こちらに目配せした。呼応石からは抱擁するような魔力のぬくもりが伝わる。明らかにエンナの機微を感じ、気遣っての行動だった。


(イーファのやつ、余裕だな)


 苦笑をこぼしながら、あのふたりの未来には自分も寄り添えるのだと思い至る。


「そのためにも、少々足掻いてみるかな」


 間もなく陣が完成する。そしてそれは同時に、天魔との決着を果たしてアンガスとの戦いが始まることを意味していた。


 イーファとアンガスと一緒にいられる時間を大事に思う自分がここにいる。だから頑張ろうと思った。今日の意志が、明日に繋がることを強く願っていた。


 空に八つの巨きな陣が姿を現す。その陣は八面体の箱を作り上げ、そしてそのうちの一つがふたを開いたような形を取っている。


「イーファ! アンガス!」


 その名を呼んだ。そうするまでもなくすでにふたりが動いているのは分かっていたが、声にせずにはいられなかった。


 アンガスが陣の箱に向けて天魔を殴り飛ばした。間髪入れずに今度はイーファが踵落としを見舞う。交互に打撃するだけという単純な攻撃だが、天魔にこれを防ぐ術は無い。重い打撃音が幾度となく空に響く。


「イーファ、仕上げだ!」


「了解ですっ!」


 最後はふたり同時に大きく拳を振り上げ、思い切り殴りつけた。


 天魔の巨体がエンナの造った陣の箱に飛び込んで地響きを立てた。その瞬間にエンナは陣の操作を始める。


 位相の変更を可能とした演算で組んだ、箱のふたの部分となる陣を動かす。ゆっくりと塞がれていく退路に向かって天魔が飛ぶが、陣のふたが閉ざされる方が早かった。


 見事に箱の中に捕らえられた天魔が暴れ回り、陣を破壊しようとするが陣はびくともしない。エンナの作り得る最大強度の陣だ。逃れられるはずも無かった。


 天魔が咆哮を上げてエンナをまっすぐに睨み付けた。エンナはそれを端然と受け止める。


「これで終わりだ」


 エンナの右手に更なる光が灯る。


 次の瞬間、箱を成す八つの陣が収縮を始めた。陣の位相変換と面積変換を八つ同時に行うという高等技術によって実現することのできる荒技だった。


 みるみる縮んでいく陣の箱に、天魔は為す術無く押しつぶされていく。陣の圧が、腕を、脚を、首を、尾をあらぬ方向にひしゃげながらその巨体を押しつぶしていく。


 徐々に落ちつぶされて小さくなっていく天魔の姿を誰もが見守った。


 断末魔を上げたのが最期だった。


 虚しく響いた咆哮が尾を引き、空に静寂が訪れる。


 それを破るように歓声が上がった。天駆たちが続々と勝利に拳を天に突き上げ、応えるように天狼たちが遠吠えした。


「やりましたね」


「だな」


 エンナは隣にやって来たイーファと感慨深げな空気に浸るが、もちろんいつまでもそうしていることはできない。


「エンナ」


 背中に投げかけられた声に、アイオンの背から降りたエンナはゆっくりと振り向く。


 果たして、出会ったときと同様の悠然とした姿でアンガスは大空にいた。しかし出会った頃とは違い、リリーホワイトの髪から覗く空色の瞳は多分に柔らかさを含んでいて、なのに確固たる決意をこちらに向けていた。


 息を呑む。ついにこの時が来たのだと漠然と感じた。


「アンガス、俺は俺たちの明日を信じてる」


「おまえは優しいな」


 自然と口を突いて出た言葉に、アンガスは寂しげな笑みを浮かべる。やりきれない気持ちになった。誰よりも優しいのはおまえだと言ってやりたかったが、今そうすることに意味は無い。言葉は十分すぎるほどに交わしたはずだ。それでも互いのすべてを共有するには至らない。どこまでいっても言葉は言葉でしかなく、例えどんなに大切な人であってもふたりは違う人でしかなかった。


 だからぶつかるしかない。その先に何があるのか誰にもわからないとしても。


 祈るように、そして耐えるようにイーファが胸の前で掌を握りしめ、もはや静観の決意を固めて二人を見守っていた。


 勝利の高揚の中に異質な空気を感じた天駆たちが何事かとエンナたちを見た。事情を知っているウォルスたちは真剣な眼差しを向けている。


 示し合わすようにエンナとアンガスの視線が交錯する。永遠とも感じられる時があった後、アンガスがすっと息を吸った。


「来い! おまえはおまえの大切なものを守ってみせろ!」


 それを合図にエンナは辺り一帯に一斉の陣を張った。駆けだした。アンガスに拳を向ける。


 それを避けることなく腕で防いだアンガスが間髪いれずにエンナの頬に殴りかかった。


 瞬時にエンナの指でアースブルーの光が灯り、襲い来る攻撃を阻むように小さな陣が形成された。陣にアンガスの拳が触れた瞬間、みしりと陣のたわむ音が聞こえた。エンナが咄嗟に身をかがめたときには破砕音が鳴り響き、空気をえぐるような打撃が髪を掠めている。


 肝を冷やしたのも束の間だった。


 かがんだ体勢の視界に、凄まじい鋭さで異物が割り込む。その間になんとか腕を割り込ませ、同時に後方に向かって跳んだ。


「ぐっ……!」


 腕を貫く威力の蹴りに頭を跳ね上げられ、上空に吹っ飛ばされていた。しびれる腕の隙間から眼前を窺う。一直線にアンガスが向かってきている。


 幾重にも陣を張ってその行く手を阻もうとしたが、アンガスはするすると陣を躱し、ときには打ち砕きながら猛然と迫っている。


 未だ後方に飛ばされ続けているエンナと並ぶようにアンガスが飛行する。


 間近に見た空色の瞳から、もはや感情を読み取ることはできない。極限までに集中を高めた、真剣そのものの面だった。


 高速移動の最中、アンガスが拳を振りかぶる。


 エンナもまた、防御の陣を造りにかかった。アンガスの体勢と挙動、視線、そして思考をことごとく推測する必要があった。ひとつの間違いが命取りとなるのは明白だった。


 胸元への攻撃が来ると即断する。


 攻撃が届くまでの時間で形成しうる最大強度の陣を胸元に張った瞬間、それがアンガスの重い一撃に呆気なく砕ける。なんとか身をひねって急所を躱したエンナの右肩に鈍痛が走った。


 骨を砕かれたのではないかとう衝撃に顔を歪めながら、今度は斜め下に向かってはじき飛ばされる。それをアンガスはなおも追撃する。


 このままされるがままでは敗けは明白だった。


 エンナは後方に陣を張ってそこに着地を試みる。斜めに張った陣に足から降り、全身のばねを総動員して衝撃を殺す。


 全身が軋むような痛みに耐え、屈んだ体勢から今度は逆向きに力を解放する。足の指先から足首へ、そして膝へと力を伝えて、向かってくるアンガスに向けて跳んだ。


 不意を突かれたアンガスが僅かに驚愕を浮かべた。その頬にありたけの力を込めて拳を打ち込んだ。


 確かな手応えと共にアンガスの頭が大きく振れる。なんとそのときにはアンガスの反撃が始まっている。


 完全に崩された体勢にもかかわらず、アンガスは右腕を大きく薙ぐようにして振り抜いた。


 攻撃直後のエンナには首を振って僅かに衝撃を逃がすのが精一杯だった。頬をえぐるように拳が届いた。もともと桁外れの膂力のアンガスだ。体重の乗っていない拳ではあったが、その衝撃たるや凄まじいものがあった。


 一瞬にして頭が真っ白になる。遠のく意識を手放さぬように奥歯をかみしめて、アンガスを睨み付けた。同様の眼差しが向けられていた。示し合わせたように、一進一退の攻防が始まる。


 幾重にも張った防御の陣、それでも押さえ込めぬアンガスの拳を腕で防御する。砕けた陣の残滓の向こう側にある、もはや見慣れた男の顔を眺める。


“俺を殺してくれ“


 自ら悪を名乗り、初対面にしてそう言い放った。


“おまえのチームをつくれよ”


 ずっと迷子だったエンナに、道を示してくれた。


“イーファを頼むよ親友”


 なによりも大事なものを預けてくれた。


(どうしてこいつが死ななければならない?)


 アンガスと出会ってから、いつだって棘となって心に刺さり、小さな痛みを与え続けてきた思いだった。


「アンガス……」


 口にした友の名は戦闘の音にかき消される。


 アンガスが鎌のような軌道で鋭い蹴りを放つ。無意識に張った防御の陣を破ってそれが頭部に直撃する。刈り取られそうになる意識の中、更なる攻撃に移行するアンガスをぼんやりと眺めた。


 また、無意識に陣を張った。その破砕音と共に激痛が訪れる。


 陣を張る。その身に攻撃を受ける。張る、受ける、張る、受ける。


 それを繰り返す。


 絶え間ないアンガスの連撃を、エンナは避けようとしない。


 人並み外れた威力を幾度も浴びながらも五体を保ち、意識をつなぎ止めていられるのは、無意識に張り続けている防御の陣のおかげだった。


(俺は、どうしたらいい……?)


 迷う心とは裏腹に、身体は生きようとしている。また、無意識が指輪に光を灯し、陣を張る。


「エンナっ!!」


 攻撃の手を一切緩めることなく苛烈に呼ばれた名に、エンナは我に返った。


 切とした表情のアンガスが視界に飛び込んできた。苦悶を振り切るように攻撃を続ける姿が、そしてその空色の瞳が責めるように告げている。


“おまえはまた立ち止まるのか?”


 アンガスと、そしてイーファと出会って何が変わっただろうか。


 ふと、そんな思いが湧いた。


 明確な言葉にできないことをもどかしく思いながらも、何かが変わったという確信があった。だから、もう立ち止まるわけにはいかないと思った。


(俺はどうしたい?)


 自らに問う。


 そんなの決まっている。この世界で、この大空で自由に生きたい。そして、アンガスとイーファと一緒にこの空の中を駆け抜けたい。


(なんだ、難しく考えることなかったんだな)


 起こってもいない未来に恐々とし、今を変えることに臆病すぎたのだ。そんな自分を二人は変えてくれた。世界はもっと簡単にできているのかも知れない。そう思うことでしか、前に進むことはできないのかもしれない。


(みんな幸せになれたほうが、良いに決まってるじゃないか)


 失うことを恐れて現状に甘んじることにもいよいよ飽き飽きしていた。


(最良の未来を掴もう。こいつらといっしょに)


 もやが晴れた気がした。全身を魔力の奔流が駆け抜けた。呼応石がかつてない輝きを放つ。この気持ちが呼応石を通じて、自分たちを見守っているイーファに届いていたら良いなと思った。


 弾力性を演算に込めた陣を掌に位相固定して展開する。


 迫っていたアンガスの拳を、おもむろに受け止めた。掌の陣がたわむことで、その強大な圧を完全に吸収している。


 今度こそ、アンガスのおもてが驚愕に染まった。


 いい気味だと思った。口の端をつり上げ、仕返しとばかりに意地悪く笑いかけた。まるでアンガスがうかべるような表情だったが、エンナはそのことに気付いていない。


「アンガス。決めたよ。俺は、おまえに勝つ」


 粛々と、力強く告げた。


「エンナ、おまえ……」


 呆気にとられたように口を開いたアンガスが、次の瞬間には笑みを浮かべていた。


「おもしれぇ。やってみろよ。“羽根のない者“の力、見せてみろ!」


 掴んでいたアンガスの手を握り込み、自分の腕ごと小さな陣で包み込んで固定する。そうしておいて、逆の掌にも陣を展開し、それをアンガスにぶつけた。


 爆ぜた。


 起爆性の演算を編み込み、さらに自分が被害を受けぬよう爆撃が一方向にしか向かないようにしていた。


 爆煙に包まれたアンガスが、拘束されていた腕を力任せに引き抜いて大きく後退した。


 と、アンガスの背に突如現れた陣が行く手を阻む。次いで、無数の小さな陣がアンガスを取り囲んだ。瞬き、爆ぜた。


 先程と同様の起爆陣だ。一瞬にして爆発に呑み込まれたアンガスだが、もちろんこの程度で倒せる相手でないことをエンナは理解している。


 爆煙を突き破るようにして、アンガスが上空に飛び出した。


 エンナはそれを予知し、先回りしている。


 僅かに隙のできたアンガスに仕掛けた。


 足場としていた陣を踏み抜いてアンガスの懐に飛び込む。そのまま殴りかかるが、驚異の反応を見せたアンガスが、わずかに身をひねることでそれを躱した。


 崩れた体勢に追撃するが、重力に捕らわれぬ身軽さでそれすらひらりと受け流してしまう。


「アンガス、やっぱり強いなお前」


「なんだ? 俺に勝つんじゃないないのか?」


 身を翻す動きの延長で放たれたアンガスの蹴りを、エンナは陣で受ける。蹴りによって陣が砕ける前に身をそらし、その軌道から逃れた。


「勝つさ。でもやっぱり空(ここ)では勝ち目がなさそうだ。ーー言ってる意味、わかるよな?」


「さぁ?」


 おどけて見せたアンガスに、エンナは口の端をつり上げた。そしておもむろに掌を差し向けた。


「俺に羽根はないんだ」


 艶然と笑んだ次の瞬間、エンナとアンガスを囲むように続々と陣が現れた。それら無数の陣が球体の箱を作り上げ、二人の視界は互いの姿を浮き彫りにするようにアースブルーの輝きに覆われた。


「いっしょに堕ちようぜ、アンガス」


 世界が一転した。上下左右、すべての方向感覚が失われるほどの衝撃に、アンガスとエンナは互いにぶつかりもみくちゃになりながら身体を踊らせた。


 球体に創り上げた箱の陣の位相付けをエンナが解いたのだ。ただの箱と化した陣が、二人を取り込んだまま、重力にしたがって落下していた。


「このやろォ、無茶苦茶しやがってっ!」


 混乱の最中にアンガスの焦った声が聞こえた。


 落下を続けるにつれて、身体に奔る魔力の本流が苛烈になっていくのを感じた。


 身体中を打ち付けながらもなんとか受け身を取りながらやり過ごすエンナに対し、アンガスは箱の落下速度と自身の落下速度を同調させて難を逃れようとしている。


「させるかっ!」


 エンナは文字通り捨て身になってアンガスに身体をぶつけた。箱の天井に二人してぶつかり、更なる混乱に陥った。


 いい加減目が回り始め、時間感覚すら失いかけたころ、


「ああッ、鬱陶しい!」


 痺れを切らせたアンガスが無造作に拳を振るった。


 一回、二回と空を切った拳が三度目にして陣の壁をかすめた。陣に、亀裂が入る。


(頃合いか?)


 なおも暴れ回るアンガスをなんとか視界に押さえながら、エンナは意を決して自ら陣を解いた。


 箱から放り出され、一気に視界が開ける。


 ぐるぐる回る視界に、一瞬自らの状況を理解することのできなかったエンナだが、天性の平衡感覚ですぐさま体勢を整える。


 すでに落下限界を超えていた。陣を張って着地するのは不可能な状況だった。


 少し離れた位置にアンガスが落下しているのを見つける。同様にこちらに気付いたアンガスが、滑空しながら向かってくる。


(まだだ、もう少し……!)


 間近に接近したアンガスの腕を掴み、後ろに投げ気味にそらす。すぐさまアンガスが振り向き、攻撃の態勢に入る。


「少し早いが、しょうがない」


 足下に陣張って、そこに片足をかけ、落下を制動した。


「なっ!?」


 アンガスの驚愕を置き去りにして、一瞬にしてふたりの距離が広がった。


 陣にかけた脚が悲鳴を上げる。落ちていくアンガスを見下ろしながらエンナは痛みに顔をしかめた。


(もっとだ。もっともっと堕ちろ……!)


 再度、その身を宙に放り投げる。


 高度が下がるにつれて、全身を魔力が駆けて力が満ちてくる。羽根のない生き物は大地に近づくほど魔力の扱いが容易くなる。それを利用するのだ。


 落下しながら上空に陣を張り、それを足蹴にして真下に跳んだ。


「ーーらぁ!」


 アンガスに追いつき、身体を反転させて蹴り降ろす。


 何とか腕で防いだアンガスをそのままはじき飛ばし、更に下降させる。自分はまた陣を張り、それを踏み台にして更に加速して追いつく。追いついてまた大地に向かってアンガスを 弾き飛ばす。それを繰り返した。


 アンガスはなんとか直撃を避けながらエンナの攻撃を防いではいるが、反撃に出ることはできなかった。


 ついに大地が見えた。どこまでも岩肌の広がる山岳地帯だ。みるみるそれが迫ってくる。


 エンナは臆することなく地面に向けて、仕上げとばかりにアンガスを殴り飛ばした。


 凄まじい勢いで地面に激突したアンガスは二度三度と跳ねた後、滞空することでなんとか体勢を整える。


 一方でエンナは陣を張ることもなく直接着地する。全身に魔力を奔らせ、極限までに耐久力を高めていた。


 かつてないほど身体が軽かった。羽根のない生き物の本領発揮と言えた。


 岩盤を砕きながら着地し、そのまま踏み抜いてアンガスに向かった。


「ここが俺たち(羽根のない生き物)の舞台だ。……残念ながらな」


 アンガスの頬を地面に向かって殴りつける。その身体が跳ね返ってきたところを蹴り上げる。飛ばされる先に回り込み、天井の陣を張って着地して待ち受けた。


 アンガスが来たところで体重をのせた蹴りを腹に入れた。


 いともたやすくアンガスの身体がはじけ飛び、地面を滑るように跳ね飛んでいく。


 それを滑走して追撃する。並走し、首を掴んで慣性に任せて地面に押さえ込む。


 地が割れ、アンガスの身体が埋まるようにしながら滑っていき、やがて止まった。


 静寂のとばりが二人を包み込んだ。聞こえるのは、互いの荒れた呼吸だけだ。


 エンナはアンガスの首を掴んだまま、顔の真横に向けて拳を振り下ろした。


 極限まで高められた魔力の本流が身体を強化し、異常なまでの力を発揮した。大地が割れ、轟音が虚空に響いた。


 二人の身体が大地に沈んだ。


 前髪に隠れたアンガスの表情を窺うことはできない。


 ただその唇が、さも嬉しげな弧を描いた。


「おまえの勝ちだ。エンナ」


 なんと満足げな声音だろうか。


 エンナは下唇を噛み、そして大きく息を吸った。


「あぁ! 俺の勝ちだ、アンガス!」


 言い切って、二人してまた黙り込んだ。肩で息をしながら、かつてない近さでただ互いに見つめ合った。


「……アンガス、俺にはわからない。お前が正しいのかどうか。ほんとうにお前はっ……!」


「この甘ちゃんが。ここにきてまだ言うか」


 眉根を寄せ、アンガスは呆れたように吐息する。そして一度瞼を閉じ、またそっと開いた。その大空の瞳に、エンナは自らの姿を見た。今にも泣き出しそうな情けない顔だったが、同時に決意に満ちたおもむきを孕んでいる。


 アンガスはその真意を感じ取ったのか、極めて穏やかに口を開く。


「エンナ、俺はおまえやイーファが羨ましかった。イーファは悪たるが故に正義為すことを望み、おまえは羽根がないが故に自由に空に在ることを望んだ」


 悪の生き物はイーファであり、アンガスは正義の生き物だった。アンガスはイーファを守ろうと、自らの命すら厭わない覚悟だった。


 どこまでも深い瞳が、遠くを見つめている。果たして今なにを思うのだろうか。なんとなくわかる気がした。羨望することを救いとし、まさしく自らの意志でそれを守った男の瞳だった。


 ふっとその瞳が、またエンナを見上げた。


「俺にはなにもないんだ」


 自嘲するような口調は、初めて出会った頃のアンガスを思い出させた。


(あぁ、そうか。これがアンガスの……)


 すっと合点するものがあった。途端に鼻の奥がつんとなった。果たしてエンナの感情を揺さぶるのは何だろうか。上手く言葉にすることはできなくても、たしかにそれはエンナのなかにある。


「イーファがいる。ーー俺だっている」


 呟くように、口の中で転がすように言った。


 アンガスは一層幸福に満ちた笑みを浮かべる。


「ありがとう。その通りだ。だから、イーファの未来のために死なせてくれ。……そしてきっと、それはおまえのためにもなるだろう」


 穏やかにそう口にするアンガスの目尻から一筋の涙が伝う。


「頼むよ親友」


 込み上げる涙をこらえることもしなかった。エンナも涙し、頬を流れた雫が、ぽつりとアンガスの頬に落ちる。


「エンナ!! アンガスっ……!!」


 遠くからイーファの声が降ってきた。


 見上げるとイーファとアイオンがこちらに向かってきているところだった。エンナとアンガスから少し離れた場所に降り、そのまま駆け寄ろうと踏み出した足をふと止め、まっすぐにこちらを見た。


 アンガスもまた、エンナを見つめた。


「エンナ、今しかない。俺はあいつの目の前で死ななければならない」


 イーファに聞こえぬよう抑えた、しかし力強い声音でアンガスは言った。懇願にも似た言葉だった。


 しかしエンナの心はもう決まっている。掴んでいた首を手放し、アンガスの脇に屹然として立った。


 視線を絡める。口にすべき言葉はひとつだ。


「俺を信じてくれ親友」


 目を瞠って何か口にしようとしたアンガスを遮るように、エンナは大きく息を吸った。


 視線の先には、不安に落しつぶされそうになりながらも、健気にこちらを見守る少女の姿がある。地に足を着けた大空の少女はいつにも増して儚い美しさで佇んでいた。


(綺麗だな)


 あらためてそう思いながら、


「イーファ!」


 祈るように声を張り上げた。


「俺はアンガスを殺さない!」


 一瞬の間を置いて、イーファの面に僅かに喜色が浮かぶが、エンナは努めて厳しい声でそれを諫めなければならなかった。


「そもそも悪とは何だ? 悪事成すことを悪とするか? ならばアンガスはそれに当てはまらない」


「それは……わたしもアンガスも人の形をとっているから、本性が表に出ていないからですよね? だから、それが表に出てくる前にアンガスは……」


 突然の謂いにイーファが戸惑った様子を見せるが、律儀にも応える。


「ああ。きっとそれも事実だろう。しかしそれが全てではない。人が本性のままに生きないのは、理性があるからだ。本性を理性で隠しながら、俺たちは生きている」


「本性と理性……」


「そう考えると、人の本質は皆、悪であるとも言える。だれもが悪成そうとする弱い本性を、自らの意志である理性で押さえ込んでいるんだ」


「何が……言いたいんですか?」


 イーファの声が震えていた。勘の良さから本能的に感じているのかもしれない。


 エンナは構わず続ける。喉がからからだった。心臓の音がうるさかった。言葉を間違えてはいけない。


「大小あるにしても人の本質を悪とするのなら、果たして正義を本質とする人とはなんだ? 理性で押さえ込むべき本性を持たぬ人とは?」


「エンナ……」


「断言しよう。アンガスは悪の生き物ではない」


 イーファは目を瞠ったと同時に、握り拳を胸元に持っていき、震えながらも微笑んだ。安堵と、そして恐怖の入り交じった感情が生んだ表情だった。


 エンナは心を締め付けられる思いだった。しかし続けなければならない。


「ある種無邪気とも呼べるアンガスの言動は悪のそれではなく、悪を知らぬ本性からのものだ。ーーアンガスは正義の生き物だ」


 一呼吸置いて一歩だけイーファに歩み寄った。今すぐ駆け寄りたい衝動に駆られるが、今これ以上近づくことはできない。


「イーファ。あんたは羽根のある生き物だ。それは間違いない。ならばあんたも正義と悪に分類されるな?」


 当然のことを確認するように問う。イーファは俯いてしまい、なにも応えなかった。


「あんたは僅かにも悪の感情を持ったことがないと言えるか? 嫉妬、怒り、自尊、あらゆる心の弱さを感じたことがないと」


「エンナ、わたしは……」


 顔を上げたイーファがすがるようにエンナを見た。


 エンナは表情を変えない。そして突き放すべく言葉を紡がなくてはならない。生唾を飲み込み、必死に唇を動かした。


「アンガスは正義の生き物だ。そしてイーファ、羽根のある生き物でありながら弱い心を持つあんたこそ、悪の生き物だ」


 言い切った。


 その瞬間、イーファは表情を崩して涙を浮かべ、その身をかき抱くように崩れ落ちてしまった。へたりこみ、かたかたと震えている。


「……アンガスは、あんたが弱い心に負け、悪を暴走させぬよう自分が悪として死のうとしていた。長年連れ添った兄の死を乗り越えればこの先、どんなことがあっても大丈夫だと信じた」


 そしてそのためにエンナが必要だった。


「そして、兄を殺した者への怒りすら乗り越えさせようとした。怒りを復讐心へと昇華させることなく、理性、正義の心であんたが乗り越えることを望んだ」


 そのために、アンガスを殺す者は、アンガスと同等かそれ以上にイーファに好かれた者であり、且つアンガスの死は正義の上になければならなかった。


 すべてはアンガスの思惑のなかだった。緻密に練られた思惑の中で、エンナはイーファの目の前でアンガスを殺し、イーファはそれを乗り越えるはずだったのだ。


「もう一度言う」


 もうやめろ、これ以上追い詰める必要があるのか。胸を刺すような苦悩があったが、揺れる心を振り切ってエンナは再度口にしなければならない。試練を与えることでイーファの幸せを願ったアンガスの思いを、今は自分が引き継がなければならなかった。


「イーファ。あんたが悪の生き物だ」


「…………」


 イーファは応えない。


 しばらく間があって、イーファがゆっくりと顔を上げた。大空の瞳を揺らしながら、エンナに向かって手を差し出した。


 歯噛みした。今はまだ、その手を取るわけにはいかなかった。


「俺は助けてやれない。これからどうするかを決めるのはあんただ」


 淡々と言った。


 イーファは伸ばした手をびくりと止めた。そしてその手を引っ込めると、よろよろと立ち上がってそのままエンナに背を向けてしまった。おぼつかない足取りで、ゆっくりと駆け出す。


 心配げに歩み寄ってきたアイオンの脇を通り過ぎると、そのまま飛び去ってしまった。


 小さくなっていく少女の背を見送りながら、エンナは大きく息を吐いた。緊張の糸が解け、仰向けに横たわるアンガスの隣に座り込んでしまった。


「やってくれたな、エンナ」


 アンガスが顔だけこちらに向け、非難するような視線を注いでいた。


「どういう結果になるかわからないが、おまえの望んだやり方だろ? イーファは今、悪の心と戦っている」


「ばかが。俺のやり方なら確実にあいつを助けてやれたんだ」


「おまえの命と引き替えにな。俺はおまえに生きていて欲しい」


「……気持ち悪いこと言うな」


 アンガスはそっぽ向いてしまう。こんな状況にも関わらず、その姿が可笑しくて小さく吹き出してしまった。


「……イーファが羨ましかったんだ」


 顔を背けたままアンガスが呟いた。


「あぁ」


「悪の心……弱い心を持ちながらも、必死に抗う姿が眩しかった」


「そうだな」


「俺にはないものだ。俺は、ただただお気楽に生きるだけ。それが嫌だった。嫌だったから、イーファにすがった。イーファを見守ることが俺の役目だと勝手に決めた」


「まあ、兄貴だからな。間違ってねぇよ」


「誰よりもまっすぐに生きているあいつの側にいられることが、俺の生きる意味だった」


「うん」


「ある日、イーファが暴走したんだ。人付き合いとは無縁だった俺たちが、初めて人に触れたことがある。ある家族の一員になった。そこでイーファは親友を得た」


 懐かしむようにアンガスは言葉をこぼす。


「その親友が、天魔に殺された」


「……そうか」


「そのときだ。イーファは我を忘れたように力を振るい、俺さえ凌駕する力でその天魔を葬った。……幸いと言うべきか、そのことをあいつは覚えていない」


「しかし、近しい者を失えば、大抵の人は平静ではいられないものだろう? イーファが怒りを露わにしたのも仕方のないことだ」


「そうかもしれない。でも、イーファのあれはそんなものじゃない。親友の家族や、俺さえも見境なく攻撃した」


「……」


「俺は思った。イーファを汚いものに触れさせてはいけないと。イーファの悪の心を暴走させてはならないと。それから俺たちは一切の関係を断ち切り、二人だけで生きてきた。あいつはしきりに他者との繋がりを望んだが、俺は許さなかった」


 アンガスが大空を見上げた。その表情は意外にも晴れやかだった。


「何者も生まない、虚しい時を二人で過ごした。俺は悩んだ。このまま虚無を抱えたまま、二人きりでいつまでも過ごすのかと」


 アンガスがエンナに顔を向けた。穏やかな顔だった。


「そんなときだ。エンナ、おまえと出会った。最初はなんだこいつと思ったよ。天駆とはいえ、おおよそ人のいるべきでない高度で、それもたった一人で闘ってんだもんよ」


 懐かしむようにアンガスは瞼を閉じる。そしてまた、大空の瞳をエンナに向けた。エンナは、胸の底で温かなものを感じた。


「あのとき、おまえを助ける義理はなかった。人との繋がりなんて望んでなかったからな」


「……でも、俺はおまえたちに救われた」


「あぁ。イーファが勝手に飛び出したんだ。俺は仕方なしに付き合っただけだった。……でも、おまえを見ていて気が変わった。俺は俺の意志でおまえを助けたんだ」


「どうして気が変わったんだ?」


 問うと、なんとアンガスはくつくつと笑んで見せた。


「なんだよ?」


 むっとしてエンナはアンガスをねめつける。


「いや、あのときのおまえを思い出した。おまえ、泣きそうな顔してたぜ?」


 エンナを見つめるアンガスの視線が、いかにも温かな柔らかさに充ち満ちた。


「あぁ、こいつも必死に生きてんだな、って思ったら、どうしようもなくおまえが羨ましくなった。こんな感情にさせられたのは、イーファとおまえだけだよ。だから、こいつにならイーファをまかせてもいいじゃないかと思ったんだ。幸いなことに、イーファもおまえのことを気に入ったようだったしな」


「……身勝手な話だ」


 エンナが悪態付くと、アンガスは笑みを深めた。


「そう言うなよ。命を救ってやったのは確かだろ? それにおまえ、あいつに惚れてんだろ?」


 唐突な問いかけに、エンナは一瞬悩むような素振りを見せ、まあ誤魔化すこともないかという結論に自然とたどり着いった。


「あぁ。あいつが好きだよ」


「くくっ。はっきり言うかよ。恥ずかしい奴め」


「まぁ、おまえのことも憎からず思ってるよ」


 言ってやると、アンガスが驚きを浮かべた。そしてまた意地悪げな表情になる。


「おまえなぁ、そこは“おまえのことも好きだぜ”くらい言っとけよ」


 エンナは露骨に嫌な顔をしてみせた。


「おまえも相当恥ずかしい奴だぞ、ほんとに。気色悪い」


「エンナー愛してるぜー」


「はいはい、俺もだよ」


 言い合って、二人して笑った。しばらくそうした後、沈黙した。


「あいつは、イーファは大丈夫だと思うか?」


 一転して真面目な顔でアンガスが言った。


 エンナは当然とばかりに余裕ある態度を崩さなかった。愛する少女への絶対的な信頼がそうさせていた。


「大丈夫に決まってるだろう。おまえの妹だぜ?」


「そんで、おまえの想い人だしな」


 アンガスもある種、信頼に満ちた態度を示し、そしてふと思い立ったように声を上げた。


「ていうかおまえ! はやくイーファを追えよ! 見失うぞ!」


「今更かよ……。もうとっくに影も形もないよ」


「なっ!? どうすんだよ!」


 慌てるアンガスに対し、エンナは至って平静だった。


 胸元の呼応石をつまみあげると、ひけらかすようにおアンガスに見せつけた。


「こいつがある限り、おれとあいつは離れられない」


「んなもん、捨てられたら終わりだろうが!」


「あいつはそんなことをしない。絶対にだ」


 根拠もなく言い張エンナに、アンガスは呆れたような顔をした。そしていたって真摯な態度でエンナを見上げた。


「おまえなら、あいつを助けてやれる。改めて、妹を頼む」


「悪いが選ぶのはあいつだよ。俺はどうやったってあいつにはなれないからな。……俺にできるのはあいつが選択する瞬間、側にいてやることだけだ」


「それで構わない。……俺は負けたしな。あとは託すよ」


「あぁ。祈っててくれ」


 立ち上がり、歩み出す。


 アイオンが不安げに喉を鳴らしながらすり寄ってきた。


「おまえもここで待っていてくれ。大丈夫、きっと上手くいく」


 純白の毛並みを撫でてやりながら、イーファの飛び去っていった空を見上げた。


 胸元で呼応石の光がこぼれ出す。この遙かなる空の先に、確かにイーファの存在を感じた。不安と戸惑い、そして寂しさ。呼応石を通してやってくるイーファの感情の波に、エンナまで流されてしまいそうだった。


「あんたは強い人だ、イーファ」


 独り言のように呟くと、今は姿の見えぬイーファのいる場所に向けて、陣の階段を創り上げた。


 一段目に足をかける。異様に重い一歩だった。それでも止まることなく、一歩、また一歩と確かな足取りで進んだ。

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